国宝 大崎八幡宮
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八幡さま便り

■09号

鳩の声

【写真】八幡さま便り09号今年も残り僅かとなった。師走である。師も走るこの多忙な時期、宮仕えのものにとっても有り難いことに日々奔走が続くが、そんなお宮の職員をよそ目に静かな杜の巣の中から、今年一年を少し振り返ってみよう。
記憶に残っている中に、神戸の小学生連続殺傷事件が挙げられる。この他にも大きく取り上げられないが、似たような事件が近年多数見受けられ、特に犯罪の低年齢化、殺害の安易性等、何か社会が殺伐として「命」が軽視されているように思われてならない。
さて、我が国の古典に治めるべき国のことを「食国」と記されている。穀物を中心とした「食」を大切にして来た由縁だろうか。命を維持していくのに食が必要であることは言うに及ばないが、我が国は古来稲を非常に大事にしてきた農耕民族である。神話によると、天照大神様が地上に降臨される瓊々杵命様に稲をお授けになられたのが始まりとされている。
天皇様も、伊勢神宮を始め宮中のご神前に新穂をお供えなさるために毎年春に皇居内の御田に稲の苗をお手植えになられ御自ら稲刈りをなされる。
稲穂には霊力が宿り、その年にとれた穀物を戴くことにより新しい生命が得られると考えられ、しかも一本の玉苗から多くの米を産みだす稲に人々は感謝の念を懐いた。
ある公立小学校で食前食後の感謝としての合掌が宗教の強制であると問題になったそうであるが、食を通して命を戴き、感謝する気持ちが自然な形となっただけのことではないだろうか。
米作りと共に成長してきた日本人にとって、重労働であるが故に共同作業の中に生まれた協調性、忍耐力、自然の変化に対応する細かな心遣いなど本来あたり前とされていた心情を、まず大人が学び少年等に教えてほしいと思う。
戦後の経済優先により豊かに育った背景には、精神的に何か欠落したまま今日に至っているように思われるが、幾世代にも渡って先人が命懸けで守ってきた尊い「命」を受けて生かされ「今」があることを決して忘れてはならない。

「新たしき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事」
大伴家持

年の初めに白い雪が降り積もるように、よいことが重なってほしいとはいかにも日本的な表現である。
新年は新しい希望と決意をもって迎えたいものである、と八幡宮の鎮守の杜の中から願わずにはおれない。
(平成9年12月)


八幡宮Q&A

Q:仙台の冬の風物詩にもなりました「どんと祭」の由緒について知りたいのですが。

A:古来より、正月には家々にその家の先祖の「みたま」や「歳神様」が訪れ、饗膳を伴にして家々にお迎えするという信仰があります。滞在した後、一月十四日の暁に「みたま」が元の御座に帰るときには送り火を焚いて送るという風習がありました。古来より我が国で行われてきたこの正月の神事を一般的には左義長と呼ばれていて、これがどんと祭の元々の由緒であります。
神の居着く代りのもの、すなわち依り代としていた門松や注連縄等を、忌火により焚き上げられる所から本来当宮では「松焚祭」(まつたきまつり)と称しておりました。
「どんと」という呼び名は本来東日本にはなく、明治の半ばにジャーナリズムが関西風につけたのが一般的になったと言われ、焚く火の勢いからトント、ドント、ドンド焼きなどとも言われるようになり、現在の「松焚祭」と呼ばれるようになりました。
境内の一角に山と積み上げられた松飾りや一年間御加護を戴いた古い神札や御守等、一月十四日の日没の頃に点火され、勢いよく燃える炎と共に神々が神の国へ昇る勇壮な神事に、仙台市内はもとより近郷からの参拝者で賑わいます。
この中でも一段と目を引くのが「裸参り」の一行です。この「裸参り」が何時頃から始まったのかは定かではありませんが、二百五十年程前の記録には見ることができ、この時期に仕込みに入る酒杜氏が、醸造安全、吟醸祈願を願って参拝したのが始まりと言われており、この姿が今日の「裸参り」となってきたようです。
現在でも、高張提灯を先頭に隊列を組み、その年の無病息災、商売繁盛を願う「裸参り」の一行が厳寒の中の炎を目指し、酒杜氏の古式の神詣に習い、盛大に神送りをして、祭典を盛り上げます。

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