■02号
鳩の声万緑の中や吾子の歯生え初むる
大正の頃の俳人、中村草田男は我が子の成長を喜び上の句を詠んだ。春から初夏にかけて木々の緑が一斉に芽吹き、自然の力強い生命力を目の当たりにしての驚きと、去年生まれた我が子が満一歳を迎えて、大自然と歩調を合わせるように歯が生え揃った、子供の笑顔の中にそれを見いだした喜びを歌にした、草田男の素直な感動が伝わってくる。
この句は私の中学の頃の国語の教科書に載っていたものであるが、いまでも覚えているのはこの句くらいである。早いものであれから数十年の年月が過ぎてしまった。まったく、「光陰矢のごとし、学成りがたし」である。
「馬上少年を過ぐ・・・」の漢詩を残した政宗さんも、入府三百九十年後の青葉城跡から見渡す仙台の発展ぶりにはさぞや目を見張ることだろうと思うが、政宗は寒村だった「千代」を都と定めるや、城を築き東西南北の道を周らし、そして大崎八幡神社を始め数々の社寺を建立するなど、矢継ぎ早に大工事を次々と執り行い、仙台の礎をを築いた。
今日の仙台の姿もこの数百年前の初めの一歩があったればこそのものだが、「ローマは一日して成らず」の言葉通り、その時代に廻ぐり合わせた仙台人が守り、伝え、そして創造してきた数々の積み重ねが現在を形づくっている。平成の世に生きる私達はこの代々の歴史を引き継ぎ、後の世の仙台人に伝承していかなければならない。
大崎八幡神社でも数々の先人の意思を守り伝え、御神徳の宣場に常々心がけているが、その中に昨年は様々なことが新たに加わった。5月の皐月祭大植木市、6月の大祓茅の輪くぐり神事、祭典時の巫女の舞の奉奏、そして年2回の「八幡さま便り」の発行など。
昨年産声を上げたばかりのこれからの祭典行事も、政宗さんが仙台の地に建立し篤く祀った、八幡さまの御神徳の宣場ということで始ったものだが、それもこれも氏子・崇敬者の皆様方からのご声援ご協力なしでは長く続く行事にはならない。
仙台の冬の風物詩となった観のある松焚祭裸参りも、大崎八幡神社に裸参りした最初の造り酒屋の杜氏さんがいなければ、現在の賑わい、各地への広がりもなかったことを考え合せれば、五十年百年先にはどの行事が盛大になっているかはそれこそ「神のみぞ知る」だが、生まれたばかりの伝統を試行錯誤の中で守り育てるべく、白衣袴姿で慌ただしく動き回る職員らの様子を、子育ての忙しい時期ではあるが、緑深い鎮守の森の梢から、しばらく見守ることとしよう。(平成6年6月)