国宝 大崎八幡宮
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八幡さま便り

■31号

鳩の声

【写真】八幡さま便り22号 宮城県内では10月1日より3ヶ月間「美味(うま)し国 伊達な旅」のキャッチフレーズのもと観光キャンペーンが行われ、県内外からたくさんの観光客が訪れました。
  当宮においても「ここにホントの伊達があります」と書かれた仙台・宮城デスティネーションキャンペーンの幟が境内のあちこちに掲げられ、絢爛豪華な御社殿を目のあたりにした人々はまさに桃山文化の粋「本物の伊達」に触れ、感嘆の声をあげております。
  さて、「派手で格好よい者」を「伊達者」と言いますが、秀吉の時代 京の町で行われた出陣式での伊達軍の装いが思いもよらずファッショナブルであったので人々がびっくりさせられた事から「伊達男」という言葉ができたと言われております。
  ヨーロッパでは「伊達男」に当たる「ダンディ」という語がありますが、18世紀末から19世紀にかけて「ダンディ」の条件が確立されたそうです。  英国に、類まれな美貌とお洒落ぶりからダンディの名をほしいままにした「ボー・ブランメル」(ボーは伊達男の意味)という人物がいました。ブランメルと聞いて思い出す方も多いと思いますが、現在J1リーグ昇格をかけて必死で頑張っているベガルタ仙台の前身「ブランメル仙台」の語源となった言葉で、少なからず仙台とも縁があります。
  ブランメルは身だしなみは勿論、立ち居振る舞い、話術までもがパーフェクトであり、当時の社交界の人々は誰しもが彼に憧れ、真似をしようとしました。それまで英国の上流階級の男達は金襴で華やかな服地に身を包み男らしさを競っていました。しかし、ブランメルのお洒落は決して派手ではなくむしろ地味であり、何よりも見かけだけではなく内面から滲み出る「ジェントルな精神」がダンディには不可欠である事を身をもって説いたのです。そして、今日私達が身に付けている紳士服(礼服・スーツ)の規準が創られたのであります。
  話はもどり、仙台から京都まで約30日もかかった時代に政宗公は生涯13回も上洛していますが、桃山文化を京の都より仙台に入れた事は単に京都の華やかさに憧れて格好だけを真似したのではありません。仙台開府にあたり「東国の洛陽城」をつくるという理想のもとに青写真を描き、幼少時代から培った高い教養と洗練された美意識によりこの奥州仙台の地に桃山の華を開花させたのです。
  毎日八幡さまを見続けている私に、飾り金具をふんだんに使った極彩色の御社殿は、けばけばしさを感じさせません。また、鮮やかな彩色や彫刻をじっと見ていてもなぜか飽きる事がありません。それどころかむしろ新鮮さを感じるのはなぜでしょう。
  それは今も確実に、藩祖 伊達政宗公の心が宿っている「桃山の本当の美」、「ここにホントの伊達がある」が生き生きと輝いているからではないでしょうか。
  今日も八幡さまの鎮守の杜では、小鳩たちがせわしなく立ち働いています。


表紙について
浄闇に灯された篝火の仄明かりの中、政宗公の詠まれた 和歌にあわせ「青葉の舞」が勇壮に奉奏された。
(平成20年8月12日 御鎮座記念祭 雅楽の夕べ)


八幡宮Q&A

Q:八幡さまの社殿で「にらみ猫」の彫刻がよく知られていますが、有名な日光東照宮の「眠り猫」と何か関係があるのでしょうか。 又、他にどんな彫刻がありますか?

A:拝殿内部の蟇股(かえるまた)に「にらみ猫」の彫刻があります。彫り上げたのは、紀州・和歌山出身の棟梁刑部左衛門国次(おさかべさえもんくにつぐ)で、のちに伝説上の名工・左甚五郎(ひだりじんごろう)のモデルとなった人物です。
 「にらみ猫」の彫刻は、「牡丹の花に羽を休めている蝶を狙う猫」という構図で、富貴長寿の吉祥の図柄と言われています。
 仙台での名建築を手掛けた国次は、仙台藩が普請(ふしん)を担当した日光東照宮の仕事ぶりが認められ、江戸城・上野寛永寺などの造営を行い江戸幕府に大棟梁として迎え入れられました。同じ名工が手掛けた「猫の彫刻」でも、「にらみ猫」と「眠り猫」であるところが面白い点です。  拝殿正面には、鶴・鳳凰(ほうおう)などの瑞鳥の他に、麒麟(きりん)・白虎・龍などの瑞獣(ずいじゅう)が配置され、社殿の威厳を高めています。また、側面や内部には仙人を始め、鹿、水鳥、草花などの比較的穏やかなものが題材とされています。
  これらの貴重な彫刻の外に、「迦陵頻伽(かりょうびんが)」という珍しい彫刻があります。上半身は髪を結った女性で、両手で蓮華(れんげ)を捧げ持ち、下半身は鳥の姿で天衣(てんい)や尾羽が後へ長くたなびき、前方へ優雅に飛翔する様子が彫られています。「迦陵頻伽」は、極楽に棲み、美しい声を発するとされる霊鳥です。私達がお稽古している雅楽にも「迦陵頻(かりょうびん)」という曲がありますが、弁財天がこの曲を好んで奏したとも言われています。

「人面をもつ鳥 迦陵頻伽」 「にらみ猫」
 
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