「第61回文化財防火デー」消防訓練を実施いたしました。(1月26日)

 去る1月26日(月)「第61回文化財防火デー」に伴う消防訓練が行われました。

 今回の訓練では大元社西側の杉林より火災が発生したと想定し、龍神社南側に発炎筒型の火点が設置されました。

 午前9時半の訓練火災発生と同時に、火災発生時の報告、消防への119番通報、初期消火、参拝者の避難誘導、本殿からの「御」の搬出、社殿へ火が燃え移ったと想定した放水銃による放水訓練を行いました。

 また、氏子の方々には、水消火器による消防訓練、バケツリレー等に参加して頂き貴重な文化財を火災から守っていかねばならない職員と同じく、再認識して頂けたのではないでしょうか。

 また、閉会式後には、参加された方々に“甘酒”をお配りし、冷えた体を温めて頂まして、本年も無事終了となりました。

~何故この日に訓練火災を行うのか~

 空気が乾燥し、暖房器具の使用頻度が高い為、1年のうちで最も火災が発生しやすい時期といわれる1月ですが、去る昭和24年1月26日に日本最古の木造建築である、国宝法隆寺(奈良県)の金堂が炎上し、壁画が焼損したのがきっかけとなり、昭和30年に「文化財防火デー」が制定され、各地の神社仏閣で毎年行われるようにました。

 その為、当宮でも毎年1月26日に、青葉消防署・青葉消防署国見出張所・八幡分団・国見分団の皆様、当宮の消火設備を管理している(株)櫻井防災、当宮近隣の氏子の方々にお手伝い頂き、八幡様の万が一の時に備え、消防訓練を実施しております。

(日野 美咲)

社務所への報告に走る高橋出仕 「御」の搬出
神馬舎前広場では氏子さんによるバケツリレーが行なわれました
御社殿、龍神社南側杉林への放水訓練も行われました
閉会式では青葉消防署署長より講評を頂きました

ベガルタ仙台必勝祈願(1月25日)

 去る1月25日、ベガルタ仙台の代表取締役社長西川善久様、渡邉晋監督を始め選手、スタッフ、フロントの皆さまが必勝祈願のためご参拝されました。
祈願控所にて大絵馬にサインをした後、御社殿で祈願を受け、玉串にJ1での躍進の願いを込めてお参りされていました。
先日のアジアカップに、北朝鮮代表として出場した梁勇基選手は「もう一度J1で上位を目指せるように頑張りたい」と抱負を語られていました。
ベガルタ仙台がJリーグに加盟して21年目となる今シーズン、八幡様のご加護のもと更なるご活躍をご祈念しております。
サインを頂いた大絵馬は、社殿に向かって左の西回廊に奉納されておりますのでご参拝の際にご覧頂ければと思います。

(菅原 望)

大絵馬にサインする選手 お祓いを受けます
玉串に願いを込める西川社長 大絵馬を持って集合写真
抱負を語る梁勇基選手
サポーターが奉納した絵馬
多くの方が活躍を祈っております

宮城県神道青年協議会
第39回「禊錬成会」(1月20日)

 暦の上では一年の中で最も寒いとされる「大寒」の日に、宮城県七ケ浜の菖蒲田浜海岸にて宮城県神道青年協議会主催の第39回目となる「禊錬成会」が執り行われました。

 参加者は、協議会々員・県内神職合わせて27名で、その内当宮からは職員4名が神事に参加してきました。

 当日は午前6時前に集合し、設営のお手伝いを行い午前6時30分に斎行。 「エイッサー」の掛け声と共に駐車場から砂浜に勢い良く向かい、道彦に伴い「鳥船行事」で心身を整えた後に、いざ海の中へ入水しました。入水後は、「大祓詞」を奏上し、最後は肩まで浸かり全身の罪穢れを祓い落としました。

 午前6時の時点で気温は0℃、東部仙台には強風警報が出されていた中での神事で、白衣を脱ぎ褌姿になるときには全身に鳥肌が立ち、あまりの寒さに「・・・!!」言葉が出ませんでした。なお且つ強風が全身に突き刺さり体感温度は氷点下の寒さでした。

 禊神事を無事終えて心身ともに清められ、今年一年乗り切る鋭気を養うことができました。

 この記事を閲覧されている方も是非一度体験してみてはいかがでしょうか。


※ 神事の様子を動画にて撮影しておりますので、よろしければ下記よりアクセスお願い致します。

動画ページへ

海中へ入る前に「鳥船行事」で心身を整えております
海の中へ入り「大祓詞」を奏上

平成27年1月14日松焚祭が執り行われました。

祭儀課 小野目 稲美

 午前中から爽やかな晴天と暖かい気温に恵まれた1月14日、松焚祭が執り行なわれました。
お正月最後の行事であるどんと祭は、大崎八幡宮において、かつて門松や松飾りなどのお焚き上げが本来の神事でした。今は門松や松飾りのみならず古神札や縁起物などが集まり、高さ5mほどの山がお焚き上げされる様子は、全国規模の神事として名を馳せております。
このお焚き上げに付けられる「忌火」は、1月1日の歳旦祭により宮司によって熾されました。忌火は14日の午後4時に行われる松焚祭点火式に用いられ、その間、絶やす事無く守られます。この小さな忌火を松明に移し、宮司以下参列者によって古神札に点火され、一気に燃え上がる様は圧巻で、どんと祭の御神火を取り巻く人垣も、余りの熱さに後ずさりします。

 その燃え盛る御神火を目指し、仙台市内各所から裸まいりの一団が参進します。
今年は119団体、参拝者数3,500名以上の方が御社殿にてお清めのお祓いを受けました。様々な団体(会社・病院・学校関係者等)のみならず、個人や初めての参加の方もいらっしゃり、年々増加傾向となっております。

 今年のどんと祭は平日でしたが早朝から人手があり、参拝者数は10万人を越えました。これはお正月にせまる参拝者数です。仙台の皆様にとって大崎八幡宮のどんと祭は、正月の風物詩でもあり、大切に護っていかなければならない信仰・伝統だと強く感じました。

 しかし残念な事に、この御神火に授与品以外のものが混ざっております。 人形・ぬいぐるみ・工芸品などはもとより、メモ・伝票・個人情報が記載された物も含まれておりました。
どんと祭の御神火は神送りの神事であり、心無い方のこのような行為をこれから正していくのも、信仰を護る大切な一つだと実感いたしました。

社殿前より、忌火が点された
陰灯が運ばれます 
どんと祭斎場前で点火式が
行われました
忌火を松明に移し、点火の準備をします
燃え上がる御神火を目指し
裸まいりが進みます
境内は参拝者で溢れておりました 清水建設の皆様の修祓です
愛知治郎後援会の皆様
仙台市立第一中学校・
八幡小学校の皆様
餅・お酒・鯛・野菜などの
お供えがありました
今年は好天に恵まれ、10万人を超える
ご参拝を頂きました

歳旦祭・松焚祭採火式齋行(1月1日)

 元日の8時より、一年の始めの祭典である「歳旦祭」が執り行われました。
歳旦祭は、新年を迎えたことをお祝いし、皇室の弥栄ならびに国民・氏子崇敬者全ての人々の繁栄と農作物の豊作を皇祖を始め、天神地祇の全ての神様にお祈りする祭典です。
祭典は、まず神饌(大神様の召し上がるもの)をお供えし、宮司による祝詞奏上・採火の儀、巫女の「浦安の舞」が奉奏された後、宮司・祭員の玉串拝礼が行われ、滞りなく厳粛に斎行されました。
また祭典の中の「採火の儀」で宮司の手により「火打ち石」を用いて熾された火は「忌火(いみび)」と呼ばれ、1月14日に行われる松焚祭(どんと祭)の御神火となるもので、当日まで灯され続けます。

(菅原 望)

宮司による祝詞奏上 巫女の浦安の舞
玉串拝礼 御神前にお供えされた「忌火」

年越大祓式齋行(12月31日)

 去る12月31日午後2時から、本殿前特設テント内の斎場において「年越大祓式」が斎行されました。
当日は、小雨の降るあいにくの天気ではありましたが、多くの参拝者の方にご参列を頂きました。
大祓式は、半年の間に知らず知らずに犯した罪や積もり積もった心身の穢れ、いっさいの災いを消滅し、本来の姿を取り戻すための神事です。
特に年越大祓式は新年を迎えるにあたり、年間で最も重要な「祓いの儀式」であり、「年越の大祓」をうける事により、被った災いや穢れの一切を清めて身体も心も清らかになるための儀式として古くから行われているものです。
神事では、祓主が古来より伝わる大祓詞を宣読し、参列者は麻と紙を細かく切った切麻を体に撒いて清め、紙を人の形に切った「人形(ひとがた)」で体を撫で、3度息を吹きかけ罪穢れを移します。その後、神職が大麻と塩湯でお祓いして滞りなく終了致しました。
罪穢れを移した人形は、水に流すのが一般的ではありますが、当宮では松焚祭の忌火でお焚上げをしております。
大祓は、古事記や日本書紀の神話に見られる伊弉諾尊の禊祓を起源とし、宮中においても古くから行われてきました。国中の罪穢れを祓い清め災厄の無い社会を祈り行われてきたもので、現在ではその伝統を受け、多くの神社で恒例の儀式として斎行されております。

(菅原 望)

祓主による大祓詞の宣読 白布を切り裂く神職
人形で体を撫で罪穢れを移します
神事終了後、御神酒をお受け頂き
神札をお頒ちしました

神宮別宮 遷御の儀奉拝
「瀧原宮(たきはらのみや)・瀧原竝宮(たきはらならびのみや)(11月7日)・伊(い)雑宮(ざわのみや)(11月28日)・風(かざ)日祈宮(ひのみのみや)(12月3日)」

 平成25年秋、皇大神宮(内宮)並びに豊受大神宮(外宮)の両正宮におきまして、20年に1度の遷御の儀が滞りなく斎行されました。遷御の儀は御社殿を新造し、御装束神宝類も新しく整え、大神様に旧殿から新殿へお遷りいただく式年遷宮において最も重要な祭儀です。
神宮は、内宮・外宮を含め125の社があり、両正宮の遷御翌年から特に両正宮と関わりの深い祭神を祭る14社の別宮の遷御と続き、摂社・末社・所管社合わせて109社は、20年目に大修理、次の20年目で新しく造替されます。
当宮ではこの度、別宮である「瀧原宮・瀧原竝宮」・「伊雑宮」・「風日祈宮」の遷御の儀に参列させていただく機会を頂き、宮司以下職員、崇敬者の方を含めそれぞれ伊勢の地へと向かい遷御の儀に参列してきました。
遷御の儀は浄闇の中、鶏を真似た「カケコー、カケコー、カケコー」の声を合図に始まり大宮司以下祭員の列が白い絹垣で覆われた御神体と神宝類を持ち、旧殿から雨儀廊(屋根付きの回廊)を渡り、新殿へと大神様がお遷りになられます。
当日遷御の間は静寂した中、執り行われると思っておりましたが、風の音や川のせせらぎ、動物たちの鳴き声がありらこちらから聴こえ、それが逆に幻想的でした。
翌日には檜の香りがまだ新しい新殿をお参りさせていただき、1300年もの間続いてきた神事に立ち会うことできたことに改めて感激致しました。

(髙橋 泰之)

(以下 別宮の遷御の儀に同行された方の感想を掲載しておりますので、ご覧いただければ幸いです。)

(瀧原宮・瀧原竝宮 同行)

瀧原宮遷御の儀に参列しました(波岡 智子・有香 殿)

  夜の20時から瀧原宮遷御が、次いで瀧原竝宮遷御が行われました。
仙台から比べれば暖かいのでしょうが、夜の祭儀でしたので待ち時間や祭儀中も寒さとの戦いでしたが松明の灯りの中、準備をされる伊勢神宮の方々の事など、様々な遷宮の説明を小野目宮司さんに聞かせて頂き、大変貴重な時間を過ごすことが出来ました。
1300年前から脈々と続く厳粛な儀式を初めて体験し、この儀式を伝承し続けてきた方々に尊敬と感謝の念を抱きました。
遷宮式は暗闇の中行われたこともあり、お宮を見る事は叶いませんでしたが、もう一度この地を訪れ、瀧原宮と瀧原竝宮のお宮を拝見したいと思っております。また、今回は小野目宮司さんとご一緒の日程だった為、伊勢神宮の裏方部分や今まで知らなかった神社のあれこれを教えて頂く機会も多く、お宮を維持し守っていく為の技術伝承や資材の確保などの取り組みに感心と驚きの連続でした。
道中は小野目宮司さんと谷津田さん(職員)に大変お世話になり有難うございました。

(伊雑宮 同行)

伊勢神宮別宮伊雜宮の遷御の儀を奉拝して参りました(権禰宜 小野目 稲美)

 平成25年に神宮式年遷宮が執り行なわれ、当宮も御白石持行事に参加し、氏子崇敬者の皆様と神宮を奉拝致しました。
今回、別宮の一つである「伊雜宮」の遷御の儀を奉拝してまいりました。
神宮の参拝作法は、先ず外宮へお参りに行きます。皆様と御白石持行事に参加した外宮正宮は、板垣が張り巡らされ、遠くからの参拝となりました。隣接していた古殿は既に解体され、次の御遷宮の時まで静かに佇みます。
さて、外宮の境内には別宮が3社ございます。お参りも①外宮正宮②多賀宮③土宮④風宮と順番がございます。皆様もご参拝の折、順番通りお参りされてはいかがでしょうか。
外宮の参拝が終わり、車で凡そ1時間の所にある伊雜宮へ向いました。遷御の儀が行われる時間は、19時からでございました。直前まで小雨が降っておりましたが、「伊勢には神風が吹く」の言葉通り、風が吹き雨が止み、雲間から星が瞬く神秘的な夜となりました。
神事は暗闇で行われます。かすかにある光は、神宮神職が点す松明と提灯のみ。55名の神職と220名の参列者の奉拝により、神事が厳かに始まりました。常暗での神事です。参列者からは何も見えず、神職の衣擦れや足音に耳を澄まし、神経を集中させておりました。
数々の御神宝とともに、絹垣と呼ばれる白い布で御(御神体)を四方囲み、渡御の列は進みます。 古殿から新宮へは30mの距離でしたが、2時間以上かけ遷御の儀は無事執り行なわれました。
私達は通常、職員として諸祭奉仕しておりますが、改めて祭典に参列する機会があった事は大変貴重な経験となりました。
神宮の式年遷宮は平成27年3月まで続きます。そして、次の式年遷宮の準備は既に始まっています。
次回の式年遷宮も皆様と奉祝・奉拝出来るますように、大崎八幡宮職員一同、神明奉仕に努めてまいります。

伊雑宮遷御の儀を奉拝して(出仕 高橋 知生)

 10月28日、29日と伊勢神宮の内宮別宮である伊雑宮の遷御の儀を奉拝してきました。当日は雨が降っていましたが神事が始まる時間になると雨は止み星空の中、19時過ぎから神事は始まりました。辺りは真っ暗で静粛な雰囲気の中、神事は執り行われました。
初めて神宮の遷御を奉拝して、祭員は何回習来したのかと思うくらいそれぞれの神主さんの動きがそろっていました。
11月末といっても紅葉が見ごろの伊勢ですが夜の奉拝はとても寒かったです。外で奉拝している我々には祝詞がきこえなかったし短かったです。古式ゆかしい祭式で何をやっているのかわからなかったが後々調べたらこういうことだというのが勉強になりました。

(風日祈宮 同行)

雄勝から伊勢へ (㈲創建コーポレーション 佐藤 美智弘 殿)

 東日本大震災後初めて雄勝を訪れたのは、一昨年の7月頃でした。
子供たちが小学生の頃、書道展で入賞し硯会館で表彰されたのが20年程前、友人と雄勝湾で釣りに夢中になっていたのが10年前。その頃は、長閑で養殖棚が所狭しと組まれた雄勝湾、今では賑っていた町並みの面影は無く、改めて被害の甚大さに驚いてしまいました。
雄勝へ行くきっかけになったのは、雄勝町大浜に鎮座している葉山神社様の神楽保管庫(国指定重要無形民俗文化財雄勝法印神楽)新築工事のご依頼があったためでした。
保管庫は一昨年11月に竣工し、引き続き新たに社務所の新築工事の依頼を頂き、昨年の11月完成に至ったところで、大崎八幡宮の小野目宮司様より皇大神宮の別宮 風日祈宮の式年遷宮の神事に参列させていただく機会を設けさせていただきました。
12月3日の夕刻6時から内宮と同じく20年に一度、新たに立て替えられた御社殿に御神体を移す神事が大宮司以下50名近い神職の方々により執り行われる様は、初冬の寒さと暗闇が張りつめた空間を作り、厳粛さを極め身の引き締まる想いと同時に1300年もの悠久の時を経ても揺るがず執り行われる神事に心打たれたと同時に、驚きと感動を隠すことができませんでした。
翌日は内宮をはじめ各別宮を参拝し、改めて2000年の歴史を感じた次第です。
この度私どもが社務所の新築工事に携われたことは、残念ながら御社殿が東日本大震災の被害に遭われ、葉山神社様の復興の大事業であることです。葉山神社千葉宮司様の復興への並々ならぬ想いと、小野目宮司様の強力な支援、指導が氏子総代の皆様を動かし、波岡建築設計室の波岡先生が総括をされており、来年には御社殿も立派に完成することと思います。
日本という国が戦国時代や明治維新といった動乱期、そして度重なる戦争といった困難を重ねながらも、守り抜いてきた歴史の重みとそこに立ち向かってきた先人の偉大さを思い巡らしたとき、雄勝町のみならず東日本大震災で被災された街、そして被災された方々が1日も早く復興できることを願うと共に、復興できると信じることが出来る参拝となりました。
最後にこのような貴重な神事に立ち会える機会を与えていただいたことと、ご同行いただいた皆様に感謝、御礼申し上げます。

遷宮旅行へ参加して (菅原 マリ子 殿)

 1日目は外宮の参拝、せんぐう館を巡り、夕刻に内宮へ。午後七時より始まった風日祈宮の遷宮。浄闇に包まれ、辺りは凛とした冷たい空気の中で聞こえてきた太鼓の音、参進の際の玉砂利の音、そして松明の灯りだけで行なわれる祭儀。その厳粛な世界を目と耳で、感じ見させて頂きました。本当に心打たれ、日頃の奉仕に当たっての修練や心構えの大切さや素晴らしさに加え、準備から片付け至るまでの大変な想いを肌で実感することが出来ました。
2日目、二見浦の参拝から内宮の御垣内参拝をし、ゆっくりと穏やかに説明、ご案内をして頂き、本当に有り難くとても感動し充実した二日に間となりました。
今遷宮旅行にお声掛けを頂いた宮司様、またお世話を頂いた職員の皆様により心より感謝申し上げます。本当に有り難うございました。

外宮は左側通行です
皆様と参加した御白石が
敷き詰められた外宮新宮
外宮土宮はこれから遷御の儀を迎えます 茅葺の屋根は半分朽ちかけています
内宮別宮の伊雜宮の境内は暗闇です 手前が古殿、奥が新宮です
内宮宇治橋前の鳥居は
外宮古殿の棟持柱で造られました
内宮は右側通行です
五十鈴川に紅葉の木々が映えていました 遠くに臨む内宮新宮
 
おかげ横丁赤福の季節限定
「赤福ぜんざい」

ボーイスカウト仙台27団チャリティー餅つき

 1月4日(日)当宮の育成団体となっている、ボーイスカウト仙台27団が境内表参道にてチャリティー餅つきを行いました。
蒸したもち米を臼にいれて、杵で何度もつきます。ボーイスカウトの子供たちだけでなく、ご参拝の方々にも参加して頂きました。
つきあがったお餅は餡子、きな粉、納豆などに分けられて振る舞われ、子供たちの持つ募金箱へお気持ちをお納めいただきました。
今回のチャリティー餅つきで集まったお金は、東日本大震災の被災地支援のために使わせていただきます。ご協力ありがとうございました。

(日下 瑞季)

蒸しあがったもち米を、二人がかりでついていきます

紀元祭斎行(2月11日)

 去る2月11日(水)紀元祭が斎行されました。紀元祭は現在、建国記念の日と言われておりますが、以前では紀元節と言われ、「日本書記」が伝える初代天皇である神武天皇が今の奈良県、橿原の宮において即位された日です。

 古を偲び建国創業の御神徳を景仰する国民的祭典です。祖国日本の永遠の繁栄と世界の恒久平和を祈り、当宮でも本年も肇国創業の精神を偲び厳粛に執り行われました。

 当日、午前10時からの祭典では、宮司一拝から始まり次に大神様に神饌をお供えし、宮司による祝詞にて建国の祝賀をお祝いしました。その後、仕女による御神楽「浦安の舞」が奏され、玉串を奉り滞りなく斎行されました。
神事の後は、境内の遥拝所から、建国の祖である神武天皇をお祀りする奈良県の橿原神宮(かしはらじんぐう)を遥拝致しました。

(高橋 知生)

献饌 お供え物を神前にお供えします。 宮司による「祝詞奏上」
巫女による「浦安の舞」の奉奏 玉串拝礼を執り行いました。

平成27年2月3日節分祭を執り行ないました

祭儀課 小野目 稲美

 節分は、季節の変わり目を示す四節気(立春・立夏・立秋・立冬)の立春の前日に行われます。
二十四節気ではこの日を境に旧年から新年へと変るので、最も重要視されていました。

日本では常若(常に新しい気持ちで、身を清め、穢れを祓い、新たな季節を迎える準備をしておりました。旧暦の新年の前日に行われる節分祭は、いわば年越し大祓えの神事にあたり、穢れを祓い清める神事が節分祭の豆まきとされます。

 この豆まきに使われる大豆は、必ず「炒った」豆でなければなりません。その由来は、「魔、滅いる(まめいる)」からで、炒った豆は「魔の芽を出さない」とされています。

 大崎八幡宮の撒豆式では裃を着けた参列者が「福は内、鬼は外、天打ち、地打ち、四方打ち、鬼の目ん玉ぶっつぶせ」と唱和し、豆を撒きます。

 参列者の皆様の「厄」は八幡様のご神徳により「役」へと転じ、新年のお役目を担う年男・年女となり、社殿前にいた「赤鬼」「青鬼」は皆の撒く豆によって退治され、清められました。

 また、馬場に設置された特設舞台からはボール・アンパン・みかん・お菓子などが撒かれ、近隣の小学生を始め多くの方が「福物」を受け取っていました。


社殿の前には、赤鬼・青鬼
  神事の一つ、鳴弦式です
弦の響く音で魔を祓います
撒豆式前 撒豆式により、魔を祓います
馬場を埋め尽くす日人だかりです    
 
   

「仙台・江戸学叢書刊行」

この度、新たに仙台・江戸学叢書が刊行されましたのでご紹介致します。


小西 幸雄   著
第65巻『真田幸村と伊達家』

「仙台・江戸学叢書刊行」

 この度、仙台・江戸学叢書が3冊刊行されましたのでご紹介致します。

島森 哲男 著
第32巻『伊達政宗の漢詩』
鯨井 千佐登 著
第35巻『城下町仙台の職人衆』
佐藤 賢一   著
第36巻『仙台藩の和算』

ホームページ「美咲の部屋」閉鎖について

 私事ではございますが、「鳩子の部屋」の住人こと「日野美咲」ですが、この度、退職させて頂くこととなりました。
長い間、当宮のホームページ「鳩子の部屋」をご覧頂きましてありがとうございました。
閲覧頂いた皆様に感謝を申し上げますと共に、今後も変わることなく八幡宮のホームページを応援して頂ければ幸いです。
尚、新年度より八幡宮の巫女全員でこの部屋を継続して参りますので、そちらも引き続き応援頂ければと思います。
長い間、当宮のホームページ「鳩子の部屋」をご覧頂きましてありがとうございました。
本当にありがとうございました。

(日野 美咲)

入社初日と退職日の写真、八幡様にここまで育てて頂きました

ベガルタ仙台レディース必勝祈願

 3月10日(火)、ベガルタ仙台レディースの皆様が必勝祈願のため、当宮をご参拝されました。
日本女子サッカーリーグ参戦4年目を迎えるベガルタ仙台レディースは、「プレナスなでしこリーグ1部」で他の9チームと優勝を争います。
大絵馬に監督・選手・スタッフ皆様のサインを頂き、御社殿にて必勝祈願を執り行いました。
祈願後のインタビューにて、千葉泰伸監督は「まずはレギュラーシーズンで6位以内に入る」と今シーズンの意気込みを語っておりました。

(日下 瑞季)

大石段を上り表参道を進みます
大絵馬にサインを記入します
お祓いをうけ、玉串拝礼を行いました
千葉泰伸監督 嘉数飛鳥選手
御社殿前で集合写真を撮影しました

仙台ロイヤルパークホテル神殿例祭(2月19日)

 去る2月19日(木)、仙台ロイヤルパークホテルにて年に一度の神殿例祭執り行いました。
午後2時からのお祭りは宮司一拝に始まり、献饌、祝詞奏上と続き、従業員の皆様方のご健康と社運隆昌を祈念致しました。
その後、巫女による「萬代の舞」の奉奏、続いて宮司・祭員による玉串拝礼を行い、ご参列の皆様にも、ご代表の方に合わせてお参り頂きました。
最後にお神酒を拝戴し、滞りなく神殿例祭は斎行されました。
仙台ロイヤルパークホテルが開業したのは平成7年2月28日。開業時から執り行われている神殿例祭は今年で無事に19回目を迎えることができました。

(日下 瑞季)

御神楽「萬代の舞」奉奏
代表の方による玉串拝礼
神酒拝戴を行い、神事は滞りなく斎行されました

平成27年4月本殿挙式

高橋・遠藤御両家
御結婚、誠におめでとうございます。

仙台第27団入団並びに進級式を行いました

 晴れ渡った青空の下、4月19日(日)10時より神馬舎脇の広場にて「ボーイスカウト仙台第二十七団入団並びに進級式」を行いました。今年は新たに3名のビーバースカウトと1名のカブスカウトの4名が入団し、また、カブスカウト4名がそれぞれ進級しましたのでご紹介いたします。 

(一戸 麗姫)


ビーバースカウトへ入団した3名は
元気に「やくそく」と「きまり」を言っていました。
 カブスカウトへ入団した1名はカブスカウトの「やくそく」を
大きな声で奉唱し、誓いをたてていました。

進級した4名のカブスカウトをご紹介します。

「くま」スカウトに!  「うさぎ」スカウトに! 「くま」スカウトに
進級し組長になりました!
「しか」スカウトに!

平成27年3月本殿挙式

 森・根岸御両家
御結婚、誠におめでとうございます。

大崎八幡宮が葉山神社再建支援をする理由

 大崎八幡宮では、石巻市雄勝町大浜に鎮座する「葉山神社」が、東日本大震災の津波により御社殿が全壊し社務所は流失という壊滅的な損害を被り、千葉秀司宮司より一刻も早い再建を願っているのをお聞きし事業実施について協力する事とし、元の境内地より約10メートル高い隣接地に移転再建する計画をたて当時、伝統民俗芸能の保護に力を注いでいた日本財団に支援の依頼をしてまいりました。
結果、平成25年6月には日本財団 理事長 尾形武寿氏の参列のもと「起工式」が斎行され造成工事に着手、昨年末には「社務所建築工事」を終え、本年2月より「御社殿建築工事」に着手し、去る3月28日に「上棟記念奉祝祭」を迎える事が出来ました。
大崎八幡宮では、震災直後から継続して被災地への支援活動を実施して参りましたが、平成25年度より「行政からの支援」が見込めない「沿岸部被災神社再建支援」に特化して活動してまいりました。
その第一号となった「葉山神社再建事業」では、当宮技師 ㈲波岡建築設計室・波岡平八先生のご指導のもと、地元建設業者や八幡宮職方会の全面的な協力により「移転用地の造成工事」と「第一次外構工事」」(平成25年6月着工)に始まり、「社務所建築工事」(平成26年12月竣工)、そしてこの度の「御社殿建築工事」(平成27年2月着工)と丸2年をかけ、やっと「御社殿上棟祭」を迎えることが出来ました。
大崎八幡宮では、前述の人的支援を始め、将来の御造営用材として確保していた「木材の提供(青森ヒバ他)」や「製材・加工の為の場所」、「その他の資機材の提供」などを実施して参りましたが、この活動は一神社の再建事業にとどまらず、「重要無形民俗文化財 雄勝法印神楽」伝承の中心地として、6割以上の方々が地元・雄勝地区を離れざるを得ない雄勝町民の「ふるさとかえり」の一助になればとの思いから実施してきたものであり、有形無形の違いこそあれ、「神楽の伝承」を始め「地域の伝統文化の継承」の為には「葉山神社再建」は是非とも完遂させなければならないとの強い思いから実施してきたものです。
引き続き、葉山神社御社殿は本年秋の竣工に向けて工事が進められていきますが、来年のお正月には青森ヒバの香りも清々しい真新しい御社殿に額づく多くの方々が初詣されることを願っております。

葉山神社上棟記念奉祝祭

 3月28日(土)、石巻市雄勝町鎮座葉山神社の上棟祭記念奉祝祭が執り行われました。 当宮では奉祝祭に合わせてバスツアーを企画し、約60名の方々にご参加頂きました。
13時30分より上棟祭神事が行われ、国指定重要無形文化財の雄勝法印神楽「五矢」「魔王退治」「日本武尊」が奉納されました。
その後、参列の皆様による曳綱の儀、棟梁・大工による槌打ちの儀、散餅・散銭の儀と続き、神事は滞りなく斎行されました。
雄勝町の特産品である「雄勝石」は、書道等で使用する硯(すずり)に多く用いられ、また現在の東京駅駅舎の屋根にスレート瓦として使用されています。
葉山神社本殿の周りに敷き詰める雄勝石「おがつこいし」に、雄勝町の復興に対する皆様方の願いや想いを刻んで御奉納頂きました。

途中、石巻市の伊去波夜和気命神社を参拝しました
葉山神社社殿 雄勝法印神楽の奉納
上棟祭神事 たくさんの方々が参列しました
曳綱の儀
槌打ちの儀

5月の本殿挙式


佐藤・菊地御両家
今野・加藤御両家 菊地・佐藤御両家

誠におめでとうございます。

カモシカの参拝

去る5月7日、ゴールデンウィークの賑わいが少し落ち着いた昼下がり、境内で野生のカモシカが目撃されました。社務所がある西側の茂みから顔を覗かせたカモシカは、トコトコと表参道を小走りに歩き、東側の森の中へと消えていきました。

当宮は、仙台の市街地にございますが、北を国見の丘陵地域・南に広瀬川を挟んで青葉山・西から北にかけて山上清水に囲まれた自然豊かな地形に鎮座しております。

そのために小動物の目撃は多々ありますが、カモシカのように比較的大きな動物は珍しく、偶然にもカメラに収めることができました。

その後、カモシカがどこへ向かったかは定かではありません。

皆さまも、このような野生の動物に遭遇されるかもしれません。御参拝、お待ちしております。

庶務課 小野目 稲美


表参道のちょうど中ほどにその姿が現れました カメラ目線のカモシカですね

大崎八幡宮一之鳥居の塗装塗替工事が始まりました。

国道48号線沿いにある大崎八幡宮の一之鳥居は、当宮御鎮座380年記念事業として大階段下・表参道入口付近の整備事業に伴い、昭和63年に奥田建設㈱より奉納されました。それ以来20数年以上にわたり、高さ11メートル・笠木幅9m・柱の直径1m程の壮大な大鳥居は、大崎八幡宮表参道の入り口として参拝者を迎えてきました。

先の東日本大震災の揺れにも耐えた大鳥居でしたが、日々の風雨に晒され、塗装の汚れによる鋼機の劣化が心配され、この度塗替工事を行う事になりました。

去る5月7日、工事を始める前に一之鳥居を見上げながら工事安全祈願祭が執り行われました。参列者は宮司以下役員総代、また奥田建設㈱・工事関係者が、工事期間中の安全を八幡様に祈願しました。

尚、塗装工事は約1カ月を予定しており、6月初旬には化粧直しをして美しい朱色の一之鳥居をご覧いただけると思いますので、しばらくの間、ご辛抱の程よろしくお願いいたします。

庶務課 小野目 稲美

一之鳥居下に祭壇を組み工事安全祈願祭を行いました

安全祈願の祝詞を読み奏上、鳥居を祓い清めました

工事初日には足場を組み、翌日にはネットを張り、塗装工事が始まりました

平成27年度「東北六県神道青年協議会禊錬成会」に参加しました。

神道には「禊行法」という、海、川、滝、湖などに入り、水で身を清める儀式があります。
この禊行法は、『古事記』に起源があります。

イザナギノミコトが黄泉の国から戻られた時、九州の日向の「橘の小門の阿波岐原(たちばなのおどのあはきはら)」で禊をされ、穢れ(けがれ)を祓った、と記されています。

私達、大崎八幡宮の職員は、毎年1月の大寒の日、海に入り、禊を行います。心身を清める禊を行う事は、日々の神明奉仕に必須であると考えているからです。

今回、私達は42歳以下の東北在住の神職で構成された「東北六県神道青年協議会」が主催する禊錬成会に参加してきました。

山形県天童市で開催されましたが、今回の禊場は山間にある滝です。禊装束(褌・鉢巻等)を身に纏った神職が自然と一体となり、心身の穢れを祓い清め、お勤めに邁進致します。

(庶務課 小野目 稲美)

禊錬成会に参加しての感想

東北六県で行われる禊場は、海、川、湖とありますが、今回は滝となりました。山間の谷を流れる清流と、轟音を上げる滝との清々しい空間は、まさに禊を行う場所に相応しく流れ落ちる水と音を目の当たりにした所で、身が引き締まる思いが湧き上がりました。

暫し、流れる川の水に心身を晒らしながら唱えた「大祓詞」は、滝壺にこだまし、滝の轟音と相まって、大自然から祓いを受けたような気がしました。

禊は、神道では珍しい「荒行」の要素を持っています。神明奉仕に適う心身を保つために、この禊行を続けていきたいと、強く思いました。

(庶務課 小野目 稲美)

禊錬成会に参加しての感想

去る6月17日から18日にかけ、山形県東根市関山大滝にて開催されました禊錬成会に参加して参りました。午前中の関山付近の天気は、時々雨が降っておりましたが、午後には雨は止み晴れ間が見える絶好の禊日和となりました。「エイッサーエイッサー」と道彦の掛け声に伴い「鳥船行事」で心身を整えた後、いよいよ川の中へ入水しました。水に足を踏み入れた時は、けっこう冷たいな。と思いましたが、しばらくして水温に慣れたのか、最初から肩まで水に浸かり「大祓詞」を大きな声で奏上し、半年分の罪穢れを祓いました。

今年1月に外気温0℃という気温が低く強風の中執り行われた大寒禊を経験していたので今回の禊はとても清々しい気持ちで終えることができました。また、禊行事を終え心身ともに清められ、本年度残り半年を乗り切る鋭気を養うことができました。

(高橋 知生)

大崎八幡宮から車で1時間。山形県天童市の関山にある「大滝」の水面は澄んでいて、 鏡のように反射しています。
 

「杜の都の音楽祭inはちまん」が開催されました。

去る6月14日大崎八幡宮の境内で音楽の催しが行われました。「楽都」と呼ばれる仙台の街では、市民・自治体・企業などが主催となり、いろいろな場所で音楽イベントが行われています。

しかし、地域の方の活発な音楽活動が披露できる機会がなかなかない、という意見も聞き及んでいました。

そこで、当宮宮司が「杜の都の音楽祭inはちまん」と題した実行委員会を立ち上げました。

「仙台総鎮守の八幡様のお膝元で音楽がもつ「人と人を繋げる活力」で地域に新しい文化をつくろう」という趣旨により、まずは八幡宮の境内で音楽祭が開催され、八幡宮職員他の手で準備されました。

当日は、誰もが知っている曲を演奏して頂くために、各ステージはバンド、ユニット、弾き語りに分け、ジャンルは邦・洋楽・ロック・フォーク・年代なども幅広く設定し、音楽祭を観に来た方だけではなく、ご参拝者・地域の方など、様々な方に楽しんで頂けるよう工夫を凝らしました。

 この音楽祭は、第一回目です。ここから、八幡・国見地区に賑わいを起こす始まりとなるよう、活動を続けたいと思います。

(庶務課 小野目 稲美)

演奏者 (22団体 65名) 順不同

  • いちご☆みるく
  • 後藤 直喜
  • 西城 大司
  • 佐藤 美佐子
  • 庄子 康弘
  • マキ☆ザキ
  • マサヤ
  • ミサキ&ヨーコ
  • 山崎 洋行
  • ラブミーブラザーズ&シスターズ
  • ワイルドスタリオンズ
  • Hey-Say
  • KAZE
  • M.祐一郎一座
  • nanusuya
  • Note
  • SHOWA
  • The Foresail
  • THS(なぁ...ぽおりぃ)
  • TMカンパニー
  • TOMOS BAND
  • YOJO-BAND
  • YOKO

御出演ありがとうございました

実行委員会会長 宮司より開会のご挨拶がありました バンドステージではロックテイストの
迫力ある演奏が披露されました
こちらの演奏は、心地いい邦楽のカバー 大階段下では新緑をバックに弾き語りを…

ユニットステージでは、歌い手とギターの演奏を… 多くの方が、御参拝・音楽祭を楽しみに来て
下さいました。
お祭りといえば、こちらもお楽しみの一つです。
チャリティービールを準備して、
多くの方の御志を頂きました。
賑わいを見せる大崎八幡宮境内

「当日の様子」はこちら

「一之鳥居塗替工事竣工奉告祭」を斎行しました

去る6月8日、「一之鳥居塗替工事竣工奉告祭」を斎行致しました。

表参道の一之鳥居は、昭和63年9月に御鎮座380年記念事業として氏子でもある奥田建設㈱ 代表取締役社長 奥田和男様の御奉納によるもので当時、奥田和男氏は県内建設業者のまとめ役である宮城県建設業協会の会長にご就任なされており、業界の全国会議に出席するたびに「仙台に行っても立ち寄る施設がない。」という指摘を耳にするたびに、「仙台には国宝の大崎八幡宮があるのに何とかしなくては。」と思い余った結果、入口に「大きな鳥居を設置し目立つようにしよう。」とのことで一之鳥居奉納を思い立ったとのことでした。

当宮では、前々年までに表参道大石段より上の石畳改修工事を実施したばかりでしたが、昭和62年8月に先代宮司が帰幽し、職務を引き継いだ現宮司が表参道入口一帯の整備事業を御鎮座380年記念事業の一環として実施する事を役員総代会に諮り、このお申し出でを受けることとし昭和63年2月着工、同年9月竣工という突貫工事により現在の表参道入口の整備をすることが出来ました。

以来30年、「国宝建造物」の名に恥じない八幡宮となり、1月中旬までの正月期間には全国から20万人を超す沢山の参拝者をお迎えする八幡宮となることができました。

しかしながら、一之鳥居建設以来30年近くが経過し、当時「最先端の鉄鋼加工技術」と「最高級の塗料による確かな塗装技術」により製作された鳥居でしたが、当初は10年ごとには塗替えが必要だろうとの目論みに反し20数年が経過し奥田和男氏も傘寿を超え、最後のご奉仕との思いもありこのお申し出となったとの事でした。

この度のご奇特なお申し出でにより、1か月をかけての塗替え工事でしたが、装いも新たになった一之鳥居を仰ぎ見ると、宮司以下職員全員が改めて八幡様への神明奉仕の心を新たにする次第です。

因みに、この一之鳥居に掲げられている「扁額」(石華表)の「八幡宮」の文字は、仙台藩五代藩主 伊達吉村公の揮豪によるものを拡大したもので、八幡宮の「八」の字は八幡様のお使いである「鳩」の形に見えるのは私だけでしょうか。

「向かい合った鳩」は、「親子」・「兄弟」・「恋人同志」。果たして何に見えるか皆様方も当宮ご参拝の折りには、一之鳥居の扁額を見上げ「何」に見えるかお考え下さい。

それともう一つ、内緒でお教えしますが、大きさは「縦≒3.0m・横≒1.6m」。つまり「畳3枚分程」の大きなものです。

(樵人)

修祓(お祓い) 祝詞奏上
鳥居清祓 奥田会長の玉串拝礼
竣工した一之鳥居を見る上げる参列者 伊達吉村公揮豪の扁額
奥田会長のご挨拶
最後に参列者全員で記念撮影 竣工した一之鳥居も一緒に
東側 西側

「川添用地視察」と「移動役員総代会」が開催されました

去る6月5日に開催された第57回宮城県神社総代会並びに宮城県神社関係者大会の式典終了後、「川添用地視察」と「移動役員総代会」を開催致しました。

「川添用地」は、昭和50年初頭より製材業を営んでいた所有者が高齢となったために、従来より境内樹木の製材管理を依頼していた関係もあり当宮で譲り受けた場所で、これからの敷地内の整備管理の都合上、行政の「開発許可申請」が必要となり、約7か月をかけて3月末に「許可通知書」を受けることができましたので、

現在、「敷地内の排水計画」に基づき「U字溝埋設工事」を実施しており、今年度内竣工を目指して約150坪ほどの倉庫(間口≒28m・奥行≒9m・総2階鉄骨造り)の建築工事に着手する予定です。

また、午後5時からの「役員総代会」は、仙台市太白区茂庭に移築された旧伊達藩邸「鐘景閣」に場所を移して、平成26年度決算報告を始め今年度、初めて開催する「杜の都の音楽祭inはちまん」の行事内容や、特に例大祭関係(9月1日~15日開催)でのそれぞれの役割また、平成28年度に迎える「御鎮座410年記念事業」などが協議され、其々の報告事項・協議事項のご承認を頂きました。

「川添用地整備事業」については、その都度「鳩子の部屋」にてご紹介させて頂きますのでお楽しみに・・!。

(樵人)

川添用地事務所での説明
川添用地施設内の説明
沿岸部被災神社支援に使われている用材
旧伊達邸「鐘景閣」前にて記念撮影
旧伊達邸「鐘景閣」にての役員総代会
直会 1日お疲れ様でした。

第57回宮城県神社総代会並びに宮城県神社関係者大会にて
伊藤祐之総代が神社功労賞を受賞

去る6月5日、仙台市青葉区一番町の「電力ホール」にて開催された第57回宮城県神社総代会並びに宮城県神社関係者大会において伊藤祐之総代(東部地区)が宮城県神社総代連合会より「功労者表彰」を授与されました。

伊藤祐之総代は、永年会社勤めをされながら八幡地区体育振興会々長として仙台市立八幡小学校の学区民の体育振興に寄与されておりましたが、平成13年7月より当宮の東部地区総代にご就任頂き事あるごとに祭典行事運営上のまとめ役として重責を全うされてきました。

現在でも体育振興会名誉会長として引き続き地域の体育振興に努められながら当宮総代として14年余りに亘り、温厚な中にも強い意志をお持ちになりお力を頂いてまいりました。

伊藤祐之総代の今後ますますのご活躍と八幡宮総代としてご協力に感謝申し上げながらご報告申し上げます。

(谷津田)

宮城県神社庁長の挨拶 総代伊藤祐之殿
表彰・記念品を手渡される伊藤総代
宣言文声唱

「仙台・江戸学叢書刊行」

この度、新たに仙台・江戸学叢書が刊行されましたのでご紹介致します。

栗原 伸一郎 著
第56巻『幕末戊辰仙台藩の群像―但木土佐とその周辺』

「仙台・江戸学叢書 講座について」詳細へ

6月月首祭斎行

―高橋知生権禰宜・近藤真由仕女 祭典初奉仕―

去る6月1日、午前10時より毎月恒例の月首祭が斎行されました。六月は「水無月(みなづき)」といわれ雨の多い月とされますが、この日は快晴のもと祭典が執り行われました。

八幡宮の職員は、笙・篳篥・龍笛の三管のうち、一管を担当し日々稽古に励んでおります。また、仕女においては神楽舞の稽古にも取り組んでおり、祭典において雅楽・舞の奉奏をしております。

今回の祭典では、高橋権禰宜・近藤仕女の2名の職員が初めて奉仕いたしました。

高橋権禰宜は篳篥を担当しています。奉仕後は「緊張して上手く演奏することが出来なかったので、今後は一所懸命に練習し先輩たちに追いつけるように取り組みたい。」と言っておりました。

また、舞を奉仕した近藤仕女は、「とても緊張しましたが、落ち着いて奉仕することが出来ました。次はもっと上手に舞えるように努力したい。」と、抱負を語ってくれました。

今後、2人の更なる成長を楽しみにしております。

(菅原 望)


新緑の境内を参進 宮司祝詞奏上

高橋権禰宜 近藤仕女

祭典中の合奏風景 一戸先輩との舞奉仕

祭典奉仕が終わり、ほっとしました
社務所前にて宮司さん、一戸さんと記念撮影
右側が新人の近藤仕女です。これからも宜しくお願いします

十二軒丁・愛宕神社例祭斎行(7月19日)

去る7月19日(日)、当宮小野目宮司が兼務する愛宕神社(仙台市青葉区八幡1丁目・十二軒丁鎮座)の例祭が斎行されました。

前日まで天候が優れず、この日も曇ってはいましたが、愛宕神社の役員さんや十二軒町の親交会の方々、町内会の子供たちや保護者の皆様の参列のもと斎行されました。

宮司による祝詞奏上、巫女による「浦安の舞」奉奏、役員総代さん、子供会代表が玉串拝礼をし、一年に一度の例祭をお祝いしました。

その後、町内の神輿渡御となりました。

また、今回初めて一人で舞った「浦安の舞」はなかなか覚えられず、前日になっても上手く舞う事が出来ませんでした。練習とは全く違う環境での舞なのでとても緊張しましたが、間違うこともなく、やりきったという思いでいっぱいです。

普段は静かで落ち着いた境内ですが、この日ばかりは地域の方たちが訪れ、大変賑やかな1日となりました。

(近藤 真由)

御輿を担ぐ町内の子供たち 巫女による「浦安の舞」奉奏
 
ワッショイ! ワッショイ!
樽御輿を担いで町内を巡行しました。
 

水無月の大祓

松焚祭イメージ平成27年6月30日、
午後三時より大崎八幡宮水無月大祓式を齋行いたしました。

古い歌に「水無月の夏越の祓いする人は千歳の命のぶとこそあれ」とあり、 六月の夏越のお祓いを受けると延命長寿をすると信じられてきました。

大祓の起源は古く、スサノオノミコトが高天原を追放された古事記の神話に遡ります。また古事記によると、当大崎八幡宮のご祭神の一柱でもあられる神功皇后は、ご主人の仲哀天皇が崩御なされたとき、死の穢れを祓うために、国としての大祓いの行事をしたことが記されています。

この、国を挙げて行われるこの大祓いの目的とはひとことで言うなれば、一切を祓い清めることにあります。上代から連綿とつながる天皇の祭祀が厳密に行われるためでもありました。

大祓は年に二度、6月と12月の晦日の日(6月30日、12月31日)に行われています。

大晦日の大祓は新しい年を迎え、歳神さまや祖霊を祀る準備でもあり、6月の大祓いもこれに準じて考え、半年間(1月から6月まで)に、知らず知らずのうちについてしまいました罪や穢れを祓う日本人としての伝統文化の中でも大切な儀式です。

式次第当日早朝は、祓戸の舗設から始まり、宮司以下祭員が号鼓とともに参進し斎場へ向かいます。
参列者は、受付ののち、斎場指定の座に着き、祭員の到着を待ちます。
また待つ間に神職から大祓いの作法である「解き縄、切り麻、人形」の説明を受けます。
さあ始まりです。開式後、「解き縄、切り麻、人形」の入った紙包みを頒ちます。
参列者全員が紙包みを受け取ったら、祓主には大祓詞を奏上します。

この「大祓詞」はおよそ十種の内容で構成され
<前文><神話><天つ罪・国つ罪><天つ宮事><天つ神・国つ神>
<減罪宣言><祓の比喩><神々の持ちわけ><後文>から成り、
高天原から始まる神話の部分から宣読されます。

神話の部分は<神議り><神勅><語問ひ、神掃ひ、語止め>
<天孫降臨><安国(大倭・日高見国)>などに触れ、
なかでも、この神話に続き「皇御孫命のみづの御舎仕え奉りて」と、宮殿造営が語られ、
そこで「天の御蔭、日の御蔭と隠れ坐す」と唱えます。
つまり皇居(お宮)が参籠の大切な場であり、上代の祭政一致の祭祀の重要性を示しています。

大崎八幡宮は伊達政宗公の仙台開府に伴い
1607年(慶長12年)に造営され、
平成16年に保存修理事業「平成の大修理」を経て、
現在も仙台総鎮守として先人たちの祈りの深さを継承しています。

大祓詞は古来の考えに沿って「天つ罪、国つ罪」を数え上げ、
その祓われてゆく様を言い立てます。
つまり「大祓詞」の言霊には祓の働きが備わっており、
これを朗々と唱えれば祓の神々の霊力が発動し、
国全体が清められて蘇生すると言い伝えらて来たものです。

参列者は胡床に着座したまま、
頒布された紙包みを左ひざの上に載せて広げ大祓詞の
「へ解き放ちとも解き放ちて」の時に、
まず左なえの麻縄を取り、口でほどき右肩越しへ投げます。
次に「右なえの麻縄」を同様に口でほどき左肩越しに投げます。

次に切り麻(紙吹雪のようなもの)を取り、
肩越しに自分の身体に左、右、左と三度撒きかけて祓います。
大祓詞宣読のあと「人形(ひとがた)」で身体を撫で息を吹きかけて罪穢を移し、
紙包みに入れて閉じます。
祭員が「人形」を集め三方にのせて唐櫃に納めます。

最後にお祓いをし、祓い終わった大麻も唐櫃に納め蓋を閉じます。
お祓いののち、茅の輪をくぐり、社殿を参拝します。

今年度は宮司よりの挨拶、参列者への特別な授与品についてのご説明もありました。

次に「茅の輪」をくぐります。「茅萱」の旺盛な生命力が穢れを祓い、
人々に活力を与えるとされてきています。

茅の輪の由来は古く、「蘇民将来神話」に於いては、
茅の輪飾りを腰に結びつけたものは、病・怪我などのさまざまな禍から護られたという話もあります。
茅の輪のくぐりかたは、まず、①左側へくぐる
次に、②右側へくぐる
再度、③左側へくぐります
最後に、まっすぐ潜り抜け、御社殿に進み参拝します。
社殿前は大きな光に包まれていました。
毎年、天候が懸念される時季ではありますが
幸いにも雨に降られることなく、無事に大祓式を執り行うことができました。
御社殿前にて拝礼。
多くの参拝者のみなさまに、ご参列いただきました。
今年の下半期に向けて、身の回りを整理し、
心身ともに清々しく夏を越え、向こう半年を過ごしましょう。
式次第当日早朝は、祓戸の舗設から始まり、宮司以下祭員が号鼓とともに参進し斎場へ向かいます。
参列者は、受付ののち、斎場指定の座に着き、祭員の到着を待ちます。

祭典終了後に社務所で記念撮影する高橋知生権禰宜

今回、初めて斎服を来て祭典をご奉仕しました。
当宮では祭員が着る袍(ほう)を、一人で着装しなければなりません。
まだ斎服を一人で着る際、上手く着れないので上席の方にお手伝いしていただき着装しました。
祭典途中に装束が乱れてこないか心配でした。
特に袍が崩れたりもせず無事に祭典を執り行うことができて、ほっとしました。
早く一人で袍を綺麗に着れるように装束の練習を頑張りたいです。 
高橋 知生

大祓いは数あるお祓いの中でももっとも重い祓の儀式であり、 恒例である六月十二月のほかに、臨時の大嘗祭、または人の力の及ばない天変地異が起こった時などにも行われてきました。大宝令により6月と12月の大祓が恒例となり定められ、平安期には京都御所の朱雀門において宮中祭祀を司る中臣氏によって行われています。 ことときに唱えられた大祓詞は、中臣祓詞、中臣祭文などと呼ばれて広く用いられています。

7月1日

「このたび、ご縁あって大崎八幡宮へ出仕の任を賜ることになりました杉田晋平ともうします。出身は横浜の戸塚で、以前は神奈川県の鎌倉の神社で奉仕しておりました。
しかし神職の出発は三十代を超えてからであり、神職経験は浅く、日々精進してゆく覚悟でまいりました。何十年も奉仕なさっておられる神職の先輩方や、経験豊かな神職巫女さんの年間の祭事、なにより大切な日々の奉仕を通して学ぶことが多く気を引き締めて務めに励む所存です。不甲斐ない点が多々あると思いますが、日々修正し反省を顧みながら前向きに務めに全うしていきたいとおもいます。どうか宜しくお願いいたします。」

宮城県文化財所有者連絡協議会総会並びに、
春季研修会(宮城県村田町)に参加いたしました

去る7月2日、宮城県文化財所有者連絡協議会(宮文連)の総会並びに春季研修会が。宮城県村田町ヤマニ邸にて行われました。

宮文連とは、宮城県内における文化財を所有している神社・寺院・個人から組織される団体です。大崎八幡宮は御社殿が国宝に指定されております。このような団体に参加する事で、それぞれが持っている知識や悩み、解決方法などを共有する事で文化財保持に努めております。

今回は、宮城県教育委員会文化財保護課課長 笠原信男氏、村田町教育委員会教育長 髙橋郁夫氏を御来賓とし、総会並びに研修会が開かれました。

研修先である宮城県村田町は宮城県内で唯一、「重要伝統的建造物群保存地区」(伝建地区)に指定されています。伝建地区とは「周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値が高いもの」とされていて、その多くは西日本地域にありますが、東日本の有名地として埼玉県川越の商家町があります。

今回宮文連会員は、村田町に残る蔵を見学に行ってきました。
「江戸時代の地割から細長い敷地を基に、店は表通りに沿って建ち、住まいである主屋はその背後に棟を違えて接続します。更に、敷地の奥に向かって、物品を収蔵するための土蔵等が立ち並びます。これら建築物は決まって北側に寄せて建て、南側に石畳の外通路を配します。」とあり、説明を受けながらの町屋一帯を見学いたしました。

仙台市街から車で30分というアクセスの良さと、指定された区域に広がる「蔵の街並」は、近隣の田園風景と相まってとても情緒豊かでした。

これら「蔵の街」が伝建に指定され、定着するまでの期間、これを維持する為に必要な大工・左官・瓦職人・石工等の職人の確保の問題が浮上します。管理、維持してゆく諸問題は、宮文連が抱える問題と同じです。官民変わりなく、文化財を保存する為に行動を起こさなければならないと、強く感じました。

(庶務課 小野目 稲美)

総会会場の村田町「ヤマニ邸」。 大広間をお借りして総会を開きました。
総会後の勉強会は、村田町歴史未来館の石黒氏。 舗装のされていない村田町の街並み。
昔の葬儀の写真です。
村田町のゆるきゃら「くらりん」パッケージのお弁当。 お寿司屋さんが作ってくださったお弁当です。
村田商人やましょう記念館を見学しました。 お店の中です。工学博士の伊藤様にご説明頂きました。
皆、熱心に見学しております。
重厚な柱は、村田商人の財力の誇示だそう。 土蔵の扉を・・・!奥に進みます。
お店の奥は、主屋があり、二階建ての回廊になっていました。
また土蔵が続き、更に部屋があります。 外の門から覗くと奥行きが深く、引き込まれます。
お店の土蔵と主屋をつないでいるのがわかります。 主屋は木造で、情緒豊かです。
村田商人の土蔵が続きます。 奥まった町並みは江戸時代の地割を伝えます
ヤマニ邸隣りのお土産物屋の奥は、休憩所として開放。
かつて村田町が京都や大阪と取引していた商品に因み「柚子サイダー」と「ひやしあめ」がありました。
初夏のひととき、美味しくいただきました。

金華山 黄金山神社に小型船舶をご寄贈しました

平成27年8月4日

去る8月4日、東日本大震災の震源地に最も近かった金華山・黄金山神社に「小型船舶(ヤマハSRV・23f)・1艇」と「宅配便受取用プレハブハウス・1棟」をご寄贈申し上げました。

ご承知の通り、金華山は宮城県北部・仙台湾の北にありこの度の大震災では震源地に最も近い場所に鎮座しており、その被害は甚大なものがあり表参道の崩落や灯籠・手水舎の倒壊、金華山港の地盤沈下などその被害は想像をはるかに超えるものがありました。
しかしながら、その復旧・復興には未だ手つかずの場所もあり長い時間を要することが予想されております

その第一の原因は、「神社は宗教法人だから。」との事の様で、行政の復興事業から切り離されているようですが、それでも「宮司さん以下、職員3名。」が金華山に住民登録しており重ねて宮司さんが「金華山区長」をしておられるという事実もあり、「離島振興支援」等の行政の支援策がないものか、何かできないかの知恵をお借りしたいものです。

金華山は、本州(牡鹿半島)との最接近場所はその距離6~700m程ですが、その間にある「金華山瀬戸」の潮流は早く、天候が安定せず針路を誤れば座礁する危険もあるといわれてますし、その遥か東方はアメリカ大陸があるのみという孤島です。

その金華山に鎮座する黄金山神社は古来より「東北三霊山」ともよばれ東北各県より多数の崇敬者が参拝する神社として、また南三陸国定公園の観光の名所として著名な御社でありますが、震災後は長らく定期船の運行が休止し、今春になりやっと鮎川浜と女川浜からの定期船が運行されるようになりました。

しかしながら、その運行は日曜日と祝日に限られ、職員の出勤退社や参拝者の非常時の対応など渡海用の移動手段がなく苦慮しているとのことでした。

当宮の宮司は、震災直後より以上のような事態は予想していたようで、直後より「金華山に船を送ることができないか。」と情報収集にあたり、塩釜市内で被災したプレジャーボートを取得し、清掃・修理・艤装を繰返して整備保管していたものを、2月下旬に奥海宮司さんから、「平成26年度で金華山港の岸壁整備工事が終了したので、以前お話し頂いた船を支援頂きたい。」との申し出でがありこの度の「船舶ご寄贈」となりました。

奥海宮司さんは、「通常の移動には、東京都神社庁の下谷神社 阿部明徳宮司さんよりの支援船を使っているが、これから迎える台風の季節や波・風が強い時には危険が伴い、遭難の危険すらあった。この度の『おとひめ丸』(※)は、多少の波でもずぶ濡れになることがないようだ。参拝者の非常時の救急搬送などいろいろと活用させて頂きたい。職員もホッとしているようだ。」とお話しされていました。

また、大崎八幡宮で搬入した「宅配便受取施設用プレハブハウス」は、予て当宮が支援した山元町高瀬鎮座 八重垣神社に寄贈したものでしたが、八重垣神社さんでは「授与所」と「神輿殿」を新築なされ不要となった。とのことで、「黄金山神社さんで使って頂ければ。」との八重垣神社 藤波祥子宮司さんのお申し出でもあり搬送設置させて頂いたものです。

当宮の宮司は「斯界でも『絆』とか『共生』や『お互い様』などの言葉が生きている。被災した神社の『震災を乗り越えようとする気持ちを打ち砕くことなく被災神社への支援活動は継続して行きたい。」と言っており、「八幡宮が継続して支援活動をやって来た甲斐があった。」と話していました。

大崎八幡宮では黄金山神社さんには、この先「係留用アンカーの設置」や「船舶上架用施設の整備」など黄金山神社の復興支援の一助になればと考え引き続き支援活動を継続してまいります。

※「おとひめ丸」;前宮司 奥海 睦名誉宮司が名づけ親。この度の船舶は「おとひめⅤ世」と名付けられました。
尚、名誉宮司さんにあっては、平成27年2月23日帰幽されました。当宮宮司が学生の頃、大変お世話になった方であり、この度の支援活動で少しく恩返しができた。と言っております。

奥海名誉宮司さんのご冥福をお祈りいたします。

午前8時30分役員総代と職員の家族を含め、
総勢18名で、駐車場を出発役員
女川よりチャーター船で出発
震災前同様にウミネコのお出迎え 女川出航より25分 金華山が見てきました
今回寄贈する「おとひめ丸」 早速、岸壁で清祓の儀を斎行①
早速、岸壁で清祓の儀を斎行② 鍵と譲渡証を奥海宮司さんにお渡ししました
金華山の神様のお使い
「神賜暇」のお出迎えを頂きました
御社殿大前にての奉告祭の様子
宮司玉串拝礼 奉告祭終了後の寄贈書贈呈①
奥海宮司さんと② 奥海宮司さんより感謝状を頂きました
お直会での奥海宮司さんより感謝のお言葉を頂きました
小野目宮司より活用依頼の御挨拶を申し上げました 奥海宮司さん以下職員のお見送りを頂いて
金華山を出航
五色のテープ何時までも棚引いていました② おとひめⅤ世の見送りを受けました
こちらは、鮎川浜に設置したプレハブです プレハブ前で奥海宮司さんと西村権禰宜さん
 
感謝状

金華山黄金山神社 船舶寄贈奉納奉告式に参列して(職員の感想)

去る8月4日、東日本大震災の震源地に最も近かった金華山・黄金山神社に「小型船舶(ヤマハSRV・23f)・1艇」と「宅配便受取用プレハブハウス・1棟」をご寄贈申し上げました。

又、ピーク時には20万人訪れた参拝者も、震災年度には8000人まで落ち込み、現在は若干の回復は見られたものの、2万人程度で推移しているとのことで、復興はまだまだ道半ばである事を強く感じさせられました。

震災から4年が過ぎ、その爪跡が徐々に風化されていく中で、黄金山神社の境内は、山津波の土砂により石段が崩壊し、未だに規制線が張られ、立ち入る事が出来ない表参道や、その途中に置かれた重機などを見つけるたびに、離島には行政の目が届きにくい点、多くの参拝者が訪れる「観光地」でありながらも、「宗教法人」のくくりで「政教分離」の観点から一切の公的な震災補助を受けられず、自力でやらなければならない点など、当宮とのいろいろな共通点を感じ、今後の復興活動について考えさせられた一日でした。

権禰宜 宮﨑 徳寛

今回、当宮の被災神社復興支援活動として金華山黄金山神社に船舶1艘とプレハブ1棟の寄贈をさせて頂きました。

黄金山神社は東日本大震災以降、日曜・祝日を除くと定期船の運航がなく参拝者が訪れることも物資の輸送も困難な状況にあると伺いました。

そのような状況にあって、今回の船舶とプレハブを寄贈する事により、「物資の輸送が常時に可能となり、また鮎川浜に設置したプレハブに物資を留置でき復興に向けて力強い支援を頂いた」と奥海宮司は感謝の言葉を仰って下さいました。

黄金山神社には、今まで数千人のボランティアの方々が復旧作業のため来て下さっていますが、震災から4年以上が経過しても復興にはまだまだ時間がかかるとのことでした。今後も、被災地の復興に想い寄せながら少しでも力になれるよう活動していきたいと改めて考えさせられた有意義な1日となりました。

権禰宜 菅原望

金華山は、東日本大震災の震源地に最も近い島であり、当時は桟橋や参道、建物をはじめ日本三大灯籠に称されている常夜灯までもが倒壊し、見るも無惨な忍びない光景だったそうです。

その後、全国から多くのボランティアの方々が来島されて当時は復旧に力添えを頂き、現在でも人数は少なくなりましたが復興に尽力されていると黄金山神社宮司さまをはじめ職員の皆さまにお話しを伺いました。

今回、当宮から寄贈した船舶が黄金山神社の皆様、また参拝者の方々のためにより活用され、少しでも多くの参拝者の方々が来島されることに繋がればと願います。

権禰宜 髙橋泰之

金華山黄金神社での一日は、行く道程にも感慨深いものがありました。決して簡単に辿り着ける場所ではない海に浮かぶ霊山「金華山」へ、大崎八幡宮の北参道駐車場から出発し、道中途中の石巻からの風景は、月日は流れても未だ忘れることができない、そして風化してはいけないあの日3.11の世界がありました。後日、大崎八幡宮「復興と支援の記録」を読み返したり、奥海宮司のお話を思い返しながら、一致団結し震災後の復興に尽力した大切な記録に、まだ続きがある。あらためて感じいりました。

奉告祭においては、厳かに斎行され、祝詞奏上のあと、大崎八幡宮小野目宮司から黄金山神社へ、奉告の寄贈書を、また感謝状が黄金山神社奥海宮司さんから心を込めて手渡され、震災後の復興という同時代の経験から、その困難を乗り越えるべき集う強く結ばれた関係のなかで、「おとひめ丸」のこれからの存在が、よりいっそう期待されました。

そして直会での奥海宮司の話でもあったように、金華山には未だ郵便物や新聞すら届けることが困難である。そして今震災から四年、多くを奪った大震災ですが、震災後も失くしてはいけない支援と感謝がここにはあり、参列させていただいたご縁に感謝の気持ちが高まりました。

このたびは奉告祭を無事斎行し、震災を乗り越えた「おとひめ丸」の活躍を願い、人智の及ばない自然の中で、よりいっそう敬神生活を育み共に歩んでゆくつながりを感じた貴重な一日となりました。ありがとうございました。

出仕 杉田晋平

牡鹿半島の突端に位置する金華山 黄金山神社へ行って参りました。
港から御社殿へ行く途中、野生の鹿が何頭も木陰で休んでいるところを見かけました。御社殿内にて奉告祭を行い祝詞奏上後、巫女舞が奉奏されました。

私自身、祭典で舞をご奉仕しておりますが、自身で舞うのと祈願の際に拝見する舞とは別の雰囲気を感じることができ、とても感動しました。

奉告祭後、神職の方より御由緒のご説明を受けている際、池の中に蛇がいるのを見つけ、「蛇を見つけるといいことがある」と言われているとおっしゃっていました。

このような貴重な経験を得られることができ、大変嬉しく思います。神社に仕える一人の巫女としてこれからも日々精進したいと思います。

仕女 一戸麗姫

今回、金華山の黄金神社の船舶寄贈奉告祭に参列し、震災復興の活動に貢献することが出来ました。今回の震災復興の活動だけでなく、今後も大崎八幡宮の職員としてどのような復興の活動が出来るのか、考えていきたいです。そして、初めての黄金山神社は、とても自然豊かで気持ち良く参拝することができました。

仕女 大學愛海

平成27年9月 本殿挙式

伊藤・矢野家

太田・吉田家

相馬・生田家

御結婚、誠におめでとうございます

「流鏑馬神事」(9月13日)

権禰宜 髙橋知生

9月13日午後4時より大崎八幡宮境内にある馬場にて、流鏑馬神事が執り行われました。 流鏑馬神事は伊達藩5代藩主、伊達吉村公により作られた「大崎八幡宮来由記」にも描かれており、今日まで伝統が受け継がれている大変歴史のある神事です。

当日は、午後3時30分より流鏑馬神事が無事に斎行されることを祈念し、御社殿にて出陣式が行われました。

流鏑馬神事は馬場祓所役1名、射手3名、馬4頭が神職より御祓いを受け、先に2回の馬場馴らしが行われた後に執り行われます。

流鏑馬は本来200m程の距離が必要といわれておりますが、当宮は60間(170m)と少し短く、この短い馬場で3箇所に的場を設置します。射手は疾走する毎に矢を番え、的をめがけて3回放ちます。

これを3人の射手が3回走り計27本の矢が放たれます。今年の流鏑馬神事は、神事が始まる直前からあいにくの雨が降ってきましたが、雨の中でも、射手は姿勢を決して崩すことなく、「人馬一体」となり、迫力ある流鏑馬神事を奉納して頂きました。この神事を多くの参拝者にご覧頂き、射手が走るたびに拍手と歓声が沸きあがりました。今年は50本の的をご奉納頂きましたが、後半は雨天の為に馬場の状態が悪化し24射のみで終了させて頂きました。結果15射的中となり、的をご奉納頂いた方々にお届けする事ができました。

的中なるか!?

宮城県剣道連盟居合道演武

御神輿が出発した後、午前11時より御社殿前にて宮城県剣道連盟居合道部会の皆様による居合道奉納演武が行われました。

始めに御社殿にて奉納安全祈願祭を斎行し、その後御社殿前において「詩吟 さんさ時雨」「居合道演武」「剣舞 磯原客舎 大輪神刀流」「居合道古演武」が行われました。

切れのよい演武が披露され、見学をしていた参拝者からは盛大な拍手が送られておりました。

少・中学生による居合演武

県大会入賞者の演武 
  剣舞 磯原客舎 大輪神刀流

9月13日「神幸祭」

例大祭の中で最も盛り上がりを見せたのが、「神幸祭・神輿渡御」です。 大神輿、女神輿、子供神輿の3基が町内を練り歩きました。大神輿は約1tもの重さがあると言われています。

当日の天候は小雨となり、恵まれた天候にはなりませんでしたが、神幸祭は無事終える事ができました。

八幡小学校、国見小学校、レキシントンプラザで町内の皆様にはご接待頂きました。町内の皆様、ご奉仕頂いた皆様、神幸祭大変ご苦労さまでした。

八幡小学校に到着 八幡小学校校庭での御旅所祭では、
地区世話人を始め、教諭も参列。
国見小学校校庭での御旅所祭 八幡町のレキシントンプラザの風景
まさに、騎射子  がんばって登りきりました
続いて女御輿。拍子木が鳴り響きます 勢いをつけて、
大神輿が大階段を駆け上がります
最後は、神馬と宮司が大階段を上りました
大神輿の御神霊は、御社殿にお還り頂きます 子供神輿も一生懸命頑張って頂きました

ちびっこまつりが行われました(9月13日)

一戸 麗姫

9月13日午後4時より、境内の広場にて幼稚園から小学生までのお子様を対象とする定例のちびっこまつりが行われ、だるまおとしや輪投げ、魚釣りゲーム、お祭りの最後に会場にいるお子様全員で歌を歌いました。

景品は、ちびっこ賞、小景品、参加賞の3つ用意しておりましたが、用意していた参加賞は大好評により、なくなってしまいましたが最後まで子供たちはゲームを楽しんでいました。

だるま落としを楽しむ子供たち
魚釣りゲーム  金魚が釣れたよ!
上手く入るかな~?  輪投げ入ったよ~!
子供たちみんなで歌を歌いました 最後に飲み物を配布しました
広場には多くの子供たちが集まってくれました  

能神楽が奉奏されました(9月12日)

一戸 麗姫

9月12日、午後6時30分より長床神楽殿にて大崎八幡宮の能神楽が奉奏されました。「大崎八幡宮の能神楽」は宮城県に数ある能神楽の中でも、特に高い格調と気品あふれる芸風を誇り、宮城県無形民俗文化財に指定されております。

奉納演目は十八番を数えたとの謂れがありますが、現在はそのうち十番が失われ、「神拝(じんぱい)」「龍天(りゅうでん)」「摩応(まおう)」「小弓遊び(こゆみあそび)」「三天(さんてん)」「将足(ひょうそく)」「四天(してん)」「獅子取り舞」の八番が演じられております。能神楽と呼ばれているのは足を摺るように静かに舞うところもあり、「能」の所作によく似ているためだそうです。

動画サイトで神楽の様子もご覧頂けます。

一、「神拝(じんぱい)」  二、「龍天(りゅうでん)」
三、「摩応(まおう)」 四、「小弓遊び(こゆみあそび)」
五、「三天(さんてん)」 六、「将足(ひょうそく)」
七、「四天(してん)」 八、「獅子取り舞」
能神楽を無事奉奏しての直会風景。  

鈴の緒奉納式斎行(9月9日)

一戸 麗姫

去る9月9日、恒例の「鈴の緒奉納式」を執り行いました。

拝殿前にさげられている鈴の緒ですが毎年、例大祭前に新たに調製されており、赤、青、黄、紫、白の五色の布にそれぞれご奉納頂いた方のお名前、御祈願名を浄書しており、皆様方のご祈願が成就されます様、ご祈念し奉納式を斎行致します。

本年も鈴の緒は、皆様方のご奉納により新たに調製され、241本ご奉納頂きました。

鈴の緒をご奉納頂いた皆様と調製のお手伝い頂いた方々に深く感謝申し上げます。

浄書されている布を重ねていき、1つの棒状になるようにしていきます。
棒状になった布を1本になるよう重ね、1本ずつねじりながら編みこんでいきます。
  御社殿にて奉納式斎行

お手伝い頂いた方々と直会
皆様のご協力のもと3本の
鈴の緒が出来上がりました。
 

春日神社例祭を執り行いました(9月5日)

一戸 麗姫

去る9月5日大安吉日の日曜日、11時より秋晴れの空のもと当宮の宮司の兼務社である春日神社の例祭斎行並びに新しく設置した狛犬の奉告祭と清祓を執り行いました。

当日は、覚性院丁町内会の皆様を始めとする多くの参拝者が参列され、宮司による祝詞奏上、巫女による「浦安の舞」の奉奏後、代表7名の方の玉串拝礼を行いました。

その後、御参列されている皆様と伴に神酒拝戴を行い狛犬さんのお清めの後、神楽殿で恒例の直会をごちそうになりました。

狛犬は、従来もありましたが損傷もはげしく新張を考えていたところ、去る平成23年の東日本大震災で傍らにあった石灯籠が崩れ、激しく壊れてしまったため地元の皆さんの提案もあり春日神社奉賛会として新たに設置されました。

因みに、倒壊した灯籠は補強し御社殿前に移設し、後世に残す事にしました。

大崎八幡宮だけでなく春日神社にもご参拝下さい。

狛犬が新しくなりました。 宮司による祝詞奏上
巫女による浦安の舞 奉奏 参列者による玉串拝礼
参列者の皆様方に神酒拝戴 新しい狛犬と一緒に記念撮影
 
直会の様子

『国旗のある自由画コンクール』にご応募いただきありがとうございました。

一戸 麗姫

毎年、宮城県神社庁において宮城県神社庁関係者及び専門家を交え審査する『国旗のある自由画コンクール』を開催しており、これに応募いただいた地区内の保育園や幼稚園、小学校などから今年は261枚の自由画の作品をいただきました。 ご応募いただいた団体様は下記の通りです。

  • ●聖ドミニコ学院小学校
  • ●仙台市立八幡小学校
  • ●仙台市立国見小学校
  • ●泉ヶ丘幼稚園
  • ●福聚幼稚園
  • ●こぶたの城保育園
  • ●ボーイスカウト仙台第27団

尚、ご応募いただいた作品は本殿西側の建物内部にて掲示しております。 ご協力いただいた諸団体の皆様に深く感謝申し上げます。

この作品は、ご社頭で掲示した後、宮城県神社庁の審査で優秀な作品は日本国旗協会主催の全国大会に出展され、例年多くの子供達の絵が表彰されてまいりました。

色鮮やかな作品が様々あります。

「仙台・江戸学叢書刊行」

この度、新たに仙台・江戸学叢書が刊行されましたのでご紹介致します。

高橋 あけみ 著
第41巻『大名家の婚礼と調度―仙台伊達家の場合―』

「仙台・江戸学叢書 講座について」詳細へ

新嘗祭齋行

平成27年11月23日

去る11月23日(日)午前9時より、新嘗祭が齋行されました。 新嘗祭は、大神様の五穀豊穣のご加護により収穫された、新穀を始め、野菜・果物の農作物を御神前にお供えし感謝申し上げる祭典です。

日本は「豊(とよ)葦原(あしはら)瑞穂之国(みずほのくに)」といわれ、稲穂を育む農耕文化であり、神道はお米を作り神に捧げ感謝することを大事としてきました。

この新嘗祭は古くから行われており、宮中の儀式として形が整ったのは飛鳥時代の頃といわれています。現在でも天皇陛下が、自らお作りになられた稲穂を天照大御神を始め天津神国津神八百万神の神々にお供えしています。その儀式が宮中から民衆に広がり、新しい穀物を神様にお供えし、神様と同じ食事をし、ともに収穫を祝う習俗となりました。

これが「新穀感謝祭」となり、昭和初期まで国民の祝日とされておりましたが、昭和23年(1948)「勤労感謝の日」と改められました。

当宮の年間祭典では、2月17日にその年の五穀豊穣を祈る「祈年祭」に対し、一年間の豊かな実りを神に捧げ感謝する「新嘗祭」を執り行っております。このお祭りは年間数ある祭典のなかで、特に重要な「大祭」と位置付けています。

本年も氏子崇敬者の方々から収穫されたお米や、野菜、果物をご奉納頂き、御神前へお供えし滞りなく祭典を執り行うことが出来ました。

普段、私たちが何気なく食べているお米を始め、野菜や果物を食べる事への感謝の気持ちを、改めて持って頂く機会になれば幸いです。

高橋 知生

献饌の儀 大神様に神饌をお供えします 宮司による祝詞奏上
本装束を着装した巫女による「浦安の舞」 祭典終了後参列頂いた
役員総代崇敬者の皆さんと記念撮影
奉納された農作物等は
御社殿前にお供えさせて頂きました
御社殿右側にはお米をお供えしました
御社殿左側には野菜や果物、日本酒等をお供えしました

「北参道舗装工事」が終了致しました

平成27年11月21日

去る11月18日に「北参道舗装工事」を実施致しました。 工事は、11月10日(火)より4日間ほどで北参道の東側に「地先ブロック」を敷設する工事を行い、翌週の16日・17日の両日で「路盤整備工事」を、そして最終日の18日には「アスファルト舗装工事」を半日で終了することが出来ました。

時節柄、「七五三詣」でご参拝の皆様方を始め、「自動車のお祓いの皆様」また、通勤通学で境内をお通りの皆様には大変ご迷惑をお掛けいたしました。

この度の「北参道舗装工事」は、当宮が慶長12年(1607)に現在地に御鎮座されてより来年で410年の節目の年を迎える事から「表参道手水舎建築工事」「自動車お祓所設置工事」と共に『御鎮座410年記念事業・第1期事業』として実施する事となり、お正月を前に工事を実施致しました。

特に、「北参道舗装工事」は「これからの高齢化社会に向けて『車椅子』でご参拝頂く方々がより楽にご参拝頂くことができるようになれば。」との宮司の提案もあり実施しましたが今後、駐車場の一画に「自動車お祓所」と「神職詰所」を設置し、「車椅子・2台」をも常備する事と致しており、「表参道手水舎建築工事」と共に年内に終了する予定ですので、初詣には多くのご参拝の方々に是非ご活用頂ければと考えております。

   
   
   
   

第23回「国旗のある自由画展」表彰式

去る10月31日、宮城県神社庁の講堂にて「国旗のある自由画展」表彰式が行われました。

当宮からは近隣幼稚園、小学校のお子さん達より261点の作品を応募しました。

画家である審査委員長畠山信行先生をはじめ関係者にて厳しい審査を行った結果、特選を含み13点が選出され、表彰状の授与が行われました。

入選されました皆様方、誠におめでとうございます。

また、今回惜しくも入選されなかった方には、参加賞が贈られました。

特選「つなひきでかつぞー」
聖ドミニコ学院小学校2年 鈴木莞爾さん
一人ひとりに賞状が授与されました
自分の作品の前で記念撮影 集合写真を撮りました

月次祭並びに
松川だるま奉納奉告祭(10月15日)

祭儀課 杉田 晋平

去る10月15日、午前10時より毎月の恒例の月次祭と共に「松川だるま奉納奉告祭」を執り行いました。古くから仙台庶民の信仰の中にあり、親しまれてきた大崎八幡宮の縁起だるまは、「松川だるま」と呼ばれ、伊達藩の藩士「松川豊之進」により創り始まられたといわれ、宮城の誇るべき伝統工芸の歴史を持っています。他の地方のだるまとの大きな違いは二点あり、黒々とした瞳があらかじめ描かれているという点と、青いお姿です。

一般的なだるまは、目は空白で願掛けをしながら片目を入れ、願いが叶ったらもう片方の目を入れるという「開眼」だるまですが、松川だるまの概念は異なります。大きく見開いた目は、四方八方を見守り、魔を払い除けて家内安全や無病息災を願う意味が込められています。また一説に片目であった仙台藩藩祖伊達政宗公に配慮した為とも言い伝えられております。

もうひとつの特徴である青いお姿は、武士が好んだ色の群青色で高貴なものとされていました。その群青で空と海を表現し、仙台という東北の要である壮大な土地の、豊穣(ゆたか)なる自然風景の美しさを表しているとされています。

大崎八幡宮の縁起だるま「松川だるま」 大黒天等の縁起物が描かれています

また、だるまに描かれた宝船。青を大海原に見立て、七福神(大黒さま)を乗せた宝船が荒波を越えて進んでゆくさまを表現しています。また、伊達の武将が好んだ「金粉」や、「海老熨斗」を表した水玉の玉模様、「寿」の字を書き崩した梅の木、等の幸福を授かる豪華な飾りが施されていることも注目に値します。これらの縁起の良さから、商売繁盛に限らず、家内安全、無病息災の御利益も兼ねて、大きなその眼の青いだるまさんは家族やみなさまを見守ってくれるのです。

伝統を受け継ぐ本郷ご夫妻 ご夫妻の玉串拝礼

「松川だるま」は、宮城県伝統工芸の指定を受け、仙台市青葉区柏木に構えなる本郷だるま屋にて奉製されており、初代本郷久三郎が松川豊之進氏の弟子となり受け継いできたものであります。当日は晴天にも恵まれ、伝統を受け継ぐ本郷久孝氏ご夫妻の参列を頂き、滞りなく神事は斎行されました。現在、大きな松川だるまは、長床の神楽殿にてご覧になれます。ご参拝頂いた際には、ぜひ松川だるまをご覧ください。

1つ1つ丁寧に彩色されていく松川だるま 大きな黒い眼はあなたを見守ります

合格だるまは目が入っておりません(一般)合格だるま3号のみ 9㎝ 初穂料1,000 松川だるまは大崎八幡宮の初詣、松焚祭という年初めの参拝で授けてゆかれ、毎年、ひとまわり大きいだるまにしていくのが恒例となっており、ご家庭の神棚いっぱいに沢山のだるまが並んでおりました。小さいだるまから受けて、年々、歳を経るごとに大きなだるまを受けていかれる参拝者の方が多くいらっしゃいます。

松川だるま3号(9cm) 初穂料1,500円
4号 (12cm) 5号 (15cm) 6号 (18cm)
7号 (21cm) 8号 (24cm) 29号 (27cm)
10号 (30cm) 11号 (33cm) 12号 (36cm)
13号 (39cm) 14号 (42cm)
1つ1つ丁寧に彩色されていく松川だるま 大きな黒い眼はあなたを見守ります

参拝の際に通過する長床神楽殿にて、大きな松川だるまをご覧になることができます。 御参拝の際にはぜひ、大きな瞳の青いお姿「松川だるま」ご覧ください。

御鎮座410年記念事業(第一期事業)
表参道手水舎地鎮祭齋行(10月14日)

菅原 望

去る10月14日、午前9時より表参道手水舎の新築に伴い、地鎮祭を執り行いました。

来年、平成28年は八幡様が勧請されてより410年の記念の年を迎えます。その記念事業の第1期事業として、自動車祓所の新設・手水舎の新築工事・北参道の舗装工事を計画しております。

当日は晴天に恵まれ、責任役員・総代、職人の皆さまに参列を頂き、滞りなく神事は斎行されました。

設置される手水鉢は、平成11年まで長床前にあった手水舎で使用していたものです。平成12年からの「御社殿保存修理事業」のため撤去しておりました。

その後、参拝者の増加に伴い、青森ヒバを使い伝統建築の技を屈指して建築工事を進める事になっており、直ちに設置する予定でおりましたが、東日本大震災の発生により被災地域の支援活動を継続して参りましたために、手水舎建築計画の実施が延期となっておりました。しかし、震災から5年目を迎え、支援活動にも一定の目途をつける事とし、この度表参道に新しく手水舎を建築する事と致しました。

工事は年内に終了予定ですので、新年には新しい手水舎で心身共にお清めして頂き、清々しいお気持ちでご参拝頂ける事を願っております。

小野目禰宜による祝詞奏上 参列頂いた役員による玉串拝礼
   
 
忌鎌、忌鍬、忌鋤を用いて、
草を刈り、土地を穿ち、掘り起します
 

~手水舎設計図~

御鎮座410年記念事業「表参道手水舎建築工事」竣工

成27年12月31日

去る12月31日「年越大祓式」当日の午前に「表参道手水舎」の竣工清祓を行いました。

この「表参道手水舎」は、平成12年度より6カ年度をかけて実施された御鎮座400年記念事業「御社殿保存修理事業」着工を前に、表参道長床前にあった手水舎を事業執行あたり支障があった為、仮手水舎を「金刀比羅社」前に設置し、現在に至るまでご利用頂いてまいりましたが、このたび装いも新たに「総青森ヒバ」の手水舎が竣工し、新年初詣を前に「清祓」を行いご利用頂きました。

本来なら、平成18年に迎えた「御鎮座400年記念式典」の後、直ちに長床前に復旧する予定でありましたが、近年の参拝者増に対応するために、「旧手水舎」より「大きな手水舎」を設置する予定ではありましたが、設計図面の検討や材料(良質の青森ヒバ)の確保に時間を取られているところに、東日本大震災が発生し、木工事担当の職方である(有)木匠を被災神社の補修や新築工事を担当させた結果、当宮の手水舎建築工事が遅延してしまい計画から約10年遅れで実施する事となりました。

小野目

   
   

表参道手水舎上棟祭齋行

平成27年12月12日

去る12月12日、午前11時より表参道手水舎の上棟祭を斎行致しました。

10月14日に地鎮祭を斎行し、配管・基礎工事や手水鉢の設置等が順次進められ、12月7日より全て青森ヒバの一等材を利用して建築工事が進められ、目出度く上棟祭を迎えることが出来ました。

当日は青空が拡がる快晴に恵まれ、責任役員・総代、工事関係者の皆さまに参列を頂き、斎主が祝詞を奏上し、次に(有)木匠 大工 佐藤大樹殿による上棟寿詞(むねあげのよごと)奏上、四方清祓を行い、その後玉串拝礼を致し滞りなく神事は執り行われました。

手水舎は年内に完成予定ですので、新年は新しい手水舎で心身共にお清めし、清々しいお気持ちでご参拝頂き、八幡様に1年間のご加護を賜われますことをお祈りしております。

菅原 望

斎主祝詞奏上 佐藤大樹殿による上棟寿詞奏上
四方清祓 宮司玉串拝礼
川上役員による玉串拝礼 完成間近の手水舎

平成27年11・12月 本殿挙式

加賀・謝家

結城・丹野家

ヘーラットゥ・竹田家

松山・佐々木家

御結婚、誠におめでとうございます

能神楽出向演舞活動

八幡宮の氏子区域内にある仙台市立第一中学校においては10月9日に、八幡小学校には11月17日に八幡宮能神楽保存会がそれぞれ出向し、神楽の演舞を行いました。

小中学校の子供たちにとって、お祭りやお正月の機会に八幡宮へお参りする事はあっても、あるいは境内で部活動することはあっても、例大祭神賑行事の能神楽にじっくりふれる機会はあまりありませんでした。

近隣の文化を学ぶことは良いことと、両校の校長先生からもお墨付きを頂き、一中では終業式の時間の一部を頂いて、神楽の「将足」(ひょうそく)と「摩応」(まおう)という剣や鈴を振り回す大人の迫力ある1人舞を行いました。

八幡小では、「摩応」の他に、「獅子取り」という童子と獅子舞が舞台中を暴れる舞を行いました。この童子には八幡小の1年生の小野目翠君が堂々と上級生の前で演じました。

演舞後は、両校とも生徒さんからの感謝と感激の言葉を頂いて、無事終了しました。

仙台第一中学校

   
   

八幡小学校