■34号
鳩の声 古来、鎮守の森として崇められる神社は、その地域の氏子を大切にし、決して離れることのない大切な関係を保ってきました。心の中心である氏神様はいつも緑深い森に包まれ、氏子にとっては実に心安まる癒しの場所であります。
当宮もまた、参拝者の方々に心安まる場として、休憩所を設けております。休憩所よりふと目を置くと、そこには最近まで保存修理工事を行われていた「神馬舎(しんめしゃ)」という建物があります。
神馬舎とは、神社に奉納された馬(神馬)、あるいは祭事の際に使用される馬を飼い、飼育する建物であります。特に馬の種類には決まりはないそうですが、元々馬は神様の乗り物という神聖かつ大事な役割をあわせ持つものとして扱われており、奈良時代から祈願のために馬を奉納する習わしがありました。
当宮の神馬舎もまた昭和20年代までは神馬がいたと伝えられ、内部の柱に残された神馬の噛み跡が、往時の様子を偲ばせ古老の回想によると先々代の小野目久宮司は神馬を駆って仙台鎮台(仙台城址)まで日夜通ったといいます。創建については不詳ですが、現在の建物は大正期に建てられたもので、間口三間、奥行二間、戦後は神符授与所などとなっていましたが、創建から約90年を経過し、屋根瓦や建具、壁など、あちらこちらに傷みもみられ、全体的な修理が必要となっておりました。そこで数年前より建物の調査が行われ、種々検討を重ねてまいりましたが、増築部分を取り外し、創建時の姿に復元するという方針の下に、この度いよいよ神馬舎の保存修理工事に着手致しました。併せて周辺整備や神馬舎が建物としてより美しく見えるなどを考慮し、今までの位置より、東におよそ6m移動させたところに移設、木工事、左官工事などの修理が施され、新しい瓦で屋根が葺かれて建物が一新されました。今年の3月には工事の安全を祈念し、御神前に奉告する「神馬舎保存修理着工奉告祭」という祭典が行われ、保存修理工事が進められておりました。
昔の神馬には、雨を願うときには黒毛の馬を、晴れを願うときには白毛の馬をそれぞれ奉納するという神話もあり、中世の武士は戦での勝利を祈願するために神馬を奉納したといわれています。古くからの神社の中には、「神馬舎(しんめしゃ)」・「神厩舎(しんきゅうしゃ)」が馬の存在如何を問わずに設置されている所があるのは、御神馬の風習の名残であります。
また、祭事において多量の馬を使用する場合もあり、一時的に神馬と呼ぶ場合もあります。実際、競走馬を引退したサラブレッドが、神馬として奉納されるケースもありました。
伊勢神宮には内宮・外宮に2頭ずつ神馬がおり、死亡すると皇室から新たな馬が贈られております。昨年の11月に内宮の1頭が亡くなられたことを受け、今年3月には天皇、皇后両陛下は伊勢神宮(三重県)の神馬になる予定の国春号をご覧になりました。乗馬などに使われていた国春号を陛下がお求めになり、本年6月以降に伊勢神宮に贈ることが決まったそうです。
また、神馬の奉納者は一般の民間人から貴族まで様々です。しかし、馬は高価でなかなか奉納できず、また奉納された神社でも馬の世話をするのが大変であることから、馬を奉納できない者は生きた馬の代わりに木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、いつしか馬を描いた木の板「絵馬」に変化していきました。
現在では絵馬とは、願い事を叶えたい時や願いが叶ってその御礼をするときに奉納する、献木の板のことを言っておりますが、一時代には商売繁盛などを祈願して大きな額の絵馬が奉納されたりしました。時代により次第に大きさや形も現在のものに変化していき、一般大衆の間にも広がりを見せるようになったようです。大型の絵馬は画家に描かせるなどして奉納者が用意することもあり、小型の絵馬は五角形(家型)の形のものが多いのですが、これはかつて、板の上に屋根をつけていた名残だそうです。
平安時代から始まる生きた馬の奉納から板に描いた馬の絵(絵馬)で代えられるようになり、安土桃山時代になると、著名な画家による絵馬が持て囃され、それらを展示する絵馬堂も建てられたそうです。また、江戸時代になると家内安全や商売繁盛といった実利的な願いをかける風習が庶民にも広まり、今日のように個人が小さな絵馬を奉納する形は、江戸時代に始まったとされます。絵馬に描かれる図案も、それぞれの神社特有のものが多く、主にその神社の守りご祭神に仕えるという動物(稲荷=狐・弁天=蛇・荒神=鶏・天神=牛など)が描かれています。また、その年の十二支を描いたものもあります。昭和に入ると、受験生が合格祈願の絵馬を奉納することが盛んになりました。そして現代、神馬の代わりとなる「絵馬」は神様と私達の心を繋ぐ、なくてはならない大切な存在となっています。
皆様の悩みごとや願いごとを、時として絵馬に込められてはいかがでしょうか?きっと八幡さまは皆様の思いに微笑んでくれることでしょう。
八幡宮Q&A
Q:七夕には華やかな飾り物がありますが、それについて教えてください。
A:七夕には、笹竹に色とりどりの短冊や吹き流しをつけた竹飾りを飾ります。七夕飾りは地域によって特色があります。仙台では七つの飾りを伝統的に飾ってきました。七つとは、短冊、吹き流し、千羽鶴、投網、巾着、紙衣、屑籠があります。それぞれの飾りにはいろいろな願いが込められております。
「短冊」(たんざく)
早朝、サトイモの葉にたまった夜露を集めて、小川で洗い清めた硯にうつし取ってそれで墨をすり、詩歌や「七夕」「天の川」などと書いて、歌や書、学問の上達を願いました。昔は、梶の葉に歌をしたためましたが、現在では願い事を書くようになりました。
「吹き流し」(ふきながし)
昔の織り糸を垂らした形をあらわしていて、機織や技芸の上達を願いました。織姫の織り糸に見立てた色とりどりの和紙で、飾り付けの主役となっております。
「千羽鶴」(せんばづる)
家内安全と延命長寿の願いが込められています。かつては一家の最年長者の年の数だけ折り、吊るしました。昔、折り方を習う娘たちは、折り紙を通じて教わる心、人に教える心を学んだといわれております。
「投網」(とあみ)
魚介の豊漁を祈ると同時に、食べ物に不自由しないよう豊作を祈りました。その年の幸運を寄せ集めるという意味も含まれております。
「巾着」(きんちゃく)
金銭に不自由しないように、商売繁盛や富貴を願うとともに、節約と貯蓄の心を養うことを願って飾ります。昔、財布のことを巾着と言い、金銭を入れて腰に下げていました。
「紙衣」(かみごろも)
紙で作った着物で、裁縫や技芸の上達の願いをかけました。七夕竹の一番先端に吊るすという習わしがあり、子どもが丈夫に育つよう、病や災いを身代わりに流すという意味もあります。
「屑籠」(くずかご)
清潔と節約の大切さを養います。七つの飾りを作り終えたあとに出た紙くずを集めて屑籠の中に入れます。
以上が仙台七夕の七つの飾りです。
その他に、「七夕線香」(たなばたせんこう)という飾り物がありました。普通は、吹き流しの端に一本ずつ線香をのりで貼り付けたものです。もっと丁寧になると、くまの笹の葉で帆掛舟を作って、その下に線香を下げます。線香は、六日の夜更けに火を灯すという習わしがあり、七夕祭りが盆の祖霊を迎える準備ということから吊るしたといわれております。現在は火災のおそれがあるので飾ることもなくなりました。
そしてもう一つ、仙台七夕を彩る「くす玉」という飾りがあります。
くす玉は、伝統の七つの飾りの中には入っておりませんが、今は出来上がりがきれいなので、たくさんの人が作っています。くす玉を考案したのは、仙台出身の方で、昭和二十一年頃、庭に咲く美しいダリアの花に目をとめました。そして思ったのです。「この花を七夕飾りに利用できないか…」と。さっそく、きれいな京花紙をかごに付けて二つ合わせ、丸くして飾ってみました。これが仙台のくす玉の始まりです。以来、その華やかさにひかれて、いつしか吹き流しとともに七夕の主流となりました。
当宮では、近江惠美子氏著書「仙台七夕 伝統と未来」という叢書を頒布しております。もっと詳しく七夕について知りたい方は、是非ご覧ください。