■12号
鳩の声未曾有の経済不況の中、新聞・テレビは連日景気対策の是非を論じているが、問題は果たして、それだけなのか?と、八幡宮の鳩は小首をかしげているようである。思えば、約300年前の元禄時代は高度成長期と同じく、日本が経済的発展の頂点を極めた時代であった。そしてご存知の通り、百花繚乱の時代のツケは後々まで響き、江戸幕府の命脈を断つ遠因となったわけであるが、こんにち我々が着目しなければならないのは、先人が「江戸時代後期の経済大不況・社会混乱の暗夜から如何にして、秩序をもった明治の夜明けを呼んだか」ということではないだろうか。
田沼意次の政治は、今でいう景気対策・経済復興策が中心であった。たしかにそれによって、一時的に景気は回復した。しかしながら、秩序や人心は乱れたままであったから、花火の如き短き繁栄のみにおわっている。明治の夜明けを呼んだのは、経済不況からの脱出でも、景気の回復でもない。教育である。荒廃した世の中に危機感をもった人たちは、先ず教育によってそれを是正しようとした。そして、その中から夜明けの光を育んだのである。青少年による凄惨な犯罪。新興宗教に走る人々。親子の断絶。景気よりも病んでいるこの国の心。日本人はもともと、何よりもそういう「心」を大事にしてきた筈であった。
「ものいはぬ 四方のけだもの すらだにも あはれなるかな 親の子を思ふ」
源 実朝
「たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩歩まず」
石川啄木
という歌を生みだした日本人の親子はいま、目をそむけたくなるような事件ばかりが目立つという、信じたくない、悲しい現実に直面している。
戦争が終わった時、この国からは「道徳」がなくなった。かわりに人の心に棲んだものは「ソントク」であった。ありがた迷惑にも、「ソントク」の「徳」は、日本人の心を容易に蝕んでしまったようである。かつて、日本人は自他とも認める美しい心の持ち主であった。恥を知っていることが、誇りであった。いま日本人は世界中の人から、「なにかと金にものをいわせている、恥知らずの国民」と陰口をたたかれているのが、現実である。景気の悪い、今こそが転機なのである。外面や周囲はもう存分に発達した。これからは、人の内面を磨かねばならない時である。
目先の景気回復は、マッチの火の如き短い繁栄にしかならない。それを悪いとは言わないが、その先には、いったい何が待っているというのだろうか。同じ失敗の繰り返しでしかないだろう。我々は、子孫に祖先より受継いできたものを、伝えねばならない筈である。
先を見据えた教育は、夕暮れである。今日の陽は落ちても、美しい夕暮れは、夜明けを生む。また、夜明けは夕暮れなしには、訪れないのである。
マッチの火や花火では、明日の我々の子孫への架け橋になる筈もない。敢えて、目先の「ソントク」を捨て、教育問題を考えねばならぬのは、まさに今ではないだろうか。かつて、明治維新を成した夭折の先人たちが命をかけて描いた夕暮れは、まだ我々日本人の心の奥底に眠っているはずだ。その残照に幸福な日々をおくった我々は、いまこそまた子孫に美しい夕暮れを贈り、伝えねばならぬ時と思うが、と鳩は難しい顔をしている。
八幡宮Q&A
Q:大崎八幡宮での結婚式を見かけたのですが、それについて教えて下さい。
A:神前結婚式の歴史は意外に浅く、大正天皇さまが皇太子時代に東京大神宮にて挙式されたのが最初です。しかしながら、その源流は『古事記』中の神話のはじめの部分・・・天地初めて開けし時、伊邪那岐命と伊邪那美命が高天原の八尋殿においてご結婚されたことにまで遡ることができます。
そして、大正天皇さまの御成婚以来、それにならって神前結婚式は日本国民の間に、広く深く浸透していったのです。
十数年前から、いわゆる俗にチャペル式と呼ばれるキリスト教会式が増加しましたが、最近また神前式も脚光を浴びつゝあり、特にホテルでの挙式が多いという世相のなか、神社で厳粛な式を挙げたい、という方が増えているようです。
当大崎八幡宮においては、社務や祭典に支障のない限り、本殿での結婚式をお受けしております。
当日、新郎新婦さまはご親族と共に社務所から本殿まで、巫女の先導により粛々と参進し、本殿内の式は修祓(おはらい)、祝詞奏上、御神楽・浦安の舞奉奏、三三九度の盃事、誓詞奏上、玉串拝礼、親族固めの盃事、の順にて進行し、その後には本殿前にて記念撮影をなされる方もおられます。
仙台総鎮守の杜で厳かに麗しい結婚式をご希望される方は、ご一報いただければ、詳しくご説明申し上げます。