国宝 大崎八幡宮
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「仙台・江戸学叢書刊行」

 この度、平成26年7月に開講し第64巻となる、佐藤敏悦先生の「仙台藩の食文化」 と題した叢書が刊行致しました。  叢書をご希望の方は、お気軽に社務所までお問い合わせ下さい。 ☆刊行された叢書

月次祭並びに七五三祈請祭を執り行ないました(11月15日)

 境内の木々が紅葉彩り、時折さす陽のぬくもりを感じるこの日、月次祭並びに七五三祈請祭を執り行ないました。
本年は5組のご家族が祭典に参列され、より厳格な神事に臨まれます。小一時間の神事ではありますが、お子様達は皆、物珍しくまた真剣な面持ちでおりました。
このご家族の方でお姉さまがかつて七五三祈請祭にご参列された方がいらっしゃり、ご家族の人生儀礼にご参拝ある事は、とても喜ばしい事でございます。

 七五三詣での由来は、「子供の発育上の段階で、三歳で言葉を理解し、五歳で千恵づき、七歳で歯が生え変わる、その一面いろいろな病気に罹りやすく様々な危険をともなう大切な時期でもあります。この時期に健全な成長を神様に祈ることは、自然な親心から起こったものでしょう」(『宮城県神社祭事暦』より)とあります。
 また三歳(男女)で「髪置」、五歳(男)で「袴儀」、七歳(女)で「帯解き」の祝儀が行われていました。
 大崎八幡宮では10月から七五三の御祈願を受付ており、たくさんのお子様の祈りと笑い声が境内に溢れ、大神様の御神慮がお慰みされておりました。      (小野目 稲美)

宮司一拝により、神事が始まります 常の神饌の他に、七五三祝袋も
お供えされます
巫女舞を目の前でご覧いただける機会は
なかなかございません
多くの方にご参列頂きました
宮司による玉串奉奠で、お子様の
健やかな成長をご祈念いたしました
とても華やかな玉串拝礼となりました
祭典終了後のお写真は一生の記念になる事でしょう

平成二十六年度「宮神Sのつどい」開催

 去る11月2日、岩沼市の竹駒神社崇敬会館において、平成26年度「宮神Sのつどい」が開催されました。
 ボーイスカウトやガールスカウトは、その活動の健全運営を実地する意味から「育成団体」を持つことが推奨されていますが、「宮神S」とは、「宮城県神社スカウト協議会」の略称で県内の神社を「育成団体」としてスカウト活動をしている団で現在、ボーイスカウト岩沼第1団(育成団体:竹駒神社)と仙台第27団(同:大崎八幡宮)とガールスカウト宮城第18団(同:竹駒神社)の3個団体が加盟しており、この3個団体が互いに親睦と交流を計るために毎年持ち回りで開催しており、今年はガールスカウト宮城18団が担当しました。

 当日、竹駒神社崇敬会館にて午前10時より開会式が行われ、ステージ正面の国旗を通して伊勢神宮を参拝したあと、小野目理事長(大崎八幡宮 宮司)の挨拶にはじまり、講師先生の紹介がありました。
 今回の講師は、宮城県仙台三桜高等学校の藤川共闘先生にお勤め頂き「しおりづくり」を行いましたが、「しおり」といっても「木の葉のしおり」で葉脈を使ったしおりを作りました。
 まず始めに先生から手順と作り方を丁寧に教えて頂き、ご準備頂いた「ヒイラギの葉」を洗面器の水の中で、指先で静かに葉の外側を剥がし取り「葉脈」だけにして、絵の具で着色し、最後にラミネート加工し完成です。

 始めは指先に力を入れすぎて葉脈がちぎれてしまったり、或いは丁寧すぎて外側の皮が剥がれなかったりと、参加スカウトはわいわいガヤガヤお互いにやり方を教えあったりしながら賑やかに同行した保護者と一緒に「しおりづくり」を楽しんでいました。
 その後、竹駒神社の神職さんから「神社のこと」についてのお話を聞いて少しだけお勉強した後、宮城第18団の御父兄手作りの「豚汁」に舌鼓を打ちながら昼食を頂き、今年の宮神Sのつどいを終了致しました。                         (小野目 博昭)

小さい手で一生懸命頑張りました
完成したしおりです
地久祭斎行(10月20日)

 去る10月20日(月)、地久祭が斎行されました。
 当日の10時より宮司の御祭開始の一拝から始まり、大神様に神饌をお供えし、宮司による祝詞にて皇后陛下の御誕生をお祝い申し上げました。その後、巫女により御神楽「浦安の舞」が奏され、玉串にて拝礼を行い、本殿を出た後は境内にある遥拝所にて皇居を遥拝し、滞りなく斎行されました。
 また、地久祭とは、皇后陛下の御誕生日にあたり、皇后陛下の御誕生をお祝いし、皇室の弥栄を祈る祭典のことですが、12月23日には天長祭という天皇陛下の御誕生をお祝いする祭典が行なわれます。この二つの祭典名を並べると「天長地久」となり、天皇皇后両陛下により、我が国の天地悠久の御世が続くことを意味しています。       (日野美咲)

献餞の儀 祝詞奏上
「浦安の舞」 玉串拝礼

第22回「国旗のある自由画展」表彰式

 10月18日(土)午前11時より、宮城県神社庁にて「国旗のある自由画展」の表彰式が行われました。
 当宮では、4歳から小学6年生までを対象に「国旗のある自由画」を募り、9月の例大祭時に長床周辺と西廻廊内に作品を展示しておりました。
 今回は県内各地から合計369点もの応募があり、厳しい審査を行った結果22点が選出され、表彰状の授与が行われました。
 当宮から出展した作品のなかから、特選1点、準特選3点を含めて15点もの作品が選ばれました。入選されました皆様方、誠におめでとうございます。
 また、今回惜しくも入選されなかった方には、参加賞が贈られました。   (日下 瑞季)

表彰式では一人ひとりに賞状が授与されました
特選「世界一の笑顔」
聖ドミニコ学院小学校6年
村上 英仁さん
準特選「旗日の風景」
聖ドミニコ学院小学校4年
荒川 理歩さん
準特選「日本大活躍!」
聖ドミニコ学院小学校6年
郷司 李聖さん
準特選「日本のまち」
泉ケ丘幼稚園年長
岩渕 櫂さん
自分の作品の前で記念撮影 最後に集合写真を撮りました

「神嘗奉祝祭」斎行(10月17日)

 去る10月17日(金)秋晴れの中、神嘗祭奉祝祭を御社殿にて執り行ないました。
 神嘗祭とは私たちの主食であるお米が無事に収穫できたことに感謝し、その喜びを分かち合う伊勢神宮の最も重要とされる祭典です。この祭典は神宮の正月とも言われ、祭典を前に御装束・祭器具等の一切が新調されます。宮中においても天皇陛下御自ら水田にて稲をお作りになられ、様々な祭儀が執り行われ、豊年を祝します。
 そのお祭りをお祝いするために、全国の神社も同日に祭典を行っています。
伊勢神宮と言えば、20年に1度の大祭、神宮式年遷宮が昨年行われ、御正殿を始め御神宝等を新調して、神様を新宮へお遷し申し上げる祭典が行われました。
 実はこの式年遷宮はまだ終わってはいないのです。そもそも伊勢神宮は別宮、摂社、末社、所管社合わせて125社の総称であり、その14の別宮の中にはこれから遷御されるお宮もあるのです。
 去年参拝出来なかった方は、この秋の良い季節にお伊勢さんのお宮巡りをされてはいかがでしょうか。                                    (新村 竜一)

巫女による「浦安の舞」が奉奏されました

「平成26年10月2日仙台89ERSの必勝祈願祭が執り行なわれました」

 仙台のバスケットボールチーム仙台89ERSの選手・スタッフの皆様がリーグ必勝祈願にいらっしゃり、皆様の「挑」む信念を大神様にご奉告されました。
 皆様はチームカラーのナイナーズイエローを身に纏い、八幡宮の緑深い境内を颯爽と進む様は、優勝へ挑戦の歩みのようです。
 10月4日からbjリーグ2014−2015の優勝へ10年目の躍進が始まります。
                                       (祭儀課 小野目 稲美)

選手・スタッフ気持ちを合わせ
境内を進みます
大絵馬の一筆目は
中村球団代表です
外国人選手の方々にも書いて
いただきました
必勝祈願は、球団全員の願いです
社殿にてお清めのお祓いを行いました 中村代表・河内コーチ・金子キャプテン
による玉串拝礼
御社殿を背景に、チームで1枚 球団の皆様一同揃い
記念写真を撮りました
宮司から中村代表へ、松川だるまの贈呈
お二人に、似てらっしゃる?
チームへもだるまが睨みをきかせます

「仙台・江戸学叢書刊行」

 この度、平成21年12月に開講し第30巻となる、東北大学講師 中川学先生の「仙台藩の武士と儀礼」、平成24年4月に開講し第51巻となる、作家 星亮一先生の「戊辰戦争と仙台藩」と題した叢書がそれぞれ刊行致しました。
 叢書をご希望の方は、お気軽に社務所までお問い合わせ下さい。

☆刊行された叢書
東北大学講師 中川学先生
「仙台藩の武士と儀礼」
作家 星亮一先生
「戊辰戦争と仙台藩」
献饌式(9月13日)

 去る9月13日(土)、午後三時より「献饌式」が斎行されました。年間に様々な祭典行事がありますが、その中で特に重要な祭典のひとつ「例大祭 献饌式」です。
 八幡宮の「献饌式」は30台の三方にお米やお酒を始めとする、海の幸や山の幸、赤飯などを美しく盛り、御神前にお供えし、皇室の弥栄と日本国と氏子崇敬者の皆様方の繁栄そして例大祭が無事に斎行されるよう祈念致します。
 祭典では役員総代を始め、氏子崇敬者の多くの方に御参列頂きました。宮司による祝詞奏上、二人の巫女による御神楽「萬代の舞」奉奏の後、宮司以下役員総代、また御参列頂いた皆様による玉串拝礼を行い、本年も例大祭の諸行事が盛大に行われるよう祈念致しました。                                           (一戸 麗姫)

御扉開扉
警蹕がかけられ、三座分の御簾を上げ
御神威を賜りました。
献饌
5人の神職により御神前に神饌を
献饌されました。 
巫女による御神楽「萬代の舞」奉奏
玉串拝礼 玉串を御神前に捧げました。
御参列いただいた皆様と記念撮影

ちびっこまつり(9月13日)

 例大祭初日16時より、境内広場の特設舞台にて小学生以下の子供たちのための「ちびっこまつり」を開催いたしました。
 今年もダルマ落としと輪投げを行い、ダルマ落としを成功した子供にはだるま賞を、輪投げ台に5回投げてビンゴになった子供にはビンゴ賞として豪華な景品をプレゼントしました。また、残念ながらどちらの賞も貰えなかった子供には参加賞を渡しました。
 おまつりの途中から、激しく雨が降り雷も鳴り出すなか、最後まで残ってくれたみんなで「ゲラゲラポーのうた」と「ようかい体操第一」を元気よく歌い踊り、大歓声の中ちびっこまつりは終了しました。                                   (日下 瑞季)

雷の鳴るなか、元気に踊ってくれました

能神楽奉奏(9月13日)

 大崎八幡宮能神楽保存会の皆様は、例大祭にむけて連日稽古を続けており、宮城県の数ある神楽のなかでも特に高い格調と気品あふれる芸風を誇り、宮城県無形民族文化財に指定されております。
 奉納演目はかつて十八番を数えたと伝えられておりますが、現在ではそのうち十番が廃絶し、現在では「神拝(じんぱい)」「龍天(りゅうでん)」「摩応(まおう)」「小弓遊び(こゆみあそび)」「三天(さんてん)」「将足(ひょうそく)」「四天(してん)」「獅子取り舞(ししとりまい)」の八番が演じられております。
 18時30分より行われた能神楽は多くの方に見守られ、厳かに奉納されました。
                                             (日下 瑞季)

「神拝」 「龍天」
「摩応」 「小弓遊び」
「三天」 「将足」
「四天」 「獅子取り」

神幸祭(9月14日)

 9月14日(日)午前10時より神幸祭が斎行されました。当宮の例大祭において、最も盛り上がりをみせる神事が神輿渡御祭(みこしとぎょさい)です。
 まず出御祭にて、八幡様の御分霊を大神輿に遷し町内を担ぎ巡りました。八幡様の大神輿は重さが約1tあるといわれ約80名の男性が交代で担ぎ歩きます。また大神輿の他に女御輿と子供御輿も町内を巡行し、また4歳から9歳までの男の子が狩装束を身にまとい騎射子行列が続き、八幡様の御神霊をお慰めながら、氏子地域、町内の発展と安寧を願い巡行されました。
 当日はとても変わりやすい天候で、最初の御旅所である仙台市立八幡小学校に到着すると、一時にわか雨が降ってきましたが、御旅所祭が終わる頃にはすっかり雨はあがり晴天となり、引き続き御神輿は町内を巡り青空の下、無事に八幡宮へと帰ってくることができました。
 ご奉仕頂いた皆様、暑い中、大変ご苦労様でした。              (高橋 知生)

八幡様を乗せた御神輿町内に向けて出発 川上先達により三之鳥居の開通
元気いっぱい子供御輿 華やかな女御輿
御幣による大石段の御祓い 大石段を下る大神輿
宮司も馬に乗って巡行致しました

居合道奉納演武(9月14日)

 御神輿が出発した後、正午より御社殿前にて宮城県剣道連盟居合道部会の皆様による「居合道奉納演武」が行われました。
 まず始めに、御社殿にて奉納安全祈願祭を執り行いました。その後、御社殿前西側へ移動し庄子神輝殿による「詩吟-居合吟」から始まり、「全日本剣道形」、「夢想神伝流演武」、「剣舞-奥の細道」、「杖道演武」、「居合道演武-二段の部〜五段の部」、「試し斬り」、「居合道演武-六段の部〜七段の部」と続いた後、最後に全国大会出場者による演武が行われました。
 普段は見る機会が少ない居合演武に大勢の参拝者の方が集まり、「試し斬り」を行った際見学していた参拝者からは大きな歓声が上がりました。         (一戸 麗姫)

庄子神輝殿による「詩吟−居合吟」 木村民男殿、菅井吉秀殿による
「全日本剣道形」
佐久間勝之殿による
「古流 夢想神伝流演武」
菅井吉秀殿による「試し斬り」

演芸大会(9月14日)

 例大祭の最後を飾るのが、「演芸大会」。今年も広場特設ステージにて、YOJO BAND、SHOWAの方々の演奏が境内に響き渡り、老若男女問わず、多くの参拝者とバンドメンバーが一丸となり、盛大な盛り上がりをみせました。
 演芸大会後には、恒例の福物抽選会が行われ、今年も自転車や胡蝶蘭を含む地元商店や出入業者関係の皆様からご奉納頂いた景品140本が用意されました。
 二日間に渡り執り行われた例大祭は、若干の天候不良がございましたが、大きな事故もなく滞りなく斎行されました。

熱い演奏を響かせたYOJO BANDとSHOWAのメンバー
高く拳を突き上げるファンの姿も!

鈴の緒奉納式(9月10日)

 お参りする際に必ず目にする御社殿前の色とりどりの鈴のついた布は「鈴の緒」と呼ばれます。古くより人々の願いを叶えることから、別名「かなお」とも呼ばれています。鈴の緒は多くのご参拝の方々の思いを受け止める大事な役目を担っており、毎年9月の例大祭を前に、新たに調整されています。
 崇敬者の皆様方のご奉納により新たな鈴の緒が調整され、本年は216本のご奉納を頂きました。
 鈴の緒には、御祈願の成就を祈念し、ご奉納頂いた方のお名前と祈願名を一枚ずつ浄書しております。鈴の緒作りをお手伝いして頂ける方を、ご奉納いただいた皆様より募り、今年は26名の方々にお手伝いして頂きました。
鈴の緒を作製するのはとても簡単ではありません。皆様のご協力があって完成を迎えられます。出来上がった鈴の緒は御社殿にて奉納式が斎行され、3本ともその日のうちに御社殿前に下げられました。                               (日下 瑞季)

260枚もの布を丁寧に重ね、一本の鈴の緒にしていきます
260枚もの布を丁寧に重ね、一本の鈴の緒にしていきます
鈴の緒の完成を奉告し、お手伝い頂いた方々で記念撮影
その日のうちに真新しい鈴の緒が下げられました
七夕祈願祭斎行 (8月8日、8月22日)

去る8月8日ならびに8月22日夕刻4時より、本殿にて七夕祈願祭を斎行いたしました。
当大崎八幡宮では7月1日より1ヵ月間にわたり、御社殿前に2本の笹竹を設け、参拝にいらした方々に自由に願い事を書いていただいております。

 8月8日の祈願祭はあいにくの雨となってしまいましたが、短冊のお祓いを致しまして無事に執り行うことが出来ました。また祈願祭終了後、短冊の掛けられた2本の笹竹のお祓いも致しました。
 尚、お初穂料を添えて短冊を奉納された方々には、祈願札をお送りさせて頂きましたので、どうぞ神棚にお祭りください。
 皆様方の更なるご発展ご活躍をお祈り申し上げます。              (馬塲 愛)

七夕短冊奉納を申込頂いた企業・団体(受付順)
・愛媛県伊予郡   エミフルMASAKI殿
・兵庫県川西市   スマイルプラス矯正歯科殿
・千葉県船橋市   (株)ユアエルム京成ネクスト船橋殿
・新潟県妙高市   妙高市立新井中学校 1年6組殿
・宮城県仙台市   田中貴金属ジュエリー鞄a
・沖縄県那覇市   ホテルJALシティ那覇殿
・岡山県岡山市   (株)アルファ殿
・愛知県稲沢市   三井生命保険 名古屋ビル殿
・愛知県岩倉市   あいち歯科殿
・岡山県岡山市   (株)マリンポリス殿
・秋田県秋田市   にしのみやこども医院殿
・京都府京都市   からすま京都ホテル殿
・東京都江東区   (株)ダイエー殿
・東京都品川区   日本航空鞄a
・宮城県仙台市   (株)日比谷花壇


「御鎮座記念祭」斎行(8月12日)

 去る8月12日(火)、社殿前特設舞台において『御鎮座記念祭』が斎行されました。
 仙台藩祖伊達政宗公は、仙台開府後、仙台城の乾(北西)の方角に当たる現在の地を鎮座地と定め、四ヶ年を要して御社殿を造営し慶長12年8月12日に遷御齋が斎行されました。その後政宗公に続く歴代仙台藩候だけでなく、仙台城下の人々に仙台総鎮守として、現代に至るまで多くの方々に崇敬されて参りました。
 この御鎮座記念祭は、平成8年に御鎮座三百九十年を記念し、『御鎮座記念祭〜雅楽の夕べ』が斎行され、本年で19回目を迎えることとなりました。
 御鎮座記念祭にて『舞』を奉仕する神職と巫女は、雅楽演奏団体『伶楽舎』の一員であり、笙の演奏家としても有名な宮田まゆみ先生をお迎えし、4月から月1〜2回の稽古のほかに個人での練習にも取り組んできました。

神前神楽「青葉の舞」 御神楽「其駒−人長舞」
神前神楽「浦安の舞」 今年は神楽殿にて奉奏して頂きました

 当日は、生憎の空模様となり、日中のリハーサルでは舞台の上が雨で濡れ、思うように舞うことが出来ない状態でしたが、本番では無事に舞を奉仕することが出来ました。
 また、普段は滅多に見ることの出来ない御神楽(巫女舞)を拝観出来る良い機会と、年々参拝者の方が増えており、来年以降も年に一度の“記念日”を皆さまとご一緒にお祝い出来たら八幡様だけではなく、職員も嬉しい限りです。              (日野 美咲)

以下、当日舞を奉仕した職員の感想など掲載させて頂きますのでご覧下さい。

「人長舞」を奉仕して  昨年に引き続き、御鎮座記念祭において人長の舞をご奉仕させて頂きました。昨年は、初めてということもあり舞を間違えずに舞うことを重視するあまり「人長の舞」の意味をうまく表現出来なかったと感じました。
 今年は、稽古の時より舞の一つひとつの動きの意味を理解しながら練習に取り組みました。
 御鎮座記念祭当日は、祭典斎行約2時間前まで雨が降ったため準備に追われ、落ち着く暇もなく着装し出番を迎えました。そのような中でも、舞に集中し稽古で学んだことを意識しながら無事にご奉仕を務め、安堵することが出来ました。              (菅原 望)

「御神楽舞」を奉仕して(一)  今年の御鎮座記念祭は、舞人として御神楽のご奉仕となりました。
通常、神職として祭典の度に御神楽を拝見していましたが、いざ自分が舞う事になると、いつもとは違う緊張感がありました。
 お稽古は4月から始まりましたが、巫女や経験者に教えを乞いながら、普段とは違う動きを意識する経験は、神職としても貴重な体験を致しました。
 神職は氏子崇敬者の皆様と御祭神とを繋ぐ仲取持ちと言われ、常々身が引き締まる思いでお勤めしております。今回、舞を通して同じ心境を感じ得ました。舞人も、舞う事でご祭神をお慰めし、その御神威を高める存在なのだと実感出来た事は、これからのお勤めにかけがえのない経験となりました。
御鎮座記念祭当日は直前まで天候に悩まされましたが、いざ祭典時になると、空には虹がかかり、夕焼けは彩雲が美しく、夜空には星が煌き、浄暗の境内・漆黒の社殿は光風霽月に彩られました。
 伶楽舎の方々の演奏で、職員とともに舞台に上がった時間は、雅楽の音色に動きを添えて、衷心よりご奉仕いたしました。                        (小野目 稲美)

「御神楽舞」を奉仕して(二) 昨年は祭員としてご奉仕し、今年は舞人としてのご奉仕でした。大崎八幡宮の御鎮座記念祭は灯りを消して、篝火が燈る中で行われる幻想的で雅な祭典でありますが、その祭典に舞人としてご奉仕できたことはとてもうれしく誇りに思います。
 今年は天気が不安定で、リハーサルが満足に出来ず、入退場や装束のさばき方など細かなところで不安がありましたが、良い緊張感を保ったまま伸び伸びと舞えたと感じました。祭員として歌いながら見ていた昨年では、暗く沈んだ境内で本殿に上がった鈴虫の鳴き声と息をひそめる人々の気配に、パチパチッと火が燃える音、聞こえてくる笛の音、ボンヤリと浮かび上がってくる舞姫のそれぞれに身震いを感じました。今年は私たちがその色の一部に成れたのではないか、八幡様にご満足いただけたのではないかと思います。
ありがとうございました。                                (馬塲 愛)


東北割烹研究会四條流庖丁式奉納祭斎行(8月8日)

 去る8月8日(金)、東北割烹研究会による四條流庖丁式の奉納が執り行われました。
 庖丁式は、清浄を貴び「智・仁・勇・愛」の四徳を持って邪気を払い、天下泰平と五穀豊穣を祈願する調理師の儀式であり、素材(鯉・鯛など)の生命を頂くことへの感謝の意を一刀一礼の作法に表現し料理します。刀士(とうし)は烏帽子(えぼし)と直垂(ひたたれ)を纏った姿で包丁と真魚(まな)箸(ばし)のみを用いて素材(今回は鯉を利用しました)に手を触れる事無くさばいていきました。

 そもそも四條流庖丁式の由来は、料理や包丁に関心の深い方であった第58代光孝天皇が、臣下である中納言従三位・藤原朝臣山陰卿に庖丁の儀式(料理作法)の新式を定めさせたことが始まりとされています。山陰卿は、住居が四條(京都府)にあったことから四條中納言と呼ばれ、料理四條流の祖といわれ仙台藩伊達家の祖でもあるそうです。
 東北割烹研究会の四條流庖丁式は、家元十二代山下茂氏の手ほどきを先輩方が受け継いできたものであり、今回当宮において初めて奉納神事として執り行いました。

神前にお供えした庖丁と鯉 刀士を奉仕された菅原さん
庖丁と真魚箸のみでさばいていきます
国民精神昂揚研修会に参加致しました(7月29日)

 去る7月29日、宮城縣護國神社において「平成26年度国民精神昂揚研修会」が開催されました。
 この会は宮城県神社庁により国民精神昂揚運動の一環として毎年実施されています。国民精神昂揚運動研修会とは日本時局論―現代日本について学び考えようとする勉強会であります。宮城県の神職、総代、神社関係者を対象としており、大崎八幡宮からは神職2人役員総代4人の計6人が参加致しました。
 今回は産経新聞政治部編集委員阿比留瑠比先生が講師としていらっしゃり、「安倍政権と日本の進路」と題して講演されました。政治部の体験談から始まり、国際情勢では日本の「和を以て尊し」の精神が貴重でありそれを上手く使うことによってリーダーシップを発揮できるなど、国際社会における日本の往く先を論じておられました。

 

 およそ1時間半の講義とは思われないほど濃く、あっという間に終わってしまいました。講義後の協議では時間がギリギリになるまで多くの質問が飛び交い意見交換をし、とても有意義な会となりました。
 一人一人がもっと国内・世界情勢に目を向け、多角的に物事を見る、対処する力を身につけるべきだと大いに感じました。                     (権禰宜 馬塲 愛)

 
兼務社愛宕神社例祭(7月20日)

 7月20日(日)、当宮の兼務社である愛宕神社(八幡1−4−3鎮座)の例祭が執り行われました。  愛宕神社は防火鎮火の神とされております。
 前日から雨が降り続き空模様が心配されましたが、祭典の始まる11時には雨がぴたりと降り止み、 滞りなく神事を斎行することができました。
 祭典終了後には愛宕神社の総代を10年間務めている、黒瀬次郎様へ仙台市神社総代会からの功労者表彰状の伝達式を行いました。
 その後、子供たちがお神輿を担ぎ、元気な掛け声とともに町内を練り歩きました。 
                                              (日下 瑞季)

 
祝詞奏上 浦安の舞
玉串拝礼 黒瀬様へ表彰状を授与
元気よく出発!

鎮守の森復活プロジェクト「五十鈴神社植樹祭」を支援

 去る7月6日、石巻市雄勝町分浜に鎮座する五十鈴神社において「鎮守の森復活プロジェクト植樹祭」に参加支援をして参りました。
 全国の多くの神社には鎮守の森と呼ばれる荘厳な森があります。まだ神社が社殿を持たない古い時代では樹木が鬱蒼と茂った森そのものが神様の宿るところと考えられており、現代にいたるまで大切に守られてきました。
鎮守の森は先人、御先祖様の深い思いが込められた場所であり、お祭りの場として人々の心を纏め、癒し、活力を与えてきました。そして伝統文化を受け継ぐ重要な場所であり、まさに鎮守の森(神社)は日本人の「絆」の原点といえる大切な場所なのです。

 
五十鈴神社の遠景

 海に道が出来ている。震災前は岸壁であったが地盤沈下で満潮時には海の中に。
 東日本大震災では宮城県沿岸部を中心とする多くの神社は甚大な被害を受け、全壊又は流失した神社は52社にのぼります。大崎八幡宮としては震災以来、沿岸部被災地域への支援活動を継続して実施してまいりました。
 五十鈴神社が祀られている分浜地区は、震災前には44世帯130人ほどが住むこの辺りでは中程度の浜でしたが、その多くが仙台や石巻での避難生活を余儀なくされており、2世帯8人しか住んでいません。
分浜地区に鎮座する五十鈴神社は表参道両側の樹木が津波により根こそぎ被害を受け丸裸となってしまい、土砂崩れが起きてしまいました。
 そこで将来のため、五十鈴神社の境内を護持する意味から今回の「鎮守の森復活プロジェクト」を実施しており、地域の方々が極端に少ないこの地域を支援しようと大崎八幡宮で参加者を募集し、支援することとなりました。

 
大崎八幡宮のテント

 今回の「みんなの鎮守の森植樹祭」は失われた鎮守の森を取り戻して、地域の心とコミュニティーの再生を図り、さらに鎮守の森が将来「地域を守る森」として新たな役割を担う森へと再生されることを目指し行われました。大崎八幡宮からはおよそ150人の参加を頂き、植樹祭参加者の大半を当八幡宮からの参加者で占めました。

 
植樹祭前に昼食の時間。ホタテやカキ、ホヤ、ちゃんちゃん焼きなどを提供。
食欲そそる良い香りがする。
地区で養殖している銀鮭による
ちゃんちゃん焼き
海からあげたばかりのホヤをさばく
開会式
天気は快晴。多数のご参加を頂きました。
当日植えた16種類の苗木です。
かなりの急斜面での植樹です。 強い木にするためきちんと説明を
受けてから植樹にかかります。
大きくなれよと願いを込めて一株一株丁寧に植えていきました。
急斜面で不自由な体勢での
植樹作業でした。
雑草が生えにくく保湿効果のある藁を
敷き詰めました。
会場では雄勝法印神楽の勇壮なる舞が
行なわれました。
最後に効果を高めるため高圧ホースで
撒水が行われました。

 当日はかなり暑い日ではありましたが、横浜国立大学名誉教授であります宮脇昭先生の楽しく愉快な、熱のこもった植樹指導により、無事にすべての苗木を植えることが出来ました。 この小さな苗木たちが数十年後、数百年後には大きな木となってこの地を守り、またこの地に住む人々がこの森をさらに生命力のあふれる荘厳な森として次代に受け継いでいくことを心から願っています。                              (馬塲 愛)

水無月の大祓

 6月30日午後3時より水無月大祓式を斎行いたしました。
 大祓は年に2度、6月と12月の晦日(6月30日と12月31日)に行われています。半年間に(1月から6月までに)知らず知らずのうちについてしまった罪や穢れを祓う神事です。特に6月の大祓は「夏越祓(なごしのはらえ)」とも呼ばれています。

 
茅の輪

 水無月、6月の大祓には茅の輪が設置されます。茅の旺盛な生命力が穢れを祓い人々に活力を与えるとされています。茅の輪が祓いの神事において使われるのは「蘇民将来神話」において、茅の輪飾りを腰に結びつけた者は病・怪我、様々な災いから護られたという話に拠ります。
 大祓は数あるお祓いのなかでも最も重い祓の儀式であります。恒例である6月と12月の他に、臨時には大嘗祭や天変地異が起こったとき等に行われてきました。古事記には当大崎八幡宮の神様の一柱であります仲哀天皇の崩御のときに国の大祓を行ったと記されており、日本書紀には天武天皇が大祓を行ったと伝えています。大宝令により6月・12月の恒例の大祓が定められ、平安期には京都御所朱雀門において宮中祭祀を司る中臣氏によって行われています。このときに唱えられた大祓詞は、中臣氏が若干改作をしたため中臣祓詞、中臣祭文などと呼ばれて広く用いられています。

 
参進 紙包を頒つ
白布を8つに裂く 罪穢れを人型に移す
お祓い 茅の輪くぐり
茅の輪くぐり 御社殿前にて拝礼

 今年は前日から天気が悪く当日は空を見上げながら、大祓式の時刻を待ちましたが、幸いに天候が悪化することはなく多くの御参列を頂き、無事に大祓式を執り行うことが出来ました。暑い夏に向けて身の回りを整え新調し、心身ともに清々しく夏を越えましょう。
                                          (権禰宜 馬塲 愛)


ご結婚、おめでとうございます。(2月〜6月の御本殿での結婚式)

 大崎八幡の大神様の大前において、2月から6月までに挙式を挙げられた方々に掲載許可を頂きましたのでここにご報告申し上げます。

   
2月22日 天野・阿部御両家 3月7日 鈴木・小山御両家
3月22日 松村・小山御両家 3月29日 鷲足・押野御両家
4月12日 橋・竹中御両家 4月18日 石田・鈴木御両家
4月20日 古荘・松林御両家 4月26日 佐藤・郷野目御両家
5月3日 深澤・若林御両家 5月5日 林・橋本御両家
5月18日 森野・荒井御両家 5月24日 亀居・白石御両家
5月31日 藤原・丸山御両家 6月1日 稲田・三宅御両家
6月14日 松橋・品川御両家 6月20日 マクニール・安藤御両家
6月22日 林崎・中村御両家 6月22日 鈴木・黒田御両家
6月28日 吉田・山内御両家

 八幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、御両家の益々のご発展を心よりご祈念申し上げます。 誠におめでとうございます。


「仙台・江戸学叢書刊行」

 この度、平成23年2月に開講し第42巻となる、東北学院大学経営学部教授 斎藤善之先生の「仙台城下への肴の道」と題した叢書が刊行致しました。
 叢書をご希望の方や、刊行状況等ご不明な点がございましたら、お気軽に社務所までお問い合わせ下さい。 ☆刊行された叢書

 
「仙台城下への肴の道」
斎藤善之 東北学院大学経営学部教授

宮城県神社関係スカウト協議会(6月27日)

 皆様はボーイスカウトをご存知でしょうか。ボーイスカウトとは、健やかな子供を育成する世界的な運動・活動で、1907年にロバート・ベーデン‐パウエル卿がイギリスのブラウンシー島に20人の少年たちを集めて実験キャンプを行ったのが始まりとされています。
 当宮が育成団体となっているボーイスカウト仙台第27団を始め、竹駒神社所属の岩沼第1団、宮城第18団の3団体が集まり、6月27日(金)竹駒神社にて宮城県神社関係スカウト協議会の総会が行われました。
 総会は、日本国旗に一礼することに始まり、次に神宮遥拝、国歌斉唱、敬神生活の綱領唱和と続き協議に入ります。協議が終了すると、最後に「弥栄」(いやさか)を行います。
  「弥栄」とは、日本のボーイスカウトで祝声や励ましの声援として公式に決められている言葉で、他者を祝賀、賞賛する際や、再会を約して別れる折などに唱和する掛け声のことです。「お互いにますます栄える」という意味があります。
 仙台第27団ボーイ隊リーダーの増田修さんの掛け声に合わせ、参加者全員で「弥栄」を行い、協議会は幕を閉じました。                           (日下 瑞季)

 
国旗に向かって一礼 敬神生活の綱領の唱和
いやー さかー!

東日本大震災復興支援 石巻市雄勝町大浜鎮座「葉山神社」
御社殿・社務所建築工事地鎮祭を奉仕(6月12日)

去る6月12日、石巻市雄勝町大浜鎮座「葉山神社」(宮司・千葉秀司氏)の「御社殿・社務所建築工事地鎮祭」の祭典奉仕を致しました。
既にご承知の方々も居られるとは思いますが、葉山神社は東日本大震災により被災し、社務所として使用していた旧自宅が流失、社務所裏の標高15メートル程の所にあった社殿は津波により全半壊の被害がありました。
弱冠37歳の千葉宮司は、「雄勝法印神楽伝承の地」として地域の将来を考え、より高い場所への社殿再建を計画し境内地の隣に広がる千葉宮司所有の1,000坪を超える山林を葉山神社に寄付する事とし、自らの手により竹林や雑木を刈り払い処分し、是非とも本格的な御社殿の再建をと願っていたところ震災以来、民俗芸能を中心に支援活動を続けていた日本財団の目に留まり、「葉山神社再建事業」への支援を受ける事となりなりました。

大崎八幡宮では、震災直後より沿岸部被災地域への支援活動を継続してまいりましたが、千葉宮司より相談を受けた当宮宮司は、当宮技手である(有)波岡建築設計室の波岡平八先生と相談、大崎八幡宮職方会を始め各種業界に協力を求め、昨年6月に起工式を斎行、地元建設会社の協力のもと約半年をかけて造成工事を行い、この度やっと御社殿・社務所建築工事地鎮祭を斎行することが出来ました。
新しい社地は、旧御社殿より10メートル程高い標高25メートルとなり将来にわたって津波による被害は想定できない場所であり、「地域の心のよりどころ」としてその果たす役割は大きいものと確信する次第です。

今後、社務所の建築工事を先行して実施し、社務所については年内竣工の予定で進みますが、御社殿についてはやっと用材(伊勢神宮御用林間伐材と青森ヒバ)の製材が終盤に迎え、来月中旬には「刻みの作業」に入ります。
また、秋には「建て方」を行い、来年5月の「例大祭」までには終了する予定で居ります。
建築工事の進捗状況については、その都度ご報告させて頂きますので、皆様方の引き続きのご支援をお願い申し上げます。              (大崎八幡宮 小野目 博昭)

   
造成中の新境内 造成がおわった境内 遠景
地鎮祭斎場
高橋泰之権禰宜の祝詞奏上 千葉宮司の鍬入れの儀
千葉宮司玉串拝礼 責任役員 高平英一様玉串拝礼
総代長 千葉勝昭様玉串拝礼 大浜地区長 永沼 勝様玉串拝礼
設計監理 波岡平八様玉串拝礼 社殿担当 (有)木匠様玉串拝礼
社務所担当(有)創建コーポーション様玉串拝礼     高橋知己出仕
千葉宮司 挨拶 参列者記念撮影
雨の中の敷地清祓

第10回育林事業が開催されました(6月8日)

去る6月8日(日)、第10回育林事業が開催されました。
今年は、育林事業も丸10年という節目を迎え、500名を超えるボランティアのお申込を頂きました。
当日も生憎の雨にも関わらず、400名程の参加者が集まり、皆様のご協力により、草刈自体は一時間ほどで終了致しました。
その後は、大崎八幡宮職方会の皆様による「焼肉・海鮮焼き」、当宮の婦人会有志の皆様による「ごま塩おにぎり」、ボーイスカウト仙台第27団の保護者による「とん汁」、たこ焼き屋台おたこによる「たこ焼き・やきそば」等の様々な食材が振舞われ、ご参加頂いた皆様にはご満足して頂けたようで、当宮と致しましても、感謝と感動の気持ちで胸がいっぱいになりました。
この育林事業は、将来の文化財建造物の御修理の御用材を確保することが目的でありましたが、木々の生育の状態から、今後は草刈の必要がないということになりましたので蔵王での草刈作業は一旦終了とさせていただくこととなりました。
しかし、文化財保護や将来のことを考えますと、植林木の手入れは今後も続けていかなければなりません。
当宮と致しましても、新たな用地確保を検討しており、第2・第3の育林事業を開催していかなければと考えております。 その際には、ボランティアの皆様方にお声がけをさせて頂き、これまで通りのお力添えを頂ければ幸いです。                 (日野 美咲)

 
雨が降る中、緑化推進祈願祭と開会式が斎行されました
すくすく育った木々の周りを綺麗に刈っていきます
作業終了後には美味しいバーベキューが!
今年は過去の育林事業の写真パネルも展示しました

女川町鷲神浜「熊野神社遷座祭」支援(5月31日)

5月4日の女川町鷲神浜の熊野神社の仮遷座祭が行なわれた後に、当宮職方の大工さん達の手により御本殿が堀切山から内山へと移されました。
御神体についても、前回の仮遷座祭にて御遷り頂いている神輿堂から、内山(旧桜ケ丘団地)への再び「神様のお引越し」となります。
今回の我々八幡宮職員は伶人としてご助勢し、雅楽の管絃や浦安の舞を奉仕させて頂きました。
5月31日の午後6時30分より堀切山にて遷座祭が始まり、祭典後に祭員や絹垣、提灯等の所役の隊列が組まれ、向かいの山から馬塲権禰宜による法螺貝が吹き鳴らされた後、御神体が御動座されていきます。法螺貝は獅子の咆哮に似ていて、その力強い音で道中の魔を祓うと言われております。
行列はその後、祭員の警蹕と伶人の雅楽の中、御神体を内山の御本殿に無事におさまりました。
内山の御本殿前、拝殿内に斎主以下祭員、役員総代、町長、氏子崇敬者等50人以上の御参列を頂いて、引き続き遷座の祭典は献饌、祝詞奏上と続けられました。
続いて浦安の舞については、5月末を持って退職する齋藤仕女の最後の舞奉仕となったのでしたが、長年の集大成を、御神前を始めご参列者に披露できていたのではないかと思います。
舞奉奏の後は玉串拝礼、撤饌、閉扉、一拝と続き、浄暗の中無事厳粛に斎行されました。 終わった頃には完全に回りは暗くなっていましたが、初夏の海風が心地よく、星空も綺麗で清々しく感じられました。
女川町の造成工事が1日でも早く終わって、復興する事を願ってやみません。
                                        (権禰宜 新村竜一)

去る5月4日の「仮遷座祭」では後衛所役として御奉仕させていただきました。
幸運なことに今回も御奉仕させていただく機会を頂戴し、御神霊をお遷しする貴重な祭典を二度も経験させていただいて感謝の気持ちでいっぱいです。
典儀として祭典の司会進行役を仰せつかり、未熟者な私にこの役が務まるものかと、不安と緊張の中で当日を迎えました。 次第に辺りが薄暗くなりはじめる頃「遷座祭」が斎行されました。私自身、至らない点や反省すべき所がありましたが、氏子総代さんをはじめとした、関係者の皆様に助けていただきながら、無事に御神霊が移転地のお社へとお遷りいただき胸を撫で下ろしました。
今回の件で、一旦熊野神社の移転計画は落ち着きをみせますが、3年から5年後には造成工事が終わり、新たに御社殿を建築する予定となっております。その際には、遷座祭を再び斎行致しますので、今回の経験を生かして祭典に尽力できればと思います。
                                        (権禰宜 橋泰之)

女川・堀切山に鎮座する熊野神社御祭神の御霊を、神輿堂から隣山の社殿へと御遷り頂く、遷座祭の伶人としてご奉仕させて頂きました。
熊野神社は小高い山の山頂にあり、凡そビル8階建ての高さから女川鷲見ケ浜を眺望できる場所にお祀りされていました。
神輿殿に遷された御霊を、今回、隣の内山地区へと御移り頂きます。陽が傾き彩雲の雲間から細い三日月が姿を現す夕暮れ、遷座祭が執り行われました。堀切山を出御する祭員の警蹕や足元を照らす提灯の灯りがうっすらと動く状を感じながら、私は御霊が遷る内山の社殿側で渡御が到着するのを待っていました。
すでに暗くなった内山の静寂に、警蹕の響きが御霊の到着を告げます。
千葉宮司以下、神職の方々、また熊野神社総代・関係者の方々の、祭祀に対する真摯な精神を感じながらの楽の奉奏は、身を研ぎ澄まされました。
常暗の中、粛々と式次第が執り行われましたが、時の流れを感じる暇もない、厳かな祭典でした。全てが終わると、顔が綻ぶ千葉宮司以下皆様に安堵の表情が表れておりました。
直会の席で、総代の方からお話を伺いました。その方は震災で家を失い、体を壊し、引きこもりがちになっていたところ神社総代の誘いを受け、関わるようになったそうです。「震災があって失うものも多かったけど、震災があったからこういう事(神社の祭典)もお誘い頂けるようになった。震災がなかったら、神社に関わる事はきっとなかったな」と、笑顔で話され松葉杖を使いながら帰られました。
この地域は、堀切山や近くの山を半分以上切り崩し、大規模な土地のかさ上げが成され、復興工事が終わったとき、郷土の風景が変ります。人々の生活が元に戻るまで、まだまだ時間が掛かります。震災により、個人のアイデンティティーを見失った方もたくさんいらっしゃいます。
しかし、地域に根付いた伝統や信仰に接することで、より深く大きなコミュニティーに擁護される感覚を得る人も多いのではないでしょうか。
今回の祭典に携われたお陰で、日本文化の深淵にある精神に触れ、より真摯な気持ちで日々の祭祀に勤しむ気持ちが培われました。
熊野神社再建が、地域の方のみならず皆様の心の礎・心柱として、篤い信仰心となる事をご祈念申し上げます。
                                       (権禰宜 小野目稲美)

去る5月31日、石巻市女川町堀切山において熊野神社遷座祭が行われました。
山岳信仰の中心ともいうべき熊野神社の名の通り、山の頂上に鎮座しているので、社殿への参拝路は厳しく、200段もの階段を登るのには大変苦労しました。しかしほかに遮るものがなにもないので気持ちの良い風が吹き景色がとても美しく見えました。元々の社殿の規模は大きく立派なお社が建っていましたが、現在はすっかり取り壊されコンクリートの地盤が見えているのみとなっています。遷座先の内山には真新しい社殿、社務所が建てられていました。地鎮祭で一度訪れたことがありますが、その時とは見違えるほど土地が生きているなと感じました。
堀切山での祭が始まりいよいよ出御というときに、法螺の音を山に響かせることが出来ました。法螺の音色により清められ、厳かな雰囲気となったと思われます。堀切山から白い集団が粛々と近づくのを内山から見守っていました。時折風に乗って「オオ――。」の警蹕の声が聞こえてきて、大変神秘的でありました。
遷座祭は神職が一生のうちにそう何度も奉仕できる祭ではありません。その祭に伶人として奉仕できたことを誇らしく光栄に思います。多くの近所の方が参列されていました。熊野神社がこの地でまた人々の中心、拠り所として永く信仰されていくことを願っています。
                                          (権禰宜 馬塲 愛)

御神体をお遷しする「正遷座祭」という大変貴重で重要な祭典に舞奉仕をさせて頂き、得がたい喜びを感じると同時に、気を引き締めて当日を迎えました。
遷座祭は非常に重要な祭典の一つであり、氏子さん達との「お宮を護ろう」とする熱意や想いが無ければ出来ないと思います。
その中で熊野神社の氏子さん達の協力的で真剣な眼差しは私の心に響きました。
静寂な空気の中、当宮の職員による雅楽演奏のおかげもあり心を落ち着かせ心地良く舞をご奉仕させて頂きました。
                                           (仕女 齋藤優佳)

遷座祭という、滅多にご奉仕することの出来ない祭典のお手伝いをさせて頂きました。
また、遷座祭は通常の祭典とは異なり、夕方から斎行されますので、暗闇のなかで行なわれる幻想的な祭典はとても貴重な経験だったと感じております。
私自身、初めての遷座祭ということもあり、色々と至らぬ部分もあったなと反省することが多々ありましたが、厳粛な雰囲気の中、無事に終えることができ、ほっと胸を撫で下ろしました。
このような機会を与えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
                                           (仕女 日野美咲)

 
御本殿(内山) 神輿堂(堀切山)
伶人(練習中) 祭員習礼(打合せ中)
仙台市神社総代会総会が行われました(5月28日)

 去る5月28日宮城県護国神社参集殿にて仙台市神社総代会総会が行われました。
 神社には、宮司を始めする神職や巫女以外にも多くの関係者が、神社神道の昂揚(こうよう)と伊勢神宮の奉賛及び地域神社の護持に貢献することを目的に、それぞれの神社の運営に関わっております。
 今回は神社の責任役員・総代・世話人の功労者表彰も行われ、当宮の世話人が5名、兼務社の、青葉区八幡二丁目鎮座愛宕神社総代が永年の神社の護持・運営に貢献されたとして表彰を受けました。
 当日は責任役員・総代を始め功労者の原田暢夫世話人も総会、直会に出席頂き和やかな時間を過ごされておりました。 神社功労者とは責任役員・総代・世話人を10年以上務め、奉仕神社の祭典を始め運営にご尽力頂いた方に贈られるものです。
 今回表彰された皆様を始め当宮にご協力頂きあらためて感謝申し上げますとともにこれからのご活躍を祈念いたします。                        (谷津田 智之)


今回神社功労者
大崎八幡宮 土橋中部世話人   鈴木文雄 殿
新坂南部世話人   原田暢夫 殿
山屋敷国見世話人  早坂正明 殿
宮脇通世話人    庄子哲郎 殿
半子町世話人    島貫勝三 殿
八幡二丁目愛宕神社 総代   黒瀬次郎 殿
仙台市神社総代会長相澤光哉殿 神社功労者表彰を受けた世話人
原田暢夫世話人
総会後の直会の様子

神社再建用材の「公売入札」に応札してきましたが!(5月29日)

 去る5月29日、青森県森林整備事業協同組合(青森市大字駒込字桐ノ沢)で開催された「青森ヒバ公売入札」に参加してきました。
 今年度は、すでに4回目の「青森ヒバ入札」でしたが、今年度に入り過去3回の入札では「予想価格が大幅に値上がり」してきており、希望通りの価格で落札ができず、今回も9件に応札を致しましたが、残念ながら合計4件・28.73立方メートル・48本しか落札することができませんでした。

 この「美咲の部屋」をご覧の方々の中には、「神社が、丸太を購入するの!?」と思う方も沢山おられるとは思いますが、八幡宮では平成11年度より平成16年度にわたる「大崎八幡宮保存修理事業」で「用材の確保」に困難を極めた経験から、独自に「製材所」を確保し「用材を原木で取得」することにより、文化財建造物の御修理や境内諸施設・設備の材料として備蓄し将来の御修理に備え「良質の用材確保」を目指してきました。

 そのような中にあって平成23年3月には東日本大震災が発生し、震災直後より様々な被災地支援活動を実施してまいりました八幡宮では、平成24年秋頃より、沿岸部神社の宮司さんから「鎮守社の再建」・「鎮守の杜の再生」のご相談もあり、平成25年度より『心のよりどころの・地域コミュニティーの再建支援』を実施する事と致しました。
 今回の落札材も石巻市雄勝町大浜鎮座「葉山神社御社殿再建用材」として確保しているものであり、葉山神社の御用材については概ね確保する事ができました。

 しかしながら、八幡宮では引き続き震災復興関連で2社の神社再建事業の相談を受けており、「用材の高騰」により将来とも適切な支援活動を継続することができるかどうか心配が絶えません。

 八幡宮と致しましては、これら支援活動の原資として「御社頭での募金活動」を始め、氏子崇敬者の皆様からの「震災復興支援金」を当てさせて頂いております。
 沿岸部被災地域の皆さんは生まれ育った地域を離れ、生活のためにその多くは仙台市を始め都市部に移り住み、将来の「地域文化の継承」を危惧しているのは八幡様だけではないと存じます。
 皆様方の格別のお心温まるご支援をご期待申し上げます。    (宮司 小野目 博昭)

       

女川町鷲神浜 「熊野神社仮遷座祭」支援(5月4日)

牡鹿郡女川町鷲神浜に鎮座する熊野神社にて「仮遷座祭」が執り行われました。
去る、4月18日に実施した「沿岸部神社再建視察研修旅行」の記事でご紹介させていただきました熊野神社は、女川町の復興開発事業で行政の中核地に選ばれ、移転を余儀なくされた神社です。
現在、熊野神社は海抜65m程の堀切山の中腹に鎮座しており、表参道の200段程の石段でしか参拝できません。熊野神社の周辺一帯は切り土造成され、将来的に女川町役場ほか小中学校や住宅用地として生まれ変わり、町の重要な拠点となるとの事です。

今回、熊野神社の御社殿の内、拝殿、幣殿は解体され、御本殿はそのまま移転地へと移し、堀切山一帯の造成工事が完了する平成29年以降、堀切山の造成地に御社殿を新たに建築する運びとなっております。
今回は、本殿を移転地(同町内山地区)へと移す工事の為、一時的に御神体を仮殿へとお遷り頂く「仮遷座祭」が斎行されました。当宮からも沿岸部被災神社の支援活動を行っている関係から、祭典奉仕の助勢をさせていただきました。
遷座祭とは、昨年秋に伊勢神宮で斎行された遷御の儀と同じ様に御社殿の修理造営などに際して御神体を遷すことをいい、いわば神様のお引っ越しとなります。

当日は、夜7時からの斎行となり、天候にも恵まれ浄暗の中、粛々と執り行われました。
祭典終了後は御神体がお遷しされた拝殿内で直会が開かれ、地元の役員総代関係者の皆さんは無事に執り行われた「仮遷座祭」の喜びと、これから生まれ変わる女川町の構想で盛り上がりを見せていました。
又、5月31日には移転地(同町内山地区)へ移築した御本殿へ、改めて御神体をお遷しする「正遷座祭」が行なわれる予定となっております。

(以下 滅多に経験することができない「遷座祭」をご奉仕した、当宮職員の感想を掲載させていただきますのでご覧いただければ幸いです。)

・宮ア 徳寛 権禰宜(典儀として祭典の司会進行役を務めました。) 僭越ながら、遷座祭のご奉仕は今回で5度目となりますが、御神体をお遷しするこの祭典はそうそう体験できるものではありません。ご奉仕させて頂く機会を与えていただき深謝するばかりです。
200段の階段を登りつめ、女川湾はもとより、太平洋を遥かに見晴るかすこの境内地にて、午後7時より祭典斎行となりました。
私が仰せつかった「典儀」は祭典全体をコントロールする、いわば司会のようなもので、その進行により祭典の成否が大きく左右されます。氏子の皆様にもご奉仕頂く今回の祭典は、通常の祭典以上に細かな配慮と工夫が必要で、私のような若輩者がうまくできるだろうかと、不安を抱えながらのご奉仕となりました。
浄暗の中で粛々と祭儀が進行され、不慣れな私ではありましたが、他の祭員の方や氏子の皆様のサポートのおかげで、私自身の反省は沢山ありましたが、厳粛な雰囲気の中、大きな混乱もなく無事斎行できました。

・菅原 望 権禰宜(祭員四として警蹕所役を務めました。)「遷座祭」は、社殿の造り替えの際にご祭神をお遷しする祭典のため、神職であっても滅多にご奉仕できるお祭りではありません。また恒例の祭典とは違い、夕刻から始まりご神体をお遷しになる時は暗闇のなかで行なわれ仮殿へとご動座されます。
そのため普段にはない緊張を感じながらのご奉仕となりましたが、祭主の千葉宮司をはじめ神職・関係者皆様の協力のもと、打ち合わせの通り滞りなく斎行され、祭典終了後は安堵の胸を撫で下ろしました。
今回、機会をいただき「遷座祭」のご奉仕に関わることが出来たことに感謝し、今後も熊野神社をはじめ沿岸部被災神社の活動に協力していければと思います。

・橋 泰之 権禰宜(祭員五として後衛役を務めました。) 当日は、天候もさることながら高台ということで海から吹き上げる強風も危惧されていましたが、その影響もなく無事に「遷座祭」が斎行され胸を撫で下ろしました。 祭典中、「遷御の儀」がはじまると、暗闇のなか静寂と僅かな行灯の光だけを頼りにしなければならない状況で緊張と不安が全身を駆け巡りました。粗相があってはならないと目を凝らしながら注意を払い、ご奉仕させていただきました。 今回、滅多に経験できることのない祭典に携わらせていただきまして、関係者の皆様には深く感謝申し上げます。  今後も5月31日には仮移転地への「正遷座祭」をはじめとした、沿岸部被災神社支援に力を入れて活動できればと思います。

・高橋 知生 出仕(祭員六として前導所役を務めました。) 当日はお宮のお掃除やお祭りに必要な準備をし、夕刻から「遷座祭」の習礼を念入りに行ないました。習礼ではまだ明るい状況の中だったのでよかったのですが、夜7時から真っ暗な状況で斎行されると考えると無事ご奉仕できるか不安に思いました。
定刻通り「遷座祭」がはじまり神職は「麻を襷」に掛けて身を清めます。街灯も消え真っ暗で足元が悪い境内を細心の注意を払い足元を確認しながらゆっくりと参進しました。
「遷座祭」が滞りなく斎行され、参列された関係者の方々から安堵の表情が見受けられ、今回初めて「遷座祭」にご奉仕でき貴重な体験が出来たことに感謝という言葉以外考えられない想いでいっぱいとなりました。

 
宮司以下祭員威儀物所役、社務所前より参進
拝殿内に着座し、仮遷座祭開式
宮司祝詞奏上の後、所役列立
遷御の儀がはじまり、浄暗の中進みます
仮殿へと御神体が入御されました
平成26年宮内庁式部職楽部雅楽演奏会に行ってきました

 大崎八幡宮では、祭典・8月の御鎮座記念祭・挙式時など、職員が伶人(演奏者)・巫女が舞人となり、雅楽・舞楽を奉奏しております。皆様もご参拝の折、本殿西側からの楽の調べを耳にされた方も多いのではないでしょうか。
私たちは年間を通し、雅楽・舞のお稽古の機会を設けており、東京から講師をお招きしご教授賜わっております。 日々の研鑽は八幡様への神明奉仕であり、また古くから伝わる日本の伝統の継承でもあります。

 今回、職員2名が宮内庁式部職楽部の雅楽演奏会を観覧してきました。
4月下旬の東京は、初夏の陽気でしたが、風が穏やかに吹き心地よく感じました。大手門から皇居へ入ると小さなミツバチが色とりどりの花を飛び交い、新緑の若葉が鮮やかに出迎えてくれました。八幡宮の境内とは違う新緑の香りに包まれて歩く事20分(!)、会場である宮内庁楽部の建物に着きました。
 会場内は凡そ200席用意されており、舞台の周りには玉砂利が敷き詰められ厳かな雰囲気。目に付くのは左右の大太鼓で、舞楽には実際に使われ迫力を増していました。

 今回、管弦3曲(壱越調音取・蘭陵王・武徳楽)舞楽3曲(承和楽・貴徳・登殿楽)が演奏されました。演奏時の写真撮影は禁止で、残念ながら記録を残す事はできませんでした。しかし宮内庁楽部の方々の演奏の技術のみならず、精神を学ぶ貴重な機会となりました。
                                       (祭儀課 小野目 稲美)

   
二階席から舞台全体を見渡しました。
楽器は、琵琶・箏・鞨鼓・太鼓・鉦鼓 左右には大太鼓があります。
舞台の周りには砂利が敷き詰め
られていました
楽人が着座し、全ての楽器が
揃いました
右舞の「貴徳」は面を付け、舞台を雄大に舞います。

平成26年4月29日昭和祭を執り行ないました


 天地の神にぞ祈る朝凪の 海の如くに波立たぬ世を

 8年(1933年)歌会始に詠まれた昭和天皇御製です。陛下の国民のみならず世界の平和を神に祈る真摯なお気持ちが伝わって参ります。
 昭和15年・皇紀2600年を奉祝し、この御製に作曲振付が行われ、「浦安の舞」として奉納されました。
 この浦安の舞は、大崎八幡宮や全国の神社で奉奏されており、祝日である昭和の日にも奉納されました。 4月29日は昭和天皇の御生誕の日であり、終戦後の我が国の繁栄を築き上げ復興を遂げた昭和天皇の御代を顧み、昭和天皇のご聖徳を景仰し、皇威の隆昌と国運の発展を祈る祭典を執り行ないました。
 「昭和祭」と申しますこの祭典は、神社祭祀で中祭にあたるお祭です。中祭の装束は正絹の白で統一され、新緑萌える境内に厳しく映えておりました。 
                                       (祭儀課 小野目 稲美)

   
境内手水舎南側の祓所にて
お清めの修祓を執り行ないます
宮司一拝により、御祭りは始まります
神饌を伝供(でんく)してお供え致します 浦安の扇舞です
浦安の剣鈴舞です ご神木西側にある遥拝所から
武蔵野御陵を遥拝致しました

沿岸部神社再建事業視察研修旅行(4月18日)

 去る4月18日、当宮が支援活動を行っている沿岸部神社への視察、復興の現状を皆様方の目で確かめて頂きたく今回の復興視察研修旅行を実施しました。
 当宮では皆様方から支援金を募り、沿岸部神社の復興支援を行っておりますが、当視察研修にあたりご寄附を頂いた方々にご案内をさせていただき、今回は36名の参加者がございました。

 先ずは今回の震災で甚大な被害のあった北上川河口の長面地区、大川小学校へ向かい、未だに被災の爪痕が多く残る中、車窓から大川小学校に黙とうをささげ、復興への介助の決意を改めて肝に銘じました。
 次に当研修旅行の主目的の一つである雄勝地区、白銀神社へ向かいました。当日は、白銀神社の春季例祭で、氏子崇敬者により、神輿が氏子区域を御神幸し、仮設舞台に奉安され獅子舞が披露されました。獅子舞が終わると神事が始まりました。神職による「湯立て神事」も行われました。その後、国の重要文化財雄勝法印神楽の演目「初矢(しょや)」「四天(してん)」「岩戸開き(いわとびらき)」「五矢(ごや)」を鑑賞致しました。
 午後3時には帰路につき、復興事業で境内地を削り取られる女川町熊野神社を車窓から見学しました。
熊野神社は過去の移転時に、山を切り崩し造成させた場所に鎮座し、石段を200段も登る高台にありましたが、今回の震災で被災を免れたことから、女川町の行政の中核地に選ばれ、移転を余儀なくされました。
またこの度の町内開発により同様の事情で移転再建を余儀なくされた神社ですが、震災復興事業の計画の中、再び移転をせまられ、3〜5年後に再建される予定です。

 熊野神社春季例祭直後の5月4日には仮遷座祭が行われ、その後御社殿の解体を行う予定です。 そして最後にマリンパル女川おさかな市場に行き、女川湾の豊かな海産物を参加された皆様は買わせていき、無事に予定通りの18時に当宮に到着しました。
 今回の研修旅行は現地の復興具合を確認する意味で研修致しましたが、その足取りはまだまだだというのが正直な感想でした。当宮では引き続き支援金を募集致しますので、皆様方のご厚志を宜しくお願い致します。                     (齋藤 優佳)

     
出発式〜修祓〜 白銀(しろがね)神社へ
参拝しに行きました
神輿渡御 みな威勢よく担いでます 玉串拝礼
最初の演目「初矢(しょや)」 次の演目「四天(してん)」
「岩戸開き(いわとびらき)」 「五矢(ごや)」
最後にマリンパル女川 おさかな市場でお買い物

御社殿畳替え作業

 平成16年に大規模な保存修理事業が終了し、それから10年経った今般、拝殿の「畳表」を新しくしました。
 畳をはがすとすごく汚れていて黒漆塗の床の掃除がとても大変でした。
 新しい畳はとても新鮮で「畳表」のい草の匂いが社殿中に広がり、「畳の色って緑色だったんだ。」と改めて驚きました。
 御社殿が「国宝」に指定されている当宮では毎年、「管理事業(修理・防災)」に対する助成制度を活用し、消防設備の保存点検や建物の維持管理に必要な小修理(漆塗補修工事)などを行い豪壮華麗な御社殿の維持管理を行ってきましたが、今年度はそれら加えて拝殿中央部分の「畳の衣替」を実施しました。                    (相澤 奈那)

   
畳を換える前の拝殿の畳
畳を運んでいます 畳の跡が残っています
掃除を終えとても綺麗になりました
取り換えた畳は緑色でいい匂いがしました
畳紋緑「大紋様」
紋様を合わせて縫い上げます
鉄魚のお引っ越し(3月17日)

 去る3月17日(月)、鉄魚が祈願控所から西廻廊にお引っ越しをしました。西廻廊は普段、楽天やベガルタの必勝絵馬が置いてあります。お正月の時期になると授与所として機能させるため、廻廊の物はすべて祈願控所に移動されますが、鉄魚の水槽も祈願受付の隣に移動していました。
 お正月も終わり、暖かい日差しが照るようになった今日この頃、元の西廻廊にお引っ越しをすることになりました。水槽がとても大きいため、移動はフォークリフトを使います。水槽の水を半分ほど抜き、鉄魚たちを別の水槽に移してから二人がかりで移動させました。

   
大規模な引っ越しで鉄魚たちもびっくり
竹で作った日除けを設置 のんびり泳ぐ身体もヒレも大きな鉄魚

 現在9匹の鉄魚が西廻廊の水槽で元気に泳いでいます。午前9時、午後5時が食事の時間です。小さな口をパクパクと一生懸命開けて食べる鉄魚たちをぜひ見にいらしてください。

 
色とりどりの鉄魚たちが待ってます

                                                 (馬塲愛)

   
第六十二回伊勢神宮式年遷宮奉賛会仙台支部解散式が行われました(3月27日)

昨年の10月2日、伊勢神宮において式年遷宮が執り行なわれました。
日本国の御祖神であられる天照大御神の御神威の常若と永続性を象徴する遷宮が、「国民総奉賛」の理念の基、皆様からの御寄付・御奉賛によって遷宮が無事行われました。
大崎八幡宮では県内外の方から多大な御奉賛を頂き、また所属する仙台支部においても、管轄神社・氏子・崇敬者が心を一つに遷宮のために努めて参りました。
20年に一度の遷宮を迎えるにあたり、仙台支部の奉賛会は平成19年、6年前に結成されました。途中、東日本大震災により会維持が危うい時期を乗り越えられた事は、大神様のご加護のみならず、皆様の篤い崇敬心の賜物としか言いようがありません。
皆様のご尽力により、国家の重儀である遷宮が行なわれたこと、改めて感謝申し上げます。 古儀に則れば、国費で補われるべき遷宮ではありますが、国民一人一人の御奉賛で式年遷宮に携われた事は、神宮を通して日本の歴史・伝統文化を感じ、ひいては神との一体感を得られたのではないでしょうか。
今回、式年遷宮奉賛会仙台支部は平成26年3月27日に当初の目標を上回る実績を上申する事ができ、解散式が行われました。しかし、次の遷宮に向けての第一歩も同時に始まりました。20年後に行われる式年遷宮に向けての準備に、早すぎるという事はございません。
1300年以上続くこの伝統を皆様とまたお迎えできる日を待ち遠しく感じております。
                                       (祭儀課 小野目 稲美)

 
護国神社参集殿にて開式いたしました 奉賛会仙台支部長の相沢光哉氏
奉納者代表
(株)七十七銀行代表取締役員副頭取
永山勝教氏へ感謝状が贈呈されました
会場が一体となり、萬歳奉唱致しました

東北楽天ゴールデンイーグルス必勝祈願祭が執り行われました(3月25日)

春の心地よい日差しが木々の間から差し込む3月25日(火)、当宮にて必勝祈願祭が執り行われました。
境内にはファンの方々が集まり、時に黄色い歓声を上げながら本殿へと進む選手たちを見送っておりました。
日本一の覇者は威風堂々とした面持ちでご神前に集い、星野監督・立花社長を始め、コーチ・選手等およそ70名の参列となり、言わずもがな間近に控えた開幕戦への闘志を沸き立たせながらも、御神威を恭しく頂戴されておりました。
去年に引き続き、東北楽天ゴールデンイーグルスのリーグ優勝・日本一へと勝ち進み、東北の希望の礎となって頂くようご祈念致します。                 (小野目 稲美)

   
約100段ある階段を息を乱さず進みます 隙間なくサインを頂きました
釜田選手のギブスにメッセージ? 信忍の文字は星野監督に
揮毫して頂きました
本殿にてお清めのお祓いを受けています 一同揃っての玉串拝礼は圧巻です

東日本大震災慰霊祭並びに復興祈願祭(3月9日)

 3月9日(日)女川町総合体育館にて、兵庫県神社庁神戸支部主催の東日本大震災慰霊祭並びに復興祈願祭が斎行され、当宮から宮司以下職員5名がお手伝いに行って参りました。
 前日の8日、神戸支部の皆様と一緒に高台の上にある女川町立病院の慰霊碑の前で黙祷を捧げ、犠牲者の御冥福をお祈りした後、津波によって御社殿を流失した為、現在は仮社殿となっている白山神社を参拝致しました。
 慰霊祭が行われた体育館は約150名の人でいっぱいになり、黙祷を捧げた後に復興祈願の祝詞奏上、巫女による「豊栄の舞」、玉串拝礼などが執り行われました。
 その後はボランティアの方々による炊き出しが行われ、神戸名物の「そばめし」や「かす汁」、つきたてのお餅の入った「白味噌雑煮」などが振る舞われ、訪れた人達は遠方の神戸からの支援に感謝し、美味しそうにほおばっておりました。

 東日本大震災から3年が経過し、被災地への思いや関心が薄れてくるのではないかと危惧しておりましたが、今回のように神戸から慰霊祭・復興祈願祭を行うためにやってきてくれた事に感謝しております。市街地では復興が進み、震災前の姿を取り戻しつつありますが、津波で被害を受けた沿岸部では錆びた車や横倒しになった建物が道路脇に震災当時のまま残っておりました。 沿岸部で震災前の生活を取り戻すにはまだ時間を要するとは思いますが、被災地復興の為にも今後ますますのお力添えを頂ければ幸いです。
                                              (日下 瑞季)

   
慰霊碑の前で黙祷を捧げます 病院の柱には津波の高さが示されてます
仮社殿の後ろは高台移転の為の造成工事が行われており
緑の山が削られておりました
神戸支部の方々と一緒に準備を進めていきます
体育館は参列の方でいっぱいになりました
「そばめし」「かす汁」「白味噌雑煮」が振る舞われました
最後に神戸支部の皆様と記念撮影
「松焚祭の懇談会」が行われました(2月11日)

 去る2月11日恒例の松焚祭連絡協議会慰労懇談会が江陽グランドホテルにて開催されました。参加者は松焚祭連絡協議会に加盟している関係官庁を始め、地域諸団体、協力業者、大崎八幡宮職方会、そして役員総代、地区世話人、宮司以下職員のおよそ90名の皆様方と共に初詣より松焚祭までの長期に至る正月期間の反省会を懇談会として実施しました。

 開会にあたり、責任役員の川上良雄殿、国見地区町内会会長の千田文彦殿がステージ上で挨拶されました。その後、角新会世話人・仙台市議会議員の西澤啓文殿の乾杯の発声により、開会。
 開始後まもなく、職員による雅楽・洋楽合わせ全4曲の演奏披露が行われました。1曲目は職員5名がそれぞれ笙、篳篥、龍笛、太鼓の4つの楽器を使い平調の越殿樂を披露し、2曲目からの洋楽演奏では仕女2名がピアノとトロンボーンのデュエットを披露しました。
演奏項目は以下の通りです。

  1.雅楽 「越殿樂(えてんらく)」
  2.洋楽 「Moonlight Serenade(ムーンライト セレナーデ)」
  3.     「Everything」
  4.     「上を向いて歩こう」

 最後に、伊勢堂下世話人・仙台市議会議員の岡部恒司様が中締めを行い、懇談会は無事盛大のうちに締めくくられました。                        (一戸 麗姫)

   
川上良雄殿による開会の挨拶 千田文彦殿による開会の挨拶
乾杯! 雅楽 越天樂の演奏
ピアノとトロンボーンのデュエット演奏

紀元祭(2月11日)

 2月11日(火)、紀元祭が齋行されました。紀元祭とは、我ら国が初代天皇である神武天皇により建国された故事を偲び、改めて我が国の発展と降昌を祈る祭典です。
 当日、午前10時にて始まり宮司一拝、神饌(お供え物)を献饌した後は宮司が祝詞を奏上し、巫女2名による扇舞と鈴舞の「浦安の舞」が奉奏され、最後に宮司による玉串拝礼。玉串を神前に捧げ、祭典は齋行されました。
 そして、本殿を出た後は、境内にある遥拝所にて神武天皇をおまつりしている奈良県橿原神宮を遥拝致しました。
 当宮の遥拝所は長床(割拝殿)前の高野槙、樹齢推定400年(仙台市指定保存樹木)の右手に設置してあり、年間の5回の祭典時(紀元祭、昭和祭、新嘗奉祝祭、地久祭、天長祭)の遥拝や、当地から参拝者それぞれの思いを心に込めて遥拝する場として、多くの方々にご利用されております。                            (相澤 奈那)

 
献饌の様子 宮司による祝詞奏上
巫女による「浦安の舞」 遥拝所にて参拝

東日本大震災から間もなく4年目に。

 メディアではもっぱら「東日本大震災より3年。・・・」というフレーズが流れています。
県内沿岸部被災地域を目の当たりにしていると「間もなく4年目を迎える。」といった方が適当かな。と感じる今日この頃です。
 とは言いながら、ここにきてやっと被災した方々の生活基盤となる場、地域毎の「移転地域の造成」や「公営住宅の建設」の目途が立ち、早いところでは引越が始まった地域もあるようですが、その達成率はまだまだという感じがしいいます。

 話が変わりますが、先日「仙台市への住民登録が107万人を超えた。」という報道がありました。 「昨年同時期に比べ24.000人増加した。」との事でしたが、勿論、復興事業への従事している方々も居られると思いますが、その大部分は「福島県を含む被災地域の方々だ。」感じるのは私どもだけでしょうか。 当初より予測されてはいましたが、このままでは被災地域の文化の継承か難しくなってしまうのでしょうか。やはり、仙台市を中心とした都市部への一極集中になるのでしょうか。

 当宮では、仮に止む得ず生まれ育った地域を離れざるを得ない氏子さん達が、せめてお正月や春祭り、鎮守社を中心とした年中行事の時には、それぞれの地域を思い出す事が出来るように「きちっとした鎮守社」の再建が必要になると感じ居りました。
 地域の再生には「絆・共生・寄り添い」等々、いろいろ言われますが、「地域には伝えなければならない文化がある。」「神社神道の原点に戻る必要がある。」、との思いからその都度、支援活動を継続してまいりましたが、いよいよ始まるであろう地域の氏神様「鎮守社再建事業」への支援活動の準備作業をしてまいりました。

 
雄勝町葉山神社再建予定地の造成工事
女川町役場 女川町熊野神社移転計画打合せ
山元町八重垣神社再建打合せの様子
シンポジウムにも参加しています 女川町鷲神浜地区「獅子振り」神楽

今年最初の「神社再建資材」搬入される

 去る1月27日の青森県森林整備事業協同組合の「ヒバ入札会」に応札し、青森ヒバの原木、約70本(約31m3)を落札する事ができ、去る2月11日の仙台では70数年ぶりの降雪の中、大型トラック2台に満載された青森ヒバが当宮製材所に搬入されました。
 これで当宮の青森ヒバの備蓄量が約80m3程となり、早速製材機にかけられ原木の状態を確認することに致しました。その結果次第ですが、ほぼ本格的な御社殿(20坪程度)1棟分の建設用資材の大部分を確保する事が出来ましたが、状況によっては、引き続き資材確保を続けてまいる所存であります。
 この度の「青森ヒバ購入資金」は、氏子崇敬者の方々やご参拝頂いた方々の心のこもった「震災支援金」により購入する事が出来ましたが、建築資材の高騰や諸々の物価上昇、消費税の増額などにより大崎八幡宮、一神社の支援事業としては過大の負担も強いられる事とは思います。
 役員、総代、地区世話人さんのご理解を頂きながら、日々御社頭での神社活動を続けることができる幸せを感じながら、「沿岸部被災地域の再建。」と「宮城県神社界の振興を。」との思いだけで、仙台総鎮守としての責を果たさなければならないと考えており、引き続き皆様方のご支援をお願い申し上げる次第です。

 
当宮製材所に保管の再建用材(青森ヒバ)
外側の樹皮を剥いだ状態の原木
様々な大きさの部材に製材されていきます
用材保管場所確保の為、製材所倉庫裏整地作業

祈年祭斎行(2月17日)

 去る2月17日(日)、五穀豊穣を祈る神事である祈年祭(きねんさい)が齋行されました。
 祈年祭は「としごいのまつり」とも読まれ、奈良時代からの伝統を持ち、穀物とりわけ稲が豊かに実ることを祈る神事です。その伝統は現在も続いており、宮中をはじめ全国の神社で祈年祭が執り行われ、皇室および国家、国民の安泰をお祈りします。祈年祭は「春祭り」とも称され、「秋祭り」新嘗祭(にいなめさい)と併せて日本を象徴する祭祀です。
 午前10時より執り行われた神事には、この春から仕女として奉職予定の山さんが参列し、宮司による祝詞奏上、御神楽「浦安の舞」に続いて玉串拝礼を行い、祭典は無事に齋行されました。
 祭典で奉仕をした、奉職1年目の相澤仕女に本装束を着ての感想を求めたところ、「いつもの祭典とは違い、桃単・袴・袙・小忌衣・裳といった装束を着付けるのは難しく、舞を舞うときも足さばきが重要でした。綺麗な本装束に身を包まれ、後輩の山さんにも先輩としての舞を見せられてよかったです。
これからは先輩方のように綺麗な舞を舞えるよう、練習に気合を入れて頑張っていこうと思いました。」 と語ってくれました。今後ますますの成長が楽しみですね。    (日下 瑞季)

   
大麻、塩湯でお祓いをします
献饌 祝詞奏上
御神楽「浦安の舞」
祭員玉串拝礼 山さんも玉串拝礼をおこないました
十二単のようの本装束を身にまとった
相澤仕女(左)と先輩の齋藤仕女(右)

月次祭を執り行ないました(2月15日)

 前日深夜からの雪がしんしんと降り積む二月十五日、毎月の祭典「月次祭(つきなみさい)」が執り行われました。
 どんな大雪に見舞われても、早朝ついたであろうお参りの足跡は、厳かで、感慨深くあります。
 境内を覆いかぶさるように降った雪は様々な音を吸収し、「在る」という感覚を研ぎ澄ませてくれます。雪の静寂に満ちた境内では、粛々と祭典が執り行なわれました。
                                        (祭儀課 小野目 稲美)

 
雪道を進む参進の音だけが聞こえます 雪の反射で、本殿がより鮮やかに
映えます
冷気漂う本殿で
厳かに舞が奉納されました
長床から末社を遥拝いたしました

「建国記念の日を祝う宮城県民大会」に参加いたしました(2月11日)

 去る2月11日(火)、江陽グランドホテルにて「第48回建国記念を祝う宮城県民大会」が行われ、役員総代地区世話人さん11名と宮司以下職員3名が参加いたしました。
「建国記念の日」は『建国をしのび、国を愛する心を養う』という趣旨の下、法律で設けられた国民の祝日です。
 午後1時から行われた第一部では、記念式典として石川光次郎実行委員長の開会の挨拶から始まり、国歌斉唱、紀元節合唱をした後、ステージ上の中央に掲げられた国旗を通じ、奈良県橿原市に鎮座している橿原神宮を遥拝しました。
 その後、安藤俊威大会長の式辞、村井県知事と奥山市長による祝辞、祝電披露、最後に聖寿万歳を行い今日を祝いました。
 午後2時からの第二部では、シンガーソングライターの熊谷育美さんによる震災復興の祈りを込めたコンサートが行われました。
 午後2時30分からの第三部では余興が行われ、緑ヶ丘第二幼稚園の園児によるすずめ踊りとダンスや、竹駒保育園の園児による竹駒よさこいの演技が披露されました。
 園児たちの一生懸命で可憐な演技に、会場から大きな拍手が起こり、無事に式典を執り行いました。                                      (一戸 麗姫)

橿原神宮遥拝 村井県知事による祝辞
奥山市長による祝辞 園児たちによるダンス
園児たちによるすずめ踊り

仙台ロイヤルパークホテル神殿例祭斎行(2月6日)

去る2月6日(木)、仙台ロイヤルパークホテル内の神殿にて年に一度の神殿例祭が斎行されました。
 平成7年2月28日、八幡さまの御分霊を御遷しする遷座祭が執り行われてより、毎年この時期に執り行っている神殿例祭は今年も無事に斎行致しました。
 神事は午後2時より宮司一拝から始まり、神前に神饌をお供えし、宮司による祝詞にて仙台ロイヤルパークホテルの社運隆昌と社員一同のご健康をご祈念致しました。その後、巫女による「萬代の舞」を奉奏し、続いて宮司・祭員による玉串拝礼を行い、ご参列頂きました皆様にもご代表に合わせご同拝頂きました。
 最後に神酒拝戴、宮司の挨拶の後にお神酒を受けられ、滞りなく本年の神殿例祭が斎行されました。                                       (齋藤 優佳)

参列者の皆様にお清めのお祓いをします 御神前に神饌をお供えします
宮司による祝詞奏上 大崎八幡宮『萬代の舞』
宮司・祭員に続いて社長様・各課の御代表
に合わせて玉串拝礼をします
最後に宮司よりご挨拶

節分祭齋行(2月3日)

 立春前日の2月3日、厄を祓い新春を迎える神事、節分祭が執り行われました。
 午後3時からの祭典は、裃を身に着けた約70名の方に御参列頂き、御社殿にて宮司による祝詞奏上、鳴弦式、巫女による「萬代の舞」奉奏、振り鈴の儀、宮司・祭員による玉串拝礼の後、参列者代表による玉串拝礼が行われ、神事は厳粛に齋行されました。
 祭典の中で行われる「鳴弦式(めいげんしき)」とは、神職が弓と鏑矢を用いて東西に向けて三度ずつ弓を引いて弦を鳴らし、その音で鬼を追い払うというものです。これは、古代中国の儀式に倣ったもので、この弓は古くは桃の木が使用されており、桃は「桃太郎」の話からも分かるように鬼が最も嫌がるものとされていたようです。

 この「節分」という行事は中国から日本に伝来し、当初は大儺(たいな)と呼ばれておりました。 大儺は、儺人(なひと)と呼ばれる役目の者が、方相氏(ほうそうし)という鬼のような仮面を付け、桃の弓・葦の矢・戈(ほこ)といった武具を持ち、「鬼やらう」と歓呼しながら目に見えぬ鬼を追うものでしたが、やがて大儺から追儺(ついな)へと名称が変わるにつれて、本来は鬼を追う儺人が、鬼のような仮面を付けていたため、逆に目に見える鬼として豆を撒かれ、追われるようになったそうです。
 そして、この豆を撒くときに一般的には「福は内、鬼は外」と繰り返し唱えますが、当宮の場合はこの唱え言葉の後「天打ち、地打ち、四方打ち、鬼の目ん玉ぶっつぶせー」と続きます。これは仙台に昔から伝わる口上で、なぜそのように唱えるようになったのかは不明ですが、当宮の節分祭が始まった昭和23年頃より言われ続けてきたようです。

 御社殿前での豆撒きの後、馬場特設舞台にて豆やあんぱん、ボールなどの福物が撒かれ、集まった参拝者の方々にお福分けを致しました。
 撒いた豆を自分の歳の数だけ食べると一年間無病息災である、という意識が浸透していることからもわかるように、人々の願いが強く込められているからこそ、「節分」という行事が今日まで続けられているのではないでしょうか。               (日下 瑞季)

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社殿前には青鬼、赤鬼の姿が 裃を着てご参列いただきます
神饌とお札をお供えします 宮司による祝詞奏上
鳴弦式 萬代の舞
社殿前での豆撒きの後、馬場特設舞台にて福物撒豆式を行いました
年末年始慰労会を開催しました(1月29日)

 去る1月29日(水)午後6時半より、年末年始職員慰労会に併せて、2月5日(水)より約一ヶ月間、神職養成講習会【権正階】に出向する高橋雇の壮行会を行いました。
 この会には宮司以下職員と、高橋雇とともに前回の講習会【直階】にてご一緒した中田神社の勅使河原さんをお招きし、高橋雇に激励の言葉を掛けて頂きました。
 一次会のお食事ではしゃぶしゃぶに舌鼓を打ち、二次会のカラオケでは各々振り付けを踊りながら歌ったり、合いの手を入れるなど大いに盛り上がりました。

 
美味しいお肉に皆夢中でした
二次会のカラオケは様々なジャンルの曲が流れました

高橋雇は一ヶ月の講習会後、指定神社にて一ヶ月実習の後に神社本庁より権正階の資格が与えられます。 高橋雇の今後の活躍が期待されます。            (日野 美咲)


責任役員・総代新年会(1月27日)

 去る1月27日、責任役員・総代による新年会を開催致しました。
 本年は、当宮総代の一人であり、ホシヤマインターナショナル(株)専務取締役でもある、星山己知郎氏がプロデュースしたお店「華(はな)の縁(えん)」にて行いました。当日は11名が参加され、正月・松焚祭の反省また、来年への取り組みについて協議され、その後はご自慢の懐石料理を堪能致しました。
 星山総代によれば、“縁という一席をより華やかなおもてなしにてお出迎えしたい”という想いからお店は誕生したそうです。また、予算に応じてさまざまな料理を提供してくれるとのことで、役員総代さんも大変満足されているご様子でした。

〜華の縁〜 新年会の様子

「第60回文化財防火デー」消防訓練を実施いたしました。(1月26日)

 文化財防火デーの制定は、昭和24年1月26日に、現存する世界最古の木造建造物である法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂が炎上し、壁画が焼損したことを契機としています。この教訓から文化財を災害から守る事を目的として、文化庁及び消防庁の主唱により、1月26日を「文化財防火デー」と定め、本年も全国的に文化財防火運動が展開されました。
 当宮においても、緊迫感のあふれる本番さながらの消防訓練を行いました。
 当宮の文化財は国宝の社殿が注目されがちですが、県の文化財である「二之鳥居」を初めとして、境内各所に様々な文化財を見ることができます。当宮にお越しの際は是非、境内を散策してみてください。

開会式 バケツリレーによる消火訓練
参拝者の安全確認後の「御」搬出 社殿への放水訓練
閉会式。本年の感想はいかに 境内西側杉林を火点と想定

大崎八幡宮「大寒禊」齋行(1月20日)

 去る1月20日(月)、東松島市宮戸の月浜において当宮宮司始め、神職・仕女8名、また有志として宮城教育大学教授そしてお正月に社務を助勢してくれた方、合わせて3名の方とともに、「大寒禊」を齋行致しました。
 禊は、伊佐那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国にいる妻の伊佐那美命(いざなみのみこと)の元へといった後に、死者の国である黄泉の国で受けた穢れを祓うため、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓をしたことから始まっています。その禊祓では多くの神々がお生まれになり、最後に目を濯(そそ)いだとき天照大神が誕生されました。
 現在、神社本庁が定める禊行法では、実際に水を浴びて身を清める前に、鳥船行事、雄健(おたけび)行事、雄詰(おころび)行事、気吹(いぶき)行事を行います。

砂浜に斎竹を立てて注連縄を張り、禊祓場を作りました

鳥船行事

第一段左足を前に踏み出し、両手を握り前に突き出し、船を漕ぐように引き寄せる。前に突き出すときに「イーエッ」、引き寄せたときに「エーイッ」と唱える。
第二段 第一弾と同じく、舟を漕ぐように前後に身体を動かす。前に突き出すときに「エーイッ」、引き寄せたときに「ホ」と唱える。
第三段 第一弾と同じく、舟を漕ぐように前後に身体を動かす。前に突き出すときに「エーイッ」、引き寄せたときに「サ」と唱える。


 
「サ」 「エーィッ」
寒さを吹き飛ばすように身体を動かします。
雄健行事

足を肩幅に開き、両手を腰に当てて、道彦(先導)の発声に続き、「生(いく)魂(たま)・足(たる)魂(たま)・玉留魂(たまたまるたま)」と唱える。

雄詰行事

左足を前に踏み出し、左手は腰に当てて、右手で剣の形を作る。右手を眉間に当てて、「国常立命(くにのとこたちのみこと)」と叫ぶ。「イーエッ」の気合とともに右手を斜め左に切りおろし、両足を合わせる。「エーィッ」の気合とともに右手、右足を戻す。(3回繰り返す)

「イーエッ」
目の前を祓うように切ります。
気吹行事
両手を広げて足を肩幅に開き、身体全体を使って深呼吸(3回繰り返す)
身体を動かした後は深呼吸をして呼吸を整え、精神を集中させます。

 各行事の後はいよいよ禊を行います。男性はふんどし、女性は白衣を着ます。冷たい水が身に沁みます。伊佐那岐命の禊は海中で行ったとされ、水と塩をもって穢れを除いたそうです。大崎八幡宮の禊も命と同じく海での禊です。知らず知らずのうちに身に付いてしまった穢れを祓い、今年も一年、神明奉仕を行います。

禊の後は火にあたって、温まりました。
朝日が昇ります。雲がかかっていてあまり見えませんでしたが、太陽の光が
温かく照らし、心と体に充足感が湧きあがってきます。

                                              (馬塲愛)


松焚祭(1月14日)

 当宮の松焚祭は三百年の歴史を有す全国でも最大級の正月送りの行事で、この松焚祭は“どんと焼き”とも言われており、小正月神事の一つであります。
 斎場には参拝者により納められ山のように積まれた古神札やお正月様、しめ飾りや松飾等は、去る1月1日の歳旦祭にて採火された忌火により点火され、お正月の間に各家々に訪れていた神様を送る「御神火」として、この火にあたると心身が清められ、一年間無病息災であると言われております。

 今年は平日の斎行ということもあり、非常にゆっくりとした人手となりましたが、点火式間近になると、それを待っていたかのように多くの参拝者が境内を埋め尽くし、古神札を山の中に納めておりました。
その境内の賑わいは深夜まで続き、成人の日移行後の平日斎行としては、過去最高を数える参拝者数となりました。
 「御神火」を目指して参拝する「裸参り」は、123団体3,441人の参加があり、毎年、企業・団体の皆様、個人で参加される方もおり、市内各所より晒を巻き、白鉢巻を身につけ、口には私語を慎む為の「含み紙」をくわえ、鐘を鳴らしながら歩いてくるさまは、仙台の冬の風物詩として全国に知られております。

大きな古神札の山に忌火が入ると、天高く燃え上がりました

*今年の松焚祭の参拝者数は87,545人となりました。
                                              (日野 美咲)


伝播八幡井組雀踊り奉納演舞(1月5日)

 1月初めの日曜日ということもあり、多くの参拝者で賑う中、本殿前にて伝播八幡井組雀踊り保存会の会員による年始めの“奉納演舞”がありました。お囃子や演舞している子供たちの元気な掛け声が響き渡りました。

晴天の中奉納演舞が行われました 演舞後にぱちりと記念撮影

ボーイスカウトの餅つき大会が行なわれました(1月4日)

 去る1月4日(土)、三が日を終えてもまだまだ沢山の参拝者で賑う中、境内の広場にてボーイスカウト仙台27団の新年式が行われました。始めに育成会会長である当宮の宮司より挨拶があり、団員の子供たちは真剣に耳を傾けていました。その後、本殿にて新年祈願を受け、恒例の餅つきを行ないました。
 ボーイスカウトの団員はもちろん、参拝者の方もご自由に参加する事が出来、大きな釜で蒸したもち米を交代しながら餅つきが行なわれ、ついたお餅は「あんこ」「きなこ」「納豆」の三種類の味付けがなされ、東日本大震災のチャリティー募金にて振舞われ、今年もあっという間になくなりました。

恒例の餅つき大会 沢山の方が集まりました

元始祭(1月3日)

 元始祭(げんしさい)の起源は明治3年に神祇(じんぎ)官八神殿に八神、天神地祇(てんじんちぎ)、歴代皇霊を鎮祭したのに始まり、明治維新後は、1月3日に天皇陛下が御自ら宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)において皇位の元始、始原をお祝いする祭典を御奉仕されており、併せて全国各地の神社にて行われております。
 当宮においても、当日午前9時より本殿にて役員総代さんが参列する中、厳粛に執り行われました。

役員・総代による玉串拝礼 祭典終了後に記念撮影を行ないました

*今年の初詣の参拝者数は、三が日合計で147,606人となりました。
                                              (日野 美咲)


 今年も八幡宮の出来事を随時更新し、ご覧頂いた皆様に少しでも八幡様を身近に感じ、親しみを持って頂けるよう配信して参りますので、ご奉読よろしくお願い致します。


歳旦祭・松焚祭採火式斎行(1月1日)

 当宮において、一年の始めの祭典となる「歳旦祭」。
 「歳旦祭」は、新年を迎えたことをお祝いし、皇室の弥栄とわが国の永遠の繁栄を祈る祭典です。元日の午前8時から本殿にて行なわれた祭典では、宮司による祝詞奏上にて新年を迎えたことを御祝い申し上げ、採火の儀、巫女による「浦安の舞」が奉奏された後、宮司・祭員の玉串拝礼、役員総代の玉串拝礼が行われ、滞りなく厳粛に斎行されました。
 また、祭典の中で行なわれた「採火の儀」は、1月14日に行なわれる松焚祭(どんと祭)のご神火となるもので、宮司の手により火打ち石を用いて切り出された火は「忌火」とも呼ばれ、松焚祭当日まで灯され続けます。

宮司による祝詞奏上 採火の儀
この火は14日まで灯され続けます 巫女による「浦安の舞」
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