紀元祭を執り行いました

平成31年2月11日

去る2月11日、紀元祭を執り行いました。

この日は「建国記念の日」として祝日となっていますが、戦前は「紀元節」という名前で、国民に広く親しまれていました。その由来は、遥か昔にまで遡り、初代天皇である神武天皇の御即位の日(紀元前660年2月11日)が“日本国 建国記念の日”となっております。

献饌(日本国誕生と神武天皇の御即位を祝う膳ともいうべき、餅を含めた10台の神饌がお供えされます)
宮司 祝詞奏上(今後の日本国の繁栄、世界との共存共栄を祈り奏上されました)
御神楽 浦安の舞
皇紀2600年の奉祝に伴い新たに作られた舞で、昭和天皇御製「天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」 という我が国と世界が平安であるように祈るという内容の歌詞に合わせ舞が奉仕されます

現在、わが国では、和暦・西暦が一般的には使用されていますが、西暦がイエスキリストの誕生を始まりとして数えられているのに対し、同じように“あることを始まりとして数えられている暦”があります。それは、神武天皇の御即位の日を元旦として数える「皇紀(こうき)」です。今年は、皇紀2679年となり、これが日本国の年齢とも言えるでしょう。

この御即位に関しては日本書紀に書かれております。しかし、日本書紀が編纂された時代と現在では暦法が異なっており、それを解き明かしたのは、江戸時代の神道学者・渋川春海(しぶかわ はるみ)です。この人物が編纂した「日本長暦」という書物に基づいて西暦に当てはめ直したものが、現在いわれる紀元前660年2月11日という日にちなのです。

ちなみに、渋川春海という人物は天文学者であり、その一面は、2012年に「小説 天地明察」が映画化されてもおり、こちらもご覧になると当時の暦に対しての考え方など理解が深まるものと思います。

祭儀課 石井

2月3日節分祭を斎行いたしました

平成31年2月3日

平成31年2月3日、本年は節分の日が日曜日に当たりまして、例年執り行っております一番町4丁目商店街振興組合の節分祭も節分祭祭典と日取りが重なり、こちらは午後零時半より宮司、石井権禰宜により奉仕されました。

神事には伊達武将隊の参列もあり、その後一番町のメイン通りを山車に乗り豆撒きで行進しました。

恒例の行事は人出も多く、壮観で賑いを見せました。

さて、当宮においての節分祭は午後3時より、宮司以下6名の奉仕員により斎行されました。

祭典中、宮司祝詞奏上の後、鳴弦式(めいげんしき)が執り行われましたのは、衣冠正服を着装した神職が、東西に向けて三度ずつ弓を引いて弦を鳴らし、鬼を払う神事です。

引き続き御神楽、萬代(よろずよ)の舞が奉奏され、

続いて振り鈴の儀が執り行われて参列者がお清めされました。

参列者玉串奉奠拝礼では川上責任役員他、年男、年女も加わって10名ほどが代表で拝礼され、神事の参列は80名ほどおられました。

参列の方は全員裃を着装され、撒豆式(さんとうしき)に参加されます。

御社殿前の撒豆式は無病息災を願う豆を求めてご参拝者が賑いました。

引き続き、馬場特設祭場にて、福物撒豆式が執り行われ、こちらも盛況でした。

「福は内、福は内、鬼は外、鬼は外、天打ち、地打ち、四方打ち、鬼の目ん玉ぶっつぶせー」とかけ声が掛けられて撒かれる当宮の習わしです。

当宮の節分祭では、福物としてお菓子や大当たり景品の他、ボールやあんぱんも投げられますが、これは昭和33年、戦後間もない頃から執り行われていた際の、「こども達に野球ボールの一つでも配れれば」という創始当時の方々の思いが引き継がれているものです。

節分とは、雑節の一つで立春の前日に当たり、立春正月を原点とする易の暦の読み解きに従っても、節分の日は大晦日に当たることを意味し、鬼やらいは大祓でもあります。

長かった冬が暦の上では春を迎えて終わり、魔(ま)を滅(め)すると云われますように、豆の力で鬼を払って新年を迎えます。

このため、いわゆる厄祓いはこの前後に行うことが本義とされていました。

平成31年己亥(つちのとゐ)歳が幕を開けました。

やがて迎える春とともに、ご参拝お待ちいたしております。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。