例大祭第一回祭典委員会が行われました
令和5年7月30日
祭典委員長の挨拶
令和5年7月30日午後6時より、社務所大広間にて大崎八幡宮世話人会並びに例大祭第一回祭典委員会が行われました。
大崎八幡宮の最も大切な例大祭に関係する、責任役員・総代・世話人の方々と関係諸団体の担当の皆様方と職員での打合せが祭典委員会でございます。今回が令和5年度例大祭の記念すべき第一回の祭典委員会の開催となり、58名の方にお集まりいただきました。
当宮宮司より委嘱状が渡されました |
また、この度新たに世話人に就任された方々に委嘱状の伝達も行われ、地域一丸となって大崎八幡宮の例大祭を盛り立てて下さる温かい雰囲気が感じられました。
本年の例大祭は、コロナ禍で中止を余儀なくされていた神幸祭や流鏑馬神事が復活致します。久しぶりに賑やかな例大祭期間を迎えられる予定で、八幡大神様もさぞお喜びであると推測されます。
その他、例大祭に関しましてはホームページ例大祭の項をご参照頂ければと思います。
9月の例大祭に向けて、地域の皆様方のご協力を賜りつつ、職員一同最善を尽くしてまいる所存でございます。
祭儀課 浅香
境内社諏訪社例祭を斎行しました
令和5年7月26日
春日造で建てられた御社殿
令和5年7月26日午前10時より、境内社の諏訪社にて例祭が斎行されました。
当宮の諏訪社は、江戸時代寛永期に信濃国一之宮諏訪大社より分祠されたものと伝っております。御祭神は建御名方神で水の守護神や生命の根源を司る神として知られています。また、剛力をもって知られた武神として、武田信玄をはじめとする甲信地方の戦国大名に篤く崇敬されていました。
また、令和元年より約2年かけて行った奉祝天皇陛下御即位記念境内整備事業において、御社殿の造替が行われ、瑞気麗しい姿に変貌を遂げました。
当宮の諏訪社例祭の御縁日である7月26日は、長野県に鎮座する諏訪大社の御射山祭の旧暦にあたります。
御射山祭は、諏訪上下大社の大祭として古来より伝わる狩猟神事だそうで、上社と下社が御射山と定めた場所で、幣という薄の穂を供え、青萱で葺いた穂屋を建てます。そこで神職や氏子が3日間参籠し、五穀豊穣や天下泰平を祈る神事でございます。
御射山祭は別名「原山様の祭り」とも呼ばれ、「腹を病まない」ご利益があるとされ、人生最初の厄年になる子どもが、「食中毒や寝冷えなどで腹を病まぬように、そして知らぬ間に身についた罪や穢れを鰻や泥鰌に託して川に流す」という風習があり、2歳児の健康祈願の祭礼となっています。子供達はススキの穂のお守りをいただき、「御輿くぐり」をして無病息災を祈るそうです。
この度の例祭は、職員にてご奉仕をしております。また、当宮宮司・責任役員・氏子崇敬者の計6名の方の参列があり、玉串拝礼をして頂きました。
祭典に先立ち、参列者の方をお祓いします | 祭員は祓所にて修祓を行います |
例祭の時のみ御扉が開かれます | 海川山野の産物をお供えします |
斎主 祝詞奏上 | 御神楽奉奏「浦安の舞」 |
祭員 玉串拝礼 | 当宮宮司の玉串拝礼 |
当宮責任役員の玉串拝礼 | 氏子崇敬者の方の玉串拝礼 |
左から、境内社のしおり・御朱印・幣束・祭典のしおり |
参列の方には撤下品として、御幣と御朱印をお渡しました。この御幣は水の守護神として名高い建御名方神に合わせ、水色を採択しております。
祭典の結びに参列の皆様と祭員で記念撮影を行いました。
当宮には、国宝の御社殿以外にも様々な境内社がございます。ご参拝の折には、境内社にも参拝頂き、多くの神様とのご縁を結ばれて行かれてはいかがでしょうか。
祭儀課 浅香
愛宕神社例祭
令和5年7月22日
令和5年7月22日午前11時より兼務社の愛宕神社例祭が斎行されました。
宮司による祝詞奏上 | 御神楽奉奏(浦安の舞) |
供神輿渡御の様子 | 子供会の皆さんに愛宕神社の歴史について話す宮司 |
当日、祭典前に雲が広がり空模様が心配されましたが、雨が降ることもなく山崎責任役員はじめ十二軒町の町内会の皆様やご来賓の皆様、また子供会の児童ご父兄の皆様の参列のもと無事に斎行されました。
また、様々な事情により四年振りとなる子供御輿の渡御が今年の例祭では久しぶりに行われました。子供会の児童の皆様は太鼓を叩いたり、御輿が通る道を塩で清めたり、御輿を担いだりと、それぞれ元気に頑張っていました。
祭儀課 神保
令和5年度 神職・神社関係者研修会
令和5年7月20日
竹駒神社崇敬会館に207名が集まり、研修を受講しました。
令和5年7月20日午後2時より、宮城県岩沼市に鎮座する竹駒神社崇敬会館にて宮城県神社庁主催の令和5年度神職・神社関係者研修会が行われました。
この研修は以前「国民精神昂揚研修会」という名称で開催されていましたが、昨年より名称を変え、より親しみやすく分かりやすいものとなりました。宮城県を3ブロックに分け、3つの会場にて研修が行われたそうです。
当宮からは、宮司以下禰宜、職員3名、責任役員2名、総代2名の計9名が参加致しました。
研修は神宮遥拝、国歌斉唱、敬神生活の綱領の昭和、宮城県神社庁長(代理)の挨拶、当番支部長の挨拶の開講式から始まりました。
国旗を通して神宮を遥拝しました | 敬神生活の綱領の唱和 |
当番支部の仙台支部長 高崎恒晴殿の挨拶 | 宮城県神社庁 副庁長 村田守広殿の挨拶 |
今回の講演は、「神社界を襲う過疎化の危機~祭りと鎮守の杜が鍵を握る~」でした。東京都世田谷区瀬田鎮座の瀬田玉川神社禰宜を務められつつ、一般社団法人第二のふるさと創生協会の事務局長もなさっている髙橋知明殿がはるばる東京より来仙され、凡そ70分に渡りご講演下さいました。
講演では、講師の髙橋先生の御実家がある岩手県の陸前高田市の事例を下に、神社の防災拠点としての可能性や交流の場としての利用価値、鎮守の杜が持つ減災効果等を、スライドを利用して、視覚にも分かり易く解説下さいました。
ご自身の幼少期を語られる髙橋先生 | 陸前高田市の沿岸部の様子のスライドを説明する髙橋先生 |
また、その大切な鎮守の杜を創り広げるために、地元の神社から在来種の種であるどんぐりを採取し、ポット苗として育てているとのお話もありました。当宮にも毎年、鎮守の杜プロジェクトのボランティアの方が大勢いらっしゃり、どんぐりや榊の種子を採取していかれています。当宮で生まれた小さな種たちが、どこかで緑の力の防災施設や鎮守の杜の一翼になっていると思うと誇らしく、在来種の宝庫である当宮の境内を守っていかなければならないのだと強く実感しました。
講演の最後に髙橋先生は「宗教が違えど、植樹による杜を創る活動は誰でも行うことができる。多様性を尊重し合う考え方や緑の力を利用した環境保全への取り組みというものを、神道を通して世界に発信するのはなかなか難しいが、杜を創る活動を通してであれば可能であると考えている。」とおっしゃられておりました。
世界各地で様々な争いが起きている今、非常に鋭い視点での問題解決の糸口を提示されており、鎮守の杜や神社の持つ新たな可能性を知ることができたと思います。
閉講式では、来年の当番支部長(代理)の挨拶と聖寿万歳をして、散会となりました。
来年の当番支部である仙台宮城支部副支部長の石川隆穂殿の挨拶 | 聖寿万歳の様子 |
コロナ禍となり長らくこのような研修会は中止や縮小を余儀なくされて参りましたが、本年度から復活の兆しが顕著となっております。今後とも積極的に研修会に参加し、斯界の発展に寄与できるよう研鑽を積んで参る所存でございます。
祭儀課 浅香
令和5年文月月次祭を斎行いたしました
令和5年7月15日
恵の雨が境内の植物を潤す中、文月月次祭を斎行いたしました。
雨天時は社殿の中で修祓を行います | 献饌 |
祝詞奏上 | 参列者 玉串拝礼 |
夕刻の境内にて |
この時期は24節気で小暑にあたり、梅雨が明け夏の暑さが本格的になってくる頃です。
境内では様々な蝉の声も聞こえてきました。特に日の入り前、日の入り後に鳴くひぐらしは夏の風情を感じる事が出来ます。皆様も八幡宮をお参りの際にはひぐらしの声に耳を澄ませ夏を感じてみてはいかがでしょうか。
祭儀課 浅見
鶴岡八幡宮の皆さまの正式参拝がありました
令和5年7月12・19日
7月12日は御社殿の階にて記念写真を撮りました | 7月19日は御社殿廻廊にて記念写真を撮りました |
令和5年7月12日・19日の午前10時より、神奈川県鎌倉市鎮座の鶴岡八幡宮の職員の皆様の正式参拝がありました。
鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府を築いた源頼朝公の祖先源頼義が、京都の石清水八幡宮を勧請したことに始まります。源頼義は石清水八幡宮を篤く信仰しており、源氏の氏神として八幡神を鎌倉の由比ヶ浜辺に祀られました。その後、源頼朝公が現在の地にお還しし、鶴岡八幡宮の基礎を造られました。
治承4(1180)年、源頼朝公が初の武家政権である鎌倉幕府の拠点を鎌倉の地に構え、同年に先祖ゆかりの八幡宮を現在の場所に遷し祀られます。幕府、鎌倉、ひいては東国社会の守護神として篤い崇敬を寄せられたそうです。
さらに、幕府の重要祭事として、放生会や流鏑馬、相撲、舞楽など今日に継承される祭事を境内でとり行われておりました。鶴岡八幡宮は東国社会の精神的中心、社会的中心だったと言われています。
今回は東日本大震災の復興支援をされた志津川地域の視察を兼ねての研修旅行でいらっしゃったそうです。昨年は名古屋方面に研修旅行に行かれたとの事で、職員の育成にも力を入れられているご様子でした。また、鶴岡八幡宮は当宮宮司が若かりし頃、約4年半の修行をしたという御縁もあり、常日頃からやり取りのある神社でございます。
修祓では大麻のお祓いを受けます | 12日は𠮷田宮司、19日は髙橋権宮司に玉串拝礼をして頂きました |
社殿外部と長床の説明をする宮司 | 蟇股の説明をする当宮の宮司 |
当宮と同じ御祭神をお祀りしており、国宝を後世に伝えていくという立場など似通う点が多い両宮でございますので、お互いに切磋琢磨し合い斯界の発展に寄与してまいりたいと存じます。
祭儀課 浅香
國學院大學第85期専攻科同期会の皆様の正式参拝がありました
令和5年7月10日
御社殿を背景に記念撮影をしました
令和5年7月10日午前11時より、國學院大學第85期専攻科同期会の皆様の正式参拝が御社殿にて、斎行されました。
國學院大學は神職の資格の取得可能な大学として知られています。神職の資格を取得する方法はいくつかあり、國學院大學にて4年間神職になる為の知識を学び、経験を積む方法が一般的とされています。今回参拝された皆様は「専攻科」のご出身の方々で、専攻科とは神職の資格を取得するもう一つの方法ともいうべきものです。
國學院大學の専攻科は、大学(國學院大學以外でも可)を卒業し学士の称号を有し、出身都道府県の神社庁長の推薦書がある人が入ることのできる学科となっています。1年間の修行で神職の階級の一つである、正階が取得できます。
当宮の宮司がこの専攻科にて学びを深め、神職の資格を取得しました。この度は1年間の短い間の濃い学びを共有した学友との同期会でのご参拝でした。
熊本県水俣市 濱八幡宮 宮司の緒方殿に代表して玉串拝礼をして頂きました | 当宮宮司の社殿説明は貴重ですので、職員も聞き入ってしましました |
同期会の皆様は、当宮にて参拝された後、バスにて山形方面に出発されました。普段は各々重要な地位を務められている方ばかりですので、久々の気の置けない仲間たちとの語らいの時間は、常に笑顔で溢れておりました。
同じ学び舎で学びを共有した仲間は一生ものであることを強く感じた一時でございました。第85期専攻科同期会の皆様のご健康と弥益々のご繁栄を御祈念申し上げます。
祭儀課 浅香
志波彦神社鹽竈神社の流鏑馬神事を見学してまいりました
令和5年7月9日
202段の石段が待ち構える表参道
令和5年7月9日午後2時より、宮城県塩釜市鎮座の志波彦神社鹽竈神社の境内にて流鏑馬神事が斎行されました。当宮から職員2名が見学にお邪魔させていただきました。
志波彦神社鹽竈神社は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めておられます。創建の年代は詳らかではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、厚い祭祀料を授かっていたことが知られています。
武家社会となってからは平泉の藤原氏・鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は大神主として務められていました。
現在の社殿は伊達家四代綱村公から五代吉村公に亘り9年の歳月をかけ宝永元年(1704)竣工されたものだそうです。平成14年12月、本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門以下14棟と、石鳥居1基が、国の重要文化財の指定を受けられました。
当宮とは、また宮城県内の別表神社として日頃より付き合いがあり、祭典や年始の際には互いに参拝や挨拶をしております。
この度、見学させていただいた流鏑馬神事は、室町時代、留守職・伊沢家景が三頭の馬を献じて流鏑馬を行い、部下の士気を高めたのが始まりと伝わるそうです。別宮・左宮・右宮それぞれに一頭の馬をたて、三人の騎手が三つの的を次々と射抜いてゆきます。矢が的に的中することは除災招福の瑞祥だそうです。
大麻で馬場を祓いながら参進します | 神職が的を取り付けます |
見事、的の中心に命中しました | 流鏑馬神事終了後、馬とのふれあいの時間も設けられていました |
志波彦神社鹽竈神社の馬場はカーブしており、的と的の距離も短いため、馬と射手の心が合っていないと難しいようです。当日は300人ほどが一目流鏑馬を見ようと境内に集まっていました。
当宮にても9月17日午後4時ごろより馬場にて流鏑馬神事を予定しております。新型コロナウィルス感染症の流行拡大や防災事業工事の関係で、令和元年を最後に斎行できない年が続いておりましたが、本年は4年ぶりの斎行となります。
詳細情報等は当宮ホームページをご確認ください。皆様のご来社を心よりお待ちしております。
祭儀課 浅香
宝地院九州本院の方々の正式参拝がありました
令和5年7月2日
前日までの雨模様とは打って変わって晴天の下での正式参拝となりました
令和5年7月2日午前9時より宝地院九州本院の方々の正式参拝がありました。
宝地院は、京都の聖護院門跡を本山とする末寺として開院され、現在は聖護院門跡の末寺からは離れ、「求菩提山 宝地院」として、古来より連綿と伝えられた求菩提山に伝わる山岳修験の伝統を守られているそうです。
また各地での法話参加者の増大にともなって、九州(行橋)、東京、名古屋、大阪へ各本院を構えておられます。この度参拝にいらっしゃった九州本院では開院当初より、「六峰会修験本坊」として連綿と続く山岳修験を守り続けておられます。1987年には120年ぶりに英彦山峰入修行を復興し、春峰、秋峰、寒行、断食籠行、盂蘭盆会、星供養会などの年中行事も、全国から多くの方々のご参加を受け毎年続けていらっしゃるそうです。
今回、当宮には宝地院の職員と信徒の方々総勢90名が3泊4日の花巻・平泉・仙台を回る研修旅行で参拝下さいました。
事前に当宮について各々調べられていらっしゃったこともあり、短い滞在時間ではありましたが、密度の濃い参拝をされていたのが印象的でした。
90名の参拝者を大麻にてお祓いしました | 当宮禰宜より社殿内の説明をしました |
我が国の伝統や文化を継承する者同士、お祀りする対象は違えど、互いに学び合い刺激を受けていければと存じます。
祭儀課 浅香
令和5年厄除祈願大祭並びに祈願串焼納祭を斎行いたしました
令和5年7月1日
令和5年7月1日 厄除祈願大祭動画(Youtube)
7月1日厄除祈願大祭を斎行いたしました。厄除祈願大祭並びに祈願串焼納祭は令和の御代を迎えてより、厄除け、災難除けの他、あらゆる災いを祓い福を招く“攘災招福”、また皆様方の家内安全・身体堅固・無病息災・心願成就、ひいては国家の安寧と世界の平和を祈念するために斎行致しております。
当日は50名以上の方々に参列いただきました。 | 忌火の点火後、皆様の祈りの込められた祈願串を炉にて焼納しました |
祈願串を火に焼納している間は神職、参列者の方々と大祓詞を奏上します | 可愛いワンちゃんも一緒にお参りしてくれました |
参列者には神酒拝戴後、御守り、神札お渡ししました |
厄除祈願大祭は令和元年から行われ今年で5回目を迎えました。年々と参列者、申込者の人数は増加しており、大崎八幡宮の夏の祭典行事の始まりとして盛り上がりを見せております。この先、夏の「厄除祈願大祭」冬の「どんと祭」として定着していきたい所存でございます。
来年も皆様の参列、お申込みをお待ちしております。
祭儀課 浅見
文月月首祭を斎行致しました
令和5年7月1日
七夕の笹が設置された境内を参進しました
令和5年7月1日午前10時より、御社殿にて文月月首祭が斎行されました。月次(首)祭は、月ごとの決まった日に行われるお祭りで、神恩感謝と皇室の弥栄、国家の隆昌、氏子崇敬者の益々の繁栄を祈るお祭りで、小祭にあたります。当宮では、毎月1日の月首祭と八幡様の御縁日である15日に月次祭を斎行しております。
鹿島御児神社は延喜式名帳所載の式内社(国史現在社として最も由緒深い神社)で、ご祭神は武甕槌命・鹿島天足別命の親子二柱を祀られています。
また、月首(次)祭では、月々に大神様の御加護を賜われますよう、月参りのお印として御幣束を御頒かちしております。御幣束は大神様への捧げものでもあり、御神霊の依代ともなるものでございます。当宮の御幣束は、古来より伝わる「襲ね色目」を取り入れ、四季の移ろいを月毎の植物の色にて表現しております。当月は藤を表す紫色と桃色の御幣束でございます。
そして、今回の月首祭では、5名の方の参列と6月に入社した神保出仕の初奉仕がありました。
御神楽奉奏「萬代の舞」 | 宮司 玉串拝礼 |
今回の舞人の執物は桔梗と手毬草でした | 藤をモチーフにした月参幣束 |
以下、初奉仕の感想です。
【神保出仕】
この度初めて月首祭の祭員となり、祭典中は緊張し完璧な作法での奉仕とはなりませんでした。
今回の経験を次に活かせるよう、宮司をはじめ先輩方の丁寧な御指導のもと努力を重ねてまいる所存です。
献饌での手長の様子 | 社務所前にて記念撮影をしました |
月首(次)祭はどなたでもご参列頂けます。祭典斎行15分前までに御社殿右側にあります祭儀棟の祈願受付までお申し出下さい。朝の清々しさの中でご神前に参拝することで、ますます大神様のご加護をお受け頂ければと存じます。 皆様のご参列を心よりお待ち致しております。
祭儀課 浅香