■40号
鳩の声東北の短い春が桜の花と共に終わりを告げ、日差しが少しずつ強くなり、暦の上でも間もなく夏至を向かえ、鎮守の杜も深い新緑に包まれます。
東日本大震災から早くも3年目を迎えましたが、沿岸部を始め未だに復旧の目処すらたたない地域も数多く、現在も仮設にお住まいの方や復旧復興にご尽力されている皆様には、1日も早い復興と安寧を心よりお祈りしております。
初代神武天皇様のご即位より2673年の悠久の歴史がある我が国ですが、昔から地震に悩まされ続けていて、震災の記録が非常に多く残っている、世界でも稀な国と言われています。
過去の一部ですが、東日本大震災の震源域に近い地震と言われ、当時も大きな津波被害を与えた貞観三陸地震(869)や、京都や堺を中心に被災し、完成したばかりの伏見城にも損傷を与えたという慶長伏見地震(1596)、被害予測が最近話題にもなった南海トラフを震源とした宝永東南海地震(1707)は、関東から広く九州まで被害をもたらした連動型の地震であり、富士山の噴火にも影響を与えたと言われている等々、それぞれの時代の被災と復旧に対し、先人達のご苦労は計り知れないものがあります。
東日本大震災の津波の被害地域を調査した報道番組によると、東北三県の沿岸部が特に被害が大きかったわけですが、福島県相馬市沿岸部について調べたところ、津波で流された集落と無事だった集落の境目には神社がお祀りされていました。社名を八龍神社と言い、境内の一部には浸水したようですが、御社殿には一切被害がありませんでした。
また、同じく相馬市の津(つのみつ)神社も浸水域の境界線に建立されていて、震災当日は地域の方たちの避難場所になって、多くの方が助かったそうです。社名の「つのみつ」とは「波が満ちる」との意があり、慶長16年の地震でも大津波がきて、大勢の方が亡くなった教訓から、地元では「津波が来たら、神社まで逃げなさい」と古くからの言い伝えがあったそうです。
他にも震災当日の福島県太平洋沿岸部の浸水域一帯をみてみると、浸水を免れた地域の境目付近の各地に、それぞれの神社が建立されていて、合計で82社の御社殿に被害が無かったのです。氏神様を境に水が引いていった様子から、鎮守の杜に住む小鳩は「神様の御力」と信じています。
そして、そこには先人達の警告も込められているのだと思います。過去の大津波を経験された先人達は、津波被害を受けない際に神社を勧請して、お祭りをしながら、これより海側には津波が来ることを警告し続けてきたのです。
何時しか先人の警告は途絶えていき、海側に住宅地が出来て人々の生活圏が広がっていきました。その結果が数百年に一度ではありますが、震災で多くの犠牲をだすことに繋がりました。
土地の地名にも古からのメッセージが込められている場合があると言います。
地名に「栗」という文字が入っている所には、「くり・くれ・くずれ」から崩れた土地、崩落したことを示す場合があると言うのです。他にも「柿」は「欠ける」ことを意味していて、土地が欠けた事を表し、「梅」は「埋まる」ことを意味し、土砂が埋まって出来た土地であることを示しているそうです。
勿論全ての地域がそうでは無いと思いますが、地名にも意味があり子孫への気遣いと注意喚起を促した先人達の知恵であることを教えらます。全国的に市町村合併が行なわれ、古来の地名が減る一方ではありますが、昔ながらの味のある地名もまた伝えていく必要があるのではないでしょうか。
過去からの、そして今を生きる人たちの知恵や警告が未来に届き、将来の災害に対して、減災の一助になる事を願って止みません。
八幡宮Q&A
Q:八月に参拝企画として大崎八幡宮より伊勢神宮への旅行があると聞きましたが、詳しく教えて下さい。
A:千三百年の間、延々と続けられてきた「式年遷宮」という神事は、二十年に一度伊勢神宮の内宮と外宮の御正殿を始め摂社・末社・所管社百二十五の全てのお社が建て替えられます。
平成二十五年は第六十二回伊勢神宮式年遷宮の年にあたり、今回の「お白石持ち行事」の参加者を募ろうと、トップツアー株式会社様のお力を借り、参拝旅行を企画しました。
旅行期日は平成二十五年八月十八日(日)〜二十日(火)の三日間。
旅行代金として、お一人様六万円、お申込み金としてお一人様一万五千円となります。お申し込み締め切りが六月三十日(日)までとなっております。
神宮に対する尊敬と崇敬の気持ちを有し、国の安泰と平和を願って奉献してくださる方々のご参加を心よりお待ち申し上げます。
尚、募集人員は八十名ですので、募集人員に達し次第お申し込みを締め切らせていただきますのでご了承願います。
ご興味のある方は社務所までお問い合わせください。