国宝 大崎八幡宮
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八幡さま便り

■15号

鳩の声

【写真】八幡さま便り15号北国の冬は長く厳しいもので、春を待ち侘びる日々がしばらく続きます。同様に、様々な面において「冬」を迎えて既に久しく、心のどかなる春を待ち、また祈り続け、はや幾年が過ぎたことでしょうか。しかしながら、我が国の永い歴史を振り返れば「冬」の後には、常に「春」の到来していたことが知られます。もっとも「ひどい時代に生まれた。周りが悪い」と思って何もせず、時流に身を任せていては私達の子孫まで「冬眠」し続けることになりかねません。
遠き神代の昔、天照皇大神が天岩戸にお隠れになり「高天原皆暗、萬禍」が世に満ちた際、この未曾有の危機に直面した八百万の神々は、悲観のあまり自分を見失ったり、ただ無闇に右往左往することも無く、冷静に討議した結果、各々の長所を生かして、事態の解決を図りました。
それは神様だから、と言い訳は出来ません。大崎八幡宮を造営された仙台藩祖 伊達政宗公の生涯においても、大きな危機が少なからずありました。弟の小次郎を偏愛した実母義姫に殺されそうになったり、天下人たる豊臣秀吉の逆鱗に触れたのは小田原征討時と秀次事件と二度に及びました。しかし、何れも最後まで諦めず、死中に活を求めて窮地を脱したその機知と豪胆は、私達仙台人の良く知るところです。
むしろ、こうした「乱世」にある時にこそ、その人物の真価が問われるのではないでしょうか。自分で自分を制御することもできぬという幼稚性をふりかざし「キレる自分に注意せよ」などとうそぶく老若男女が我が物顔で横行する現代の我が国ですが、僅か100年程前には、死をも辞さず理性に終始した末、

「理性の自分に教えたものは、畢竟理性の無力であった」
芥川龍之介

という、かなしい言葉を遺した理知の人さえ生んだ「大人の国」であった筈です。
もうそろそろ、冬眠している私達の良心が目覚めても良い頃ではないでしょうか。

「さびしさを 訪ひ来ぬ人の こころまで あらはれ初むる 雪のあけぼの
かきくらし 猶する里の 雪のうちに 跡こそ見えね 春は来にけり」
後鳥羽院宮内卿

苦しい時にこそ、初めて人の本心というものが、はっきりとあらわれる。
寒さの続く日々のうちにも、春はそっとやって来ている。
この和歌の作者は800年程昔の、やはり「言語ノ及ブ所ニ非ズ(『愚管抄』)」といわれた悪しき時代に生きていた15、6歳の少女です。
ちゃんと、お見通しですよ。「ひどい時代に生まれた」とつぶやき不幸を気取る無気力な私達に、そう語りかけているのかもしれません。


八幡宮Q&A

Q:大崎八幡宮御社殿の保存修理工事のうち、解体作業を今秋に終えられたと聞きましたが、その過程において発見された物や、今後の工事日程について教えて下さい。

A:平成十二年十月に、第一期工事の御社殿解体工事を完了し、現在、土台、柱、板壁、組物及び長押を残すのみで、他の部分については、一旦取り外されました。
先ず、仮剥落止め作業により創建時からの彩色の保護を施し、五月から本格的な解体作業に入り、屋根の箱棟に始まり、飾り金具、こけら葺き屋根、野地板、小屋組み、天井板、縁周り、床板と順次上から下へと解体工事を進めました。
その課程において、創建当時は屋根の葺き方が現在のこけら葺きとは異なる『とち葺き』だったというのが『谷樋』と呼ばれる、銅製の雨樋の発見により確認され、また葺材は東北地方では杉材を使用していたので、現在さわら材により葺かれている当宮の屋根も元々は杉材だったのではないかということが、箱棟の解体の際に、その下より杉材のこけら葺きが発見されたことから判りました。
また解体に伴い、取り外した部材の樹種確認作業も行い、これまで創建当初の部材としてケヤキ、ブナ、桂、栗、地ヒバ等の木材が使用されたことが判明しております。
また、天井板や小屋束、垂木、懸魚などに慶長十年〜十二年という墨書が発見され、創建時の工事の手順を知る上で貴重な手がかりとなることや、慶長十二年御創建という御社殿の由緒があらためて実証されたことなど、大きな発見となりました。
その他おもしろいものとしては、木材の繋ぎ目に目印として描いた亀、魚、桃、ナス、筍、三日月などの墨絵や彫り物、石の間天井絵の下書きか失敗作、紀州から招聘された大工職人のぼやきと思われるようななぐり書き、穏やかできれいな顔をした仏神の墨絵など、多数発見されました。
また、物としては、儀式用と思われる刀様の拵え(木刀)、仙台通宝などの古銭などが多数発見され、中でも、大工道具の『きり』が、今まで修理の手が入っていない屋根裏の木組の下より出てきて、創建時の大工職人の置き忘れたものではないかと思われ、もし慶長時代の『きり』とすれば、現存最古のものとなり、今後詳しく調査鑑定を行うという貴重なものも発見されました。
現在、第二期工事として修復・復元作業が開始され、軸部の修正といわれる、柱の傾斜や土台の不陸(水平が取れていない状態)の修正作業が行われております。
今後、破損している木材を、使用されていた樹種と同じ物をあてがいながら取り替えて行き、解体とは逆の手順で、下から上へと組み上げて行く作業が進められます。
現在まで工事は順調に推移しており、予定通り進めば平成十三年末に大工工事が完了、次に屋根葺き工事、十四年に漆・彩色・剥落止めの作業を行い、十五年秋にはすべての工事を終了する予定でおります。
それまであと三年、三回のお正月を仮殿で迎えなければならないということが、当宮としてご参拝の皆様へ、大変心苦しく思うところではございますが、心のよりどころとして、また貴重な文化財として、後世へ引き継ぐため、御鎮座四百年記念の大事業として、皆様方の御支援を仰ぎつつ進めてまいりたく存じますので、御協力の程宜しくお願い申し上げます。

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