御由緒
太元社
太元社には、太元師明王が祀られております。 正確な創健時期は不明ですが、四代藩主・伊達綱村公が太元師明王を本尊とした太元社師明王法の執行を念願としたことが『伊達綱村遺言覚書』に記されており御創健の経緯がうかがえます。当宮所蔵の棟札より享保四年(1719)十月に国介安全と五代藩主・伊達吉村公の武運長久、子孫繁栄を願い建立されたとありますが、元禄十一年(1698)の古図には拝殿前西側に太元堂の記載があることから、それ以前と推定されます。創健当時は仏像として祀られ、明治時代の神仏分離により現在の場所に遷されました。
現在の御社殿は、境内社として昭和五十六年八月に竣工したもので、太元師明王を御神像としてお祀りし、毎年八月一日には太元社例祭が執り行われます。
例祭当日は御扉が開かれ、御神像としてお祀りさ得ている「太元師明王」をお参りする事が出来ます。
御神徳
御祭神の太元師明王は古来、鎮護国家・外敵降伏などのお力があるとされ、戦の折には太元師明王法という加持祈祷を行い多くの崇敬を集めておりました。
現在では、邪気を払い福を招くとして全国的に篤い崇敬を頂いております。
諏訪社
寛永期(1624~44)に信濃国(長野県)一之宮諏訪大社より分祀されたものと伝えられます。御祭神は「建御名方神(たけみなかたのかみ)」で水の守護神又生命の根源を司る神として崇められています。出雲大社の主祭神、大国主神の御子で、剛力をもって知られた武神として武田信玄をはじめとする甲信地方の戦国大名に篤く崇敬されていました。
鹿島社
常陸国(茨城県)一之宮の鹿島神宮より分祀されたと伝わっていますが、鎮座の由緒、年月日は不明です。御祭神は「武甕槌神」で、武道の祖神、決断力の神として仰がれると共に縁結び、安産又交通安全等の御神徳があります。
北辰社
ご鎮座の由緒等々は不祥ですが、寛政期(1789~1801)にはお祀りされており、御祭神「天御中主神」は天地を創造した大自然を司る神と崇められています。北辰とは北極星を意味し、天空の中央にある事から転じて皇居、又は皇室を指すともいわれています。
稲荷社
詳細は不明ですが、稲荷信仰が隆盛を極めた昭和五十五年、北辰社再建にあたり京都の伏見稲荷大社の御分霊を北辰社相殿の神(北辰稲荷神社)としてお祀りされていました。令和三年に名称を改め、稲荷社として祀られました。
龍神社
当宮境内を流れる四ツ谷用水の畔に祀られていたもので、昭和五十八年に移築された社です。新潟県長岡市の金峰神社の御分霊を分祀したものと伝えられ、雨を降らせ雨水を司る神、また海上安全の神としても崇敬されています。
金刀比羅社
昭和五十四年に仙台市内の篤志崇敬者により勧請された社で、讃岐国(香川県)一之宮金刀比羅宮より分祀さました。御祭神は大物主神です。古くから海上守護、航海安全の神として崇敬が篤く、また商売繁盛、病気平癒の神様として信仰されています。