二十四節気

太陰太陽暦(いわゆる旧暦)では、月の朔望をもって月日を数えるために、暦の上の日附と実際の季節とがずれる。そこで、一太陽年を二十四等分した二十四節気を用いて、正しい季節を教えた。二十四節気は二至二分(冬至・夏至・春分・秋分)のそれぞれの中間点を立春・立夏・立秋・立冬と定め、これを四立とし、春夏秋冬の始めとする。二至二分と四立とを合わせて八節という。
八節を各三分するとそれぞれ約十五日となり、これが二十四節気である。二十四節気は正月節立春から始り、節(気)と中(気)とが交互に配される。暦法上では各月は必ずその月の中気(例えば正月は雨水)を含むものとされ、もし中気を含まない月が生じると、その月を閏月とした。
天保暦(一八四四年)以降は太陽の黄経上の位置が0度にある時を春分とし、以後十五度進むごとに一気を進めるようになったが、地球の公転が惰円軌道によるため、節気の間隔は同一ではなくなった。

土用

五行説による暦注の一つで、土気の旺んな時期であるとされ、古くは土王用事、土旺用事と書かれた。五行説によれば、春は木・夏は火・秋は金・冬は水の気が司さどり、四季の最後の約十八日間は土の気が配される。土用の期間には土を犯したり、殺生することを忌む。土用は一年に四回、合計七十二日あるが、酷暑の頃に当る夏の土用が最も印象的であるため、土用というと夏だけと思われていることが多い。

〔土用の間日〕
春の土用 巳・午・酉の日 夏の土用 卯・辰・申の日
秋の土用   未・酉・亥の日   冬の土用   寅・卯・巳の日

入梅

梅の実が黄ばみ、梅雨に入る頃を示す。暦には夏至の約十日前を入梅とするが、実際の梅雨入りは、年により、また地方によって異なる。

節分

四季の変り目が節分である。立春の前日は二十四節による旧年から新年への変り目であるところから、最も重視された。この日、邪気を除き福を迎えるため、豆を打って追儺(ついな)が行われる。

八十八夜

立春から八十八日目に当り、さまざまな農事の目安とされる。この頃から霜が降らなくなる地方が多いが、遅霜の被害のあることもある。

半夏生

はんげしょうは、半夏という毒草が生える多湿で不順な頃とされ、天から毒の雨が降るという俗説がある。田植の最終期とされ、これ以後にならないように注意された。

二百十日

立春から二百十日目で、九月一日に当ることが多い。台風が来襲することの多くなる時期で、十日後の二百二十日とともに厄日とされる。

彼岸

春分・秋分を中日とする前後各三日の七日間を指す。この頃、太陽は真東から昇り、真西に沈むが、それは西方極楽浄土の方角とされ、法会や墓参など先祖の供養が行われる。

社日

春分、秋分に最も近い戊(つちのえ)の日で、神社に詣でて春社には五穀の豊熟を祈り、秋社にはその成熟を感謝する。

選日

甲子(きのえね)

六十干支の第一番目の甲子の日は大国天の縁日で、この日、各地の大国天を祀る社寺で、甲子祭が催される。甲子の日は一年に六、七回巡って来るが、建子月の十一月の甲子祭が最も盛んで、甲子待と称し大豆・黒豆・二股大根を食膳に供し、深夜子の刻まで起きて祭った。

己巳(つちのとみ)

六十干支の第六番目の己巳の日は弁財天の縁日で巳待といい、この日弁財天を祭れば、蓄財・学芸・農産等に福をもたらすという。年間六、七回。

庚申(かのえさる)

六十干支の第五十七番目の庚申の日に猿田彦大神または青面金剛神を祭る。庚申の祭は古くは夜を徹して行われたので、庚申待と呼ばれた。甲子祭と同じく、年間六、七回巡って来る。起源は中国の道教で、人の体内に居る三尸(さんし)という虫が、庚申の夜に寝ている間に天に昇り、天帝にその人の悪事を告げ、寿命を縮ませるとされたことによる。なお、三匹の猿は神使である。

八専(はっせん)

六十干支のうち、壬子から癸亥までの十二日間をいう。このうち癸丑・丙辰・戊午・壬戌の四日を間日(まび)として、これを除くと、残りの八日間は十干と十二支の五行が同じで、干支が同気となる。同気が連続しているため天地がもうろうとして、天気が悪くなるという。八専の入りの日を八専太郎といい、この日に雨が降れば、八専の期間中雨が降らない上天気だという。

十方暮(十方ぐれ)

六十干支の中、甲申より癸巳までの十日間は、丙戌と乙丑の二日を除き干と支が相剋の関係にあるため、天地及び八方が閉塞する。これを十方暮という。十方暮は何事も成就しない凶日とされている。

天一天上

天一神または中神といわれる十二神将の主将が、癸巳の日から戊申の日に至る十六日間天に昇っている期間を天一天上と呼ぶ。この期間はどの方角にも天一神の災厄を受けない。天一神は己酉の日から四十四日間は、東北から時計廻りに、四方四隅を六日乃至五日づつ遊行する。

天赦(てんしゃ)

最上の吉日とされ、春は戊寅、夏は甲午、秋は戊申、冬は甲子をこれに当てる。

三隣亡(さんりんぼう)

古くは三輪宝と記されて、造作の吉日であったが、後に三隣亡となって造作を忌む日となった。旧暦時代の官暦には記載されたことはなく、三隣亡が暦に登場したのは明治以降の運勢暦が始めてである。繰り方は、節切りで、正四七十月は亥の日、二五八十一月は寅の日、三六九十二月は午の日である。配当の根拠等は不明である。

三伏(さんぷく)

古代中国以来、暑気の最も盛んな頃で、火気が金気を伏する凶日とされた。今日一般に行われているのは、夏至後第三の庚の日を初伏、第四の庚の日を中伏、立秋後第一の庚の日を末伏とする。「三伏の候」は暑中見舞に用いられる慣用語である。