家庭のまつりの中心となる所は、言うまでもなく神棚(かみだな)です。神棚の起源の一つとして、天照大御神の御神勅があげられます。それは天照大御神が、御孫の瓊々杵尊(ににぎのみこと)をこの国土にお降しになられますときに、御宝の鏡をお授けになり「あが児(みこ)この宝鏡(たからのかがみ)を視まさんこと、まさにあれを見るごとくすべし。ともに床(みゆか)を同じく、殿(みあらか)をともにしてもって斎鏡(いわいのかがみ)となすべし」と仰せられておるからであります。これから、その家で最も大切な所である床の間を神棚として、その御前に侍して神まつりをすることが、古くからの日本の仕来たりであったことがうかがわれるのであります。
また邸内社(ていないしゃ)も、家庭のまつりの重要なところですが、昔、天照大御神がお生まれになったとき、父神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が大変お喜びになられ、「自分は沢山の御子を生んだけれども、このような立派な御子もない」と仰せになって、御自分のお首にかけていた玉飾を取って、天照大御神にお授けになられた。
大御神はその玉を御倉棚神(みくらたなのかみ)としてお祭り申し上げたというのであります。屋敷内の御倉の中に棚を作り、そこに、神をおまつりする風が、古くから存していたことがうかがわれるのであり、現在、屋敷内の清々(すがすが)しい所に、小さな祠(ほこら)を作り、それを邸内社(ていないしゃ)と呼んで、家の守り神とする信仰も、右の一つであって、家々の神まつりとしての古い仕来たりといえるものであります。
お葬式のときは、どうしたらよいか
お葬式ができた場合は、神棚を閉じるか、半紙をはって、毎日のお祀りを中断します。 昔は、親が亡くなった場合、一年もの長い間慎んでいましたが、現在は四十九日あるいは五十日祭が済んで、忌明けとなった時点で、神棚の祀りを再開します。
また、親戚に不幸ができた時など、お祝いごとや神社への参拝をどうしたらよいのか、誰もが迷った経験があると思いますが、服忌については地方によりそれぞれ慣例がありますので、それに従うことがよいと思います。
しかし都会などで風習のわからない場合は、日数表を目安にしたらよいでしょう。それでもどうしても気になる場合には、神職に頼んで「服祓い」をしていただければよいでしょう。