■23号
鳩の声
当大崎八幡宮では今秋、御社殿保存修理工事の竣功に伴い、去る10月9日より11月8日までの1ヶ月間、御社殿の特別公開が行われました。
期間中は全国津々浦々より大勢の拝観者が訪れましたが、その拝観者の方々の感想として最も多かったのは「こんなにきらびやかな建物が、本当に400年前にあったのか?」という驚きの声だったのです。まばゆいばかりの輝きをみせる御社殿を前に、ご案内役をつとめる八幡宮の鳩一族は「確かにこの姿は、400年前に伊達政宗公がご造営された当時と同じ姿です」と説明するほかありませんでしたが、それでも拝観者は呆気にとられた様子で眺めているばかりでした。
「現代人」である私たちは、当然のことのように今の平成の世が最も「新しい」が故に、歴史上最も「進んでいる」と考えがちですが、どうも現実は少し違うようです。
「文明は波のようなものであり、ある時代では“宗教”が、またある時代には“芸術”“哲学”といった具合にそれぞれ頂点をきわめている。現代は“科学”で頂点に立っているので、他の面ではむしろ過去の時代に遠く及ばないのが現実である。故に文明は進歩しないといえるだろう」―
萩原 朔太朗
「古くひなびた社をみて、これが本来の姿だと思ってはいけない。神を祀る神聖な場所として、荘厳華麗を極めた創建時の姿こそ、古人が思いをこめた社の本来あるべき姿なのである」―
本居 宣長
「現代人」である私たちにとって、修理竣功成った御社殿の姿はまばゆすぎて、「慶長びと」の豊かな感性、表現力にはただ息を呑むほかありません。
「花紅葉 散るあと遠き 木の間より
月は冬こそ 光なりけれ」 細川幽斎
安土桃山時代は、過去の文明を焼き尽くした応仁の乱から戦国の世を経た「文化の冬」の時代となるはずでした。
しかし、明日の命をも知れぬ毎日の中で、人々は却って生気に満ちた力強い文化を生み出したのです。戦国から安土桃山時代を生き抜いた当代一の教養人・細川幽斎の一首にも、過去の「花紅葉」に比べても「今=冬」の月の輝きは天下一だという誇りと自負があふれています。
同じ混乱の世に生きる私たちもまた、来たる平成18年に迎える「御鎮座400年」の佳年に向け、後世に誇るべき「実績」を築くべく、力を尽くして参りたいと思います。
「現代人」としてのおごりを捨て、謙虚に過去の人々の姿勢を学ぶことも必要だと政宗公も御社殿の姿を通して、私たちに語りかけているのではないでしょうか。
八幡宮Q&A
Q:去る十一月十三日に「正遷座祭」が行われたそうですが、どのような内容だったのでしょうか?
A:「正遷座祭」とは、秋まで行われておりました御社殿の保存修理工事に伴い、仮殿にお遷り頂いていた大神様の御神霊を本殿へとお遷しするお祭りで、約四百人のご参列者の中、夕刻より齋行されました。
まず、宮司をはじめ奉仕する祭員(神職)や供奉員(役員総代等関係者)、参列者全員をお祓いし、仮殿にてこれより御神霊をお遷しする旨の祝詞を御神前に奏上した後、消灯された浄闇の中で遷御の儀が執り行われました。
提灯の仄灯りの下で、楯矛弓矢等の威儀物によって前後を警固されながら、御神霊は人の眼に触れぬよう絹垣(白布)で四方を囲まれ、雅楽の音色も清かに、布単という純白の布が薦の上に敷かれた御巡路の上を粛々と本殿へ進んで参りました。
本殿へ到着後、直ちに御神霊は内陣へ奉安されて明かりが点され、大神様へ神饌をお供えし、宮司が無事遷御が執り行われたことをご奉告する旨の祝詞を奏上致しました。次に、宮司以下御参列者代表の皆様が御神前に玉串を奉り、正遷座祭は恙無く齋行されました。その後、御遷座を寿ぎ御神楽が舞われ、境内全体がより一層慶祝の雰囲気に包まれました。
さて、去る秋の特別公開期間中、皆様から多く寄せられましたご質問に、「八幡宮の御神体は何ですか?」というものがございましたが、一般的に御神体とは宮司以外の眼に触れることはありません。ですから、遷御の際も唐櫃という箱に納められ、決して直接眼に触れぬよう厳重を期して行われました。全国には剣や鏡等、神話により伝えられ人々の周知するところとなっている例もありますが、それは稀なことであり、寺院における御本尊の御開帳に類することは殆どないと言えます。
今後、これまで御祈願を齋行しておりました仮殿の解体や周辺の整備作業が行われ、平成十七年初春には以前のように長床から御社殿前まで石畳がつながり、秀麗な御社殿を間近にしてのご参拝が可能となります。
また、来たる平成十八年の御鎮座四百年に向け、境内整備等にも取り組んで参る所存でございますので、何かとご不便をお掛けすることかと存じますが何卒ご了承頂き、引続きご支援賜わりたくお願い申し上げます。