■11号
鳩の声
平成10年という年は、長野オリンピックでの日本人選手の活躍、サッカーワールドカップへの初出場など明るい話題も多かった反面、金融不安による不況感、和歌山毒物カレー事件、冷夏、相次ぐ台風の襲来等、暗く重苦しい気分が抜けきれず、平成11年が明るく活気に満ち溢れた年であるよう願って止まない。
日本人は一年というものを、1月から12月までの365日として捉える考えと、春夏秋冬という四季での一年という考えの二通りの捉え方がある。それぞれ新年の始まりは1月1日(元旦)、立春(概ね2月4日)であり、終わりは12月31日(大晦日)、節分(冬と春の境 概ね2月3日)である。
古くから日本人は新しい年を迎えるのに際し、年の終わりに罪穢れ、厄災を祓い清め一つの区切りをつけ清々しい気分で新年を迎えた。その際に行われるのが年越しの大祓であり、節分の豆撒きであった。間もなく正月を迎えるこの時期、この一年を振り返りながらこのような風習があることに感謝し、また大切にしていきたいものだ。
さて、季節は初冬。農家の軒下に干し柿が吊るされた光景は、以前はどこでも見られた風物詩であったが、今はあまり見かけなくなった。農村の都市化、そこに住む人々の高齢化や過疎化など考えられるが、一番の理由は食生活の変化にあるのではないか。昔、お正月にこたつに入り食べる甘いものといえば、みかんや干し柿・干し芋などであったが、今は砂糖など甘味料を用いて数段甘い菓子等の食べ物があふれている。このような中、わざわざ柿の木から実を採り皮を剥き「吊るし柿」にして干すという手間ひまをかけなくても、というのが正直なところではないか。
かように少なくなった「吊るし柿」の光景であるが、昔し人は柿の実を収穫する際、一つ残らず採ってしまわず必ず最後の1個を木に残した。これを「木守り柿」または「木マブリ」と言い、人間が根こそぎ手に入れるのではなく、豊かな稔りを与えてくれた木・自然・神への捧げものを残すという感謝の意味があった。そうすることによって、また次の年の豊かな稔りを約束されると信じられていた。
日本の社会も今、冬の時代を迎えている。経済の右肩上がり一辺倒の幸福な時代は去り、上がりもすれば下がりもする、難しい状況が続き先行きの見えない不安感に包まれている。これは、際限のない欲望を膨らませ、自然の営みに対し畏怖の念と感謝の心を忘れてしまった現代人への警鈴にも聞こえる。この困難な状況を克服するためには、私たち一人一人の自助努力以外にない。
木々は、春の芽吹きで始まり夏の成長・旺盛な活動、秋に稔りと落葉を迎え冬に眠りにつく。春夏秋冬という自然のサイクルの中で一年一年生死を繰り返しまた力強く蘇る。活動を停止していると思われる冬でさえ、冬枯れの中でその胎内に新しい生命の成長を宿し、やがて来る春の芽吹きという誕生に備えている。
しーんと静まり返る冬の夜、こたつに入り干し柿の甘さを噛みしめながら、もう一度私たちの辿ってきた道、そして進むであろう未来をじっくり考えてみては如何か。
(平成10年12月)
八幡宮Q&A
Q:一月の寒い時期に神職が海に入るニュースをみたのですが、それはどういう事なのでしょうか。
A:大寒の日(一月二十日頃)に県内の若手神職が中心となって「禊ぎ」と呼ばれる神事を行っております。
当日の早朝、七ヶ浜の菖蒲田海岸に集合し、朝日が昇るのと同時に海に入って肩まで浸かり、大祓詞を奏上して心身の「穢れ」を祓います。
古来より日本人は、水に罪穢れを洗い流し、清浄にしていく力があると考えてきました。
普段神社にお参りする前に手水舎にて手を清めていますが、これが禊ぎのもっとも簡略化したものです。
また、古事記、日本書紀の神話によると、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の男女の神様が結婚をして多くの神々を生む国生み神話にも禊ぎの話が出てきます。
伊邪那美命は日本国土を始めとして神々を生み続け、最後に火の神を生んだときに焼かれて亡くなり黄泉の国へ行かれました。
黄泉の国とは死者の国、すなわち生ある者が訪れてはならないと禁じられている場所でしたが、残された伊邪那岐命は、伊邪那美命に合いたい一心で黄泉の国に訪れます。
生者が見る黄泉の国は醜い世界に見え、妻と争いになって地上に帰ってきます。地上に帰ってきた伊邪那岐命は「死の穢れ」に触れましたので、阿波岐原で祓い清めるために禊ぎをします。これが禊ぎの原形だと言われています。
故に「禊ぎ」は祭典の前やその時々に罪穢れを祓い、身を清めるために川や海等で行っているのです。
当宮についても一年で一番寒い日に、宮司を先頭として神職、巫女、一丸となって精神修行も兼用し、海水に身をしずめて心を改めて引き締めております。