国宝 大崎八幡宮
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■「年越大祓式」斎行(12月31日)
 去る12月31日(月)、午後2時より本殿前特設テント内において「年越大祓式」が斎行されました。
 当日の天候は雪がチラつく中での斎行となりました。
 今年は既にご承知の方も居られると思いますが、NHKの「ゆく年、くる年」のキーステーションに当宮が選ばれ、午前0時をはさんで大崎八幡宮より全世界に放送されることとなった為、放送機材の準備等で例年の大祓式斎行の舗設とは若干変更し、従来社殿西側と南側に舗設していたテントを東西方向に移動し、当日参拝に来られた方にもご参列頂き、総勢200名を超える参列者でいっぱいになりました。
 この神事は、参列者が神職の「大祓詞」の宣読に沿って、左なえの麻縄を口で解き右肩越しに、右なえの麻縄を口で解き左肩越しにそれぞれ投げ、切麻(紙吹雪状のもの)を撒いて自身を祓い、人形(ひとがた)で体を撫でてから息を吹きかけ罪穢れを移し、紙包みに戻したものを回収し、唐櫃に納め、これを神職がお祓いするものを水に流すのが一般的ではありますが、当宮では年越大祓式の神事終了後、お祓いした人形を一時保管し、来る1月14日の松焚祭の忌火にてお焚き上げを致します。
 こうして祓われることにより、半年間知らず知らずのうちについた心身の穢れが綺麗に清められ、新年を新たな気持ちで迎えられるのです。

〜大祓式の起源〜 大祓式は毎年6月と12月に斎行されておりますが、起源は古く、須佐之男命が罪を犯し、高天原を追放された故事が始めとされ、その後災害疫病等の際にその都度行われていたもので、現在のように定期的に行われるようになったのは、大宝元(701)年からのことです。


祓主が大祓詞を読み上げる中、口で解いた麻を肩越しに投げ、 人形で体を撫でて穢れを
移します

大麻と塩湯にてお清めのお祓いをします  大祓の神事後には当宮の宮司より挨拶が
ありました


■東日本大震災「支援活動報告書」発行しました(12月)
 当宮では、震災直後より沿岸部被災地域への支援活動を行ってまいりました。
全国からお届け頂いた「支援物資の搬送」を始め、「輸入コンテナハウスの仮設住居や事務所の搬入設置」、漁業従事者への「漁船支援」や「奥松島月浜海苔生産グループ『月光』支援」など被災した方々への「生活再建支援活動」も行っております。

 本書を発行するきっかけとなったのは去る8月、当宮の長期にわたる一連の被災地支援活動が全国の地方紙に配信され、その記事をご覧になった方々より「激励のお言葉」や「支援金の申し出」が相次ぎ、その中で「震災被害者への義捐金を送りたいが、行政機関に寄付しても何処でどのように使われたか判らない。貴方に送るから。」との年輩の御婦人からのお申し出があり、「報告書発行」を企画し、例大祭終了後の10月より資料を纏め、12月初旬に「大崎八幡宮・東日本大震災支援活動報告書」として画像を満載した報告書を発行する事が出来ました。
当宮では、甚大な被害が無かった事も幸いしましたが、現在も続けている沿岸部被災地域への支援活動のきっかけは本書の巻頭に書かせて頂きました。

「ことの始まり」 あの日、3月14日の午後、所有している小型船の状況が気がかりとなりオートバイに跨り国道45号を七ヶ浜町に向かった。
原ノ町・苦竹地区まで行くと仙台新港のJX日鉱日石の火災で空は真っ黒い煙に覆われていた。福田町・高砂地区までは「交通量が少ないな。」と感じながら普段と変わらない風景が視界を通り過ぎていった。
そんな光景も多賀城市との境、中野栄地区を過ぎたころよりガラリと変わり、道路上には自動車が重なり合って何重にも停められ、四車線の国道も中央の一車線がやっと通れる状況で道路には人々が溢れていた。
それぞれの手にはレジ袋やバック、ポリタンクを持って歩いており、中には自動車のガソリン抜こうとコックをこじ開けようとしている姿を見たときには一瞬「暴動でも起こったのか。」と全身が震え「異空間に迷い込んでしまった。」と身震いしたことを鮮明に覚えている。
その後、旧職員、先輩・同僚の安否確認に始まり、当宮に寄せられたお見舞金を基に、御社頭での募財をお願いしながら沿岸部被災地域の支援活動を続けてきた。
この「報告書」は、共に現地に出向き、その状況を自らの目に焼きつけ活動してきた神職・仕女・職員が一丸となって動き回った一年半の記録である。
これからも八幡宮の御神恩に感謝しながら、被災地域の復旧・復興のお手伝いができればと考えている。
生かされている事に感謝しながら。

本書を纏める事が出来たのは、「今できる事」をやり続けて来た結果であり、人として、そして氏子崇敬者に支えられている八幡宮に奉職する者として、八幡様の御神慮に突き動かされながらの活動でした。
この度の被災地支援活動は、地方の一神社の限られた小さな活動ではありますが、引き続き継続実施していく考えでおり八幡様の御神徳に感謝しながら、「人々も文化もバラバラになってしまった沿岸部」の一日も早い復旧・復興を願わずには居られません。
ご購読をご希望される方は、恐縮ですが「震災支援協力金」として1冊・\1,000円(送料込)にてお送りさせて頂きます。
沿岸部被災地域への「思い」をご期待申し上げます。

【お問い合わせ】
〒980-0871 仙台市青葉区八幡4丁目6番1号
仙台総鎮守 大 崎 八 幡 宮

TEL

022(234)3606

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■「煤払式」並びに御神像(お正月様)頒布始まる(12月13日)
 本年も残すところあとわずかとなり、当宮でもお正月に向けての準備が着々と進められております。
その中の一つ、「煤払式」が去る12月13日に行われました。
「煤払い」は「煤掃き」ともいわれ、正月を迎えるにあたって、家の内外を大掃除することをいいます。煤とともに年内の穢れや厄をお祓いする意味もあり、年神様をお祀りするための重要な行事として、古くから日本中で行われております。
八幡様の鎮座する本殿内陣は宮司の手により、拝殿や石の間、回廊などは神職や巫女の手によって隅々まで清められていきました。
そして、この「煤払式」が終わると、新年の神札や御神像(お正月様)等の頒布が始まります。
皆様も家の大掃除を済ませた後、一年間無事に過ごせた事に感謝し、八幡様より新しいお札を受けてお祀りし、清らかな気持ちで新年をお迎えいたしましょう。
また、年内にご不幸があったご家庭でも、お亡くなりになられた日を含め、最長で50日間(仏式でいう49日)を過ぎていれば喪が明けたことになり、神社にお参りをして新しいお札を受けても良いといわれております。
気になることやご不明なことがございましたら、お気軽に当宮までお問い合わせ下さい。
(日下 瑞季)


漆の煤を丁寧に祓い清めます

扉の一枚一枚も隅々まで


■新嘗祭斎行(11月23日)
 去る11月23日(金)、この秋に収穫されたお米を始め、野菜、果物をご神前にお供えし、五穀豊穣を感謝する「新嘗祭」が斎行されました。
 祭典はお米やお酒などをお供えする「献饌の儀」、次に宮司による「祝詞奏上」にて作物が無事収穫された事に感謝を申し上げました。そして本装束を身に着けた巫女による「浦安の舞」が奉奏された後、玉串を奉って拝礼し、滞りなく厳粛に執り行われました。
 この「新嘗祭」は古くから行われており、宮中の「儀式」として形が整ったのは飛鳥時代の頃と言われ、天皇陛下がその年に収穫された新穀や新酒を天照大神様をはじめとする天地の神々へお供えし、農作物の恵を感謝するお祭りです。その「儀式」は宮中から広く民衆の間にも広がり、新しい穀物を神様に供え、共に食べて収穫を祝う習俗となりました。
 当宮におきましても「新嘗祭」は、年間の祭典の中で2月17日に五穀豊穣を祈る「祈念祭」と同じく、お祭りの中では特に重要な「大祭」に位置づけられております。
 今年も氏子・崇敬者の方々から収穫されたお米の他、多くもの野菜、果物をご奉納頂きご神前へお供えをしました。
  この新嘗祭を通して普段何気なく口にしているお米を始め、野菜や果物を食べることへの感謝の気持ちを改めて持って頂く良い機会になれば幸いです。(高橋舞)


  
奉納された作物は御社殿前にお供えさせて頂きました


左側には野菜・果物をお供えしました  右側にはお米をお供えしました


社務所から御社殿まで参進します 巫女二名による「浦安の舞」 


最後に社殿前にて集合写真 今回の新嘗祭で小野目神職は権禰宜
になってから初めての大祭奉仕になり
ました。女子神職は大祭時に「唐衣
(からぎぬ)」を着装して奉仕致します


■奥松島海苔生産グループ「月光」への支援船完成(11月24日)
 去る11月24日(土)、東松島市宮戸月浜の奥松島海苔生産グルーブ「月光」への支援事業として海苔養殖作業船の進水清祓式を行いました。
当宮では、昨年の東日本大震災直後より、東松島市宮戸月浜地区への支援活動を行ってまいりましたが、この度の支援は、漁師さん達が「申請している漁船(支援船)」がなかなか到着せず、海苔養殖の作業にも支障が出始めていると、困惑している事を聞きつけた宮司が、遠く大分県に就職し、避難生活をしている所有者に懇願し「被災して修理が必要な和船(第7上崎丸)」を借り受け、当宮に寄せられた「見舞金・義捐金」を活用させて頂き実施されたものです。
10月8日に震災で被災した和船(第7上崎丸・ヤマハ32フィート)を(有)マリンメカニツク(宮城郡七ヶ浜町)に搬送し、修理・儀装を依頼。
「船外機」を始め、養殖作業に適するように「ブリッジ」や「照明器具」「発電機」「象の鼻と呼ばれる部品」などが取り付けられ、新たに純白の塗装が施されて見間違うほどにピカピカに磨かれた上崎丸を前に、月光・山内良裕代表、(有)マリンメカニック・今崎真幸社長と社員の皆様、マリーナのお客さんにもご参列頂き、上崎丸の前に設置された真榊の神籬に「八幡大神様」始め、月浜の鎮守「五十鈴神社の大神様」・「船玉様」をお招きし、修理儀装が無事に終った事への感謝と操業安全を祈願しお引き渡しを行う事が出来ました。
神事に続き、五色のテープで飾られた船上より「撒餅」や「撒銭」も行われました。
「撒銭」の中には、宮司が提供した「金貨」1枚があり、参列した方々は我先に撒かれた福物に群がっていました。
この度の作業船の修理儀装支援は、宮城県内で海苔生産の作業が最も遅れている「月光」の皆さんへの絶好の支援活動となり、月光の皆さんが将来へ希望を持って復旧・復興に邁進される事を願い一神社の小さな支援活動ではありましたが実施させて頂きました。

 被災した第7上崎丸

大型トラックでの搬送作業  (有)マリンメカニックに搬入されました

修理・塗装作業が行なわれました

ブリッジ・タワーを取付け、艤装もほぼ完成 ブリッジには当宮のシールを貼りました

完成した上崎丸操業安全の神事を行いました

切麻にてお清め  「月光」代表 山内良啓氏の玉串拝礼

撤餅、撤銭も行いました  参列者は“金貨”を求めて!!

早速、進水 月浜に向けてマリーナを出発しました


■「月次祭並びに七五三祈請祭斎行」(11月15日)
 去る11月15日(木)、午前10時より月次祭並びに七五三祈請祭が執り行われました。
今年は、三歳の太田ゆずかちゃん御一家と、宮司のお孫さんで五歳の小野目翠君御一家が参列する中での斎行となりました。
始めは、神聖な雰囲気の漂う祭典に七五三参りの2人とも緊張した面持ちでしたが、祭典後に千歳飴を受け取り御社殿前で記念撮影をする際には、素敵な笑顔を見せてくれました。
七五三は、慶安3年(1650)のこの日に、幼少の頃病弱だった徳川5代将軍綱吉の子、徳松公の5歳のお祝いを行ったのが始まりだとされています。今ほど医療の発達していなかった時代、幼児の死亡率は高く、子供は「7つまでは神の子」とされており、7歳で氏子入りをし、初めて「人」として認められたそうです。
また、七五三につきものの千歳飴は江戸時代の中頃、浅草で紅白の棒状の飴が「千年飴」と名づけられ、長い袋に入れられて売られたことが始まりだとされています。鶴、亀などの長寿を表す絵柄の袋に入れられ、子供の末長い健康と幸せを願った縁起物です。
当宮では11月末まで、千歳飴をお付けした七五三のご祈祷を受け付けております。
皆様お揃いでのご参拝をお待ちしております。(日下 瑞季)

ご参列頂いた太田様、小野目様御一家巫女による「萬代の舞」

小さな手を一生懸命に合わせて玉串拝礼を行います

千歳飴を受け取り、最後に御社殿前で記念撮影を行いました


■「仙台ベルフィーユ」必勝祈願祭(11月6日)
 去る11月6日(火)、バレーボールチーム「仙台ベルフィーユ」が10日から始まるチャレンジリーグに向けての必勝祈願の為、ご参拝されました。
まず祈願控所にて大きな絵馬に監督と選手全員にサインを書いて頂いた後、本殿に昇殿し、始めにお清めのお祓い、神職による祝詞奏上、最後にチームを代表して佐々木繁雄総監督、諸隈英人監督、キャプテンの中野清香選手が必勝への思いを込め玉串拝礼を行い、滞りなく必勝祈願祭を執り行いました。
仙台ベルフィーユは平成23年に結成されたばかりのバレーボールチームです。昨年の成績は12チーム中9位と悔しい結果に終わってしまいましたが、今シーズンは八幡様のご加護の元よりよい結果になる事をご祈念申し上げます。(高橋舞)


絵馬にサインを書いて頂きました  昇殿した後、お祓いを受けられました
  
玉串を神前にお供えし必勝を祈願しましたサイン絵馬は、社殿向かって左手側の
建物にて展示しております


第20回 宮城県神社庁主催『国旗のある自由画コンクール』の
 表彰式が行われました 
(10月27日)
 去る10月27日(土)、宮城県神社庁主催の『国旗のある自由画コンクール』の表彰式が宮城県神社庁にて行われました。
 大崎八幡宮では毎年、このコンクールに向けて9月の例大祭を前に4歳児〜小学校6年生を対象に作品を募り、祭典期間中に境内の西回廊と長床前に掲示して展覧会を行います。その後、生徒たちの作品を神社庁に出展し、審査を致します。
 今年は当宮の221点の作品を含み、県内各地から393点の応募があり、県内在住の画家・畠山信行先生を中心に厳正な審査が行なわれ、特選から特別賞まで22点の作品が表彰されました。その中で当宮から出展した作品より特選1点、準特選3点、入選8点、宮司賞1点、特別賞1点の計14作品がめでたく選ばれました。
 受賞者の皆様、誠におめでとうございます。
 また、今回の特選、準特選に選ばれた4名の作品につきましては、これから開催される「社団法人日本国旗協会」主催の全国展に出展されます。


特選「がんばるぞ!つなひき」 準特選「日の丸をかかげた船」 聖ドミニコ学院小学校 1年 土屋 葵さん聖ドミニコ学院小学校 4年 前澤 仁那さん


  準特選  準特選「月と太陽と国旗と」
「きれいだったなオリンピック〜シンクロ〜」
聖ドミニコ学院小学校 5年 中澤 瞳さん
泉ヶ丘幼稚園 年長 藤島 菜桜さん

最後に記念撮影を行いました

 来年もまた、作品の募集を行う予定でございますので、皆様の個性溢れる素敵な作品のご応募を心よりお待ちしております。 (齋藤 優佳)


■閖上 湊神社秋季例祭に行ってまいりました(10月21日)
  去る10月21日(日)、名取市の閖上地区にある日和山にて、湊神社(伊藤英司宮司)の秋季例祭と復興祈願祭が行なわれ、当宮から宮司と氏子崇敬者の西城さん、佐藤仕女の3名で行ってまいりました。
 閖上地区も昨年の津波により甚大なる被害を受け、周囲には家の基礎部分が残るのみの状態になっており、改めて被害の大きさを肌で感じる場所でありました。
 その閖上にある日和山の山頂に昨年6月、湊神社と富主姫神社の神籬(ひもろぎ:神様の依代)が建てられ、氏子の方々の参拝する場が出来ました。
 当日は、天候は良かったものの、風が強く肌寒く感じる中でしたが、日和山山頂に設置された祭壇の前にて午前10時より秋の例大祭に合わせ閖上復興祈願祭が斎行され、伊藤宮司様による祝詞奏上、玉串拝礼の後、総代、氏子、神社関係者の方々による玉串拝礼が行なわれました。
 祭典後、東京都台東区上野に鎮座する下谷神社の阿部宮司様の呼びかけで寄贈された大神輿一基・子供御輿四基の計五基、また山車に乗った大太鼓も日和山周辺を1時間かけて練り歩き、周辺には子供たちの賑やかな掛け声が響き渡っておりました。
 神輿渡御後、広場では下谷神社の氏子さん始め、東京都神道青年協議会や氏子青年会の皆様による縁日(出店)が開かれ、ゲームコーナーや食べ物コーナーが並ぶ各テントの前には子供たちの長い列が出来ておりました。
 今回当宮の小野目宮司は、「わざわざ東京から多くの神社関係の皆様が来てくれているのに、地元の神社が何もしないわけにいかない」との思いと、より多くの皆様にご参加頂こうと、当宮よりマイクロバスを出し、近くの駅や仮設住宅をまわるシャトルバス運行という形で協力をさせて頂きました。


祭典が行なわれた日和山 山頂には神籬が建てられております

山頂からは閖上地区が見渡せます伊藤宮司様による祝詞奏上

宮司・祭員による玉串拝礼  下谷神社 阿部宮司様も参列し、
玉串拝礼を行いました

祭典中、下の広場では法被を着た皆様が広場では閖上太鼓の演奏も行なわれました
御神輿を担ぐときを待ち構えておりました

御神輿が町内を練り歩きました

山車に乗った大太鼓  シャトルバスとして運行した当宮のマイクロバス


■「地久祭」斎行(10月20日)
  去る10月20日(土)、地久祭が斎行されました。地久祭とは、皇后陛下の御誕生をお祝いし、皇室の弥栄を祈念する祭典です。
皇后陛下の御誕生をお祝いすることは、日本の平安と世界各国の共存共栄を意味しており、皇室始め当宮だけでなく数多くの神社にて祭典は行われております。
祭典は当日の朝10時より祭典開始の一礼から始まり、八幡様に神饌をお供えし、宮司による祝詞にて皇后陛下の御誕生をお祝い申し上げました。その後、巫女により御神楽「浦安の舞」が奉奏され、玉串を奉り拝礼を行い、滞りなく斎行されました。そして、社殿から退下した後、境内にある「遥拝所」にて皇居を遥拝致しました。
皇后陛下は日々の御所内外のご公務だけでなく、お若い頃から児童文学に関心を寄せられているおり、平成14年にスイスのバーゼル市で行われた「国際児童図書評議会:IBBY(イビ)」の創立50周年記念大会に名誉総裁として出席された際の祝辞では、絵本と子供を通しての平和や他国理解への思いを語られました。
また、皇后陛下による文章、武田和子さんの絵による「はじめてのやまのぼり」という絵本や、皇后陛下により翻訳をされた、まど・みちおさんの「どうぶつたち」、「ふしぎなポケット」という詩集など数々の本を日本だけでなく広く海外にも出版されております。
秋の夜長に皇后陛下の著書にふれてみてはいかがでしょうか。(山田 友紀)


参進  祝詞奏上

絵本 「はじめてのやまのぼり」 (文:美智子・絵:武田和子)
楽しみだけどどこか不安な山登り。
お兄さんやどこかにいるカモシカに、勇気付けられながら頑張る女の子のお話です。


■ご結婚、おめでとうございます(7月〜9月の本殿挙式)
  7月〜9月にご本殿で挙式をご奉仕させて頂いた方々の中で、掲載のお許しを頂きました方々を、ここにご報告申し上げます。
八幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、ご両家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。誠におめでとうございました。

  
 7月8日 千葉・伊藤 御両家 7月14日 相馬・佐藤 御両家


 9月29日 千坂・石黒 御両家
  
  10月13日午前 安藤・金子 御両家  10月13日午後 メルヴィル・駿河 御両家
■「神嘗奉祝祭」齋行(10月17日)
 毎年10月17日、全国の神社が本宗と仰ぐ伊勢神宮では、今年収穫された作物を天照大御神様にお供えする祭典である「神嘗祭」(かんなめさい)が執り行われております。
この祭典は、「神宮のお正月」ともいわれ、最も重要な大祭で、戦前は祭日にもなっていたそうです。
 10月17日(水)午前10時、当宮におきましてもこの「神嘗祭」に合わせて神宮を遥拝し、大神様の恵みによる収穫を感謝する「神嘗奉祝祭」が本殿にて執り行われました。
まず、神饌(米・酒・野菜・果物の他、海魚や餅を含む)三方を神前にお供えした後、宮司による祝詞奏上、次に仕女2名による「浦安の舞」を奉奏し、最後に奉祝の気持ちを込め玉串拝礼を執り行い祭典は滞りなく斎行されました。
 伊勢神宮は来年の平成25年に「第62回式年遷宮」の年を迎え、20年に一度御社殿や神宝類の全てを古式のままに一新し大御神様に神殿へ御遷り頂く厳粛な祭典が行われます。
 その行事の1つで白布に包まれた白石を新しい神域へと運ぶ「お白石持ち」という神事があり、当宮では平成25年8月18日〜20日の日程で「お白石持ち行事」への参加を兼ねた旅行を企画しております。ご興味ある方、参加希望の方は社務所までお問い合わせ下さい。
  (高橋 舞)


献饌の儀祝詞奏上
浦安の舞玉串拝礼  


■石巻市雄勝町大浜「葉山神社」再建計画のコンサルタント支援(10月4日)
 東松島市宮戸字月浜の「月光」支援より2日後の10月4日(木)、石巻市雄勝町大浜鎮座「葉山神社」(千葉秀司宮司)の再建支援の為に、再建計画のコンサルタント支援に行って参りました。
当日は、当宮「技手」を委嘱して居ります(有)波岡建築設計室・波岡平八先生と、同じく出入職方の(有)木匠・渡邉宏社長と共に千葉宮司さん宅をお尋ねし、葉山神社再建についての計画をお伺いし、御宅でのお話しの後、再建予定の現地で「地形」や「全体の構成」などをお聞きし、波岡先生には早速にでも基本計画をお考え頂く事で葉山神社を後にしました。

 震災以来何度となくお尋ねした御社ではありましたが、現在の状況は、津波によって壊された御社殿の拝殿部分は解体撤去され、本殿部分の一部(宮殿)を残すのみとなっており、山側に傾いたままの宮殿を拝見するにつけ見るに堪えないお姿で、一刻も早くご造営の計画が本格化する事を願うばかりでありました。
当宮では、当宮の御造営の用材を確保する目的で、10年程前より「ヒバ材」を直接原木のまま取得して参りましたが、今回も去る6月に青森県森林整備事業協同組合の「入札会」に応札し、「青森ヒバ」を120?程確保する事が出来ました。
このヒバ材は原木の状態で保管して居りますが、沿岸部被災神社の再建のお手伝いをすることも視野にいれ、必要に応じて製材し提供する予定であります。

 千葉宮司さんの英断により、一刻も早く地域の精神的な拠り所としての「葉山神社」の再建復興を願うものであります。


津波の被害を受けた本殿部分拝殿部分は解体されていました

本殿内部の宮殿再建予定地

総代さんも入り検討中

宮司宅で再建についてお話をお伺いしました

当宮で寄贈した「コンテナハウス」  現在は祈願もここで行なっているそうです


■「仙台89ERS」必勝祈願(10月3日)
 境内を掃き掃除していると最近は栗やどんぐりが落ちているのをよく見かけ、秋の訪れを感じております。秋といえば「スポーツの秋」ということで、今回はこちらをご紹介致します。
去る10月3日(水)、地元仙台で活動するbjリーグのプロバスケットボールチーム“89ERS”の選手スタッフ一同約30名が、10月6日から始まる今シーズン優勝に向け、当宮にて必勝祈願を行いました。
当日は朝から雨が降ったり止んだりと思わしくない天気でしたが、幸いにも午後からは雨は弱まり監督や選手の皆さんは表参道100段の大石段を歩み来社されました。
到着後、控所にて縦1メートル、横2メートルもある大絵馬に必勝の願いを込め、今季の意気込みとサインを書いて頂いた後、本殿にて神職による必勝祈願の祝詞を奏上、玉串拝礼を球団代表であり仙台スポーツリンク代表取締役である中村彰久社長、ヘッドコーチであるロバート・ピアス氏、今シーズンのキャプテンである志村雄彦選手の3名により行なわれました。
祈願修了後には社殿前にて大絵馬を掲げ記念撮影を行い、今シーズンの意気込みを新たにしておりました。
必勝の神様である大崎八幡宮のご加護のもと、89ERSの更なる活躍、そして優勝を心よりご祈念申し上げます。 (山田 友紀)


中村彰久社長を先頭にして表参道を参進選手・スタッフによる大絵馬へのサイン

昇殿し、はじめにお祓いを受けたられました祈願修了後は全員での記念撮影

奉納された大絵馬は社殿西側に  今年から89ERSキャラクター「ティナ君」が
展示されております 刺繍された“必勝守”を頒布しております


■奥松島月浜海苔生産グループ「月光」にコンテナハウス寄贈(10月2日)
  当宮の例大祭も無事盛大理に斎行され、後片付けがひと段落した10月2日(火)、予てよりご要望が寄せられていた奥松島月浜海苔生産グループ「月光」にコンテナハウス(45坪)1棟を搬入、ご寄贈しました。
 既にご承知の通り、「月光」の皆さんは、震災前以前は個人個人で海苔の養殖をしておりましたが、海苔養殖には多額の設備投資が必要となり、壊滅状態の個人では再建が難しいと思われていました。
 しかしながら、月浜地区の漁師さん達7家族8名が共同で海苔生産を開始する事となり、当宮では支援活動を続けて参りました。(詳細は、当宮ホームページをご参照ください。)
当日は、同じく要望があった机・椅子・ロッカー・書架などの「事務備品」を、仙台市泉区に事業所を構える凸版印刷(株)東日本事業本部のご協力を頂き、不要となった事務備品を譲り受け、おなじみの当宮2tアルミバントラックに満載し、台風17号の影響で時々小雨が降る中お昼過ぎに月浜に到着、コンテナハウスの搬入をお願いしていた東北グレーダー(株)と合流し、寄贈設置して参りました。
 宮城県地方も、やっと熱い熱い夏が過ぎ秋風が吹く頃となり「海苔養殖の作業」を開始する時期となりましたが、グループの事業を成功させるには「明確な事務処理」が必要であり、この度の施設備品を必要としている事を聞きつけ実現させたものでした。
 現在の海苔養殖の作業は、海水温が下がらず遅れ気味だった「網張り作業」を済ませたとの事で、例年より2〜3週間程遅れているそうです。

 当宮では、引き続き「海苔収穫」に必要な「和船」を調達し寄贈する予定でおり、多少の修理も必要ですが32フィートの和船を調達できる目途がつき、数日中にマリーナに搬入し修理、儀装の上ご寄贈申し上げる予定でおり、その際にはあらためてご報告致します。


月浜地区の鎮守「五十鈴神社」に参拝です当宮で寄贈した鳥居と幟立てを確認

境内からはあいかわらず平地となった  やっと改修工事が始まった
集落跡地区長さんの自宅です

東北グレーダー(株)のコンテナハウスを設置しました

 凸版印刷(株)のご協力で寄贈された事務用品


■「月首祭・職員辞令伝達式」(10月1日)
  去る10月1日(月)、台風一過の澄み渡る秋空のもと月首祭が斎行され、斎行後の本殿にて小野目稲美出仕への辞令伝達式が行われました。
小野目出仕は今年の4月1日より奉職しており、この度神社本庁より『大崎八幡宮権禰宜』としての辞令が交付され、晴れて一人前の神職として認められたことになります。
伝達式終了後に小野目権禰宜は、「平成24年10月1日付で、大崎八幡宮権禰宜の辞令を頂きました。責任ある立場になり、改めて身を引き締めて勤めたいと存じます。最近、友人より『蘭心竹生』(らんしんちくしょう・蘭の様に華やかな心を持って、竹のようにまっすぐ生きること)という言葉を頂きました。身に余る言葉ですが、体現できるよう修養を積んで参ります。」と語っておりました。
女性の神職を見かけることは少ないかもしれませんが、宮城県では86名が、男性神職と同じように祭典奉仕はもちろんのこと、神道教化育成など多岐にわたって活躍をしております。
小野目権禰宜の今後の活躍を期待致します。(日下 瑞季)


宮司より辞令を受け取り、権禰宜を拝命されました


■全国国宝重要文化財所有者連盟開催(9月28日)  去る9月28日(金)、宮城県松島市にある瑞巌寺にて、『全国国宝重要文化財所有者連盟』(以下全文連)の文化財保護研修会が開催され、当宮から宮司以下3名の職員が参加してきました。
今回の研修会では全国から文化財所有者や関係者の方々約80名が参加され、文化庁文化財部参事官付(建造物担当)文部科学技官の西川英佑氏と(公財)文化財建造物保存技術協会設計監理事務所長の酒巻仁一氏をお招きして、文化財建造物の耐震対策ついてと瑞巌寺本堂の修理の概要についてご講演頂きました。
講演終了後には、瑞巌寺本堂保存修理現場や、瑞巌寺庫裏及び陽得院霊屋、宝物館の見学を行いました。(日野 美咲)


ご講演頂いた西川英佑氏と酒巻仁一氏



スクリーンを使ってご講演頂きました


■幻の珍魚『鉄魚』を飼育することになりました(9月17日)   夏から秋の変わり目になると、昼夜の寒暖の差が強く感じられるようになりました。
今日はそんな気温差にも耐えながらも頑張る八幡宮の新しい仲間を紹介致します。

この魚は「鉄魚(てつぎょ)」といって「鉄魚の守人(もりと)」の方々により奉献され飼育することになりました。
鉄魚とは、大変珍しい魚で、大正11年に宮城県加美郡の魚取沼(ゆとりぬま)で群れを成して生息しているのを発見されました。突然変異により鰭(ひれ)が長くなった鮒として、昭和8年には国の天然記念物に指定されましたが、過大な捕獲や採集圧により近い将来絶滅が危惧されるという事で、平成13年には環境省により『絶滅危惧種』にも指定され、現在は野生の鉄魚の推定生息数は数百匹ほどしかいないそうです。
全国の川や池でもごく稀に鉄魚が生息していますが、魚取沼のように群れを成して生息しておらず、魚取沼の鉄魚は学術的にも大変貴重な存在とされています。
寿命はとても長く、80年とも言われており、体色は鮒と同じく煤褐色で「鉄魚」という名前もそこから来ていますが、稀に白、橙黄、赤、黄、青、茶、黒に変化する鉄魚もいます。その泳ぐ姿はまるで天女のような美しさを感じずにはいられないでしょう。
皆様もご参拝された際には、是非この優雅に泳ぐ鉄魚をご覧になってはいかがでしょうか。
(山田友紀)


西回廊の北側にある水槽にて飼育しております。


■例大祭齋行(9月15・16日)   大崎八幡宮の例大祭は、大祭式で行われる最も重要な祭典のひとつであります。また例大祭は、八幡大神様の「おまつり」として齋行されます。氏子崇敬者が、お守りくださる八幡大神様に感謝し、御神徳を称える祭典でもあります。
 平成21年から神幸祭奉仕者の関係もあり八幡様の例祭日である15日に近い日曜日に神幸祭を齋行して参りました。
 今年の例大祭は、9月1日の「鳥居祭」から始まり、15日の「献饌式」「能神楽」、16日の「神幸祭」「流鏑馬神事」など神賑行事がありますが、「献饌式」は八幡大神様に、お米・お酒・海の幸、山の幸をお供えし、例大祭が盛大に事故なく齋行される事を祈念します。また、同日の夕刻より行われる「能神楽」(宮城県無形民俗文化財)は献饌式後に神様を和ませるという「饗宴」の形を今に伝える伝統行事であります。
 16日に行われた「神幸祭」(神輿渡御)は、御社殿での献饌式ではご参列に限りがある為、広く地域の方々が神恩に感謝し御神徳を称える機会を設けるとともに、地域の発展と安全を願う神事であり、その奉仕者は氏子区域はもとより仙台市内一縁から500名を超える方々に毎年ご奉仕頂いております。
 次に行われた「流鏑馬神事」は当宮創建から続いている神事で、今年は毎年ご協力頂いている馬術振興会の他、震災の復興支援も兼ねて相馬中村神社からも馬をお借りし、合わせて4頭の馬で齋行しました。
 例大祭の日は、不安定な天気が心配されますが今年は秋晴れの元、無事盛大に執り行われました。八幡大神様もさぞかし喜んで頂けた事と思います。   (高橋 舞)

■「鳥居祭」(9月1日)  鳥居祭とは「大崎八幡宮 例大祭」にて一番始めに行なわれる祭事であり、9月15日、16日に執り行われる例大祭が無事、盛大に執り行われるよう祈念し、齋行されるお祭りです。
当日の早朝より境内各所の注連縄を新しく張替え、準備作業に入ります。そして、最も御神前に近い鳥居である「三之鳥居」には罪穢れを防ぐために縄が張られ、来たる例大祭神幸祭当日までは通行禁止となります。
そして、9月16日の神幸祭神輿渡御の出幣式の際、裃姿の先達の手により縄が切断され、三之鳥居を神輿が通った後に初めて一般の方々の通行が許されます。
(山田 友紀)


大麻と切麻を用いて鳥居を祓い清めます例大祭までの清浄をお守りいただく神様に
神饌をお供えします

神饌は(御酒、鰹の生節、梅の酢漬け、茄子の漬物)です 宮司による玉串拝礼

伝幡八幡井組雀踊り保存会による雀踊り奉納演舞終了後、同じく社務所前の杉の木、
北参道鳥居も御祓いしました


■「鈴の緒奉納式」(9月11日)  お参りする際に必ず目にする御社殿前の色とりどりの「鈴の緒」。多くのご参拝の方々の思いを受け止める大事な役目であります。
 毎年例大祭を前に、崇敬の篤い方々のご奉納により新たな鈴の緒が調整されており、本年は211本のご奉納を頂きました。
 鈴の緒には、御祈願の成就を祈念し、ご奉納頂いた方のお名前と祈願名を一枚ずつ浄書します。一緒に鈴の緒の作り方をして頂ける方をご奉納の方々より募り、今年は32名の方々にお手伝いして頂きました。
 出来上がった鈴の緒はそのまま御社殿にて奉納式が斎行され、その日に御社殿に下げられます。   (齋藤 優佳)


  祈願名・氏名を浄書した色とりどりの布を広げ、何枚も重ねていき、1本にまとめていきます
    
  1本にまとめた布をねじりながら編みこんでいきます
 皆さまのご協力のもと3本出来上がりました 本殿にて奉納式を斎行し、記念撮影をしました

■「献饌式」(9月15日)  献饌式とは、八幡大神様にお米・お酒をはじめとして海の幸・山の幸をお供えし、例大祭が事故無く盛大に齋行されるよう祈念する、とても重要なお祭りです。
祭典は午後3時から行なわれ、役員総代の他、氏子崇敬者約42名の方々が参列されました。
まず、神饌(お供え物)を献饌した後、宮司が祝詞を奏上し、十二単を簡易的にした「本装束」と呼ばれる装束を纏った巫女2名による「浦安の舞」が奉奏され、最後に宮司・役員総代ら参列者が玉串を神前に捧げ、今年も例大祭が無事盛大に行なわれるように祈願致しました。 
(高橋 舞)


10種類ものお供え物を神様に献饌します 宮司による祝詞奏上

巫女による「浦安の舞」  玉串を神前に捧げます
 参列者全員玉串拝礼致しました


最後に社殿を背景に記念撮影


■「ちびっこまつり」(9月15日)  今年は昨年同様、輪投げとだるま落としゲームをしました。
子供たちはとても楽しそうにゲームをしており、輪が入ったときには歓声を上げていました。
最後は設置していたスクリーンに誰もが知っている大人気のAKB48の曲を映し出し、歌って踊れる舞台に一変しました。 (齋藤 優佳)


ゲーム参加のために、  職員手作りのだるま落とし!毎年人気者です
長蛇の親子の列が出来ました

みんなに見守られながらの輪投げ。狙いを定めて…!!素敵な景品も待ってます


■「能神楽奉奏」(9月15日)  15日の夕刻より行われた「能神楽」は、神様を喜ばせる神事の一つとして、とても重要な伝統行事です。当宮の能神楽は「大崎八幡宮能神楽保存会」の方々により奉奏され、その演目はかつて18番もあったと伝えられております。現在はその中の「神拝(じんぱい)」「龍天(りゅうでん)」「摩応(まおう)」「三天(さんてん)」「子弓遊び(こゆみあそび)」「将足(ひょうそく)」「四天(してん)」「獅子取り舞(ししとりまい)」の8番が奉奏されております。「大崎八幡能神楽」は数ある宮城県の能神楽の中でも特に格調と気品あふれる芸風を誇り、宮城県無形民俗文化財に指定されております。その主な特徴は足を摺るように静かに舞い、「能」の所作に良く似ているため「能神楽」と呼ばれております。   (山田 友紀)


「神拝(じんぱい)」「龍天(りゅうでん)」

「摩応(まおう)」 「三天(さんてん)」

「子弓遊び(こゆみあそび)」 「将足(ひょうそく)」


「四天(してん)」「獅子取り舞(ししとりまい)」


■「神幸祭」(9月16日)   当宮の例大祭において最も盛り上がりを見せるのが、「神幸祭・神輿渡御(みこしとぎょ)」で、大神輿、女御輿、子供御輿の3基が町内を練り歩きます。大神輿は、1組約40名の男性によって担がれ、御霊代(みたましろ)を遷すと約1tの重さがあるといわれております。
9月1日の鳥居祭で、縄が張られた三之鳥居前にて「出幣式」が行われました。神職による御祓いの後、川上総奉行によって縄が断ち切られ、神輿が鳥居をくぐり、町内へと出発いたしました。
500名を超える奉仕者により、約200メートルの行列になる神輿渡御は、八幡小学校、国見小学校、大平メンタルクリニックに御旅所を作ってお休みし、地域の皆様にお茶などのご接待を頂き、青空の下、無事に八幡宮へと帰ってくることが出来ました。
ご奉仕頂いた皆様、暑い中、大変ご苦労様で御座いました。
(角崎 芽生)

  
神幸祭奉仕者は神職により御祓いを受けます川上総奉行により三之鳥居が開通

宮司も馬に乗って巡幸致しました 長い行列で町内を練り歩きます

華やかな“女御輿”  元気一杯“子供御輿”

御旅所祭  スイカを食べて水分補給!!

大階段を一気に駆け上ります  無事、八幡宮へと帰ってきました


■「居合道奉納演武」(9月16日)  御神輿が出発した後、午前11時より御社殿前にて宮城県剣道連盟居合道部会の皆様による『居合道奉納演武』が行われました。
始めに御社殿にて奉納安全祈願祭を行い、その後御社殿前に移動して庄子神輝様による「詩吟―居合吟―」から始まり、「日本剣道形」、「試斬り」、「杖道演武」、「居合道演武 少年の部・一般の部」、「剣舞―甲斐残影―」と続き、最後に「夢想神伝流居合道模範演武」が行われました。
普段は見る機会の少ない居合道演武に参拝者の方が大勢集まり、菅井吉秀様が「試斬り」を行なうと、回りからは歓声が上がっておりました。 (日下 瑞季)


庄子神輝様による居合吟  日本剣道形

試斬り 杖道演武

居合道演武 剣舞―甲斐残影―


■「流鏑馬神事」(9月16日)  当宮の流鏑馬神事は、伊達藩5代藩主、伊達吉村公により作られた「大崎八幡来由記」にも描かれており、今日まで受け継がれている大変歴史のある神事です。
当日は、15時30分より無事に神事が齋行されることを祈念し、出陣式が行われました。
流鏑馬神事は、馬場祓所役1名、射手3名、馬4頭が神職より御祓いを受け、先に2回の早駆けが行われた後、馬場祓所役が馬に乗り、馬場元から馬場末を祓い清めてから執り行われます。
流鏑馬は本来200mの距離が必要といわれておりますが、当宮は170mと少し短く、コースを等分し3箇所に的板を設置します。射手は1回の走行の際に、3本の矢を携え、的をめがけて3回矢を放ちます。
今年の結果としては、49枚の的をご奉納頂き、27射中13射が的中となりました。例年通り、流鏑馬神事は多くの参拝者の方にご覧頂き、馬が走るたびに拍手と歓声が沸きあがり、無事に齋行することが出来ました。  (角崎 芽生)


馬場祓所役により馬場が清められます 的中なるか?!

見事、的中!!


■「女川潮騒太鼓轟会演奏・神賑演芸大会」(9月16日)  今年の神賑演芸大会は、震災で被害をうけた地域の皆様をご支援申し上げようとの事で、県内沿岸部被災地域で活動されている方々をお招きして、ご奉納頂きました。
正午より広場特設ステージにて、「女川潮騒太鼓轟会」による演奏が行なわれました。
轟会の活動拠点である女川町は東日本大震災により多大な被害がありましたが、沢山の方々からのご支援とご協力を頂き、現在は週2回の練習が出来る様になったそうです。
当日は太陽が照りつける中、秋空に轟くような力強い太鼓を披露し、演奏できる喜びが伝わってくるようでした。
また午後6時より例大祭の締めくくりとして、広場特設ステージにて行なわれるのが「神賑演芸大会」です。
「倭多里道の会(わたりみちのかい)」による和太鼓の演奏や、国指定重要無形文化財に指定されている「雄勝法印神楽」の奉奏、「伊達長渕会 SHOWA」によるバンド演奏が行われました。
演芸大会後には恒例の大抽選会が行われ、特等賞の胡蝶蘭や1等賞の自転車など、地元商店や関係業者の皆様よりご奉納頂いた様々な景品計136本が用意されました。
番号が読み上げられるたびに広場には一喜一憂する声が広がり、天候に恵まれた今年の例大祭は盛大に締めくくられました。  (日下 瑞季)


女川潮騒太鼓轟会         倭多里道の会

雄勝法印神楽        伊達長渕会 SHOWA


■ボーイスカウト仙台第27団サマーキャンプ (8月25日〜26日)  外国生まれのボーイスカウトは、主に野外活動による青少年育成活動が中心で、8月に上進式があります。いわゆる入学式と卒業式です。
 それに伴いこの時期にはキャンプと上進式がありますが、今年は該当する上進隊員がいなかったため、奥松島(宮戸島)でサマーキャンプとして舎営訓練を行いました。奥松島は東日本大震災で大きな被害を受けましたが、その中の月浜地区では積極的に外部の人を受け入れ、様々な「復興活動」が行われており、今回の夏キャンプは被災地支援の意図も含まれていました。
 例年、キャンプは神社の境内で行うことが通例ですが、今回は以前から開催されている「宮城県東松島市奥松島体験ネットワーク」に参加する事となり、加えて、ある企業法人が企画している「被災地の子供達を元気にするプロジェクト」により、舎営(宿泊)、シーカヤック、地引網、バナナボート等の各種野外体験、バーベキュー等のプログラムが準備されており、安価に実施することができる大変ありがたいお話でした。

 ―キャンプ一日目―(8月25日) 午前10時に開会式を終えたあと、バスに乗り込み、一路「奥松島月浜」を目指します。
到着後の体験第一弾は「トレッキング体験(稲ケ崎コース)」です。奥松島だけあって、浜の周りはほとんどが小高い丘。
  丘といってもそれなりに急なのですが、トレッキングコースが作られていて、今回歩いたのは「稲ケ崎」というところです。
「木のトンネル」をくぐりぬけて、椿の並木を通ったりして登りつめた場所からは、はるか向こうの北に牡鹿半島、南に福島新地が見え(ガイドの説明があります)、この日は快晴でまさに絶景でした。
午前中のプログラムを終えると昼食が用意されていました。持参したおむすびの他には焼き牡蠣、ワカメのしゃぶしゃぶ(ポン酢でいただきます)、昆布の佃煮ののり手巻き、カニ汁。不断は食べられないようなご馳走で、美味しいものばかりでした。
午後の体験は「地引網」です。海岸に地引きの網を仕掛け、全員で砂浜に引き寄せて漁の収穫体験をします。
網と獲物と藻類が海の中で抵抗となって、かなり力が要ります。引き上げる頃には全員汗だくになっていましたが、タコ、ウニ、大小さまざまな魚が採れ、まさしく「大漁」でした。
それが終わると子供達は磯遊びに夢中です。バナナボートに乗って湾内を一周したり、貝殻を集めたりと、あっという間の一日でした。
夕食は舎営場所である民宿「かみの家」で頂きました。ヒラメやタコなど刺身、カキ酢、ホタテバター焼き、焼き物、魚のから揚げ、ゆでカニ、イクラ醤油漬け等、まだまだたくさんありました。しかもすべてが美味しい。ご馳走さまでした。
夕食後はみんなで持ち寄った「花火大会」です。街灯が少ないためどうしても夜は暗いんですが、それが逆に花火の華やかさを演出し、子供たちも楽しめたようです。
以上で一日目のプログラムは無事終了。結構盛りだくさんではありましたが、疲れた様子も見せずがんばってくれました。明日に備え21時消灯です。

 ―サマーキャンプ二日目―(8月26日) 午前6時起床。洗面、朝礼、朝食などを終え、8時30分から体験開始です。
二日目の体験は「ウミネコの餌付け」と「かご漁」の二つです。
船着き場から船に乗りこみ一人一人にウミネコの好物の「えびせん」が配られ、いよいよ出発です。
ポイントに到着し、えびせんの袋を開けると・・・匂いに呼びよせられるのでしょうか、かなりの群れが船の上空を覆います。ガイド漁師の方からは、「強くつかみすぎると指ごとつつかれるぞ!」と注意が喚起されます。正直怖いです。恐る恐るえびせんを親指と人差し指でつまみ、手をあげて差し出すと・・・器用にえびせんだけ食べてくれます。
えびせんがなくなり、ウミネコが満腹になると奥松島の地勢ガイドがはじまります。シーカヤック体験で抜けられるトンネルや、震災で形が変わってしまった岩の説明などがあり、ぎりぎりまで近づくとまさに「岩の壁」でこちらも絶景です。
最後の体験は「つぼ漁」です。仕掛けた場所についた後は・・・・ロープを引き上げます。
入っていたのは、大人の手のひらサイズのカニ「クリガニ」。つぶ貝、そしてアナゴ。「クリガニ」はメスのほうがお腹がふくらんでいて、おいしいそうです。これらの漁獲物はお昼のバーベキューで食べることができるそうで、今から楽しみです。都合三箇所でつぼ漁を行いましたが、その全てでアナゴが獲れ、昨日の地引網に引続き「大漁」でした。時期がよかったのかと思います。
船から降りると浜辺で水遊びとすいか割りです。
すいか割自体は、的確なアドバイスよって次々命中するものの、中々割れない・・・青竹だったため、竹自体がしなっていたようです。それでもなんとか割ってお昼のデザートにしました。
そして先ほどの漁獲物を使ったバーベキューの昼食です。新鮮なアナゴやつぶ貝の網焼き、特にカニの味噌汁は薄味仕立てでカニの風味が良く味わえる大変おいしいものでした。
二日目の体験中に初老のガイドさんと話をする機会が結構あったんですが、色々な話を聞くことができました。たくさんのボランティアさんが来て手伝ってくれた話、この月浜の被害は大きかったけれど、全員が避難したため一人の死者も出なかった話。
その中でも、「古い人は『今の若者は・・・』ってよく言いますよね。でも、その若い人が、月浜でボランティアしていってくれたんですよ。本当に一生懸命に。何の見返りも求めずに。それは結局、親御さんがそういう子を育ててこられたってことだと思うんですよね。私は口だけしか動かさない人にだけはなりたくない。だから彼らの気持ちに応えるためにも、この体験学習を通じて俺達の元気な姿を発信しないとって思ってるんですよ。」
この言葉は、心に残りました。スカウト活動に通じるものがあると思います。
  多くの人のちからで復興に向かっていること、復興してもその感謝の気持ちを忘れないこと、きちんと子どもたちに伝えなければと思いました。
体験学習はこれら以外にもまだまだたくさんあり、来年も是非お邪魔したいと思いました。
(宮ア 徳寛)


開会式です 舎営訓練がんばります             舎営地の民宿「かみの家」 

地引網体験 大漁でした                            バナナボート   怖くなかったよ!

朝食  残さず食べて体力つけます                   ウミネコ餌付け体験へ出発

ウミネコの大群 びっくりしました               岩のトンネル シーカヤックで抜けられるそう

つぼ漁 カニ つぶ貝 アナゴが採れました         お昼のごちそうです おいしそう
  すいか割り  なかなか割れないな                  トマト狩り  赤いのがおいしいよ 

お昼のバーベキュー  上手に焼けました           先ほどのアナゴ  おいしく頂きました

同じくカニ いいダシが出ていました              やぐらのぼり  頂上もこわくない!


■福島県相馬市に行ってまいりました (8月24日)  去る8月24日(金)、相馬市に鎮座している「相馬中村神社」と「たちばな甲冑工房」へ震災のお見舞いと、例大祭の馬借用のお願いに、宮司以下、谷津田、菅原(啓)両権禰宜の3名でお伺いしました。
まず、相馬中村神社を参拝、田代宮司さんにご挨拶をした後、馬屋を見せて頂きました。震災後に持ち主不明の馬を多数預かり、本来の持ち主を探す為に大変苦労なさったそうで、現在でも持ち主不明の馬が1頭いて、懸命に世話をしているという話をお聞きしました。
相馬中村神社は、およそ千余年前の承平年間(931〜937年)に相馬氏の先祖である平将門が国家安泰、国民諸業の繁栄を祈念し、国猿島郡という所に妙見社(みょうけんしゃ)を創建したのがはじまりとされています。現在の中村神社は、慶長16年(1611年)に相馬利胤(そうまとしたね)公が相馬中村に城を遷した際に中村城内に遷したものです。
神事で有名なのが、7月に齋行される野馬追(のまおい)です。野馬追の起源は古く、平将門が原野に群がる野馬を捕らえて妙見様に奉納したことが由来とされています。明治以降は野生馬がいなくなり、神旗争奪戦に切り替えられましたが、千余年の歴史があり、国の重要無形文化財に指定をされています。
次に、毎年の例大祭で馬具の関係でお世話になっています、たちばな甲冑工房の橘斌(さとし)さんにご挨拶をしに伺いました。
橘さんは22歳の頃、父君の後を継いで以来、50年以上ものキャリアを誇る甲冑師で、数々の甲冑の復元、製作に携わってきた方です。
当日は、野馬追や馬具・馬装、仙台の歴史、甲冑などについて、宮司と共にジョークを交えながらお話をされていました。甲冑師という立場で、いろいろなものに興味を持ち、勉強されていることを感じました。
当宮では、例大祭の準備を進める頃となりましたが、福島県相馬市でご活躍されておりますお二人のお力をお借りして、今年も、無事に盛大な例大祭が齋行できます様に準備に励みたいと思います。(菅原 啓生)


相馬中村神社、今でも震災の痕跡が残っております
  
宮司様、禰宜様に馬借用のお願いをして参りました

境内にある馬屋を見せて頂きました

馬の輸送に使うトラックもありました 

宮司と甲冑師の橘さん  たちばな甲冑工房はご自宅の隣にあります

■〜被災地支援の一環として〜
「八幡宮Tシャツ」が出来上がりました
(8月21日)  去る8月21日(火)、以前7月に注文をしていた「八幡宮Tシャツ」が出来上がり、御礼のために再び女川町の“コンテナ村商店街”を訪ねました。
この「八幡宮Tシャツ」は、職員が夏場、作業をする際に着ているもので、ご参拝の皆様もご覧になられたことがあるかもしれませんが、平成18年に行なわれた御鎮座四百年記念大祭の記念品として作成されたもので、黒色で生地が厚いため、夏場は暑いとのことで、新たに作成する話が持ち上がり、今回の注文となりました。
新たに注文したお店は、女川町で店舗を構える(有)マルサンという会社で、震災後八幡宮にて支援の手伝いをした“コンテナハウス商店街”で営業しております。もとのお店は津波の被害により避難を余儀なくされましたが、社長の高橋殿はコンテナハウス商店街でお店を再開させ、女川を復興させる事を使命とし、女川町商工会の青年部会員としても精力的に活動している方です。

 そして、来る9月16日(日)正午、当宮例大祭にて高橋殿の同級生が所属している、「女川潮騒太鼓轟会(おながわしおさいたいことどろきかい)」の皆様による太鼓演奏が境内広場の特設舞台にて行なわれます。
皆様お誘い併せの上、被災地復興にむけて奮闘している皆様の力強い演奏を楽しみにご参拝下さい。


入口には可愛い看板も掲げられています ハウスの中には沢山の商品が並べられています

(有)マルサン 社長の高橋殿です 女川潮騒太鼓轟会の手ぬぐいも販売しております


■伶楽舎主催の雅楽合奏会に参加してきました(8月17日)  去る8月17日(金)、伶楽舎との雅楽合奏会が、東京都新宿区にある千日谷会堂にて行われ、新村権禰宜(龍笛)、宮崎権禰宜(篳篥)、菅原権禰宜(笙)、高橋仕女(龍笛)、日野仕女(篳篥)、日下仕女(笙)の計6名が参加させて頂きました。
 初めの1時間は各管に分かれてのパート練習、その後は合奏練習が行われました。
 計3時間という短い時間の中で、少しでも技術を盗もうと練習しましたが伶楽舎の方々に技量の違いを痛感させられました。
 それでも、職員だけで練習するより為になる時間を過ごせたと感じることができ、この合奏会を活かし、今後も技術の向上を図っていきたいと思います。 (日野 美咲)


 千日谷会堂の地下で合奏をしました  篳篥の宮崎権禰宜と日野仕女

  龍笛の新村権禰宜と高橋仕女  笙の菅原権禰宜と日下仕女
■神明社にて「植樹祭」に参加しました(8月14日)  去る8月14日(火)、亘理町吉田浜の神明社で「みんなの鎮守の森植樹祭」が開催されました。
 第一回の八重垣神社に続き二回目となる今回、地元の氏子さんたちを中心に約250名が集まり、当宮からは3名が参加致しました。
 10時から行われた開会式では、今回の開催場所となった神明社の相原たか子宮司様から参加者への感謝の言葉を頂き、続いて日本財団常務理事の佐藤英夫様、神社本庁総長の田中恆清様、宮城県神社庁長の千葉博男様よりご挨拶を頂いた後、NPO国際ふるさとの森づくり協会理事長の高野義武様より「宮脇方式」の植樹方法についての説明を受け、それぞれの場所に分かれて植樹を始めました。
 宮脇方式とは、多数の種類の苗を密植、混植させて自然により近い姿で木々を育てる方法で、高さ約50センチ程の苗を上から下へと順番に植えた後、土が隠れるように大量の藁を敷き詰めて、風で飛ばされないように縄で固定します。藁を敷く事によって土の中の水分を適度に保つことができます。また、藁が枯れて腐ると土と一体となり、植物の成長に良い栄養にもなります。
今回の植樹祭には、東京六大学野球選抜チームの23名も参加しており、率先して作業を行ってくれたおかげで、予定時刻よりも早く植樹作業を終えることができました。
 植樹を終えて、境内は植えられたばかりの21種類、1,118本の苗木で鮮やかな緑色に染まっておりました。
 今現在の神明社は、仮の建物内に三重県鈴鹿市の伊奈冨神社から贈られた御神殿をお祀りしておりますが、11月には境内に新しい御社殿が建立される予定だそうです。
 その頃には、私たちの植えた小さな苗はどのくらい大きく育っているのでしょうか。“鎮守の森”の成長が楽しみです。  (日下 瑞季)


  三重県の伊奈冨神社から贈られた御神殿 植樹をした21種類の苗木

 木の名前を皆で唱和します 植樹前の様子

上から下へと植えていきます  東京六大学選抜チームの皆様

 最後に藁を敷いて縄で固定します 御社殿が建立される予定地

植樹が終了しました。鎮守の森の成長が楽しみです。
■第二回「雅楽の夕に、」が開催されました(8月13日)   当宮では毎年8月12日に八幡様が当宮に遷座された日を記念して「御鎮座記念祭」が齋行されておりますが、昨年の震災を機に翌13日には、雅楽の演奏会「雅楽の夕に、」を開催致しました。
 当宮職員に「笙」と「巫女舞」をご指導頂いている宮田まゆみ氏を実行委員長として「伶楽舎」の皆様の協力を頂き、昨年は「鎮魂」をテーマに開催しましたが、今回は、「復旧・復興」をテーマとし「雅楽の夕に、」と題した演奏会を開催しました。新しい明日を創り始めている東北の皆様を雅楽を通じて後押しできればとの思いで、伶楽舎、八幡宮職員、そして一般の方も雅楽器を持参しての参加となりました。
 演奏会は、伶楽舎による鎮魂の意を込めた「振り鈴の儀」(鈴、石笛による演奏)、「平調音取(ひょうじょうのねとり)」、「五常楽急(ごしょうらくのきゅう)」が演奏された後、宮田まゆみ実行委員長から挨拶を頂き、続けて一般参加者も舞台に上がり一緒に「越天楽(えてんらく)」、「陪臚(ばいろ)」が演奏されました。

 次に、伶楽舎の音楽監督を務め、当宮で龍笛をご指導頂いている芝祐靖氏による横笛独奏曲「呉公快哉(ごこうかいさい)」「伎楽(ぎがく)」が演奏されました。
日本には奈良時代頃に雅楽とは違った「伎楽」という音楽があったのですが、平安時代の後半になると忽然と姿を消してしまいました。
 しかし、昭和55年10月の東大寺の昭和大修理竣成法要の際、「伎楽」を復興奉納した芝氏が、新しく伎楽曲を19曲作り上げました。「呉公快哉」はその内の1曲で、「暴れる獅子をなだめる呉王の勇壮な姿と軽やかに舞う呉女の音楽」を組曲としたものです。参拝者の方々始め職員も合奏とは違う龍笛一管の音色に心を奪われておりました。

 その後、大崎八幡宮神前神楽「萬代の舞(よろずよのまい)」を仕女4名で奉奏した後、宮司、宮田氏、奥松島月浜海苔生産グループ「月光」関係者4名の計6名により「震災復興 大きな明日へ」をテーマにし、震災の実体験を元に、震災から立ち上がろうとする月浜の皆さんの取り組みを伺いました。月浜で生産された海苔は、当宮では御祈願の撤下品として使用しておりますが、東日本大震災の津波の被害によって生産が困難となり、事業再建については先の見えない状況でした。そのような中、再開に向け心を一つにするため月浜の生産者により、共同生産グループ「月光」が立ち上げられました。
 当宮では支援金のご協力を参拝者にお願いする他、職員の有志により、月浜で今秋の海苔養殖の準備作業をお手伝いをするなど僅かながらも継続的な支援活動をして参りましたが、未だ困難な状況は続いております。

 また、トークの中では宮田氏より昨年に引き続き今年も当宮で頒布している「まけないぞう」についての紹介がありました。「まけないぞう」は元々、平成7年に発生した阪神・淡路大震災から取り組みが広がり、被災者のストレスになりがちな避難所での生活において、生きがい・仕事づくりを提供する目的で行われたのですが、昨年の震災により神戸から東北へ“絆”を結んでくれました。
 この「まけないぞう」は岩手県で被災した方々の手によって作られたもので八幡宮の授与所にて400円で頒布しており、被災者への支援金になります。ひとつずつ表情が違うのでお気に入りのぞうを見つけてみてはいかがでしょうか。
トークの後、伶楽舎による、「太食調・調子(たいしきちょうちょうし)」、「舞風神 急(まいふうじん きゅう)」(作曲/芝祐靖氏)が演奏された後には、名曲「越天楽(えてんらく)」を演奏し、皆様には演奏に合わせて唱歌(しょうが)を歌って頂きました。
 次に、一般の方と伶楽舎で「鶏徳(けいとく)」を演奏し最後には、大崎八幡宮神前神楽「青葉の舞(あおばのまい)」を仕女2名で奉奏し、「雅楽の夕に、」は幕を閉じました。 今回の演奏会を通じて、僅かながらも大崎八幡宮として行ってきたこれまでの支援活動をこれからも継続的に行う事を確認し、また少しずつでも被災地の力になっていこうと誓い合いました。(角崎 芽生)


 宮田実行委員長による挨拶伶楽舎との演奏は貴重な体験でした
  
  呉公快哉を演奏する芝氏  萬代の舞

震災の被害を写真で痛感し、復興に向けて何が出来るか改めて考えさせられました

  色々なぞうが居るのでぜひご参拝の際、授与所にお立ち寄り下さい
 「青葉の舞」を奉奏し、無事に終演となりました


■「御鎮座記念祭」斎行(8月12日   うだるような暑さが続いております。ひぐらしの鳴く頃には少しは涼しくなるのではないかと期待しております。この度の祭典はそんな残暑のなか、去る8月12日(日)夕刻、『御鎮座記念祭』が斎行されました。
仙台藩祖伊達政宗公は、仙台開府後、仙台城の乾(北西)の方角に当たる現在の地を鎮座地と定め、四ヶ年を要して御社殿を造営し慶長12年8月12日に御鎮座致しました。その後政宗公に続く歴代仙台藩候だけでなく、仙台城下の人々に仙台総鎮守として、現代に至るまで多くの方々に崇敬されて参りました。
「御鎮座記念祭」は、平成8年に御鎮座三百九十年を記念し、斎行され、本年で17回目を迎えることとなりました。
御鎮座記念祭にて『舞』を奉仕する神職と巫女は、雅楽演奏団体『伶楽舎』の一員であり、笙の演奏家としても有名な宮田まゆみ先生に稽古をつけて頂いており、更に職務を終えた後、先輩の巫女さんに指導を受けながら個人での練習にも取り組んできました。

 今年の祭典にて奉納された舞は3種類で、それぞれを以下の通り紹介致します。

 『青葉の舞(あおばのまい)』 平成18年の御鎮座四百年を記念し、大崎八幡宮の神前神楽として作曲、舞、装束等の準備が進められ、2年後の平成20年に初演となった『巫女舞』です。
 『入りそめて 国ゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ』 この伊達政宗公が仙台開府にあたり、その末永い繁栄を願って詠んだ歌に合わせ、舞う政宗公に相応しい勇壮な舞になっており、前半は真榊、後半は花束を手にした巫女の四人舞又は二人舞にて奉仕されます。

 『其駒-人長舞(そのこま-にんじょうまい)』 宮中御神楽の一つです。最初は拍節のない「三度拍子」、続いて拍節のある「揚拍子」で同じ詞が歌われ、揚拍子では輪榊を手にした「人長」が舞を舞います。この「人長」の持っている榊につけた輪は、御神鏡を象ったものだといわれております。

 『浦安の舞(うらやすのまい)』 昭和15年10月10日に開かれた「皇紀二千六百年奉祝祭」に合わせ全国一斉に奉奏され、それ以降全国各地の神社にて奏されているものです。昭和天皇さまが日本や世界の平和を祈り読まれた歌に合わせ舞を奉奏します。装束は十二単(じゅうにひとえ)を元に作られた「あこめ装束」を纏い、前半は扇の舞、後半は鈴の舞から成っております。

 おそらく、神主さんや巫女さんのお仕事と言えば、白衣に袴姿でお守りを頒布したり、御祈願を斎行したりと、清楚なイメージを思い浮かべると思います。
しかし当宮では、祭典行事が近くなると、紺色の作業着姿でまるで土建屋の様な仕事もしており、この雅楽・舞の奉奏が行われた舞台も実は、当宮職員により設置されたものなのです。連日、炎天下での作業であった為、職員は汗を拭いながら、舞台・テントなどを舗設しました。
当日は、猛暑日ながらも曇りが続きましたが、祭典時に雨が降ることは無く、御鎮座記念祭は無事齋行できました。
また今年の御鎮座記念祭は日曜日に行われたということもあり、沢山の方々にご参拝いただき、多くの方々と共に八幡様のお祝いが出来たことを喜ばしく感じます。 (山田友紀)


献饌の様子青葉の舞

其駒-人長舞 浦安の舞


七夕祈願祭齋行(8月8日)   8月8日(水)夕刻4時より、本殿にて七夕祈願祭を齋行致しました。
当宮では7月1日より1ヶ月間にわたり、御社殿前に笹竹を設け、ご参拝にいらした方々に自由に願い事を書いて頂いております。
当日の七夕祈願祭には、味の素コミュニケーションズの皆様方がご参列され、御神前に色とりどりの短冊を奉納されました。
祈願祭終了後、当宮に奉納された2本の笹竹の御祓いも致しました。
尚、御初穂料を添えて短冊を奉納された方々には、祈願札をお送りさせて頂きましたので、どうぞ神棚にお祭り下さい。
皆様方の更なるご発展ご活躍をお祈り申し上げます。 (日下 瑞季)

 七夕短冊奉納をお申し込み頂いた企業・団体(受付順) 東京都江東区  (株)ダイエー殿
愛媛県伊予郡  (株)フジ エミフルMASAKI殿
宮城県仙台市  田中貴金属ジュエリー(株) GINZA TANAKA 仙台店殿
東京都中央区  味の素コミュニケーションズ殿
愛知県岩倉市  あいち歯科殿
千葉県船橋市  (株)ユアエルム京成 ネクスト船橋殿
東京都文京区  ショップギャラリー KANTE殿
神奈川県川崎市 御菓子所 花ごろも殿
兵庫県川西市  スマイルプラス矯正歯科殿
京都府京都市  ゼスト御池会殿
北海道旭川市  北日本広告社 旭川支社殿
愛知県名古屋市 NSZEAL殿
岐阜県中津川市 岐阜県立瑞浪高等学校
東京都千代田区 (株)リュウエンジニアリング殿
東京都江東区  BEACON Tower Residence殿
東京都町田市  TCCランド リテール殿
京都府京都市  (株)京都ホテル殿(8月19日現在)  


ご参列頂いた味の素コミュニケーションズの皆様笹竹を御祓いしました


第11回神社スカウト全国大会 (8月7日〜10日)   去る8月7日(火)から10日(金)にかけて、三重県伊勢市にある三重県営総合競技場にて第11回神社スカウト全国大会が行われました。
 今大会において、当宮の宮司が施設資材部長に任命され、大会前後の施設資材の準備を行いました。当然の事ながら大会が始まる前に会場を準備しなくてはならない為、宮司と職員3名、岩沼1団から1名、取引業者であるテント屋さんからの2名は8月2日から、その他当宮関係者は8月4日に仙台〜名古屋へのフェリーで21時間かけて移動しました。
 翌日、名古屋港到着後、車で三重県営総合競技場に移動し、場所を確認すると補設設置作業を開始し、各所にテント設営を行いつつ、同時進行でプラカード等の看板を伊勢神宮の育成会館から引き出し設置、トラロープで地割を行い、給水所に単管パイプで手すりの取り付け等々、するべき事は山のようにあり、充分な日程を取っていましたが、間に合わないのではないかと何度も不安に襲われました。
 それでもなんとか設営準備を大会に間に合わせ、開会式当日を無事に迎えることができ職員一同ほっと胸を撫で下ろしました。

 私たち施設資材部は大会期間中に大きな仕事はありませんが、それでも細かい要望や微調整があり、閉会式を迎えるまで気が抜けませんでした。

 閉会式を終えた翌日、大会に参加したボーイスカウトの子供たちはここで終了ですが、私たち施設資材部は撤営作業が残っているのでもうひと踏ん張り!設営には4日掛かりましたが、徹営は1日で終えることが出来ました。

 大会終了から一日遅れで伊勢を後にする事になりましたが、帰路でアクシデント発生。関西地方を襲った集中豪雨により電車が大幅に遅延しており、当日中の帰仙が危ぶまれました。
しかし、来た電車にとりあえず乗るという宮司の機転によりなんとか当日中に仙台へ帰ることが出来、本当に最後まではらはらした大会となりました。

 〜テント設営〜
  仙台から持っていったテントを設営しました

 茹だる暑さの中設営が終了しました

〜給水所設営〜

 簡易シンク台ですが炊事の時には大活躍しました
 〜シャワー室設営〜
 水しか出ませんがシャワー室が完成しました

 〜鳥居設営・パーテーション設営〜

神社スカウト大会らしく入口には鳥居を設道 運営本部は体育館に設営各部ごとに
パーテーションで仕切りをつけます

 〜ボーイスカウト到着・開会式・参拝行進〜
到着した子供たちを水のカーテンで出迎えました

 〜開会式〜
 
参拝行進 宇治橋前にて記念撮影

〜神宮司庁育成会館の用具倉庫に棚を作りました〜

今回使用した資材を格納しました

〜閉会式・点火式・大集会〜

大集会始まりの火が灯されました

大集会ではブロックごとに出し物を発表、三重県出身のアーティストの方による
パフォーマンス等があり、東北地区では雀踊りの演舞を行ないました

〜撤営作業〜
準備には4日掛かりましたが、撤営作業は1日で終了しました


太元社例祭が齋行されました (8月1日)   去る8月1日(水)太元社にて年に一度の例祭が執り行われました。
 暑さの厳しい中、4名の総代、世話人さんらが参列の下、宮司が祝詞を奏上し、巫女による「浦安の舞」が奉奏された後、宮司以下参列された皆様が玉串拝礼を行い厳粛に齋行されました。
 この太元社には、太元師明王像が祀られておりますが、現在のところ「確認されている太元師明王像は奈良県の秋篠寺と当宮の太元社のみ」(仙台市博物館・酒井学芸員談)との事で、その他絵画としては全国的に数多く残っているそうです。描かれている御姿は腕の本数が4本、8本、36本の3種類有るようですが、当宮では腕が8本の像になります。
 太元師明王は昔、宮中のみでお祀りされていましたが、江戸時代の頃より庶民の間にも信仰が広まっていきました。
 この太元師明王立像は、仙台藩4代目藩主・伊達綱村公が領内の安全・安泰を願い享保4年(1719年)に造立(ぞうりゅう)を命じ、後に5代目藩主・伊達吉村公により当宮へ安置される事になりました。
 今日においても“邪鬼を祓い福を招く神”として皆様から尊崇されております。 
  (高橋 舞)
 
 宮司による祝詞奏上  巫女による「浦安の舞」
 
  玉串拝礼を執り行います  祭典を見守っていた皆様と一緒に記念撮影
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿保存修理(災害復旧)工事終了報告 (7月30日)   先の東日本大震災の影響で、大崎八幡宮の本殿・石の間・拝殿の漆塗りの各所(柱・壁・廊下・階段など)に亀裂が入ってしまいました。
 被害状況や材料・職人調達などを加味し、震災から一年がたった平成24年4月〜7月の3ヶ月間、(株)小西美術工藝社・(有)木匠に保存修理を依頼いたしました。
 漆塗りの工程は全二十七工程あり、今回は亀裂の入った漆を「掻き落とし」という作業で削った後、「刻博ス」で亀裂を埋め、その上に下地を二〜三度塗り重ね、塗面の工程を細かくし、凹凸部分をなくして漆を塗りこむ作業をしました。亀裂が深く入った部分は木を埋め込み、漆を無駄なく使えるよう工夫をしました。
 今回一番難しかったのが削り取った漆と、元あった漆部分を、僅かの差無く滑らかに仕上げるという事でした。その部分は写真を見ていただければ分かるように、とても美しく鏡のように映るもの全てを反射していました。
 今回の災害復旧の保存修理が終わり、管轄する仙台市と文化庁のあてに工事終了の報告をいたしました。  (小野目 稲美)

拝殿壁の亀裂を彫っています 漆の下にも亀裂が入っています

  廊下部分の掻き落とし 亀裂が深い部分には木を埋め込みました

  全ての工程が終わった部分です 廊下部分は軒下が反射して見えて、
  まるで鏡のようです
    
 宮司と工事を監督した文化財建造物  本殿部分も資料を手に確認です
 保存技術協会の武藤所長が施工状況
 を確認しています

  本殿の一部に今回の修理を記録し、銅版に残しました

■大崎東部親交会 消防訓練(7月22日)  去る7月22日(日)、当宮の境内広場におきまして、大崎東部親交会(当宮の近隣町内会)の消防訓練と夏祭りが行われました。
 今回、初めての試みとなる町内会の連携強化を目的とした消防訓練は、生憎の雨にも関わらず大勢の人が集まり、仙台市青葉消防署国見出張所の職員さんによる説明の後、バケツリレーによる初期消火・水消火器を利用した消火器使用の実施訓練を行いました。
 訓練後は夏祭りと題しての懇親会が開かれ、やきそばや焼鳥が振舞われ、子供たち向けには東北福祉大の学生によるスーパーボールすくいや的当て、くじ引き等の出店が並んでいました。
 町内会員で当宮の総代でもある佐藤幸二さんによれば「震災を契機に地域住民の顔合わせ程度と思っていたが、当初の予想を上回る150名程の人が来てよかった」と話しておりました。
 この訓練は来年以降も行うとのことで、真夏の八幡宮境内がまた一つ賑やかになりそうです。
 (日野 美咲)

  狙いを定めて消火開始!

訓練後を頑張った後はやきそばが美味しいね


■第11回神社スカウト全国大会に向けてのカブ隊舎営訓練(7月21日)  去る7月21日(土)、22日(日)に当宮の社務所大広間にて、ボーイスカウト仙台第27団及び岩沼第1団のカブ隊が舎営訓練を行いました。
 これは8月7日から10日まで三重県伊勢市で行われる第11回神社スカウト全国大会に向けて行われたもので、神社の敷地内に炊事用のテントを張り、自分達で食事を作るという本番さながらの訓練を行いました。
 また、神S大会当日の大集会の出し物として「雀踊り」が披露されることとなっており、伝播八幡井組雀踊り保存会の皆さんをお招きして練習会も行われました。
 大会本番まで約二週間と迫ってまいりましたが、それまでに体調を整えて日頃の成果を十分に発揮出来るよう頑張ってほしいです。  (日野 美咲)

〜神社スカウト全国大会とは〜
 禊や参拝行進、史跡探訪や選択プログラムなどを通じて、信仰や友情を深めるとともに、日頃の訓練の成果を発揮する機会となっています。
 第1回大会が開催されたのは昭和36年のことで、この大会が契機となり、同年10月19日に神社スカウト協議会(神S協)の前身である神社関係スカウト指導者協議会が結成されました。
 以来、神社スカウト大会は神社本庁設立記念事業の一環として、およそ5年に一度伊勢の地で開催されております。記念すべき第10回大会は、平成17年8月6日から9日までの3泊4日の日程で開催されました。
こ の他、ボーイスカウト日本連盟には、スカウトが自らの信仰を深めてゆく上での励みとなるよう、ある一定の基準を満たしたスカウトに授与される宗教章という表彰制度があり、神道章を修得するための講習会を随時開催しております。
 各県の神S協や各団では、それぞれの特色を活かし、日々の活動の他に、建国記念の日奉祝行事への参加や神社での庭燎奉仕など、神社スカウトならではの活動も活発に行っています。

夕食はみんなでカレーを作りました  社務所大広間にて「いただきまーす」
雀踊りの練習も頑張りました
■宮城県文化財所有者連絡協議会総会並びに研修会開催(7月20日) 去る7月20日(金)、当宮の宮司が会長を勤める『宮城県文化財所有者連絡協議会』(以下宮文連)の総会並びに研修会が仙台市にある縄文の森広場にて開催されました。
今回の研修会には県内の文化財所有者や関係者の方々31名が参加され、講師として文化庁文化財部美術学芸課(考古資料部門)主任文化財調査官の原田昌幸氏をお招きしてご講義を頂き、「縄文世界の土偶と信仰の世界」と題した縄文時代の土偶の変遷とその時代背景を学び、講義の後には縄文の森広場所長の原河栄二氏のご案内により、常設展示と復元した竪穴式住居などの見学を致しました。

 原田先生には約一時間半のご講義を頂きました

 縄文の森広場の展示物と復元された竪穴式住居

 宮文連の研修会は活動目的の一つである「文化財の保存と活用の充実をはかること」を基点として建造物関係の研修を行ってまいりましたが、今回は会員の見識を広げるという目的で、埋蔵の専門家の先生をお呼びしました。
会員のみならず、ご来賓としてお越し頂いた宮城県及び仙台市の文化財担当の方にも深い理解を頂けたと思っております。(日野 美咲)


■被災地支援の一環として、女川の会社に「八幡宮Tシャツ」を注文しました(7月18日) 密かに人気の「八幡宮Tシャツ」は、頒布の予定は無いでの注文数も僅かですが、被災地の営みに少しでも寄与できるよう女川の会社に注文  しました。(因みに、Tシャツの他にも仕女さん待望のウィンドブレーカーも検討しております)
今回伺ったのは、震災当初、当八幡宮で支援の手伝いをしたコンテナハウス(数棟を集めて、コンテナハウス村として各店舗ございます)で営業されている(有)マルサンという会社です。もとは女川湾近くに3階建ての自社ビルで営業されていましたが、津波の被害により避難を余儀なくされました。しかし社長は女川を復興させる事を使命とし、精力的に活動されています。
被災地支援は、震災当初と今では、求められる、また出来る支援が違ってきます。
そして常に「私たちは何が出来るか」を摸索する日々を送っています。
次は、そしてこれからは何ができるでしょうか・・・。
また被災地の視察として石巻地区の、伊去波夜和気命神社・零羊崎神社・鹿島御子神社へ参拝に行ってまいりました。
鹿島御子神社は震災時、沢山の方が非難した日和山に鎮座しております。(報道でもご覧になられた方も多いのではないでしょうか?) 私達が伺った時、NHK・民放のテレビクルーが取材に来ていました。
それぞれが、被災地の為に「何が出来るか」を考え、伝えようとしています。    
(小野目 稲美)

 (有)マルサンの店舗です「麻実子の部屋」管理人の麻実子が
 打ち合わせをしております。

伊去波夜和気命神社の本殿は傾いたままです末社の傾きで、地震の凄まじさを感じます

  零羊崎神社は牧山の頂上にあります  牧山からは、石巻湾を一望できます

鹿島御子神社の社殿の損傷です 日和山から石巻湾はすぐそこです

沿岸部には未だに瓦礫が山のように テレビ局の取材やボランティアの方が
積まれています  いらっしゃいました

■「月光プロジェクト」ボランティアに参加してきました(7月10日)  去る7月10日(火)、当宮でも支援をしております、奥松島月浜海苔生産グループ「月光プロジェクト」において、海苔養殖と民宿の復旧・復興のためにボランティアの募集があり、少しでもお役に立てればと職員4名が参加してきました。
そこで、参加した職員の感想と共に、改めて「月光プロジェクト」をご紹介させていただき、より多くの皆様に月浜地区の養殖業、観光業の復興にご協力をお願いできればと思います。

〜感想〜 東松島市宮戸字月浜の海苔生産者たちが津波被害から立ち上がり、生産再開を目指して「月光プロジェクト」を立ち上げ、広くボランティアを募集されている事を聞きました。
八幡宮の職員として海苔を祈願撤下品として提供して頂いている関係からも、何かお手伝いが出来ないかと考え、職員から有志を募って海苔の準備作業に参加させて頂きました。
7月10日当日は、八幡宮職員4名が現地に出向し、午前9時から月浜海水浴場付近に作られた作業場にて説明を受けてから作業に入りました。
今回携わった作業は、真新しい海苔網の油分を洗い流して天日に干す作業と、油分を飛ばして乾燥させた海苔網をまとめる作業です。
海苔網のまとめ方は、最初に6枚1組として台に広げてまとめた後、さらに6枚1組を重ねてまとめ、12枚の状態で網を丸めていきます。
海苔網をまとめる方法に、以前は麻紐を使用し各所を結束していたそうですが、現在は花を束ねる時に使用する結束機を使っていて、約1メートル間隔に留めていきます。
丸めた網については一時保管しておき、種付けをした後、水温が下ったのを見計らって9月下旬に海にいれて発芽させ、約2カ月後に海苔として収穫できるそうです。
ちなみに海苔網については、外洋の荒波対策として、より強いロープを使用する方が当然理想的なのですが、ロープの素材にナイロンの割合を多くして強くすればするほど、海苔の胞子が付きにくくなり、結果として収穫が少なくなるのです。
そのため、海苔網はそれぞれの海に合わせて、網の強度等を計算して作っている等、先人の知恵と努力が現在にいかされている事を知りました。
また、海苔網を作る職人さんが減少し、現在はたったの1社が全国の網を作っているという非常に危惧された状況であることも教えられました。
網は昨年の津波により殆んどが使えなくなったため、今年の海苔出荷に向けて新しい網を準備している所に、今回お手伝いをさせて頂きましたが、準備枚数が7千枚以上を用意するとの事でしたので、我々としてはその10パーセントもお手伝いできたのかなと、心苦しく感じています。
(新村 竜一)

7月10日火曜日晴れ。
月光プロジェクトは、当宮でも支援しているプロジェクトです。月浜の海苔は当宮のお下がりにもなっています。震災後より復旧・復興の支援を続けていますが、今回は海苔養殖の準備作業を支援になります。
天候がよかったため、海苔網を干す作業から始まります。新しい海苔網はアクをぬかないといけないらしく一度真水で洗い干します。次に乾かした海苔網をまとめます。漁で欠かせない網をまとめる作業は、単純な作業を繰り返します。台に網を敷き、重ね、丸める作業を繰り返します。 この日は、我々の他に、ボランティア団体、愛知県の海苔養殖の方も参加していました。穏やかな雰囲気で作業を進めていきました。
本来は、個人で海苔を作っていましたが津波で全て流されたため月光プロジェクトの基、海苔養殖の復活そして地域の活性化を担う暖かいプロジェクトをこれからも支援して行きたいと思います。 (谷津田 智之)

 

去る7月10日東松島市の月浜へボランティアに行って参りました。以前からボランティアに興味があった上、神社の撤下品に使用されている海苔が作られている場所という事で、より興味が湧き参加を決意しました。
当日の作業は海苔網の干し方と束ね方を行いました。どちらの仕事も単純な作業ではありましたが網を干す際、網が水に漬けてあった為、重さが増して一人で持つのが大変だった覚えがあります。また、束ね方の作業に関しては間違えられないものなので慎重に束ねて行きました。
作業は朝の9時から夕方の4時頃まで行いました。気温こそ高かったですが海から吹く潮風が心地良く、目の前に広がる景色もとても綺麗でした。あんなに素敵な場所で現地の皆様のお手伝いを楽しくできた事は私にとって貴重な経験になりました。また、ボランティアという事を少し軽く考えていた自分に気づかされました。当然の事ですが自分の意思でボランティアは行います。与えられた仕事は責任を持ち、進んでやらなくてはいけないのだと改めて感じました。今後この様な機会を自分で率先してつくり、人の役に立つ喜びを自分だけでなく他の人達にも伝えて行けるようになりたいです。  (高橋 舞)

 

7月10日、東松島市奥松島の月浜海苔生産グループ【月光プロジェクト】の生産再開へ向け、少しでも力になれたら…と思い、大崎八幡宮の職員4名とボランティア活動に参加させていただきました。
海苔養殖業は今の時期、どのような作業をしているのだろうと考えながら月浜へ向かいました。月浜へ着き、早速月浜グループの方々が出迎えてくれ、作業の手順を丁寧に教えてくれました。作業はすべて初めての経験であり、失敗は出来ないという責任感を背負いながらの作業でしたが、おぼつかない手つきでも皆優しく指導してくれ、終始楽しく作業することが出来ました。
九州や関西からボランティア活動に貢献している方もおり、このボランティア活動のために地元の仕事を辞め、住み込みで支援しているそうです。その決断力と精神力の強さが私の心にとても響きました。慣れない場所のはずなのに、笑顔を絶やさずに地元の方々と打ち解けて自然と話している姿はまさに月浜地区に光を取り戻す、【太陽】のように光輝いていました。その姿を見たとたん、月浜はもう一度震災前の姿を取り戻せる、という安心感を覚えました。
あっという間にボランティア活動の時間が過ぎ、帰るときはとても寂しい気持ちになりました。月浜グループの方々が「ありがとうございました」と言われた瞬間、“来て良かった”と強く思いました。少しでも作業の力になれたことに喜びを感じました。
また機会があればボランティア活動に参加したいです。 (齋藤 優佳)

 

〜ボランティア募集について〜 奥松島月浜海苔生産グループ「月光」は、宮戸月浜地区の被災した養殖業、観光業の再生と地域力の醸成を目的としたプログラムで、トヨタ財団より助成事業の認定を受けられ、月浜の主産業である海苔養殖業と民宿経営再建のため、ボランティアを募集し、海苔生産準備等のお手伝いを行なうと同時に月浜をより知って頂こうと活動しております。
募集期間の第一弾は 平成24年4月28日〜平成24年8月19日まで
第二弾は 平成24年9月  6日〜平成24年9月19日まで
(作業の進み具合により終了時期が数日前後する場合があるそうです)

詳しくは、「月光プロジェクト」のホームページをご覧下さい。 https://www.gekkoh7.jp/


天日干しした網をを広げて6枚ずつ重ねていきます

齋藤仕女は重ねた網を結束機を使い束ねる作業をお手伝い

結束されているか確認し、確認後丸めていきます


■「仙台北ロータリークラブ発展祈願祭齋行」(7月4日)  去る7月4日、当宮の宮司も所属している「仙台北ロータリークラブ」の発展祈願祭が本殿にて行われました。
 当日は晴天に恵まれ少々蒸し暑い中での祈願祭になりました。
まず神職によるお祓い並びに祝詞を奏上の後、最後に鈴木繁雄会長を代表に玉串拝礼を行いました。
 クラブの益々の発展を願う皆様のお気持ちはきっと八幡様に届いた事と思います。

【ロータリークラブとは】 世界初の奉仕クラブ団体として1905年にアメリカにて最初のクラブが誕生し、日本初のロータリークラブは1920年東京都に作られました。
目的を職業奉仕とそこから広がる「社会奉仕」と「国際親善」としており、各地でクラブ単位の奉仕プログラムが盛んに行われております。
今現在世界各国に33000近くのクラブを擁し会員数は120万人以上いると言われています。
この度の東日本大震災では、仙台北ロータリークラブも被災地支援活動のお手伝いとして、10棟のコンテナハウスを南三陸町の消防署や自治体の集会所として搬入設置をし、同様に石油ストーブ34台と衣料品などを東松島市にお届けさせて頂きました。 (高橋舞)

 
神職によるお祓い 巫女より玉串を受け取り神前へ捧げます


祈社殿前願後、にて集合写真を撮りました


■「七夕の笹竹設置作業」(7月1日)  水無月大祓式も終わり、本年も早いもので下半期に突入し、少しずつ夏の足音が聞こえ始めて参りました。
 夏といえば仙台では8月に3日間行なわれる「仙台七夕まつり」が有名ですが、七夕の由来について皆様はご存知でしょうか?
 七夕は「棚機」とも書き、織姫と彦星の二星の伝説から生まれた、中国の「乞巧奠(きっこうてん)」という、女子が機織をはじめ手芸が巧になることを願うお祭りが、奈良時代よりも前に日本に伝わったのが始まりです。これが家々に祖先の霊を迎える風習(お盆)や、豊作の祈願等の日本の古くからの信仰・風習が7月7日という時期に重なり合い、乞巧奠(きっこうてん)の行事と結びつき「七夕祭り」となりました。
 その乞巧奠(きっこうてん)の伝来以来、「七夕祭り」は宮廷や武家に限られて長く伝えられてきましたが、江戸時代になって庶民に伝わり、七夕祭りは全国に広まっていきました。
 そしてここ、「仙台の七夕祭り」は第六代藩主伊達宗村公の時代により盛んに行なわれるようになり、旧暦7月6日の宵に、短冊を笹に結び、良縁成就、芸能上達、無病息災などを祈願しました。
 その七夕飾りには七つの飾りがあり、それぞれに意味が込められております。

・短  冊・・・学問や書道の上達を願う ・吹き流し・・・機織や技芸の上達を願う(織姫の織り糸に見立てている) ・投  網・・・豊漁と豊作を願う ・紙  衣・・・裁縫や技芸の上達を願う。また、病や災いの身代わりに ・くずかご・・・清潔と節約の心を育てる ・折  鶴・・・家内安全と健康・長寿を願う ・巾  着・・・商売繁盛を願う

 当宮の七夕飾りはそれぞれの意味を考えながら一つ一つ職員の手作りとなっておりますので、ご参拝の際には長床通路の七夕飾りも眺めて頂ければ幸いです。

 七夕期間は参拝者の方々に願い事を書いて頂けるよう短冊を用意しております。
また、企業・自治会・子ども会などの諸団体が主催される七夕行事にて「願い事を書いた短冊」の奉納も受け付けております。

詳しくは大崎八幡宮HPの「七夕短冊奉納申し込みについて」をご参照下さい。


短冊をかける笹竹を本殿前に設置

長床通路には職員手作りの飾りが吊り下げられました

皆さんの願い事を八幡様の笹竹に結んでみませんか?  (日野美咲)


■ご結婚、おめでとうございます。(6月の本殿挙式   6月にご本殿で挙式をご奉仕させて頂いた方々の中で、掲載のお許しを頂きました方々を、ここにご報告申し上げます。
 八幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、ご両家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。誠におめでとうございました。
 
  6月16日 伊藤・八月朔日 御両家     6月23日 大瀧・注連 御両家

   
 6月23日 佐々木・木村 御両家


■「水無月大祓式」斎行(6月30日)  去る6月30日(土)、祓所において「水無月大祓式」が斎行されました。
当日は朝の内は曇り空でしたが、祭典が始まる頃には汗ばむ陽気の中、祓所前に設置されたテントの中には例年よりも多くの参列者の姿が見られました。
この神事は、参列者が神職の「大祓詞」の宣読に沿って、左なえの麻縄を口で解き右肩越しに、右なえの麻縄を口で解き左肩越にそれぞれ投げ、切麻(紙吹雪状のもの)で自身を祓い、人形で体を撫でから息を吹きかけ罪穢れを移し、紙包みに戻したものを神職が回収し、唐櫃に納め、お祓いするものです。このお祓いの後、祭員に引き続き参列者の方も一緒に「茅の輪」をくぐる事が習わしとなっておりますが、この「茅の輪」は、6月の夏越の大祓式にのみ使用され、これをくぐることにより「疫病や罪穢れが祓われる」と言われております。くぐりかたは
  「水無月の 夏越の祓いする人は 千歳の命 延ぶというなり」 という古歌を唱えながら、左回り・右回り・左回りと3回輪をくぐり、最後に真っ直ぐにくぐり抜けます。
こうして茅の輪をくぐり祓われることにより、知らず知らずのうちに心身についた罪穢れが綺麗に清められ、残り半年間を新たな気持ちで迎えられるのです。  (日野美咲)

〜大祓式「茅の輪」の起源〜
 大祓式は毎年6月と12月に斎行されておりますが、起源は古く、須佐之男命が罪を犯し、高天原を追放された故事が始めとされ、その後災害疫病等の際にその都度行われていたもので、現在のように定期的に行われるようになったのは、大宝元年(701年・飛鳥時代)からのことです。また「茅の輪」をくぐるのは善行をした蘇民将来が、須佐之男命から「もしも疫病が流行したら、茅の輪を腰につけると免れる」と言われその通りにしたところ、疫病から免れることが出来たという故事に基づきます。

口で麻縄を解き、切麻を撒いて人形に罪穢れを移します

大麻・塩湯にてお祓いした後「茅の輪」をくぐります

右・左・右とくぐり抜け、最後に真っ直ぐ抜け本殿前へ

参列者全員で参拝後は、お神酒とお札を受けて頂きます


■八重垣神社での「植樹祭」に参加して参りました(6月24日)  去る6月24日(日)、亘理郡山元町に鎮座している八重垣神社にて『みんなの鎮守の森 植樹祭』が開催されました。
 今回行なわれた『植樹祭』は日本財団が共催しており、昨年の大津波により被災した神社境内の森を復活させようと、今後岩手県・宮城県・福島県の被災した神社にて『鎮守の森復活プロジェクト』として、実施していくそうです。
 今回がその第1回目となり、震災直後より八重垣神社への復旧・復興のお手伝いとして、重機等を持ち込んでの瓦礫撤去、仮のお宮の搬入・設置、コンテナハウスの寄贈、そして、かつて御社殿のあった場所には榊を植え、境内整備等の支援を続けてきた当宮と致しましてはさらにお手伝いが出来ればと、職員6名が参加して参りました。
 当日は、午後1時から行われた開会式にて、開催場所となった八重垣神社の藤波祥子宮司様から感謝の言葉を頂き、日本財団理事長 尾形武寿様、神社本庁総長 田中恆清様、宮城県神社庁長 千葉博男様の順でご挨拶を頂いた後、植樹祭の監修・指導を務める国際生態学センター長、横浜国立大学名誉教授の宮脇昭様より今回の植樹方法である多数の種類の苗を密植、混植させる『宮脇方式』についてご指導を頂き、植林開始となりました。
 地元の小さな子供たちからお年寄りまで、老若男女問わず400名程が参加し、心地よい初夏を思わせる天候の中、高さ約50センチ程のシイやタブ、山桜など21種類の苗、3300本を互いに声を掛け合いながら植えていき、大量の藁を土が隠れるくらい被せ、水をかけて作業が終了となりました。
 作業後には、今回の植樹祭を記念して色紙に『10年後の自分へメッセージ』を記入し、境内の一角に“タイムカプセル”として保存し、10年後に掘り出すとのことです。タイムカプセルを掘り出す頃、今回の植樹祭で植えた木々も大きく育ち、以前のような森が取り戻されていることを願いながら、ご報告と致します。  (角崎芽生)

作業に入る前に参拝しました  藤波宮司さんと田中総長さん

  当宮で設置したハウス今回植えた苗の種類

  苗の種類を参加者と一緒におさらいしました  植樹場所

宮司のお孫さんも一緒に参加 一生懸命作業に取り組みました

作業終了!!  タイムカプセルは8月に埋め込まれます
■青森県産材「ヒバ丸太」搬入される(6月18日)  去る6月9日早朝、青森県森林整備事業協同組合の委託販売会(入札公売会)に於いて落札した「ヒバ丸太」(25本)が搬入されました。
 当宮では、平成16年の御社殿保存修理事業(国庫補助事業)終了後、青森県産のヒバ材を用いて「北参道鳥居設置工事」を始め、御社殿周囲を取り囲む「透き塀」等の建築工事など順次境内整備事業を行って参りました。以降、青森県森林整備事業協同組合の「入札資格」を取得し、数回にわたり当宮独自で原木(丸太)を購入し備蓄しながら、必要に応じて製材し境内整備に使用してまいりましたが、今回は「東日本大震災」で被災した神社の御造営用材としても提供する事を考え購入する事にしました。

 また、当宮では現在既報の通り、宮司宿舎が震災の影響で「大規模半壊」となったため建替工事を行っておりましたが、こちらの材料には境内で伐採された「枯損木・障害木」を活用すると共に、柱・桁・梁などの構造材は「宮城県内で生産された杉材」を利用しておりますが、落札搬入されたヒバ材をあらためて検証した結果、宮司宿舎の塀など屋外の外構工事には「雨」や「虫食い」・「腐れ」に強い青森ヒバを使用しようとの事となり、製材して活用する事としました。

 今回、早朝に大型トラックに山のように積み込まれ搬入された落札材は、青森県下北半島の国有林で伐採されたもので、全部で25本あり(長さ4m・直径30〜60pが19本、長さ1.9m・直径50〜70pが6本)材積は20.0?程です。

 この度の東日本大震災で被災された神社関係者へ提供する事も考えて居りますので、神社境内建物等の用材確保にご苦労なさっている神社関係の方々が居られましたらご連絡をお待ち致しております。(小野目)


搬入されたヒバ材が次々とトラックから境内に降ろされました




 今回購入したヒバ材


■「宮司宿舎の竣工清祓斎行」(6月15日)  去る6月15日(金)午後、役員総代、工事関係者、職員が参列する中、宮司宿舎の竣工清祓が斎行されました。
当日の祭典は職員2名により奉仕し、新村祭儀主任の祝詞奏上に続いてお祓いし、宮司夫妻に続き、責任役員、工事関係者が玉串を捧げ拝礼を行い、神事は滞りなく斎行されました。
宮司宿舎は、この度の東日本大震災により「大規模半壊」の診断をうけ、昨年の8月に旧宿舎の解体を行い、敷地内を3m掘削し、地盤改良等の工事を進め、昨年の10月20日に地鎮祭を斎行、その後12月7日より土台据付、立柱の作業等を行い、12月10日に上棟祭を迎えました。
当初の予定では3月に竣工の予定でおりましたが、資材の調達等の遅れにより、6月15日に無事竣工の運びとなりました。  (日野美咲)

〜竣工清祓(しゅんこうきよばらい)とは〜
竣工清祓とは、一般的には新宅祓いと言われ、住居が無事に竣工したことをお祝いし、各部屋を祓い清め家内安全と建物の堅固長久を祈る御祭です。


竣工奉告祭前に修祓を行い、参列者を祓い清めます 祝詞奏上後の自宅のお祓い

宮司夫妻と娘さん、お孫さんによる玉串拝礼 

役員総代を代表して川上役員、職方を代表して波岡先生が玉串拝礼を行いました

祭典終了後には直会として宮司宿舎庭先にてバーベキューを行いました


■「第54回宮城県神社総代連合会大会に参加してきました」(6月11日)  去る6月11日(月)、電力ホールにて第54回宮城県神社総代連合会大会・宮城県神社関係者大会が行われ、役員総代さん6名と宮司以下職員3名が参加し、当宮の出仕1名がお手伝いとして出向しました。
 第一部では功労者の授賞式が行われ、当宮からは千田正次役員が県神社総代会より神社功労者として表彰されました。
 続いて、来賓紹介においては宮城県神社スカウト協議会を代表して、当宮の責任役員でもある千田文彦さんが出席されました。
 午前11時から行われた第二部では記念講演として、日本大学教授の百地章先生を講師として、「女性宮家」の問題点についてご講演され、拙速な女性宮家創設よりも元皇族の男系子孫による「皇族」身分の取得と「宮家」の創設とを講義されました。
 閉会式では大会宣言を宮城県婦人神職協議会会長の藤波祥子さんが行い、“「東日本大震災」による被災神社の復興支援に取り組み、神社祭祀の継承に努める”などの宣言がなされ、最後に宮城県神社総代連合会田中光彦顧問による聖寿万歳で終了致しました。
 (日野美咲)
  
  功労者として受賞された千田正次役員 宮城県神社スカウト協議会を代表して
 千田文彦役員が壇上に上がりました


百地章先生による講演  藤波祥子さんの大会宣言


  最後は田中光彦顧問による聖寿万歳

■「仙台・江戸学叢書刊行」(6月10日)  この度、平成23年10月に開講し、第48巻となる前仙台市博物館学芸員 嘉藤美代子先生の「仙台藩の具足」と題した叢書が刊行致しました。
事前にお申込み頂いている方には、すでにご郵送させて頂きました。
また新に叢書をご希望の方や、刊行状況等ご不明な点がございましたら、お気軽に社務所までお問い合わせ下さい。

  ☆刊行された叢書

「仙台藩と具足」  嘉藤 美代子 前仙台市博物館学芸員  
■「大崎八幡宮文化財の杜」育林事業開催(6月10日)  去る6月10日(日)、生憎の雨の中白石市南蔵山麓の植林地で育林事業が開催されました。
 平成16年4月にボランティアの皆様の手により、100年200年後の御社殿の修理に備えて、御用材となるヒノキ・カラマツ・ブナ・カツラ・ケヤキの苗木が植えられました。以来、毎年「大崎八幡宮文化財の杜」育林事業を行っており、丸8年が過ぎ今年で9回目を迎えました。
 当日は、県内外から集まった氏子崇敬者、ボーイスカウト、一般企業・団体のボランティアの方々約320名ものご参加を頂き、草刈、除草等の作業が行われました。
 また、毎年5月に開催されていた『皐月祭』は、東日本大震災の影響により出店業者が被災したため、本殿にて斎行されていた「緑化推進祈願祭」は、昨年に引き続き「文化財の杜」に場所を移して斎行され、これから益々の木々の生長をご祈念申し上げました。
 その後植林地に入ると、昨年まで人の背丈程の木々が、“苗木”から“太い木”へと生長しているものが何本も見受けられ、木々の生長の速さに圧倒されました。
 各作業は順調に進み、お昼にはおにぎりとボーイスカウトの育成会の方々による豚汁が振まわれ、予定時刻よりも早めに終了することが出来ました。
 午前10時より行われた開会式での宮司の挨拶にて「100年後、200年後の御用材となるよう、これからも生長の手助けをお願い致します」と話していたように、この事業に恒例の行事として毎年ご参加頂いている方々に来年もご参加をお願いすると共に、ご興味のある方は是非ともご参加をお待ちしております。
 また、被災地の皆様もこの育林地の木々に負けない生命力で、一日も早い復興をお祈り申し上げます。

  本年で9回目を迎えた育林事業 緑化推進祈願祭  祭主による祝詞奏上

  四方祓いにて斎場を祓い清めます 役員総代世話人さんが参列の元、
 斎行されました
 
開会式にて、ボーイスカウトの皆様により国旗掲揚  宮司より挨拶

雨の降る中でしたが、ボランティアの皆様により今年も綺麗に除草されました

  肌寒い中食べる豚汁は身体に染み渡りました

■ご結婚、おめでとうございます(5月の本殿挙式)
  大崎八幡の大神様の大前において、5月に6組の方々が挙式を挙げられ、皆様に掲載許可を頂きましたので、ここにご報告申し上げます。
  
  5月3日 中西・遠藤 御両家 5月5日 加藤・大山 御両家
 
 5月5日 家市・青蛛@御両家    5月12日 菊池・佐々木御両家
 
 5月19日 杉山・葛西 御両家   5月20日 古屋・井上 御両家

 八幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、ご両家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。誠におめでとうございました。


■「仙台市神社総代会総会が開催されました」(5月30日)
 去る5月30日(水)、宮城縣護國神社の参集殿において、仙台市神社総代会の総会が開催され、当宮より職員2名と役員総代世話人5名が参加してきました。
当日は護國神社社殿内においてお祓いを受けた後、参集殿において開催された総会では、当宮の世話人である早坂務さんが10年以上の神社への奉仕活動の功績が評価され、宮城県神社庁仙台支部より神社功労賞が表彰されました。
今後とも地区の代表として、当宮への奉仕活動のご協力をお願いする次第です。

  護国神社社殿内にてお祓いを受けた後、

 代表の相沢光哉仙台市神社総代会会長に  表彰された早坂務世話人
 あわせて玉串拝礼を行いました

 総会の後直会があり、最後は聖寿万歳にて締めくくられました
■「第27回杜の都kidsウォークラリー開催」(5月27日)
 去る5月27日(日)、仙台商工会議所青年部主催の「第27回杜の都kidsウォークラリー」が開催されました。
 当日は天候にも恵まれ、澄み渡る青空の下、約1,500人の子供たちが待ちきれない様子で境内を散策していました。
 拝殿前には“ベガルタ仙台”や“仙台ガールズプロレスリング”のフラッグへの書き込み応援コーナーが設営され、開会式会場にはむすび丸やベガッタ君も駆けつけてくれるなど、正月・松焚祭とはまた違った賑わいを見せていました。
 開会式は商工会議所青年部会長の片桐健司会長の挨拶と注意事項およびコースの説明がなされ、その後、ウォークラリー開催の安全を祈願して修祓と玉串拝礼が行われ、表参道のスタート地点でのテープカットとなりました。
 テープカットでは、参加者の小学生代表のほか宮崎権禰宜も参加し、テープが無事に切られると、参加者の方々がゴールとなる西公園をめざして一斉に歩き始めました。
 またこの日、最初のチェックポイントとなる龍宝寺の前にある横断歩道と、八幡5丁目の交差点の横断歩道には、当宮より谷津田・菅原望両権禰宜が交通指導隊員として立哨し、子供たちの交通安全のサポートをしておりました。

受付には開始前から行列が出来るほど 片桐会長の説明を真剣に聞いています

  フラッグへは沢山の応援メッセージが書き込まれました

テープカットがされるとみんな一斉にスタート!

龍宝寺前と八幡5丁目前の交差点で立哨する谷津田権禰宜と菅原望権禰宜

 谷津田・菅原望両権禰宜は、八幡宮護持の為にお世話になっている地域の方々への地域貢献活動の一環として、平成21年より交通指導隊八幡分団に入隊し活動しております。
(日野 美咲)


■「四川省の方々が復興祈願を行いました」(5月10日)
 八重桜の香りが境内に広がり、春から初夏への訪れを感じております。
東日本大震災から早くも1年と2ヶ月が過ぎました。今年は「復興元年」として、仙台の街中は活気を取り戻しつつあります。
さてそんな中、去る5月10日(木)中国の観光PR組織である成都文旅(せいとぶんりょ)集団の皆様が、四川省成都市よりはるばる当宮に来社されました。
皆様は、東日本大震災と2008年5月に発生した四川大地震の復興祈願のため、同じ被災地として共に復興を願いたいという目的で来社され、中国の儀式の中には「被災した地域の水を採取し、それをお祓いする事で、犠牲者の鎮魂願う」というものがあるようで、「仙台市街を流れる広瀬川の水」と「四川省の都江堰(とこうえん)の湖の水」を合わせて御神前にお供えし、「双方の鎮魂と復興」を祈願致しました。
また来る6月16日に、四川省の省都である成都市において、日中国交正常化40周年記念行事の一つとして開催される「ANA成都日中友好交流触れ合いウォーク」の開会式の中で、東日本大震災及び四川大地震における双方の犠牲者の鎮魂式が行われるとのことです。併せて今回の復興祈願の様子や仙台の町並みを紹介し、お互いの被災地が安心安全だということをPRする企画だそうです。
私 たちも、お互いの国の復興と、発展をお祈り致しましょう。(山田 友紀)

本殿にてお祓いを受けた後、代表の陳妍さんによる玉串拝礼を行いました

お供えされた“水” 中国からの取材カメラも一緒に来社されました


■「雄勝法印神楽」の激励に行ってきました(5月9日)
 去る5月9日(水)、石巻市雄勝町桑浜・羽板地区にて行なわれた「雄勝法印神楽」の激励に行って参りました。
 お伺いした桑浜・羽板地区の手前にある大浜に鎮座する石(いその)神社には、昨年の7月に津波被害により流出してしまった「神楽面や装束等」の「保管用倉庫」としてプレハブハウス(4坪程度)を寄贈したところであります。その神社の千葉宮司さんや、氏子さんが会員でもある“神楽保存会”の皆様により雄勝の春祭りが復活し、「雄勝法印神楽」が例祭奉祝祭の一貫行事として、震災後初めて奉奏されるとのことで、この日を待ちわびていた地域の方々はもちろん、多くの放送局が取材に来ていました。さらに、今年2月にNHKホールで行なわれた神楽公演のご縁で、女優の竹下景子さんも激励に訪れておりました。
 この春祭りは、大須地区(5/5)での奉納、今回の桑浜・羽板地区(5/9)、つづいて立浜地区(5/13)と、三陸の小さな浜ごとに24演目を3地区で分けて奉奏するそうです。
 当日は天気にも恵まれ、舞台の後にある桜も満開の中、初めに“権現さま”と呼ばれる「金獅子」が登場、舞台にて「湯立て神事」が執り行われた後、「雄勝法印神楽」の奉奏となりましたが、初めて見た法印神楽は、太鼓二人と笛一人のみの演奏で、ゆったり優雅に舞う場面と、勇ましく舞う場面とあり、時には舞台から飛び出してみたり、太鼓を踏み台にして舞台の柱の上(山)に登ったりと、見ている人々を驚かせてくれます。また何より驚いたのが、演目は順番通りに行なわれるものと思っていたのですが、順番が決まっておらず、一つの演目が終ってから次の演目が決まるそうです。
 激励訪問の道中は、まだ瓦礫の残る場所も多く、あちらこちらで復旧工事を行なっている中、“「雄勝法印神楽」復活!!”という明るい話題が地域の方々を元気にし、復興の源となっているようでした。

会場には沢山の鯉のぼりと、大漁旗が掲げられ風になびいていました

 神事の前に“権現さま(金獅子)”登場 神事が始まり、まず始めにお清めの祓い

  千葉宮司による祝詞奏上の後、湯立て神事が始まりました

いよいよ本番です。本神楽の基本となる舞から始まりました 会場には沢山の方が集まりました

  中には舞台の外に飛び出した舞も

  本神楽の中で最も重要とされていて、必ず舞う事となっている「岩戸開」
 
 太鼓を踏み台にして柱の上(山)に登り、足でぶら下がりながらも舞っていました
 
 「雄勝法印神楽」の勇壮さが分かる舞でもあるかと思います

帰り道、昨年の7月に設置した女川町の「コンテナ村商店街」へ
ハウスに接続するように屋根で覆われており、一段と商店街らしくなっておりました
■「ベガルタ仙台の手倉森監督がご家族でご参拝されました」5月7日)
 雨模様だったGWが明け、清清しい晴天に恵まれた本日、ベガルタ仙台の手倉森監督がご家族とご一緒に参拝されました。
 隣接する仙台市立第一中学校の生徒さんが、卒業アルバムの撮影に境内に集まっていた時に監督が来社され、一時騒然となりました。監督は、生徒さんたちとの握手や写真撮影に笑顔で応えられていました。(もしかすると、第一中学校の卒業アルバムに監督が載っているかもしれません。)
 生徒さんに便乗して、職員も一緒に記念撮影させていただきました。(小野目 稲美)
 

■「東松島市宮戸月浜・五十鈴神社」の追加支援鳥居の扁額と幟枠石の設置(5月6日)
 平成23年12月17日に掲載した「東松島市宮戸月浜・五十鈴神社」への追加支援を行いました。 今回は5月8日の(春の例祭)に間に合うよう、鳥居の扁額と幟枠石の設置を行いました。
  東日本大震災の日、拝殿の床上まで上がった津波は、稲石で造られた鳥居をなぎ倒し、参道脇の岩屋の扉も流し去ってしまいました。五十鈴神社が眼下に眺ぞむ(月浜地区)は瓦礫の撤去はなされたものの、住宅の基礎を残すのみの閑散とした風景が広がっています。地域の氏子さん達は、未だ仮設住宅での生活を余儀なくされながらも、前進すべく日々の生活に励んで居られます。

 そんな月浜地区の方々が危惧されているのが、「伝統の継承」と「生活再建」です。
伝統の継承のひとつに、月浜には「えんずのわり」という子供達だけで行われる鳥追いの正月行事があります。少子化や、震災の影響で生まれ育った土地から離れざるおえないような状況の中、小学校2年生から中学校2年生の男の子達だけで行われます。
子供達は五十鈴神社の参道に造られた岩屋に集まり、1月11日から15日にかけておこもりをして大将という年長者の指示のもと自炊しながら寝食をともにします。14日の深夜には神木(松の木)を持ち、五十鈴神社から月浜地区の家をまわり、

 「えーえーえー えんずのわりとりょうば かずらわってすをつけて たぁ どうかあみさぁ 
ただみーいーれーで えんどーがすんまさながせ えーえーえー」
(意地の悪い鳥を頭割って塩つけて たとう紙にたたんで入れて 遠い島に流せ)

 と三回唱えながら家の前で神木を地面にたたきつけながら鳥追いの厄払い(現在は五穀豊穣大漁祈願も含む)をして歩きます。
「年頭に害鳥の駆除を願って行われるこの種の行事は、東北地方や北陸地方など東日本に多く見られ、子供たちを中心に伝承されてきたが、少子化等により行事の変容が進んでいる。そうした中で、「月浜のえんずのわり」は一番大将をはじめとする子供の組織が維持されており、唱え言もきちんと伝えているなど、鳥追い行事の典型的な事例と考えられ、我が国の年中行事や民間信仰の変遷を考える上で重要である。」(宮城県ホームページより)

 これは国指定重要無形民俗文化財(風俗慣習)で、その中心となっているのが支援させて頂いている「五十鈴神社」なのです。

 また、この被災地跡地の一区画に「奥松島体験ネットワーク」のテントが設置され、復興の足がかりとしています。ここでは漁業体験(釣り・網漁・トレッキング・料理体験など)や、ボランティアの受け入れがなされていました。
当宮で支援している「月光プロジェクト」のメンバーや、支援ボランティアのバスツアーの方達が一生懸命汗を流していました。
皆様の生活が再建され、穏やかにすごされますよう、大崎八幡宮は引き続き、支援を続けていきます。
余談ですが、当宮職員も扁額取り付け作業後、こちらのテントで休憩を取りつつ、焼きたての殻付き牡蠣を頂きながらボランティアの方達と歓談させていただきました。(小野目 稲美)

被災当時の五十鈴神社の様子です 「えんずのわり」が行われている岩屋の
稲石の鳥居が根こそぎ倒されています  扉も流されてしまいました
  
昨年の12月27日の作業風景 年末でしたが、新年を迎えるための鳥居が完成いたしました

被災してもなお残った扁額 宮司と孫の翠君が   津波の力で折れてしまった
砂利を敷き詰めます幟枠石ステンレスの丸棒で
繋ぎ修復しました

鳥居の扁額と幟枠石の設置が完成しました。
鳥居の右手の岩屋で、「えんずのわり」に参加する子供たちが大将の指示のもと
自炊生活をし、最後の日(1月14日深夜)に「鳥追いの行事」を行います。

五十鈴神社周辺の現状です                遠くに臨む海と、神社しかありません

奥松島体験ネットワークのテントの中で月光のメンバーが焼き牡蠣を用意してくれました
暫しの休憩です  
 私たちも焼き牡蠣をご馳走になりました


■「ご結婚、おめでとうございます。」(3月・4月のご本殿での結婚式)   大崎八幡の大神様の大前において、3月・4月に合わせまして10組の方々が挙式を挙げられ、皆様に掲載許可を頂きましたので、ここにご報告申し上げます。
 3月  
  3月11日 根本・菊地 御両家  3月18日 村上・赤間 御両家
  

 3月30日 伊藤・信田 御両家

 4月  
4月5日 酒井・石井 御両家  4月5日 栗山・森 御両家


4月7日 若生・菅井 御両家 4月8日 沼田・猪狩 御両家


4月21日 小山・関場 御両家4月22日 吾妻・相原 御両家


4月29日 内海・星加 御両家

 八幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、
ご両家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。
誠におめでとうございました。


■「伊達武将隊、八幡宮を参拝になりました」(4月29日)  昭和祭が斎行された4月29日(金)、当宮に仙台藩祖伊達政宗公が家臣を引き連れて参拝されました。
 天気に恵まれたこの日は祝日ということもあり、家族連れの参拝者や御祈願を受けに来られた方が多く、遅咲きになった境内の桜も満開の中、表参道を太鼓の音と共にゆっくりと甲冑姿で一列に並び歩く団体が。この団体は、『奥州・仙台おもてなし集団「伊達武将隊」』と名付けられた伊達政宗公率いる家臣の皆さんです。仙台市の観光交流課が母体となり、(株)街ナビプレス社が“話題性のある新しい観光施策として、甲冑姿の伊達政宗を中心とした「伊達武将隊」によるエンターテイメント型観光”として、地域の観光PRを目的として結成された集団です。
 そして3年目となる今年、年々増え続けるファンの皆様の支えにより、10名の皆さんで活動を継続することが決まり、伊達政宗公がお祀りされている青葉神社にて参拝後、瑞鳳殿での当宮同様の“出陣式”、青葉城址での“出陣演武”を前に当宮へ来社し、本殿前にて参拝、神職によるお清めのお祓いの後、伊達政宗公が代表して玉串拝礼を行い、今年度のこれから始まる事業への無事の成功を祈願致しました。
 
  大階段を上り、ゆっくり参道を歩いてご参拝された「伊達武将隊」

神職によるお祓いを受けられた後、代表の伊達政宗公に合わせ、全員で玉串拝礼を行いました

 “出陣式”終了後の記念撮影
■「昭和祭斎行」(4月29日)  去る4月29日(金)は昭和の日。昭和の時代には「昭和天皇のお誕生日」として、祝日となっておりましたが、元号が「平成」に改まると同時に「天皇誕生日」も12月23日となり、4月29日は平成元年より「みどりの日」となりました。
 そして、国民の祝日に関する法律の一部改正により、平成19年は「昭和の日」と改められ、激動の昭和の時代に日本の国をまとめられた昭和天皇様の偉徳をしのび、今日に至っております。
 その「昭和の日」に因み、当宮でも午前10時より本殿にて、昭和祭が斎行されました。
 この祭典は、宮司一拝から始まり、献饌にてご神前に神饌をお供えし、宮司による祝詞奏上にて「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代」を顧み、昭和天皇のご聖徳を景仰し、弥益々の皇室の隆昌を、また昨年の東日本大震災の一日も早い復興をお祈り申し上げた後、昭和天皇様の御製をうたった「浦安の舞」を奉奏、次に玉串拝礼と続き、撤饌、宮司一拝にて滞りなく斎行されました。
  
  祝祭日には国旗を掲げましょう 献饌 ご神前に神饌をお供えします

  宮司による祝詞奏上 仕女による「浦安の舞」
■「雅楽稽古が行なわれました」(4月26日・27日)  去る4月26日(木)・27日(金)の両日、当宮の雅楽講師をお願いさせて頂いている芝祐靖、宮田まゆみ両先生が来社され、当宮社務所大広間にて雅楽と巫女舞の稽古が行なわれました。
 八幡宮では、神職・巫女の職員全員が必ず雅楽器の三管と言われる「笙・篳篥・龍笛」の何れかを担当する事となっており、毎年3月から11月までの間に月1回〜2回、芝祐靖先生(龍笛)、宮田まゆみ先生(笙・舞)、八百谷啓先生(篳篥)をお迎えし、祭典や結婚式等で雅楽奉仕ができるよう、各管にわかれお稽古をして頂いております。
 今回の稽古では、各管で練習をした後、“三管(笙・篳篥・龍笛)三鼓(太鼓・鉦鼓・鞨鼓)一絃(筝)”での合奏の稽古が行なわれ、参加した職員は雅楽演奏の向上にむけ励んでおりました。
 そこで、筝(楽筝)のお稽古をして頂いた齋藤優佳仕女は、「基本をもっと良く抑え、弾ける曲数を増やしていきたいです」と話しており今後、“(仮称)大崎雅楽会”も充実した演奏奉仕が出来ることを期待できそうです。
    
ご指導を頂いている芝祐靖先生 宮田まゆみ先生

 〜合奏風景〜
■「刈田嶺神社雪かき奉仕に行ってまいりました」(4月23日)  去る4月23日(月)、毎年恒例となっている刈田嶺神社の雪かき奉仕作業に行ってまいりました。
 「刈田嶺神社」は遠刈田温泉と蔵王刈田岳山頂の二箇所に御社殿があり、前者は「里宮」、後者は「奥宮」と呼ばれております。
 今回雪かきを行ったのは「奥宮」で、冬期間閉鎖となっている、刈田岳山頂を経て山形県米沢市に続く山岳道路「蔵王エコーライン」がゴールデンウィークを前にした4月27日に開通するのに合わせて、参拝者が不便をきたさない様にと毎年この時期に実施しております。
 お宮は軒下まで雪に埋もれておりましたが、刈田嶺神社の金峯宮司さんによると、例年よりも雪の量は少ないとのことでした。
 辺りには「もや」がたちこめており、時折風が強く吹きつけるなかの雪かきとなりましたが、作業は順調に進み、お昼にはお宮の前から雪がなくなり参拝ができる状態になりました。
 雪かきを終えて、写真を一枚。蔵王山頂にもようやく春が訪れようとしています。
 (日下 瑞季)

雪かき開始!  少しずつお宮が見えてきました

 吹雪のなかでの作業でした雪かき終了!お疲れ様です
■「月次祭齋行」(4月15日)  去る4月15日(日)、暖かな春の日差しが降り注ぐなか、本殿にて毎月恒例の月次祭が齋行されました。
 この月次祭にて4月から奉職しております小野目稲美出仕が、初めて祭員としてご奉仕致しました。
 男性神職の常装は、立烏帽子・紅単・狩衣・奴袴・履物は黒浅沓で右手には木笏という装束ですが、小野目出仕の装束は、額当(ぬかあて)・萌黄色の単・表着(うわぎ)に“ねじまち仕立て”の白袴・両手で雪洞(ぼんぼり)を持ち、履物は男性神職と同じ黒浅沓でご奉仕しました。
 爽やかな色の表着を着た小野目出仕が前導として列の先頭を歩く姿は堂々としており、緊張の色は見受けられませんでした。
 祭典を終えて、小野目出仕は「恭しい気持ちでご奉仕致しました。これからは慎んで『滅私奉公』させて頂きます。」と今後に向けての意気込みを語っておりました。
 その話を聞いた宮司は、ひとりでニヤニヤしておりました。  (日下 瑞季)

 前導としてご奉仕する小野目出仕  気を引き締めて祭典に臨まれました
  
女性神職の常装額当(上)、雪洞(下)

■「職員辞令伝達式」(4月1日)  去る4月1日(日)、毎月恒例の月首祭並びに天皇陛下御病気平癒祈願祭斎行後の本殿にて、2名の職員への辞令伝達式が行われました。
一人は、昨年の7月1日より出仕として奉職していた高橋泰之さんで、この度神社本庁より『大崎八幡宮権禰宜』としての辞令を交付され、目出度く一人前の神職として認められたことになります。
もう一人の小野目稲美さんは、宮司の息女で、本年度より当宮神職として奉職する事とり、今回の辞令伝達式となりました。
このように出会いもあれば別れもありました。
平成元年より23年間にわたり、当宮の維持運営に携わってきた渡邊勝行権禰宜が、ご家庭の事情もあり、3月末をもって退社されました。これからはご実家である角田市平貫に鎮座する諏訪神社の宮司として、斯界でのご活躍をお祈りするばかりです。


宮司より辞令を受け取りました

権禰宜を拝命された高橋泰之さん   出仕を拝命された小野目稲美さん


■石巻市渡波地区にて「コンテナハウス」の搬入・設置作業を行いました(3月16日)  去る3月16日(金)、昨年5月より継続支援をしている「被災地にコンテナハウスを送るプロジェクト」の一環として、石巻市の渡波地区へ最後のコンテナハウス4棟を搬入・組立て設置作業をしてまいりました。
 当日は早朝に宮司以下職員4名が出発し、8時半には現地に到着。今回の場所は以前、「麻実子の部屋」にも掲載しましたが、昨年の6月にプレハブ等の支援をしてまいりました伊去波夜和氣命神社の北側にあたる宮殿寺の敷地内で、当初よりお手伝いを頂いている当宮職方の東北グレーダー(株)の社員3名と合流し作業を開始したのですが、久しぶりの組立て設置にもかかわらず、イタリア製コンテナハウスの組立てにも慣れ、設置にかかる時間も短くなったため、午後2時頃には4棟すべての作業を終えることが出来、その後、短い時間ではありましたが、伊去波夜和氣命神社にて後片付けのお手伝いをして、帰路につきました。
 渡波地区も震災間もない頃より比べると、瓦礫も撤去され見通しがよくなり、一見きれいになってきたようにも見えましたが、津波被害にあったままの手付かずの家もまだまだ多く見受けられ、震災から一年が経過しましたが、復興への道のりの長さ、そして厳しさを改めて思い知らされたように感じました。
 そして、今回設置したコンテナハウスの4棟は、全国から来るボランティアの人達の宿泊所になるとのことです。
 当宮では、“難民を助ける会”や“仙台北ロータリークラブ”の「コンテナハウスを送るプロジェクト」に協力し、被災地にこれまで50棟程「コンテナハウス」の組立て作業を行なって参りましたが、このプロジェクトは今回の4棟を以って一旦終了となります。
 しかし、当宮では今年を「復興元年」と位置づけておりますので、微力ながらこれからも被災地支援を行なっていく所存でおります。

 最後のコンテナハウス4棟も手際よく組立て作業が進められていきました

 短い時間で全ての組立てが終わりました  4棟はボランティアの方々の宿泊所となるそうです
 
  組立てをした作業員です


■「ベガルタ仙台レディ−ス 必勝祈願祭」(3月16日)  去る3月16日(金)、女子サッカーチームのベガルタ仙台レディースの監督をはじめ選手、スタッフ一同が来社し、翌日からのキャンプを前に、シーズン開幕に向け必勝祈願祭を斎行致しました。
 ベガルタ仙台レディースは、平成9年に宮城県大崎市のYKK事業所に「YKK東北女子サッカー部フラッパーズ」として創部した後、東京電力に移管され、「東京電力女子サッカー部マリーゼ」となり、福島県双葉郡のJヴィレッジへと本拠地を移転しました。
 しかし、昨年の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故によりJヴィレッジが使用できず、一時休部。同年11月にベガルタ仙台が受け入れ先となり、今年2月より正式発足となりました。
 当日は冬の寒さが残る中、皆さん笑顔で大階段をのぼって参拝されました。初めに祭儀棟にて縦約1メートル・横約2メートルの大絵馬に選手全員で揮毫した後本殿へ昇殿し、神職によるお祓いを受け、祝詞にて必勝を祈願した後、代表取締役白幡洋一殿、監督千葉泰伸殿を代表として玉串拝礼を行いました。
奉納された大絵馬は、本殿左側の西回廊に奉納されておりますので、ご参拝の際は、是非お立ち寄りください。
 今季のベガルタ仙台レディースのご活躍を心よりご祈念申し上げます。  (角崎 芽生)

 必勝を願って絵馬に  神職によるお祓い

 祝詞奏上最後は絵馬を持って記念撮影
■「月次祭並びに東日本大震災復興祈願祭斎行」(3月15日)  去る3月15日(木)、本殿にて毎月斎行される月次祭に併せ東日本大震災復興祈願祭が斎行されました。
 当日の10時からの祭典では役員総代が参列のもと、宮司一拝から始まり、献饌、宮司による祝詞奏上にて一日も早い復興をお祈り申し上げました。
 その後、巫女による「萬代の舞」奉奏、宮司・祭員による玉串拝礼、役員総代による玉串拝礼を行い、厳粛に斎行されました。
 昨年の震災から一年が経過した現在、仙台市内の街中を見ると元に戻ったように感じますが、少し沿岸部に入ればまだまだ瓦礫や被害にあった家などが残されていております。当宮では『復興元年』と位置づけている今年、引き続き支援活動を行い、一日も早い復興をお祈りしております。

献饌 神様にお供えをします  宮司による祝詞奏上

  桜の花束を手にした巫女による「萬代の舞」 宮司・祭員による玉串拝礼
 役員総代による玉串拝礼

■「巫女のための神宮研修会」に参加してきました(2月23日・24日)  去る2月23日(木)から24日(金)の二日間、伊勢の地において神道青年全国協議会主催による『巫女のための神宮研修会―伊勢の神宮に“こころ”を学ぶ』と題した研修会が開催され、当宮より4名の巫女(仕女)が参加してきました。
 巫女が日々参拝者と接する中で、神宮大麻(伊勢神宮のお札)を始め、伊勢の神宮に関わる応対をする機会は多く、来年行なわれる式年遷宮について、また神宮についての知識は奉仕上必要不可欠であるとの理由から、昨年初めて“巫女”を対象とした研修会が行われ、今回は2回目の開催となりました。
 今年は全国より約70名の巫女が集まり、神宮についての知識を深める事や、普段は接することのない他の神社の巫女さんと交流を深める良い機会となりました。
 そこで、今回参加した4名の仕女さんの感想を紹介したいと思います。

 伊勢神宮においては平成18年に行われた「御木曳行事」に宮城県奉仕団として参加しており、二度目の参拝でした。
しかし今回、「巫女のための神宮研修会」に参加させて頂き、「来て、見て、感じて」の言葉の通り、神宮について、理解していたつもりの式年遷宮についてはより多く学んだのはもちろんの事、私は奉務する神社では庶務課を拝命しており、ご社頭に出る機会が少ないため、第一講の森先生より『「参拝者に笑顔でお参りいただき、笑顔で接し、笑顔でお帰りいただく」というのが巫女の務めです。』とのお言葉を聞き、当たり前のことのように思っていたものの、実際には忘れかけていた神社における“巫女”という役割を改めて考えさせられるものばかりでした。
一日目の内宮参拝では、神宮の舞女による御神楽奉納で大和舞を拝見できたこと、講義の中で実際に舞女さんから「普段の立ち居振る舞い、舞の作法について気をつけていること」等の話を聞けたことはとても勉強になり、祭典にて奉仕するときに「自分が気持ちよく舞えたと思うときには神様も喜んでくれている」という当宮の宮司の言葉を思い出し、長く奉仕している分の“慣れ”を痛感させられるものでした。
そして、夜間参拝は静けさの中での参拝でしたが、火除橋を渡ると車が通る音も聞こえず、耳を澄ませば川の音や風の吹く音などが聞こえ、境内には自分たちの歩く音だけが響き渡り、普段では味わえない日中の参拝とは違う雰囲気を体感し、神様の近くでご奉仕していることにさらに喜びを感じました。
そして、二日目の外宮参拝では、御鎮座した1500年も前から、毎日朝夕二回お食事を奉るおまつりがご奉仕されているからこそ、神様のお恵みをいただけることは、お米を主食とする日本人にとって常に感謝を忘れてはいけないことに気付かされました。
神社の本宗でもある神宮ですが、遠方のためなかなか参拝する機会がないため、神社に奉職する巫女として、今回の研修に参加させて頂けたことは大変貴重でありがたい機会となりました。
今回「行って、見て、感じた」ことは今後、後輩への育成指導に役立てていきたいと思います。


 去る2月23日(木)から24日(金)にかけての二日間、神道青年全国協議会主催の「巫女のための神宮研修会」に宮司さんのお計らいにより参加させていただくことになりました。昨年の神宮研修会を冊子にて拝見しており、機会があったら是非参加させていただきたかったので、待ち遠しく当日を迎えました。
普段は自社の中だけでの奉仕、巫女しか見ていないで、全国の巫女さんとの交流のおかげで常に向上心を持って奉仕する心が大切だと思いました。神宮の舞女さん達の舞や所作、立ち振る舞いは、全てにおいて見習うべき動きであり、まばたきも忘れてしまう程の美しい舞でした。
神宮参拝では、他社の巫女の緋袴での参拝は出来ないということでしたが、今回特別に許可を出していただき、貴重な参拝をすることが出来ました。
講義では、神宮の御由緒について、舞女の奉仕について、神宮式年遷宮についてお話をしていただき、一語一語しっかりと理解をしながらペンを走らせました。
夜間参拝・早朝参拝という貴重なお参りもさせていただき、夜間参拝での黙祷の時間では日中とは違い木々の触れ合う音、風の音、虫のさえずる音など自然を体いっぱいで感じることができ、生命の偉大さ・大切さをしっかりと胸にやき付けました。
伊勢神宮では年に1500回以上の祭典が行われており、その一つ一つを皆で大切に守っている歴史に感動しました。自社での祭典も一つ一つを職員一同で守っていくという心を改めて団結したいです。
今回学んだ多くの事をこれからの奉仕に役立て、皆に伝えたいです。
巫女として研修に参加でき、宮司さんを始め、開催していただいた主催者様にも感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。


 伊勢の神宮を訪れるのは今回で二回目でした。
前回は、高校2年生の時で、神宮について詳しく分からないまま参拝をしていました。
巫女として神社に奉職するようになると、日本の総氏神様である神宮について詳しく知りたい、もう一度訪れたいと思っていたので、研修会を心待ちにしていました。
一日目、他の神社の巫女装束や髪飾りを近くで見るのは初めての事だったので、こんなにも違いがあるものなのかと驚きました。内宮の神楽奉納では、巫女が長袴であることを感じさせない動きで舞をする姿に憧れました。目の前で舞楽を見ることが出来、良かったです。
講義では、神宮の御由緒についてや、舞女の奉仕についてを学びました。五年目、四年目の舞女の所作を実際に見て、動きに無駄がなく、常に姿勢が綺麗だと感じました。また、神宮で特有の正中尊居がある、ということを学びました。内宮の夜間参拝では、日中に歩いた距離よりもとても長く歩いた気がしました。また、自然を間近に感じることが出来ました。
二日目の内宮御垣内参拝では、中重に足を踏み入れた瞬間に何かが変ったような気がしました。外宮への参拝は初めてで、内宮とは違う、どこか親しみやすさを感じました。
神宮徴古館では、前回の御装束神宝を見て、1200年も前から変らずに守り伝えられているのだと改めて感じ、式年遷宮が大切であり、とても手間暇のかかることなのだと分かりました。
二日間という短い中で内宮に三度も参拝出来た事、他の神社の巫女の所作を見ることで、自身の中で意識が変わりました。伊勢の地だからこそ学べたこと、感じたことを社頭での奉仕に活かしていけるようにしたいと思いました。二日間の研修会を通して巫女として、また日本人として成長できたと思います。


 この二日間の研修を通して、私は多くのことを感じ、また学ぶことが出来ました。
昼、夜、朝と三度にわたって行なわれた内宮での参拝。昼は観光客でにぎわう中、参道を歩き景色が宇治橋を渡った時から、この時代に居るのではなく、昔の時代に居るかのような不思議な気分にさせてくれました。夜は、歩くことで鳴る砂利の音、風の音、そして鳥の鳴く声が重々しい空気を漂わせ、昼より長い道を歩いているように感じられました。朝の参拝はとても清々しい気分になり、同じ参道を歩いて内宮へ向かい参拝したのにも関わらず、色々な気分を感じることができました。
講義で学んでとても役に立ったことは、巫女の心構えについてです。社頭で奉仕している私たちは、参拝者と最も関わることが多い為、神社の顔であることを知らされました。「春先に咲く梅の如く、明るく、心を暖かくさせ、気持ちよく参拝をしてもらえるように努めなさい。」と学びました。
舞女さん本人からは、常に参拝者に見られていることを意識し、歩くときは歩幅を狭くして歩いたり、座っているときは袴に足を入れ、なるべく足袋を見せないようにしていることを聞きました。また、出社・退社時も神宮の舞女として恥じないような姿で居ることも知り、とても大切なことなのだと感じました。
今回の研修では、本当に多くのことを学び、とても役に立ちました。これからの社頭での奉仕にも少しずつ学んだことを生かしていけたらと思います。

 〜一日目〜

参加した仕女さんたちです  神宮会館から歩いて神宮へ
やはり袴が胸の高さなのは当宮だけで、緋袴や髪につける飾りも様々です

宇治橋前で記念撮影
整列していると一般参拝者も集まり、不思議そうに見る方も、写真を撮る方もいました
 
いよいよ宇治橋を渡り、内宮へ 参加者が多いので手水もこんな感じに

神宮職員の方より説明を受け、内宮参拝へ

神宮の舞女による倭舞

参拝後、講義を受け神宮の御由緒や式年遷宮について学び、
神宮の舞女さんから直接お話を聞くことも良い勉強になりました

 〜二日目〜  
2日目はスーツで内宮を早朝参拝しました

外宮に移動し、説明を受けた後外宮御垣内・皇大神宮別宮・倭姫宮に参拝
  
参拝後、神宮徴古館・農業館・  解団式
皇學館大學神道博物館の見学へ  研修が滞りなく終了しました
展示物でさらに詳しく神宮のことを学びました

無事に研修が終わり仙台に到着。翌日、仙台は朝から雪が・・・。
あっという間に降り積もり、境内は真っ白になり、神職・仕女さんら職員総出で雪かきが始まりました。


社殿前社務所前

境内 馬場 表参道


■仙台ロイヤルパークホテル神殿例祭斎行(2月22日)  去る2月22日(水)、泉区寺岡にある仙台ロイヤルパークホテル内の神殿にて、例祭が斎行されました。
 仙台ロイヤルパークホテルは、平成7年に開業され、開業時にホテル内の神殿に八幡大神様の御分霊をお祀りし、挙式奉仕等の際には職員が出向し、ご奉仕してまいりました。
 昨年3月に発生した東日本大震災にて仙台ロイヤルパークホテルも甚大な被害を受け、約半年に及ぶ休業を経て昨年の9月に営業を再開、開業時から毎年2月に行われている神殿例祭も無事に17回目を迎えることができ、八幡大神様への感謝の意をご報告申し上げました。
 当日は、冨岡社長様、以下要職にあたるホテルマン・ホテルウーマンの方々21名が参列される中、宮司一拝、献饌にて神前にお供えをし、宮司による祝詞奏上にて社運隆昌と皆様のご健康をお祈り申し上げました。また、普段斎行している神前挙式では、仕女1人の「浦安の舞」奉奏ですが、今回は仕女2人による「萬代の舞」奉奏となりました。その後、宮司・祭員による玉串拝礼に続き、ご参列頂きました皆様方による玉串拝礼が行われ、滞りなく神殿例祭が斎行されました。
 また、最後には宮司の挨拶の後にお神酒を頂き、従業員一同新年度、復興元年への気を新にしておられるようでした。  (日野美咲)


神饌を神様にお供えします祝詞奏上にて商売繁盛をご祈念申し上げました

 仕女による「萬代の舞」奉奏宮司・祭員による玉串拝礼

  富岡社長、従業員の方々による玉串拝礼

  お神酒を頂く前に宮司の挨拶がありました
■諸磯神明社総代会の皆様がご参拝されました(2月20日)  去る2月20日(月)、神奈川県三浦市三崎町の諸磯に御鎮座されています「諸磯神明社(もろいそしんめいしゃ)」の役員総代の皆様が、東日本大震災で大きな被害を受けた東北方面の復興を願い研修旅行を実施し、当宮にも来社されました。
 当日はまず本殿へ昇殿し、神職によるお祓いを受けた後、三堀孝一殿が代表し玉串を奉りてご拝礼頂きました。
 参拝後、当宮の由緒や社殿内部の説明、また昨年の東日本大震災の被害箇所などについて説明申し上げました。そして、社殿外部の細かな色彩や彫刻、国宝建造物に指定されている権現造りについて宮司より詳しくご説明申し上げ、本殿脇の玉垣内での記念撮影を行ないました。
 皆様方は震災での境内の御社殿をはじめ被害箇所を目にして、驚かれている様子でしたが、御社殿そのものに大きな被害が無いことには安心されたご様子でした。  (角崎 芽生)


  神職によるお祓い 三堀殿が代表して玉串拝礼を行いました

  宮司による社殿の説明を興味深く聞いて最後に記念撮影を行いました
  おられました
■仙台・江戸学叢書刊行(2月21日)  この度、平成19年11月に開講し、第7巻となる東北福祉大学講師 竹内英典先生の「松窓乙二問の女流俳人−俳諧史のなかで−」と題した叢書が刊行致しました。
 事前にお申込み頂いている方には、すでにご郵送させて頂きました。
 また新に叢書をご希望の方や、刊行状況等ご不明な点がございましたら、お気軽に社務所までお問い合わせ下さい。

   ☆刊行された叢書  
「松窓乙二問の女流俳人−俳諧史のなかで−」
  竹内英典 東北福祉大学講師

第六期第一回 仙台・江戸学「伊能忠敬と仙台藩」の延期のお知らせ また、心待ちにしておられた皆様方には大変申し訳ございませんが、今年3月15日に予定しておりました、第六期第一回仙台・江戸学「伊能忠敬と仙台藩」は、講師である松宮輝明先生の体調不良により、先生の体調が回復されるまで延期となりました。
現在のところ開催予定は未定ですので、納金済みの受講料につきましては、ご希望の方には返金させて頂きます。
尚、お申し出のない方につきましては、次回講座の受講料として引き続き繰り越しをさせて頂きますので、ご理解の程よろしくお願い致します。
ご不明な点がございましたら、社務所までご連絡下さい。
022(234)3606 大崎八幡宮江戸学実行委員会 担当 菅原 望、齋藤 優佳


■「祈年祭斎行」(2月17日)  去る2月17日(金)、本殿にて祈念祭が斎行されました。
 祈年祭(きねんさい)とは、「としごいのまつり」ともいい、「年」とは稲を意味しており、春のはじめにその年の五穀豊穣(豊作)をお祈りする祭典です。わが国は、古くから稲作中心の農耕社会で、主食は“米”とされてきました。そのため当宮におきましても「祈年祭」と、秋に五穀豊穣を感謝する祭典「新嘗祭(にいなめさい)」は最も重要な「大祭」に位置づけご奉仕しております。
 当日は、朝に降り積もった雪が境内に残るなか10時より斎行された祈念祭では、宮司一拝から始まり、献饌(大神様の召し上がるものをお供えします)、宮司による祝詞奏上にて今年一年の五穀豊穣をお祈りしました。また、天皇さまがご入院され手術を受けられるとの一報を受け、無事の手術のご成功と、一日も早い病気平癒をご祈念申し上げました。
 その後、“大祭”の際に着付ける『本装束』を着けた仕女による「浦安の舞」奉奏、宮司以下祭員による玉串をご神前に捧げて拝礼し、滞りなく斎行されました。

献饌 大神様にお供えをします  宮司による祝詞奏上

本装束を着けた仕女による「浦安の舞」 (左)扇舞(右)鈴舞
 宮司以下祭員による玉串拝礼
■「建国記念の日を祝う宮城県民大会」に参加してきました(2月11日)  紀元祭が斎行された去る2月11日(土)、電力ホールにて「第46回建国記念の日を祝う宮城県民大会」が行なわれ、役員総代さん20名と、宮司以下職員5名が参加してきました。
 『建国記念の日』とは、日本国が誕生した日であり、神武天皇が橿原(奈良県橿原市)の地で初代天皇としてご即位された日として、日本の建国をしのび、国を愛する心を養う日とされています。
 午後1時から行なわれた第一部では、常盤木学園高校の音楽科の生徒たちによる混声合唱の他に管楽器や打楽器の演奏も披露されました。
 第二部では、記念式典として田村稔実行委員長の開式の挨拶から始まり、国歌斉唱、紀元節斉唱に続き、神武天皇がお祀りされている橿原神宮をステージ上に掲げられた国旗を通して遥拝(ようはい・・遠く離れた所からはるかに拝むことを言います)し、式辞、祝辞と続き盛大に斎行されました。
 その後、第三部では余興として、緑ケ丘第二幼稚園の園児による雀踊り、竹駒保育園・南こばと幼稚園の園児による竹駒よさこい、くり幼稚園の園児によるマーチングバンド等、可愛らしい園児たちの一生懸命な演技に会場からは大きな拍手が沸き起こり、式典は無事に締めくくられました。
 『建国記念の日』は祝日とされていますが、現在祝日と定められている日は年間で15日あります。単にお休みの日ではなく、『祝日』という字からも分かるように祝い喜びの日でもあるため、祝日には自分の国のしるしとして、国旗を掲げましょう。

  常盤木学園音楽科による混声合唱橿原神宮を遥拝

 奥山市長もご出席されました 緑ケ丘第二幼稚園の園児による雀踊り

  竹駒保育園・南こばと幼稚園の  くり幼稚園の園児によるマーチングバンド
 園児による竹駒よさこい
■紀元祭斎行(2月11日)  去る2月11日(土)、紀元祭が斎行されました。
 紀元祭(紀元節祭)とは「建国記念の日」を祝賀する祭典であり、紀元節とは『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日(2月11日)として定めた祭日。
 昭和41年(1966年)に、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」という趣旨の「建国記念の日」を定める国民の祝日に関する法律の改正が成立しましたが、「建国記念の日」の具体的な日付については政令によって定めることとして、紀元節の祭日であった2月11日に制定され、翌年の同日に実施されました。
 当日午前10時より、宮司一拝から始まり、大神様に神饌をお供えし、宮司による祝詞にて建国の祝賀をお祝い申し上げました。その後、巫女による御神楽「浦安の舞」が奏され、玉串にて拝礼を行い、滞りなく祭典は斎行されました。
 そして本殿を出た後は、境内にある遥拝所にて建国の祖である神武天皇様をお祀りする橿原神宮を遥拝致しました。
 日本最古の歴史書である「日本書紀」によれば、神武天皇様は天孫降臨の地である日向(現在の宮崎県)から出発し、日本各地を平定されていき、最後に現在の橿原神宮の所在地である畝傍(うねび)の山にて、建御雷神(たけみかづちのかみ)より授かった太刀である布都御魂(ふつのみたま)を山頂で天高くかざし、その来光が日本全土を覆い、初代天皇に即位されたことを表したとされています。 (日野 美咲)
 
献餞の様子

巫女による「浦安の舞」奉奏 扇舞と鈴舞
■節分祭斎行(2月3日)  去る2月3日(金)、節分祭が斎行されました。
 節分祭とは、厄を祓い新春を迎える神事で、前日の大雪で足元が悪い中、午後3時からの祭典では、約70名の裃を着用した皆様にご参列頂き、宮司による祝詞奏上、鳴弦式、巫女による「萬代の舞」奉奏、振り鈴の儀、宮司・祭員による玉串拝礼の後、参列者代表による玉串拝礼が行なわれ神事は厳粛に斎行されました。
 この祭典の中で行なわれる「鳴弦式(めいげんしき)」とは、神職が弓と鏑矢を用いて東西に向けて三度ずつ弓を引いて弦を鳴らし、鬼を追い払います。これは古代中国の儀式にならったもので、この弓は古くは桃の木が使用されており、桃は「桃太郎」等の童話からも分かるように鬼が最も嫌がるものとされていたようです。
 神事終了後には撒豆式が行なわれ、本殿・馬場特設舞台のそれぞれで「豆」や「福物」、また「ボール」や「みかん」、「あんぱん」等をも撒き、集まった参拝者の方々にお福分けを致しました。
一般的な「豆」や「福物」の他に当宮独自の撒物として「ボール」「みかん」「あんぱん」等を撒くには意味があり、当宮の節分祭は県内でも古く、昭和33年より執り行われております。
 そのきっかけは、戦後間もない頃からご参拝頂いております東一北辰会(現・一番町四丁目商店街振興組合)の皆様で、戦後の混乱期も落ち着いたとはいえ、青少年育成の機運も未熟な時代に、「子ども達に野球ボールの一つでも配れれば」との思いから子供たちを中心に考えて斎行するようになり、ボールやあんぱんなどを撒くようになったとお聞きしております。
 また『節分』と言えば、豆まきが連想されますが、元々は“年越大祓”の神事として行なわれ、宮中では災厄の元凶となる鬼(鬼に扮した人)を追い払うため行なわれた儀式からきており、「追儺(ついな)」または「鬼儺(おにやらい)」とも呼ばれておりました。
その後、室町時代になり、宮中から次第に民衆へと広まってきたところで初めて「豆を撒く」儀式が加わり、豆(煎り豆)を撒いて悪鬼を追い出す行事へと発展したのです。
その際に「生の豆」を撒かないのは、「その豆の芽が出ると災いが広がる」と考えられていたからです。
 また、この「豆」を撒くときに一般には「福は内、福は内、鬼は外、鬼は外」と繰り返し唱えますが、当宮の場合、この一般の唱え言葉の後「天打ち、地打ち、四方打ち、鬼の目ん玉ぶっつぶせー」と続きます。なぜ、そのように唱えるようになったのかは不明ですが、当宮の節分祭が始まった昭和33年頃より言われ続けてきたようです。初めて聞くと少し怖いように聞こえますが、豆を「魔の目(魔目=まめ)」に投げることにより、「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じると言われておりました。
 『節分(豆まき)』には、新春を迎える神事として定着し、煎り豆を歳の数だけ食べると一年間無病息災であるという意識が浸透していることからも判るように、昔から「災いごとを取り除き、福が来ますように」と人々一年間の願いが強く込められていたのかもしれません。

〜節分祭準備風景(舞台設置)〜

  例年より地面が固いため機械を使って穴をあけていき、組み立てていきました

上につけた単管に葦簾(よしず)を乗せ、ブルーシートをかけていきました

2日間の作業で舞台が出来上がりました

 撒く物をカゴに分けて、舞台の各所に置いていき準備完了です
  
 ご参列の方には裃を着用頂きます   『節分』といえば鬼!!ですよね
  
  宮司による祝詞奏上 神職が弓を引いて鬼を追い払います

  梅の花束を手にした巫女による「萬代の舞」いよいよ本殿前にて「豆まき」

  特設舞台でもお福分け 舞台前には多くの参拝者が集まりました
■東日本大震災「コンテナハウスプロジェクト」支援 イタリア製コンテナハウス仮搬入
−冬期間積雪の為、八幡宮境内に−(2月2日)
 去る2月2日(木)の夕方、イタリア製のコンテナハウスが当宮に仮搬入されました。
年末年始の諸行事がひと段落した節分祭の前日、近年にない大寒波に見舞われ朝から大雪となり、職員総出で境内の雪かきを行なうなか、「コンテナハウス設置支援」の本年第1回目の輸入コンテナハウスが当宮境内に仮搬入されました。
 既にご承知の通り昨年3月の東日本大震災では、主に岩手・宮城・福島の東北3県の沿岸部を中心に、行政の施設を始め住居や事業所などの多くが流失・倒壊という大被害をうけ、多くの方々が被災されました。
 当宮では、NPO法人「難民を助ける会」や宮司が加入して居ります「国際ロータリー第2520地区・仙台北ロータリークラブ」の『コンテナハウスプロジェクト』を支援する形でその搬送設置の支援活動を行ってまいりました。
 本プロジェクトは、『一刻も早く被災者に生活の場を取り戻して頂きたい。』との考えから計画され、国内各ハウスメーカーが震災による材料不足等により仮設ハウスが供給不能であった為に「海外ハウス」を輸入して支援しようとの考えから実施されてきたもので、震災直後より沿岸部被災地域への物資支援などを行い被災地域の実情を把握していた八幡宮が、このプロジェクトを支援する事となり実施してまいりました。
 当宮のコンテナハウス設置支援活動は、昨年の5月より始められ、現地の受入体制が整ったのを確認し、パーツとして輸入したものをそのまま搬送した後、現地にて組立・設置をしたり、事前に組立、完成品として搬入したものを引き渡したりと、今まで個人住宅での避難生活を余議なくされていた方々への「仮設住居用(女川町・12棟)」として、また仮設住宅が設置されてからは、防災の拠点である「消防署(志津川、歌津の両消防署・各4棟」、地域産業の基点ともいうべき「漁協事務所(歌津地区・2棟)」、「児童生徒用図書館(志津川、歌津両地区・各2棟)」、また「社会福祉協議会事務所(山元町、志津川、歌津、陸前高田・各1棟)」、「臨時FM放送局(女川町がんばっぺ女川・1棟)」、「商店会(女川町コンテナ村商店会・10棟)、陸前高田・5棟)」、仮設住宅の「集会所(気仙沼市)・2棟」などへの「仮設ハウス搬入設置」の支援活動を行ってまいりました。
 この度の当宮へのコンテナハウスの搬入は、昨年まで仮置き場として借用してきた出入職方の「東北グレーダー(株)大衡工場コンテナヤード」が例年にない積雪があり、組立作業や搬送積込に支障があるとの事でしたので、境内の『松焚祭(まつたきまつり・どんとさい)斎場の一部』を仮置き場として開放する事とし実施されました。
 今回の震災により大きな被害を受けながらも、昨年秋には仮復旧した仙台港に1月19日に陸揚げされる予定だったイタリア・ベニスで本船に積み込まれたコンテナハウスは、大韓民国(韓国)釜山港で積み替えされ、1月29日夜半にやっと仙台港に入港しましたが、通関手続きの遅れ等により、2月2日の午後に当宮に搬入となりました。
 今回輸入された『イタリア製コンテナハウス(10棟)』は、南三陸町戸倉地区仮設住宅に搬入し、「児童館(図書館・連棟ハウス1棟)」として使用されることになっており、2月9日には「気仙沼市本吉町平貝地区の集会所(2棟)」並びに、翌週2月19日には「岩手県陸前高田市の保育園(1棟)」に搬入設置する予定でおります。
 当宮では、社務の合間をぬっての支援活動となりますが、宮司以下神職・仕女・職員が一丸となり、新年(平成24年)の合言葉を『復興元年』という目標をたて、震災被災地区の復旧・復興を第一に考えながら微力ではありますが引き続き支援活動を行ってまいりたいと考えて居ります。

 やっと境内に搬入されました 早速荷降ろし開始

コンパクトに収納されたコンテナハウス  境内の一角に降ろしました

  2台目の10tトラックにも5棟その5棟も4tのユニックトラックにて荷降ろし


積み上げられたハウス  イタリア製のマーク

全部で10棟、これが今プロジェクトの最終便


■「仙台市教育委員会功績者表彰式」にて表彰されました(1月27日) 去る1月27日(金)、江陽グランドホテルにて「平成23年度仙台市教育委員会教育功績者表彰式」が行われました。
「仙台市教育委員会教育功績者」とは、教育、体育、学術又は文化の向上に特に功績のあったと認められる個人、団体を仙台市教育委員会として顕彰されるもので、当宮の能神楽保存会が「民俗芸能の伝承に努め、地域文化の育成振興に大きく貢献したため」と表彰され、当宮の総代で能神楽保存会の会長である菅野武志氏と、同じく総代で保存会の副会長である早坂進氏が代表して出席してきました。
表彰式後、菅野会長は「今後も例大祭での神楽稽古で若手後継者への指導、育成に努めていきたい」と語っておられました。
当宮の能神楽保存会は、昭和47年6月に伝統継承の母体として発足。同年10月に「宮城県重要無形文化財(昭和50年に文化財保護法の改正により、「宮城県指定無形民俗文化財」に変更)」に指定されて以来、毎年9月に斎行される例大祭にて奉奏しております。

表彰された能神楽保存会の菅野会長と早坂副会長

当宮の能神楽 8演目の中の「摩応」と「獅子取り舞」


■東北楽天ゴールデンイーグルス必勝祈願祭(1月30日)  プロ野球パ・リーグ東北楽天ゴールデンイーグルスの星野仙一監督はじめ、選手スタッフ一同の約100名が来社され、去る1月30日(月)、当宮において必勝祈願祭が斎行されました。
 当日は天気は良いものの、寒さが厳しい中、監督・選手陣は表参道の階段を上がってきました。そして控え所にてコーチ・選手の全員が「必勝」を掲げた大絵馬(縦1メートル・横2メートル)に揮毫をし、今シーズンの意気込みを絵馬に込めた後、本殿に昇殿し、神職による祝詞にて必勝をご祈願申し上げ、島田亨オーナー兼社長、星野仙一監督、嶋選手会長ら6名が代表し玉串拝礼を行い、今年も星野監督はじめ日本一に向けての決意を新たにしました。
 例年、監督には祈願終了後に大絵馬に意気込みを揮毫して頂くのですが、今年はその場では揮毫頂けなかったので、後日揮毫した大絵馬を改めてご奉納いただきました。
 必勝の神様である「八幡さま」のご加護の元、東北楽天ゴールデンイーグルスのクライマックスシリーズ出場、更には日本シリーズ優勝を心よりご祈念申し上げます。

 階段を上り、表参道をゆっくり本殿へと向かう監督、島田社長や選手たち

 「必勝」掲げた大絵馬に、選手一人一人に祈念を込めてサインをしていただきました
 
神職によるお清めのお祓い、祝詞奏上後

  島田社長、星野監督、嶋選手ら6名が代表し玉串をご神前に捧げ、必勝を祈願致しました 

 報道陣に囲まれる星野監督  奉納された大絵馬
■ベガルタ仙台必勝祈願祭(1月27日)  去る1月27日(金)、本殿にてサッカーJリーグ1部(J1)ベガルタ仙台の手倉森監督をはじめ選手、スタッフ一同の総勢約40名が来社され、必勝祈願を受けられました。
 当日は、雪がちらつき寒さが厳しい中、選手・関係者の皆さんは、表参道の100段の階段を踏みしめるようにゆっくりと上がり、緊張した面持ちで昇殿され、神職によるお清めのお祓い、祝詞奏上の後、運営会社である(株)ベガルタ仙台の白幡洋一代表取締役社長、手倉森誠監督が代表して神前に玉串を捧げ必勝を祈願、また必勝祈願終了後には白幡社長、手倉森監督、選手、コーチ陣らがサインを入れた縦1メートル、横2メートルほどの大絵馬を奉納し、今季J1優勝への誓いを新たにしました。
 ベガルタ仙台の今季の更なる活躍をご期待申し上げております。(日野 美咲)

選手の方々のサイン白幡社長にも大絵馬にサインを頂きました

本殿にて厳粛にお祓いを受けました 祈願後は本殿前にて写真をパシャリ
■「文化財防火デー」消防訓練行われる(1月26日)  去る1月26日(木)、「文化財防火デー」に伴う消防訓練が行われました。
 空気が乾燥し、暖房器具使用頻度が高い為、1年のうちで最も火災が発生しやすい時期である1月ですが、去る昭和24年1月26日に日本最古の木造建築である、国宝法隆寺(奈良県)の金堂が炎上し、壁画が焼損したのがきっかけとなり、昭和30年に「文化財防火デー」が制定され、毎年行われるようにました。
 その為、当宮でも毎年1月26日に、青葉消防署・青葉消防署国見出張所・八幡分団・国見分団の皆様、当宮の消火設備を管理している(株)櫻井防災、当宮近隣の氏子の方々にお手伝い頂き、八幡様の万が一の時に備え、消防訓練を実施しております。
今回の訓練では、大元社西側の杉林から出火したと想定され、龍神社南側に発炎筒型の火点が設置されました。
 午前11時の訓練火災発生と同時に、職員は火災発生時の連絡対応、119番通報訓練、初期消火、初期消火失敗後の本殿前附近から広場への参拝者避難誘導、本殿から「御」を神輿殿へ搬出後、延焼を防ぐ為、舞良戸を閉めた社殿への放水銃による放水訓練を行いました。
 また、氏子の方々には、水消火器による消防訓練、バケツリレー等に参加して頂き貴重な文化財を火災から守っていかねばならない職員と同じく、再認識して頂けたのではないでしょうか。
消防訓練終了後には、冷えた体を温めて頂こうと“甘酒”を皆様にお配りし、本年も無事終了となりました。  (日野 美咲)

  職員も氏子の皆様と一緒に水消火器での消火訓練を行いました

  参拝に来られた老人ホームの方々も訓練火災に参加されました

 本殿から「御」を搬出後、職員は着替えて消火活動へ

  本殿の西側、東側の4ケ所から放水

 青葉消防署、並びに同国見出張所の消防車が到着後は火点への消火活動が行われました

 閉会式終了後は甘酒で体を温めました
■福豆・枡、甘酒の頒布が始まりました(1月21日)  正月・松焚祭が過ぎ、一段落したのも束の間、当宮では現在、来る2月3日の節分祭に向けての準備が進められております。
 ご社頭では「福豆」と「一升枡、一合枡」の頒布が始まりました。「福豆」は一袋200円、「一合枡(福豆一袋付)」は1000円、「一升枡(福豆二袋付)」は1500円にて頒布しており、「枡」の“福”と“寿”という字は神職が一つ一つ毛筆で浄書しております。また、頒布と同時にこの時期に厄祓を受けられた皆様方にも「福豆」と「枡」を撤下しております。福豆は炒ってある大豆になりますので、そのまま食べられます。
 本年厄年に当たる方は、いつまで厄祓を受けなければいけないとは決まっておりませんが、一年間のご自身の「厄」になりますので、早めに厄を落としていただくようにと当宮ではお問い合わせがあった場合、『二十四節気による旧年から新年の変わり目に当たる立春までに』とは伝えております。
 ご祈願の受付は随時行なっておりますので、ご都合に合わせましてご参拝頂ければと思います。
 また、福豆・枡と一緒に大崎八幡宮特製の「縁起甘酒」を頒布しております。こちらは秋田県横手市の“麹屋近野商店”にて製造されたもので、お正月期間に境内にて販売し、寒い中ご参拝頂いた皆様に好評を得ておりました。この甘酒は小さいお子様や妊婦さんでも飲むことが出来、ご家庭でも簡単に作ることが出来ますので、是非お試し下さい。

  ご社頭で頒布している「福豆・枡」と大崎八幡宮特製「縁起甘酒」

■大崎八幡宮「大寒禊」斎行(1月21日) 毎年、一年の中で最も寒い大寒に、七ケ浜の菖蒲田浜にて宮城県神道青年協議会主催の「大寒禊」が行われてきました。しかし、本年は東日本大震災の影響により、菖蒲田浜の海岸が抉り取られたため、禊行事開催が危ぶまれましたが、当宮宮司の一声により東松島市の月浜にて大崎八幡宮の禊行事が斎行されました。
前日から準備の為、泊りがけで職員が現地に向かい、現地の五十鈴神社を参拝してから斎場の舗設作業を行い、禊当日に備えました。


震災後に立てられた新しい五十鈴神社の鳥居をくぐり、職員みんなで参拝しました

 また、夕食後は講師として宮城県神社庁禊練成道彦・竹駒神社権禰宜の中津光則先生にお越し頂いて、禊行法についてのご講義を頂きました。

 ご講義頂いた中津先生と真剣に講義を聞く禊研修者たち

熱日高彦神社禰宜の黒須さんと息子さん達も一緒に講義を受けました

  分かりやすく説明して下さる中津先生と熱心に質問をしてきた一般参加者の澤田さん

 一晩明け、当日は生憎の空模様で雪がちらつきましたが、例年に比べると体感温度は暖かかったとのことでした。
 参加者は道彦(先導役)の中津先生をはじめ、当宮の神職職員8名、仕女3名、熱日高彦神社より4名、東北学院大学自転車競技部より7名、一般参加者1名の計24名となり、午前7時、宿泊施設より駆け足で海岸へ向かうと一面真っ白な雪化粧で、禊行事を始める前から身が引き締まりそうでした。 そして斎場に到着後、まずは砂浜で道彦に伴い「鳥船行事」で心身を整えた後、いよいよ海の中へ。海の中では「大祓詞(おおはらいことば)」を奏上し、罪穢れを祓い落としました。

砂浜にはうっすらと雪が積もっていました

  鳥船行事の後、大寒の海の中へ

海から上がった後の雄健行事は身が引き締まります  終了後はみんな清々しい笑顔です

 初めて禊行事に参加した高橋出仕は「あまりの寒さで痛みしか感じられませんでしたが、精神鍛錬だと思い最後まで無事にやり切ることが出来ました。これからも毎年参加していきたいと思います」と語り、仕女の日下さんと角崎さんは「砂浜にうっすら雪が積もっているのを見てより一層気合が入りました。海は冷たくて痛かったけど心身ともに祓い清められました」「海は予想以上に冷たかったけど、終わった後はとても清々しい気持ちでいっぱいになりました」と笑顔で感想を述べてくれました。 (日野 美咲)


■宮城県神道青年協議会主催の慰霊祭に参列しました(1月21日)  当宮の「大寒禊錬成会」が開催された同日、午前11時より宮城県神道青年協議会主催の東日本大震災慰霊祭が七ケ浜町の菖蒲田浜にて斎行され、当宮の職員も禊を終了して参列し、菅原啓生権禰宜は伶人として奉仕してまいりました。
 慰霊祭の斎場は毎年、青年会が禊行事を行っていた海岸でもあり例年の場所より500mほど離れたところにテントが張られ、その中に祭壇を組むという形での斎行となり、地元の方たちも多数参列しておりました。
 この菖蒲田浜の鎮守である柏木神社の本郷宮司さんも参列されていましたが「地元ではなかなか思い切りがつかないので今回の若い神職さんたちの慰霊祭斎行は、一つの区切りをつけるための絶好の機会でした。ありがとうございました」と仰っておりました。
 東日本大震災から早くも10ケ月が過ぎ、震災関係の報道も減り、少しずつ復旧している箇所もありますが、実際のところ被災地はまだまだ震災の傷跡でいっぱいです。
 そんな方々のために私たちが出来ることは、一日も早い被災地の復興とこの大震災を忘れないことだと思います。
  
  伶人として奉仕した菅原権禰宜

  慰霊祭は菖蒲田浜の海に見守られつつ、海岸に張られたテントにて斎行されました
  多数の参列者のもと粛々と斎行されました
■松焚祭(1月14日)   当宮の松焚祭は三百年の歴史を有す全国でも最大級の正月送りの行事です。
当宮においては『松焚祭(まつたきまつり)』と言いますが、一般には火の勢いから“どんと焼き”、“どんと祭”と言うほうが馴染み深いかもしれません。
 この松焚祭は、小正月神事の一つで、年末より納められた古神札(一年間ご加護を頂いた神札やお守り)やお正月様、しめ飾りや松飾り等は14日の夕刻より執り行われる神事にて祓い清められ、宮司による祝詞にて神様に元の御国へお帰り頂くよう奏上し、玉串を捧げた後、「忌火」により点火され焚き上げられます。この火はお正月の間に各家々に訪れていた神様をお送りする「御神火(ごしんか)」として、あたると心身が清められ、一年間無病息災であると言われております。
 また、この「御神火」を目指して参拝する「裸参り」があり、今年も昨年より多い118団体、2,868名のご参加がありましたが、昨年の東日本大震災の影響で『復興元年』と名付けられた今年は、一日も早い『復興・復旧』を願い、ご参拝された企業の皆様も居られたようです。 毎年、企業・団体の皆様、中には個人で参加される方もおり、市内各所より晒を巻き、白鉢巻を身につけ、口には私語を慎む為の「含み紙」をくわえ、鐘を鳴らしながら歩いてくるさまは、仙台の冬の風物詩として全国に知られており、多くの参拝者の中でも一段と目を引くものです。

斎場には既にお正月飾りが高く積み上げられています  宮司による祝詞奏上

 
役員総代による玉串拝礼の後、松明にて点火されます

  
点火した直後は勢いよく燃え上がります御神火の勢いは収まりましたが、17日頃まで
 燃え 続けました

*今年の松焚祭の参拝者数は94,548人となりました。
例年よりも参拝者が多かったため、裸参りの写真をとることが出来ませんでした・・・。


■伝播八幡井組雀踊り保存会奉納演舞(1月9日)  成人の日である1月9日(月)、本殿前にて伝播八幡井組雀踊り保存会による奉納演舞が行なわれました。 当日は天気も良く、祝日ということもあり境内が参拝者で賑う中、新年を迎えるにあたり会員一同、受け継いだ業を伝播していく想いを持ち、奉納演舞が行なわれ、お囃子や掛け声などでより一層賑やかな境内となりました。



軽快な演舞とお囃子で境内がより一層賑やかになりました

■ボーイスカウトの餅つき大会が行なわれました(1月8日)  去る1月8日(日)、多くの参拝者で賑う中、境内の広場にてボーイスカウト仙台27団の新年式が行われました。その新年式において当宮の宮司より、「昨年8月に開催が予定されていた全国神社スカウト大会が東日本大震災の影響で行なわれなかったため、今年8月に行われます。大会に向けて団員が一致団結して頑張っていきましょう」と挨拶があり、団員の子供たちは気が引き締まった顔をしていました。その後、本殿にて新年祈願を受け、恒例の餅つきを行ないました。 ボーイスカウトの団員はもちろん、参拝者の方もご自由に参加する事が出来、大きな釜で炊いたもち米を交代しながら餅つきが行なわれ、ついたお餅は「あんこ」「きなこ」の二種類の味付けがなされ、今年もあっという間に完売となりました。

宮司からの挨拶に隊員たちは真剣に耳を傾けていました祈願終了後に記念撮影

 恒例の餅つき大会

■兼務社「春日神社」歳旦祭斎行(1月9日) 1月9日、兼務宮司として当宮で管理する仙台市青葉区八幡2丁目鎮座「春日神社」おいて歳旦祭が執り行われました。

本来ですと1月1日に斎行される歳旦祭ですが、本務社である大崎八幡宮の初詣参拝者への対応のため、春日神社では毎年例祭日の1月9日に斎行しております。
当日は、春日神社の役員・総代、奉賛会の氏子の方々が参列する中行なわれ、お清めのお祓いの後、宮司により皇室の弥栄とわが国の永遠の繁栄、それと町内氏子地区内の無事を祝詞にて奏上祈願し、玉串を捧げ一年のご安寧をお祈り致しました。

祝詞奏上  お祓い献饌

宮司による祝詞奏上 参列者玉串拝礼 
祭典終了後の直会では、年末にお悔やみごとがあった奉賛会長に代わり町内会長さんにご挨拶を頂き、東日本大震災で被災し40年振りに生まれ育ったご実家である町内にお帰りになった氏子さんとの昔話に華を咲かせ、直会の時間を賑やかに過ごす事が出来ました。

ご参列頂いた皆様と直会風景
また、当日宮司と共に奉仕した高橋泰之出仕は、震災で被災した石巻市河北町長面鎮座・北野神社宮司さんのご子息で、昨年の7月1日付けで当宮に奉職頂きましたが、この長面地区よりこの地に嫁がれた氏子さんとも初めてお会いになり、いろいろとお話しされている中で甥子さんとは同級生だったとの事で暫しの間、懐かしそうに懇談されていました。
しかしながら、この氏子さんもご実家のご両親を始めご親戚の方々の中には津波に浚われたのか、未だに安否確認がされていない方も居られるとの事で「そうでしたか。」とのご返答しかできない自らを情けなく思いながら身近にも震災により困惑した生活を送られている方が居られるという事を痛感しました。
河北町長面地区は、この度の震災において壊滅状態となり鎮守さまである北野神社は無事だったものの社務所を始め、地区町内全体が地盤沈下により現在でも水没状態が続いており、今後のご社頭維持には難題が多々ある事が推測されます。


地盤沈下した長面地区
春日神社では、平成22年に地区町内の皆様方のご協力により社殿修理及び境内整備事業を終えこの度の震災での被害はありませんでしたが、震災より10カ月もたってまたぞろ震災によってお心を悩ませている方が身近に居られたことに、あらためて被災された方またご関係の方々に心よりお見舞い申し上げます。

 春日神社では、毎月9日に八幡宮より神職が出向し「月次祭」をご奉仕させて頂いており、小さな町内の小さな氏神様ではありますが皆様と共にお守りしながら町内の憩いの場として活用して頂ければと思います。


■東京ヤクルトスワローズ 由規投手来社(1月5日)  去る1月5日(木)、東京ヤクルトスワローズに所属している由規(佐藤由規さん)投手と、弟で同じく東京ヤクルトスワローズの育成選手である佐藤貴規選手がご家族揃ってご参拝されました。 皆様には常に事あるごとにご参拝いただいており、今回は新年を迎えて年始のご参拝でした。
 皆様方には、御本殿にてご祈願を受けられた後、こちらからお願いしたホームページへの掲載用の写真撮影や色紙、絵馬へのサインを快く引き受けて下さいました。
 お兄様を始め由規・貴規の三人のご兄弟は、小学生の頃よりご家族揃ってご参拝頂いており、宮司も「小さい頃は、『お年玉』あげたんだよ。」等と親しくお話ししていました。
 今季も両選手の更なるご活躍と佐藤様ご家族のご多幸をご祈念申し上げます。

家族揃って記念撮影 書いた絵馬は絵馬掛けに!

  それぞれ意気込みとサインを戴きました。(左)兄・由規投手 (右)弟・佐藤貴規選手
 お父様にも書いていただきました


■元始祭(1月3日)  当宮で初めて斎行されます「元始祭」の起源は、明治3年に神祇官(じんぎかん・)の『八神殿』に、「天皇陛下をお守りする八柱の神様」を御鎮祭されたのが始まりで、1月3日に天皇陛下が御自ら宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)において皇位の元始、始原をお祝いする祭典を御奉仕されており、この祭典を「元始祭」と呼ばれて居ります。 この天皇陛下の祭祀に併せて、全国各地の神社にて行われており、当宮でも本年より「御皇室の安泰を祈願するため」に、役員総代さんにご参列頂き厳粛に斎行致しました。

  御皇室の安泰を願い、宮司による祝詞奏上  巫女による「浦安の舞」
  
祭典終了後に記念撮影


■「歳旦祭・松焚祭採火式斎行」(1月1日) 当宮において、一年の始め、第一番目の祭典となる「歳旦祭」。
この「歳旦祭」は、新年を迎えたことをお祝いし、皇室の弥栄とわが国の永遠の繁栄を祈る祭典です。
元日の午前8時から本殿にて行なわれた祭典では、宮司による祝詞奏上にて新年を迎えたことを御祝申し上げ、採火の儀、巫女による「浦安の舞」が奉奏された後、宮司・祭員が揃って玉串拝礼し祭儀は滞りなく厳粛のうちに斎行されました。
また、祭典の中で行なわれた「採火の儀」は、1月14日に行なわれる松焚祭(どんと祭)のご神火となるもので、宮司の手により古儀にのっとり「火打ち石」を用いてきり出された火は「忌火」とも呼ばれ、松焚祭当日まで灯され続けます。今年の3ケ日の初詣参拝者数は、121,802人となり、過去最高を記録致しました。
尚、今年の3ケ日の初詣参拝者数は、121,802人となり、過去最高を記録致しましたこともお知らせ致します。

宮司による祝詞奏上  採火の儀 「火打ち石」を用いて火を起こします

この火は14日まで灯され続けます  巫女による「浦安の舞」

  〜境内の様子〜   
 表参道は参拝者の行列でいっぱいに成りました




 
 辰歳を迎えました。
 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

今年も八幡宮の出来事を随時更新し、ご覧頂いた皆様に八幡様を
身近に感じ、親しみを持って頂けるよう配信して参りたいと
思いますので宜しくお願い申し上げます。

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