■17号
鳩の声
「山里の 風すさまじき 夕暮に 木の葉みだれて ものぞかなしき」藤原秀能
そろそろ、風がつめたくなってきた。それにしても、近頃の世の中のありさまは内憂外患の極に達し、誰もが心苦しく師走の風に吹かれている様子である。
そんな中、当宮の御社殿修理保存事業は平成18年の御鎮座400年を目指し粛々と進められており、昨今は学術的な見地からも建築関係をはじめとする各方面より多数の研究者等が工事現場見学の為に来社している。そして、この現場に接した工匠や見学者達は一様に、本工事によってはじめて明らかとなった400年前の極めて高度な造営技術に改めて驚嘆するのである。御社殿の創建された慶長年間は絢爛豪華を特色とする桃山文化の最盛期であった。
しかし、そこに投じられた技術というものは、その恵まれた時代に突然、出現したものではない。応仁の乱以後の中世の嵐の中で、国内は政情世情混乱を極め、文化という文化は徹底的に蹂躙されていた。その不遇の時代に屈せず後世に希望を託し、黙々と先人から受け継いだ技術を発展継承した人達の姿があったからこそ、それはやがて時を得て、満開の花を咲かせたのである。
さて、本来であれば新しき年を迎える喜びを内包すべきこの季節ではあるが、今や誰もがこれから迎えるであろう将来という名の現実を恐れている。しかし、私達日本人にとって、それは決して絶望と呼ぶべきものではない筈である。何故なら、私達の祖先は人の命のはかなさ、人の世の切なさというものを、常に見つめてきた殆ど唯一の民族だからである。
「露の命 消えなましかば かくばかり 降る白雪を 眺めましやは」
後白河院
「年暮れて 我が世更けゆく 風の音に 心のうちの すさまじきかな」
紫 式 部
そうでなくては、こんな切ない和歌は生れまい。
古来より世界各地においても、限りある短い一生という現実に対し、永遠の生命を求めて様々な宗教や哲学等が生れたが、私達の祖先が選んだのは、先人の形と心を受け継ぎ、また伝えることにより、自らもまた子孫の命の内に生きていくということであった。即ち、ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず…(『方丈記』)
「私達は、必ずしも私達では無い。私達の内には、私達の祖先が息づいており、即ち「私達を発見する」ということは、私達の内にある私達の祖先を発見することに他ならない。又、それは私達の神々を発見することでもある。」(芥川龍之介)
という考えであり、現実として、かつて栄華を誇った世界中の大建築がことごとく「遺跡」でしかないのに対し、日本文化の象徴たる伊勢神宮は20年毎に遷宮(造営)を行い、古代の形と心を今に伝えている。それは、いま日本美術史上特筆すべき桃山文化の象徴ともいえる御社殿の修理保存事業を進めている私達にとって、誠に大きな励みとなる「事実」といえよう。
八幡宮Q&A
Q:九月十六日に行われた「工匠の技 ワークショップ」の内容について教えて下さい。
A:大崎八幡宮御社殿保存修理事業公開「工匠の技ワークショップ」は全国的にも稀な国宝建造物の保存修理工事にあたり、その現場を広く人々に公開することにより、文化財保護の必要性と、工事に用いられる伝統的な技術について理解を深めて頂くことを目的として開催されました。
当日は前日まで斎行されていた例大祭の余韻冷めやらぬ境内各所において様々な催しが行われましたが、それは「修復作業中の御社殿拝観」「解体前より現在に至るまでの過程をあらわすパネル展」「本工事に携わる工匠による技術の実演、道具等の展示」「記録ビデオの上映、頒布」「手斧始式にて用いられた御用材の展示」「平成八年、御鎮座三九〇年記念事業の一環として修復された総漆塗大神輿の展示」といった多岐にわたるもので、当宮はじめこの事業に携わる設計監理者、施工者、工匠、職方等が各々の立場から参加するという極めて大規模なものとなりました。
また、昼過ぎからは生憎の雨模様となり、また事前の広報が十分でなかったにもかかわらず、境内にはおよそ千人にもおよぶ拝観者が訪れ、中でも、工匠が拝観者に直接その技術を披露する実演コーナーは「大工工事」「漆・彩色」「屋根こけら葺き」の三ヶ所設けられましたが、何れも周囲に大きな人の輪ができ、工匠の素晴らしい技術に老若男女を問わず感嘆し、また自らも恐る恐る実演してみたりと、互いに間近で触れ合い、当初の目的を十分に果たす、とても充実したものとなりました。この交流によって、工匠たちも皆様方の関心と期待に直に触れたことにより、自身の仕事に対する更なる使命感が芽生えたことでしょうし、また拝観された方々もこれまで色々説明されても実際のところ、よくわからなかった工匠の技術や工事の内容について肌で感じることによって理解を深められた事と思われ、大変有意義なものとなった事と存じます。
工事はこれから来春にかけて木工事と屋根柿の葺き替え作業を終え、その後丸二ヵ年を要する漆・彩色工事に着手するという、まさに正念場を迎えつゝあります。
私達は今、仙台藩祖伊達政宗公がその志を託して創建された当宮の御社殿を後世に守り伝えていくこの重大な時期に四百年の時を超えて際会しております。
そして、藩祖公の遠大な都市計画の余慶を享受して生き、またその「伊達精神」の継承者たることを自負する私達にとって、一丸となってこの事業の完遂を目指していく事は、現代はもとより後世に生きる人々に対しても誠に誇るべき「尊い使命」といえましょう。