国宝 大崎八幡宮
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■「年越大祓式」斎行(12月31日) 去る12月31日(土)、午後2時より本殿前特設テント内において「年越大祓式」が斎行されました。
 当日は天気は良いものの風が冷たく感じられる中、本殿前に設置されたテントの中には多くの参列者の姿が見られました。
 この神事は、参列者が神職の「大祓詞」の宣読に沿って、左なえの麻縄を口で解き右肩越しに、右なえの麻縄を口で解き左肩越しにそれぞれ投げ、切麻(紙吹雪状のもの)を撒いて自身を祓い、人形で体を撫でてから息を吹きかけ罪穢れを移し、紙包みに戻したものを回収し、唐櫃に納め、これを神職がお祓いしたものを水に流すのが一般的ではありますが、当宮では神事の後、松焚祭の忌火にてお焚き上げを致します。
 こうして祓われることにより、半年間に知らず知らずのうちについた心身の罪穢れが綺麗に清められ、新年を新たな気持ちで迎えられるのです。

〜大祓式の起源〜
 大祓式は毎年6月と12月に斎行されておりますが、起源は古く、須佐之男命が罪を犯し、高天原を追放された故事が始めとされ、その後災害疫病等の際にその都度行われていたもので、現在のように定期的に行われるようになったのは、大宝元年(701年)からのことです。

 祓主が大祓詞を読み上げる中、口で解いた縄を肩越しに投げ、
 人形で体を撫でて罪穢れを移します

  大麻と塩湯にてお清めのお祓いをします神事終了後、本殿にてお参りをして頂いた後、

 御神酒と御神札をお渡しして終了となりました  テレビの取材を受けてる方もおられました


■東松島市宮戸月浜「五十鈴神社」に鳥居建設支援(12月27日)
 平成23年も残すところ5日程となった12月27日、東松島市宮戸字月浜鎮座「五十鈴神社」に当宮で制作支援した「神明鳥居」を建てさせて頂きました。

 ここ東松島市宮戸は日本三景「松島」の奥、松島湾の東の端にあり通称・『奥松島』と呼ばれる自然がいっぱいの風光明美なところで「松島四大観」(壮観;大高森・麗観;新富山;偉観;多聞山;幽観・扇谷の4か所)の一つである大高森(標高;106m)を主峰とする7.39ku程の島ですが、東側は外洋に面し、西側は松島湾の島々(寒風沢島、桂島、朴島、野々島などや浦戸諸島)を配しており渡り鳥の中継地として、また国指定の「史跡・里浜貝塚」、また島の入口には島の東側、外洋に面した『嵯峨渓』と云われる断崖と緑松を見ながら断崖の真下を航行する小型観光船の発着所があります。
 東日本大震災では、これらの島々の存在が水産漁業の町・塩竈市や国宝・瑞巌寺があり全国的に有名な観光地・松島に大きな被害をもたらす事がありませんでしたが、その代わりに津波の被害を真っ向から受け止め大きく被災した島の一つでありました。

 宮戸島には、松島海岸より県道・奥松島松島公園線(松島パークライン)で東松島市東名より野蒜を抜けてまいりますが、松島湾内と外海とを繋ぐ「潜ケ浦水道」に架けられた全長20メートル程の「松ヶ島橋」を渡ると宮戸島で、震災ではこの「松ヶ島橋」の部分が押し寄せてきた津波により道路が崩壊し不通となり、島内の里浜・室浜・大浜・月浜の4つの集落で約900名の方々が孤立状態となり電気も水道も止まった中での生活を強いられ、集落の方々は限られた食料を持ち寄りながら小学校や集会所、水産加工場・被災を免れた個人住宅などで長期にわたる避難生活を余儀なくされました。

 また島内には鹿島神社(室浜地区)・八幡神社(大浜地区)・熊野神社(里浜地区)・五十鈴神社(月浜地区)の4社が鎮座しておりましたが、このうち高台に鎮座している鹿島神社(室浜地区)と松島湾内に面した里浜地区に鎮座する熊野神社及び五十鈴神社(月浜地区)は倒壊などの大きな被害はありませんでした。
 しかしながら、大浜地区の八幡神社は集落の全てと共に倒壊・流失してしまいました。
現在は、宮戸小学校と室浜地区、そして月浜地区の3か所に「仮設住宅」が建設されましたが、「五十鈴神社」の鎮座している月浜地区の『仮設住宅』には集落のほぼ全員にあたる39世帯が避難生活をして居ります。
 そして、この月浜地区には、1月11日より15日にかけて国指定重要無形民俗文化財「えんずのわり」という小正月の『鳥追い行事』が伝えられており、「五十鈴神社」の境内に造られた『洞窟』で、「大将」と呼ばれるその年の上級生を中心に小・中学校の男子生徒だけでこの洞窟に寝泊まりし『鳥追いの行事』をする慣わしが残っています。

 当宮では、震災直後よりこの「小さな島の小さな浜に小さな支援活動」を行って参りましたが、この地区には、都市部では忘れ去られた「集落共同体の意識」が現在でも息づいており、将来共に我が国の伝統行事を後世に残すためにも、地域の『心のよりどころ』としての「五十鈴神社の再建支援」には、職員一同なんら躊躇いもなく「五十鈴神社鳥居再建支援活動」を行う事となりました。

 従来の鳥居は、柱の直径が7寸、高さ11尺程度の「稲石造りの神明鳥居」でしたが、津波により柱は根元より倒され、笠木・貫共に折損してしまい再利用は適わない状態でしたので、同様の石材が入手困難な現状では直ちに再建する事は出来ないのでは、とのお話しもあった様にお聞きしましたが何れ「伊勢神宮の古材」を活用する事も考慮し「木製」とする事となりました。
 その結果、「鳥居再建」については五十鈴神社宮司様・地区役員・総代・また月浜区長・地域の長老の皆さんとの協議を行い、是非とも「復興・復旧元年となるべき正月前に再建」しようとの事となり、当宮で「将来の御修理用材」として確保している木材の中から杉材の7寸角2本・8寸角1本を提供する事と致しました。

 鳥居の制作にあっては、御社殿の保存修理工事を担当した大工さんが経営する当宮出入職方の許リ匠(福島県会津若松市)に依頼し、階段参道の補修等の土木工事は同じく活「部コンクリート工業(宮城県黒川郡富谷町)に奉仕支援を依頼。大晦日を目前に控えた12月27日に鳥居設置作業を完了させて頂きました。

 当日は、会津若松市の許リ匠・加工場にて制作された「神明鳥居」を積み込んだトラックが午前10時に当宮に到着、必要な道具類を積込み直ちに出発、震災以来あちこちで渋滞となる三陸道の松島海岸ICより高城〜手樽と進み、震災で大被害を受けた東松島市大塚字東名の集落を抜け、そのほとんどの防風林がなぎ倒された野蒜海岸を左手に見ながら宮戸島松ヶ島橋を渡り正午過ぎに月浜に到着。昼食も取らずに鳥居の組立設置作業を行いました。




 仙台放送も取材に来ました

 午後2時より所用で奉仕出来ない五十鈴神社宮司様に代わり当宮職員2名により「鳥居再建竣功奉告祭」を奉仕し、神社役員・総代・また月浜区長・地域の長老の皆さんにもご参列頂き斎行させて頂きました。


 併せて、去る12月4日に行いました「注連縄制作講習会」で研修して頂いた『注連縄』や『門松』も取りつけられ、月浜地区の正月迎えの準備が整ったとの事で祭典終了後には、仮設住宅の談話室で直会も頂戴し宮司共々震災直後より支援物資の搬送や炊き出しなど何度となく訪問させて頂いた事に対し感謝のお言葉を頂戴し恐縮至極に感じた次第です。

 しかしながら、この度の「鳥居再建」により集落の西側に鎮座している五十鈴神社は、参道より鳥居そして5〜6メートル程高台に鎮座する御社殿と、それなりに神社の体裁を回復する事は出来ましたが、東側の海岸を見渡した時、住宅が密集していた集落全体がコンクリートの土台を残し全ての建物が無くなり、軽自動車がやっと通れるほどの道路に残された自動車の轍だけが人々の存在を示すばかりで、岸壁に繋がれた小船も数隻しか見当たらず、「一刻も早い『復興・復旧』を。」と考えるのは私どもだけでしょうか。

 当宮では数年前より「撤下神饌」(神様からのお下がり)に、ここ奥松島・月浜で生産された「海苔」を採用させて頂いており、今シーズンはお2人しか「海苔養殖の網を懸けられなかった。」との事で新年からの撤下品の心配をして居りましたが、12月初旬には無事「新海苔」をお納め頂きました。
  
 当宮と致しましても、全国の神社が震災支援の一環として「松島産海苔」を採用される御社が一社でも多くなる事を望んでおります。


■仮設賽銭箱設置作業(12月16・17日)
 去る12月16日(金)、17日(土)の2日間にかけて、本殿前にお正月準備の一つである、仮設賽銭箱の組み立て作業が(株)マルエス技研工業所の作業員により行なわれました。毎年、この仮設賽銭箱が設置されるとお正月行事が近づいている証しになり、職員も身が引き締まる思いです。
 そして、お正月になりますと、この賽銭箱には15本の『鈴の緒』が下げられますが、どこの場所でお参りされても八幡様のご利益は変わりございません。ご参拝の折には左右に分かれてお並びになりお参りされますようお願い申し上げます。

 着々と作業が進められ、2人の作業員により設置されました

15本の鈴の緒を下げ、皆様のご参拝を
お待ちしております
■仮設電源用の発電機を購入(12月14日)
 当宮で年間最大の神事行事が行われる正月を目前に控えた12月14日、市販されている「防音型ディーゼル発電機」の中で、騒音の発生が一番低い新型の「超低騒音型ディーゼル発電機」を導入致しました。
 本来ですと、今年度「非常時対策用」に、との考えから『緊急用自家用発電機』の導入を検討して居りましたが、3月11日の東日本大震災の影響もあり、沿岸部被災地対策が優先され、当該発電機も緊急物資として性格から品薄状態が続いておりましたので入手が困難な状態が続いていました。また、仮に発電機があったとしても中古機器として一旦海外に輸出されていた発電機の逆輸入品であったりと、当宮の要望通りには入手が困難な状況が続いていましたので「緊急用発電機設置計画」の大幅な見直しを迫られていましたがこの度、方々に依頼していた業者より「新品の機種がメーカーに一台のみ在庫している。」との連絡がありましたので種々と検討した結果、導入する事を決定致しました。
 導入した発電機は「250KVA」の発電能力しかありませんが、『100Vの電圧で12,000W程度』の電気機器を使用する事ができる能力をもっているものです。とは言え、境内全域をカバーできるものではありませんが、『重量が700Kg程』であり、当宮所有車両で「必要な時に、必要な場所」に移動する事が出来る。との利点もあり購入する事とし当日の納品となりました。
 当宮では、正月初詣・松焚祭の恒例の年末年始の諸行事を目前に控え、電気設備業者とも協議し早速、「正月期間の臨時仮設電気用」に使用する事となりました。
 何れ、境内全域をカバーできる程度の能力をもつ「非常用電源の確保」は大変多くの方々にご参拝頂いている当宮にとって「安全・安心」は至上命題であり、当面はこの度の購入機器を活用していく事を考えて居ります。

 今回導入した「超低騒音型ディーゼル発電機」

■大韓民国(韓国)文化財庁職員が国宝の社殿視察(12月14日)
 去る12月14日(水)午後、大韓民国文化財庁職員がこの度の東日本大震災被害状況の視察のため宮城県を訪ずれ、その日程の中で当宮に立ち寄り、国宝建造物に指定されている御社殿等の「文化財建造物」の管理状況を視察されました。
 当日は、大韓民国文化財庁文化財保存局イム・ビョンチョン氏を始め、天然記念物担当キム・ヨンフィ氏、建造物修理担当ミン・ドンヨゥル氏、また防火担当ハン・ドゥシク氏等7名が、文化庁建造物担当参事官室調査官の田中氏と、宮城県文化財保護課の職員の案内により来社され、宮司並びに仙台市文化財課職員が一行9名を御社殿前でお迎え致しました。そして、420年程前に「豊臣秀吉の朝鮮出兵」に同行した藩祖・伊達政宗公の話しや当宮の由緒、御社殿の保存状況など当宮創建に関わる歴史的経過など全般に亘りご説明申し上げ、その後御社殿にご昇殿頂きご参拝され、内部の彩色の状況や彫刻類また、平成12年より同16年にかけて行われた「御社殿保存修理事業」の概要等をご説明申し上げ、一行は盛んにデジタルカメラのシャッターを切って居られました。
 ご承知の通り、当宮の御社殿は安土桃山時代の遺構を残すものとして国宝建造物に指定されて居りますが、特に彫刻や彩色の様式などは中近東からシルクロードを通り中国・朝鮮半島と伝播され我が国に伝わってきたもので、同様の物が韓国々内にも伝わっており興味津津にご覧になられていました。
 その後、防火担当の方も居られたので当宮の消防設備やポンプ・貯水槽などもご覧になられて「放水銃・消火栓は何機あるのか。」「消防のポンプは、電気かエンジンか。」「貯水槽は何トンの水を貯めているのか。」等の質問もありお帰りの時間が過ぎるのも忘れて居られるようでした。
  文化財建造物を所有する者として、『火災延焼』は一番気の使うところで平成20年2月に韓国ソウル市の国宝第1号に指定された『南大門』が「老人の放火により焼失。」した直後に「職員研修旅行」として初めての韓国旅行を実施しましたがその際、放火した犯人は、「死傷者が一人もいなかったのだから別に良いのではないか。焼けた南大門はまた造ればいいだけだ。」と、まるで他人事のように云っているとの報道を見て唖然とした事を思い出しました。
 文化財建造物を所有する当宮にとって、韓国の国民性なのか、教育のせいなのかあまりにも軽率な考えに我が国では考えられない、いや考えたくないと思いますが、近年の政治家の言動を見聞きするにつけ日本の国も「進路を間違えない様に。」して欲しいと思うのは私だけでしょうか。

  
昇殿参拝の後、宮司による内部の彫刻、天井絵図の説明、外観の説明を受けられました

社殿前に埋設してある放水銃やポンプ小屋にも興味を示しておられました

最後に皆さんで記念撮影を行いました


■「煤払式」斎行と御神像(お正月様)頒布始まる(12月13日)
 本年も余すところ残りわずかとなり、当宮でもお正月に向けての準備が着々と進められております。
 その中の一つで、一年の穢れを祓う「煤払い」、(家庭で言う「大掃除」)が去る12月13日に行われ、八幡様の御神体をお祀りする内陣は宮司の手により、拝殿や石の間、回廊などは神職・巫女の手により隅々まで清められていきましたが、今年は壁面のひび割れや、漆の剥がれ等、先の大震災の爪あとが随所に見られ、改めて地震の大きさを感じました。
 国の重要文化財となっている長床も、少しでも傷が付かないよう青竹を編んで作ったお手製の箒で普段は手の届かないような所まで丁寧に祓い清められ、「煤払い」が全て終ると、ご社頭(祭儀棟)では新年の御神像(お正月様)や神札等の頒布が始まります。
 当宮で頒布している神宮大麻は10月27日に斎行された「神宮大麻暦頒布始祭」にて、厳粛にお祓いされた後、各社に配布されたものであり、大崎八幡宮のお札は当宮の御社殿にて祓い清め、皆様に分かつものであります。
 皆様も家の大掃除を済ませた後、神様に感謝し、八幡様より新しいお神札を受けてお祀りし、清らかな気持ちで新年をお迎えいたしましょう。
 また、年内にご不幸があったご家庭でも、お亡くなりになられてから50日間(仏式で言う49日)を過ぎていれば喪が明けたことになり、神社にお参りし、新しい神札を受けても良いと言われております。喪に服す日数は地方や続柄によっても違いがありますので、ご不明な点がございましたらお気軽に社務所までお問い合わせ下さい。

  内陣は宮司以外見ることの出来ない場所 細かい所まで丁寧に

 皆で一斉に雑巾がけです掃除が終わったら元に戻します

普段は見落としてしまう所もお手製の箒で隅々まで払い清めました

 当宮でも震災の影響が見られる箇所がまだまだございますが、一日でも早い復興を祈念し、また、皆様が新たな気持ちで新年をお迎え頂けますよう尽力していく所存にございます。
   (日野美咲)
■宮司宿舎の上棟祭斎行(12月10日)
 去る12月10日(土)午後4時より、工事関係者の参列する中、宮司宿舎の上棟祭が斎行されました。
当日の祭典は当宮の職員2名の奉仕により、祭主が祝詞を奏上し、次に棟梁・ (有)木匠 大工 佐藤大樹殿による上棟寿詞(むねあげのよごと)を奏上、四方祓を行い、その後、宮司夫妻に続き、責任役員、工事関係者が玉串を捧げ、拝礼致し、土地の神様へのお供えとして撒餅撒銭を行い、神事は滞りなく斎行されました。
 宮司宿舎は、この度の東日本大震災により「大規模半壊」の診断をうけ、予定として8月中に旧宿舎の解体を行い、敷地内を3m程掘削し、地盤改良等の工事を進め、9月上旬に建築工事の着工の見通しを立てておりましたが、資材の調達が思うようにいかず、建築確認申請等の手続きも担当者が多忙により遅延し、10月20日の地鎮祭斎行となりました。
 その間に、(有)木匠さんが木材加工等の工程を進め、12月7日より土台据付、立柱の作業等を行い、上棟祭を迎えることが出来ました。
 柱・桁・梁などの構造材は全て宮城県内産の木材を使用し、「軸組工法」と呼ばれる在来工法での建築工事を目指しております。
現在、竣工予定の3月に向けて工事を進めているとのことです。
〜上棟祭(建前)とは〜  「むねあげまつり」または「たてまえ」などと言われ、棟木を棟にあげる際に家屋の守護神や工匠の神様にこれまでの工事の感謝と、竣工までの加護を祈願するおまつりです。
 地鎮祭との異なる点は、昔は工事関係者の間で行われており、祝詞も棟梁が自ら奏上しておりましたが、その後、徐々に儀式化され、現在では神職が行う形となりました。

 棟札は神様の依代となります  斎場が出来上がりました
 
 上棟寿詞の奏上宮司夫妻による玉串拝礼

最後に土地神さまに撒餅撒銭のお供え 巫女さんたちもお餅を頂きました
 
  直会では今後の予定について様々な意見交換が行われました
■復興支援−五十鈴神社にて「注連縄制作講習会」開催(12月4日)
  去る12月4日(日)、東松島市宮戸字月浜に鎮座する五十鈴神社にて、正月準備の為の『注連縄制作講習会』を行いました。
 月浜には、約34世帯程がお住まいになられ、主に漁業に従事されており、夏場は「定置網漁や刺し網漁」「ウニ・アワビの素潜り漁・わかめ養殖」などを、冬場には「海苔の養殖」を生業として居られる「小さな浜」です。
 この度の東日本大震災により、海岸より100メートル程の高台に鎮座している五十鈴神社は、拝殿床上まで波が来たそうですが、幸いにも流出倒壊等の被害は無いそうです。そして、住民の皆様は地震発生と同時に避難し、亡くなられた方もおりませんでしたが、34世帯のうち32世帯が津波により流出または全半壊となり、現在でも同じ地区の民有地に設置された「月浜仮設住宅」での避難生活を余儀なくされて居り、この度の五十鈴神社正月迎えの為の『注連縄制作講習会』は仮設住宅集会所での開催となりました。
  この月浜地区では、正月の準備作業として毎年12月17日に「注連縄張替等」の作業をするとの事ですが、「稲石」で造られた鳥居は倒壊破損してしまいましたので、当宮備蓄用材の中から7寸角の杉材で鳥居を制作する事とし、この度の注連縄制作講習会となりました。
 当日は、当宮の「日本一の大門松」用に準備した「稲藁」の一部を持参し、区長さん始め、五十鈴神社の総代さん・氏子の長老の方々10名程に集まって頂き、当宮の御社傭人である佐藤隆さんの指導のもと講習会を開催。「わら叩き」より始め、鳥居用の注連縄を制作しました。
 またこの地には、現在でも小学校2年生から中学校2年生までの男子が五十鈴神社の参道に造られた「岩屋」に集まり1月11日から15日にかけて「おこもり」をしながら寝食を共にし、「精進料理」を食べながら『鳥追いの行事』を行う、小正月行事『えんずのわり』という民俗行事が200年程前から伝えられており、本来の姿を守り、受け継いでいることが評価され、重要無形民俗文化財に指定されています。
 当宮の宮司は、石巻市雄勝地区の重要無形民俗文化財「雄勝の法印神楽」の支援活動同様、「この月浜地区の支援活動は、日本三景松島の小さな島の小さな浜の小さな支援活動だが、この度の震災被害で『我が国の歴史文化が継承の危機』に瀕しており、20年30年後には無くなってしまう。現代の日本人が忘れかけている、大切な伝統行事を守ることができなければ。」との思いからと話して居ります。
 尚、「五十鈴神社鳥居設置支援」については、追って掲載させて頂きますので、引き続き「麻実子の部屋」をご覧ください。

東松島市宮戸字月浜に鎮座する五十鈴神社  佐藤隆氏に教わりながら藁を編んでいきました


完成した注連縄を持ち、記念撮
■「日本一の大門松」(12月3〜4日)
  一年も早いもので、本年も残り僅かとなりました。当宮でも年越大祓式、お正月・松焚祭に向け着々と準備が進められており、八幡様の境内は徐々に慌ただしさを増しています。
 さて、毎年この時期恒例となっております、鳩の森園芸の阿部さんご奉仕による「大門松」制作。今年も12月3・4日と2日間の作業の後、日本一の門松が三之鳥居前に飾られました。
当宮名物の大門松は高さ8.8m・周囲4.5mと大きく、使用される松や大量のわらも全て下準備を行い、そこから段階を経て少しずつ形にしていく大変手間のかかる作業です。
 実物をご覧になった方はお分かりだと思いますが、門松と言われなければ分からないほどの大きさに圧倒されることでしょう。
 皆様も年末年始のご参拝の際には是非とも日本一の門松をご覧ください。


 三之鳥居前にあった燈籠はこの度の大震災で倒壊しましたが

修理工事が終わり元通りになりました
 
  修理工事が終わった燈籠の前に飾られた大門松

  完成した門松は厳粛にお祓いされました

 現在の門松は中心の竹が目立ちますが、その本体は名前の通り松になります。
 元々、平安の貴族達が好んだ小松引きと言う行事で持ち帰った「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもので、現在も関西の旧家などでは「根引きの松」という玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた根が付いたままの小松が飾られているそうです。
 根引きの松(日野 美咲)


■「ご結婚、おめでとうございます」(11月ご本殿での結婚式)
  大崎八幡の大神様の大前において挙式を挙げられ、皆様に掲載許可を頂きましたので、ここにご報告申し上げます。


11月19日 佐藤・阿部 御両家11月27日 武居・田中 御両家

 八幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、ご両家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。
誠におめでとうございました。


■「仙台ベルフィーユ 必勝祈願祭」(11月27日)
 去る11月27日(日)、本殿にてバレーボール女子クラブチーム“仙台ベルフィーユ”の板橋恵監督兼選手をはじめ選手、スタッフ一同が来社され、シーズン開幕に向けての必勝祈願祭を齋行致しました。
 仙台ベルフィーユは、運営資金が不足し活動を休止した「四国Eighty 8 Queen」が今季より、社会人チームからプロチームへ移行、さらに香川県高松市から仙台市へと本拠地を移転およびチーム名を変更する形で、活動を再開。そのチーム名は、から英語のbell(ベル・鐘)と、フランス語のBelle(美しき)Fille(女の子)の意味を併せた「BelleFille」へと改められ、今年8月に新しいチームが誕生致しました。
 当日は、秋らしい暖かい日差しの中、皆さんは緊張した面持ちで昇殿され、神職よりお祓いを受け、祝詞にて必勝をご祈念申し上げた後、板橋監督、中野キャプテンが代表し玉串拝礼を行いました。
 また、祈願後には縦約1メートル・横約2メートルの大絵馬に球団、監督、コーチそして選手全員よりこのたびの震災からの復興を祈りつつ、必勝への思いや、今シーズンの決意と一緒にサインをして頂きました。このサインを頂いた大絵馬は本殿向かって左側の西回廊に奉納されておりますので、ご参拝の際は是非お立ち寄りください。
 今季の仙台ベルフィーユのご活躍を心よりご祈念申し上げます。 (角崎 芽生)
  
 先ず始めに、選手の皆様をお祓いした後、祝詞して必勝をご祈念申し上げました

  その後、板橋監督・中野キャプテンによる玉串拝礼 にて滞りなく終了致しました。

今シーズンの決意を絵馬に祈願後、記念撮影を行いました
 
奉納された大絵馬
■「新嘗祭斎行」(11月23日)
 去る11月23日(水)、本殿にてこの秋に収穫された新穀を始め、種々の産物をご神前にお供えし、五穀豊穣を感謝申し上げる「新嘗祭(にいなめさい)」が斎行されました。
 11月23日といえば、「勤労感謝の日」となっておりますが、勤労感謝の日は、「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨で昭和23年(1948)に国民の祝日として定められました。それ以前は、「新穀感謝祭」が国民の祝日とされていました。
 この「新嘗祭」は古く、宮中の儀式として形がととのったのは、飛鳥時代の頃とされており、天皇がその年に収穫された新穀や新酒を天照大御神をはじめとする天地の神様にお供えをし、農作物の恵に感謝するお祭りです。それは、宮中のみで行われていた儀式ではなく、民衆の間にも新しい穀物を神に供え、それを食べて収穫を祝う習俗がありました。
 当宮においても「新嘗祭」は、年間の祭典の中で2月17日に大神様に五穀豊穣を祈る「祈年祭」と同じく、八幡宮のお祭りの中では特に重要な「大祭」に位置づけられております。
 前日には、氏子・崇敬者の方々からその年に収穫された新穀・野菜・果物など沢山の種類のご奉納頂いたものをご神前へお供えをしました。
 そして、当日の祭典では、献饌の後、宮司が祝詞を奏上し、種々の産物が無事収穫された事に感謝を申し上げ、本装束を着けた巫女による「浦安の舞」奉奏の後、玉串を奉りて拝礼し、滞りなく厳粛に執り行われました。
 勤労感謝の日は、毎日勤勉に働く皆様への祝日と思われがちですが、趣旨にもある通り「生産を祝う祝日」でもあります。普段何気なく口にしているお米を始め、野菜や果物の農作物を食べることが出来る事への感謝の気持ちを持って頂ければと思います。

【食前感謝】   (一拝一拍手)
食物(たなつも)の百(もも)の木草も天照(あまて)らす
日の大神の恵みえてこそ 頂きます
【食後感謝】  (一拝一拍手)
朝宵(よい)に物くふごとに豊受(とようけ)の
神の恵みをおもへ世の人 御馳走様 この二首は、どちらも本居宣長が詠んだ歌で、【食前感謝】の歌は、「五穀や全ての木草の育みは、天照大御神の御加護のお陰である」という意味で、【食後感謝】の歌は、「朝夕の食事の際には、豊受大御神(とようけのおおみかみ:お米をはじめ衣食住の恵みをお与えくださる産業の神様)からの恵みを感謝しましょう」という意味が込められております。

  ご神前には沢山のお米・野菜・果物がお供えされました
    
  献饌・・大神様に神饌をお供えします
   
 宮司による祝詞奏上・・新穀、本装束を着けた巫女による「浦安の舞」
 種々の産物が無事収穫された
 ことを感謝申し上げます

 玉串拝礼にて新穀、作物の収穫の感謝を申し上げた後、宮司以下祭員がご神前に一礼し、
 終了となりま した

■「七五三祈請祭斎行」(11月15日)
 去る11月15日(火)、毎月斎行している月次祭に合わせ、七五三祈請祭が執り行われました。
今年は7歳になる鈴木莉央ちゃんとご両親、3歳になる安永涼乃ちゃんとご両親にお爺ちゃんお婆ちゃんが参列する中の斎行となりました。
 祭典では宮司一拝から始まり、献饌、宮司による祝詞奏上にてお子様の健やかなる成長をお祈り申し上げ、巫女による「萬代の舞」奉奏後、玉串拝礼を行い、お子様もご両親に見習い一生懸命に小さな手を合わせていました。
 祭典終了後、参列した皆様と宮司・祭員と一緒に本殿前にて記念撮影を行いました。
 七五三は、天和元年(1681)に徳川綱吉の子・徳松公を11月15日に祝ったのが始まり、と言われておりますが、子供の無事と健やかなる成長を祈る親心は、昔も今も変わりはないようです。
 また、七五三のご祈祷は11月末まで受け付けており、ご祈祷後にはお子様に、御神札・お守り・千歳飴の記念品をお渡ししております。
 皆様お揃いでのご参拝をお待ちしております。


 ご参列頂いた鈴木様、安永様ご一家  宮司による祝詞奏上

  梅の花を手にした巫女による「萬代の舞」 祈願後に皆様で記念撮影を行いました

■「季節のあれこれ」(11月6日)
 11月8日は「立冬」。
まだまだ赤くなった葉っぱが境内中に敷き詰められ、毎朝、職員が掃き掃除をしてもしばらくするとまた赤い葉っぱが・・・という状態が続いておりますが、暦の上では冬になり、この頃より冬の気配現われはじめてくると言われております。
 「立冬」とは、季節の区分けとなる二十四節気の一つであり、特に重要といわれているのが、各季節の中間点となる「春分・夏至・秋分・冬至」、また各季節の始期となる「立春・立夏・立秋・立冬」の併せて八節となり、当宮の祭典においても、重要な目安となります。
 普段の生活において衣替えの時期は、6月1日と、10月1日になりますが、神職さんの装束が夏用から冬用に替わる時期は「立冬」となり、冬用から夏用に替わる時期は「立夏」が基準となります。その他に、巫女舞に使用する天冠や執物(手に持つ花束)の花はその季節に合わせた花になります。
 その花は、立春(2/4〜5/5)は桜、立夏(5/6〜8/7)は撫子、立秋(8/8〜11/7)は菊、立冬(11/8〜2/3)は梅、と4種類に分かれ、花で季節を感じ取ることが出来ます。
 普段ではあまり見る機会がない巫女舞ですが、毎月1日と15日には月首祭を斎行しておりますので、季節の変わり目にご参拝の際には巫女さんの天冠や執物に視点を変えていただくと分かりやすいかもしれませんね。
   
神職さん大祭用装束(夏袍)  巫女舞用天冠・執物


■「陸前高田市にコンテナハウス搬入設置」
並びに「和船回送・鐘楼建直し」支援実施(11月2日)
 去る11月2日(水)、今泉天満宮に当宮寄贈の仮設ハウスを設置した後、同市竹駒町相川のショッピングセンター隣接地に仮設商店会用のコンテナハウス2棟を搬入組立設置してまいりました。
 今回の被災地支援プロジェクトは、5月より継続支援して居ります「被災地にコンテナハウスを送るプロジェクト」への支援活動の一端として行われ、早朝7時に社務所を出発した宮司いか職員4名が2台の車両に乗り込み、午前10時過ぎに陸前高田市に到着。前掲の「今泉天満宮」への仮設ハウス寄贈設置を行い、その後仮設商店会となるショッピングセンター隣接地に移動、2棟のコンテナハウスを組立設置しました。
 このハウスは、ドイツに本社がある「ローランド・ベルガー社」の寄付により準備されたもので、全部で6棟のハウスが搬入設置される予定で、同社の社員20数名と共に組立作業を行いました。
 その後帰社の途中、気仙沼市唐桑町竹の袖鎮座・賀茂神社の小原真朝彦宮司様のところへ東京都大田区の漁協支部より寄贈された「和船・2艘」をご厚意により、石巻市雄勝町名振浜で必要としているとの事で、雄勝町までの回送支援を行いました。
 この日は、陸前高田へのハウス搬入設置の関係で、2台の大型トラックを調達出来ましたので、帰路の「和船回送」となりました。雄勝町到着時には「つるべ落としの秋の日」ではありませんが、名振浜に到着した午後5時過ぎには暗くなってしまいましたが無事お届けする事が出来ました。
 引き続き、同町大浜鎮座・葉山神社(千葉秀司宮司さん)に立ち寄り、転倒し4本の柱が空を向いていた「鐘楼(鐘つき堂)」を2台のクレーンで共吊りして建て直しました。
 この日の行程は、還暦を超えた宮司と職員3名により午前7時出発・午後8時帰社・走行距離往復350キロメートルを超える長時間にわたる支援活動となり「4つのプロジェクト」を1日で実施するという強行軍でしたが、宮司は「留守の時でもお宮を守る神職・仕女等職員が居てくれたからこそ出来るもの、それぞれが自分の持ち分を責任をもって全うしてくれるお陰だ。」と熟会して居りました。
  
  「コンテナハウス」搬入・設置作業
  
2棟のハウスを組み立てました  テレビカメラが取材に来ていました
  
 今回、回送した「和船・2艘」それぞれトラックに積み込みました
  
 トラックのライトを頼りに立て直すことが出来た「鐘楼」
■陸前高田市「今泉天満宮」に6棟目のコンテナハウス寄贈(11月2日)
 去る11月2日(水)、岩手県陸前高田市今泉に鎮座する「今泉天満宮」に、6棟目となるコンテナハウスをご寄贈しました。
 今泉天満宮は、津波により壊滅状態となりましたが全国の出版関係団体でつくる「大震災出版対策本部」からの要請により、東京都港区の旧グランドプリンスホテルに設置された避難所の「図書室の蔵書」を、陸前高田市内に1か所だけあった図書館も津波で流されてしまっていた為、同市に寄贈することとなり、「子供たちが本を読んで元気になり、陸前高田の復興の力になれば。」との宮司様のお気持ちもあり実現された、とのことでした。
 今泉天満宮は、海岸より1.5キロメートル程内陸にありますが気仙川の南側に位置し、河川をさかのぼった津波の被害により御本殿・拝殿・社務所など氏子地域と共に全ての建物が流されてしまい、境内に残ったのは「樹齢700〜800程の杉の老木」と「若干の石碑類」のみとなってしまいました。
 この今泉天満宮の境内に、「あしたの本プロジェクト」が橋渡し役となり、三井物産(株)が「北海道の社有林を被災地に役立てたい。」との考えから「木目が美しい木造プレハブ造り」の『仮設図書館』が建てられたそうで、11月12日の蔵書搬入予定を前に「蔵書の保管・整理・事務所用」として活用頂く為に、この度の『押しかけ寄贈』となりました。
 荒木宮司さまは、当宮の宮司とは神職青年会当時、入れ替わりにその活動をなされていたとの事で、お出迎え頂いた荒木宮司さまと「当時の思い出話」をされながら、「高田松原の“一本松”」と共にメディアにも流された、今泉天満宮の「津波に耐えた“一本杉”」も、震災直後より宮司さま自らが「根の周りの土を入れ替え、毎日数トンの真水を20メートル程ある老木にかけ続けた。」との事でしたが、残念ながらその葉は赤茶色になってきており、「今となっては『来春の発芽』に期待するだけ。」とお話しされて居るお姿が印象的でありました。

 今泉神社鎮座地津波に耐えた“一本杉”

 ハウス搬入・設置作業

 田松原の“一本松”

■「ご結婚、おめでとうございます」(10月のご本殿での結婚式)
  大崎八幡の大神様の大前において挙式を挙げられ、皆様に掲載許可を頂きましたので、ここにご報告申し上げます。

 10月1日 津野・木村 御両家10月2日 森・谷藤 御両家

10月8日 坪江・鹿野 御両家10月9日 菅原・鈴木 御両家

 八幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、ご両家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。
誠におめでとうございました。


石巻市雄勝町大浜「葉山神社」で末社覆舎復旧作業を助成(10月31日)
 10月31日(月)宮司以下職員3名で、石巻市雄勝町大浜鎮座「葉山神社」境内にある末社の覆舎が津波で山側に寄せられ転倒した状態で居りましたので、千葉秀司宮司の依頼により復旧作業のお手伝いをしてまいりました。
 既報の通り、千葉秀司宮司(本務社;石神社)は、本務社を含め12社の代表役員をお勤めになられている若干34歳の若手宮司さんですが、その全ての鎮座地である雄勝町の住民の70数パーセント以上が、『戻りたくない』とのアンケート結果が示され、将来の神社運営も危惧されて居ります。
 またこの地域は、文化庁指定の『重要無形民俗文化財・雄勝の法印神楽』伝承の地であり、このまま地域住民が町内より流出する事になれば、「我が国の伝統文化の喪失」をも心配されるところです。
 同じ文化財を所有する当宮にとって、有形・無形の違いこそあれ我が国の文化財を守り伝える義務を負っている者として「出来る事はやろう」と、支援活動をさせて頂きました。
 当日早朝に、仙台市で開催された「法印神楽演奏会」の舞台設備を職員2名と共にトラック2台に積込、午後1時頃に旧雄勝町役場に到着、津波に呑み込まれドアも硝子も壊された庁舎の窓から、ガランドウになった1階の奥に舞台材料を積み上げ、ブルーシートで包み込み作業を終了した頃、千葉宮司さんより「末社の覆舎を起こしたい。」との申し出でがあり、葉山神社に移動し復旧の作業をさせて頂きました。
 土台・柱の一部に折損等の被害もあり、素人作業でしたが慎重に作業を進め、クレーンで屋根部分を吊上げ、何とか元の形に戻しました。
 葉山神社は、県道より12〜13メートル程の高台にありますが、本殿・拝殿も全壊となっていますが未だに手つかず状態であり、鐘楼(鐘つき堂)については県道脇まで流され、道路わきに屋根部分を下にしたままの状態で「転がって」おりますが、こちらは当宮のクレーン車では手に負えず後日、大型車で再度訪問して起こす予定で居ります。
 
 社殿から見下ろせば穏やかな海が広がっております  社殿は傾いたままの状態でした
 
  境内の末社の覆舎を後からクレーンで吊り上げ、起こし元の状態に復しました
■第19回宮城県神社庁主催『国旗のある自由画コンクール』表彰式(10月29日)
 去る10月29日(土)、宮城県神社庁主催の『国旗のある自由画コンクール』の表彰式が宮城県神社庁にて行われました。
大崎八幡宮では毎年、このコンクールに向けて9月の例大祭を前に、4歳児〜小学校6年生を対象に作品を募り、祭典期間中に境内の西回廊と長床前に掲示して展覧会を行なった後、その作品を神社庁に出展致しました。
今年は当宮の212点の作品を含み、県内各地から365点の応募があり、県内在住の画家・畠山信行先生を中心に厳正な審査が行なわれ、特選から特別賞まで20点の作品が表彰されました。その中で当宮から出展した作品より特選1点、準特選3点、入選5点、宮司賞1点がめでたく選ばれました。
受賞者の皆様、誠におめでとうございます。
また、今回の特選、準特選に選ばれた作品につきましては、これから開催される「社団法人日本国旗協会」主催の全国展に出展されます。


 特選  準特選 準特選
 「津波ではかいされた町」  「災害派遣にきた自衛隊達」     「がんばれ!日本!」
 聖ドミニコ学院小学校 5年  聖ドミニコ学院小学校 5年           聖ドミニコ学院小学校 5年
 高橋 蓉さん 井上 周大さん                          福地 桃さん


  準特選「入学式」最後に記念撮影を行いました
  国見小学校 6年 佐藤 真波さん

 来年もまた、作品の募集を行う予定でございますので、たくさんのご応募心よりお待ちしております。   (齋藤 優佳)

■奉幣式齋行(10月25日)
 去る10月25日(火)、奉幣式を齋行致しました。
 この度、去る10月20日に全国諏訪神社連合会並びに諏訪大社において、被災神社復興祈願祭を齋行し、被災した東北各地の神社にお見舞いとして「幣饌料」をお送りしているとの事で、当宮にもお納め頂きましたので、大神様のお力を頂けますよう、幣饌料を御神前にお供えし、祭主による祝詞にて八幡大神様にご奉告申し上げました。
 全国諏訪神社連合会並びに諏訪大社様に御礼を申し上げますとともに、震災からの一日も早い復興をご祈念致します。(菅原啓生)


 お祓いをし、御神前にお供えを致しました

祭主による祝詞奏上にてご奉告申し上げました


「ボーイスカウト仙台第27団上進式及び進級式行う」(10月23日)
 去る10月23日(日)、季節外れの温かさの中、八幡宮境内広場にてボーイスカウト仙台第27団の上進式及び進級式が行われました。
 今回行われた上進式は学校でいう、卒業式と入学式にあたり、ボーイスカウト発祥のイギリスでは9月から年度が始まるためにこの時期に行われているようです。
 今回の上進者は3名で、大塚純平君・酒井皓平君がBS(ボーイスカウト※)からVS(ベンチャースカウト)へ、奥山矩誉君がBVS(ビーバースカウト)からCS(カブスカウト)へ上進しました。
ただし、上進するには、ある試練をクリアしなければいけません…その試練は、駒寄に張ったロープを飛び越えるものです。
 3人は軽やかに飛び越え、見事上進試験を合格致しました。
 その後、記章とハンドブックの授与が行われBS(ボーイスカウト)の班長に堀内和真君・次長に菊池拓実君が、CS(カブスカウト)の組長に富樫亮太君・次長に大塚亮平君がそれぞれ任命されました。
 上進スカウトの宣言(抱負)では「これから学業などで忙しくなり、ボーイスカウトの活動に参加する機会が減ってしまうと思いますが、出来る限りの努力をしていきたいと思います」との事でした。
 増田隊長から「上進おめでとう、これからはより自立した活動が求められ、更なる飛躍を期待している。皆で頑張っていこう」との言葉が送られ、育成会長の宮司からは「来年はジャンボリー大会が行われる特別な年です。力をあわせて大会に臨みましょう」という激励の言葉がありました。   (日野美咲)

※備考
・ビーバースカウト(幼稚園年長児9月〜小学校2年生9月)
・カブスカウト(小学校2年生9月〜小学校5年生9月)
・ボーイスカウト(小学校5年生9月〜中学校3年生9月)
・ベンチャースカウト(中学校3年生9月〜18歳になる年度(高校3年生)の9月)

  秋晴れの空の中行われた上進式と進級式、その中でロープ越えの試験が…

 記章とハンドブックの授与の後、今後の抱負を宣言する様子

増田隊長と育成会長の宮司による激励!!!

  最後に本殿前にて参拝し、記念写真を撮りました


「宮司宅の地鎮祭」斎行(10月20日)
 地久祭が執り行われた10月20日(木)の午後より、工事関係者の参列する中、宮司宅の地鎮祭が斎行されました。
この地鎮祭は今年3月に発生した東日本大震災により「大規模半壊」となった宮司宿舎を立て直す事となった為行われたものです。
当日の祭典は当宮の職員2名により、祝詞にて工事の安全を祈念した後、四方祓をし、宮司に続き、(有)波岡建築設計事務所代表の波岡平八殿、(有)木匠 代表取締役の渡邉宏殿他2名、(株)阿部コンクリート工業 専務取締役の阿部寿彦殿他2名が玉串を捧げ、拝礼致しました。

〜地鎮祭とは〜
工事着手のときにこの土地の産土神様と守護神を祀ってその敷地のすみずみをお祓いして、家の益々の繁栄と工事の安全を祈願する重要なお祭りです。

 敷地内に組まれた祭壇  斎行前に手水にて清めます

  修祓降神の儀 依代に大神様をお招きします

  献饌   祝詞奏上にて工事の安全を祈念致しました

  四方祓にて土地をお祓いします玉串拝礼

 お孫さんの翠君の初めての玉串拝礼  波岡先生

  (有)木匠殿 (株)阿部コンクリート工業殿

神酒拝戴では翠君も挑戦  果たしてそのお味は?
 結果は…やはり苦かった


「地久祭」斎行(10月20日)
 去る10月20日(水)、地久祭が斎行されました。
地久祭とは、皇后陛下の御誕生日にあたる10月20日に御誕生をお祝いし、皇室の弥栄を祈る祭典です。
 当日の10時より宮司の御祭開始の一拝から始まり、大神様に神饌をお供えし、宮司による祝詞にて皇后陛下の御誕生をお祝い申し上げました。その後、巫女により御神楽「浦安の舞」が奏され、玉串にて拝礼を行い、滞りなく祭典は斎行されました。
 そして本殿を出た後は、境内にある遥拝所にて皇居を遥拝致しました。
  (日野美咲)
  
  御祭開始の一拝

巫女による「浦安の舞」奉奏
「仙台・江戸学叢書」刊行(10月19日)
 この度、平成21年10月に開講し、第28巻となる仙台市博物館学芸室長 内山淳一先生の「仙台藩の絵師たち」と題した叢書が刊行致しました。
 事前にお申込み頂いている方には、すでにご郵送させて頂きました。
 また新に叢書をご希望の方や、刊行状況等ご不明な点がございましたら、お気軽に社務所までお問い合わせ下さい。
 ☆刊行された叢書

 「仙台藩の絵師たち」
内山淳一 仙台市博物館学芸室長
■福島県神社庁福島支部の皆様がご参拝されました(10月18日)
 去る10月18日(火)、福島県神社庁福島支部・福島市神社総代連合会の皆様が大型バス2台で総勢80名にて遠方よりご参拝頂きました。
福島県は東日本大震災による原発事故の影響により大変な地域でありますが、管理職員や役員総代の皆様が揃ってご参拝頂く事に感謝と応援の気持ちを持ってお迎え致しました。
参拝につきましては、拝殿にてお祓いを受けた後、宮司より社殿内外の桃山文化の装飾や、権現造りの建築などの説明を受けられました。
3月11日の東日本大震災の時、福島県神社庁では震災後すぐに災害対策本部を設置して神社本庁や関係団体と連携し、情報収集や緊急支援物資を被災者に届けるなどの活動を行い、復旧復興に取り組んでいたそうです。
福島県内の神社の被害は全県に及び、特に浜通り地区は甚大な被害を受け、現在も復興に尽くしているとのことでした。
今回は震災の復興祈願を兼ねての参拝ということで、当宮職員の一人が浜通りの双葉町出身という事もあり、短い時間でしたが親しくご案内させて頂きました。 (山田友紀)
  

初めに本殿内にてお祓いを受けていただきました

その後、宮司により本殿内部や社殿周りの説明があり、皆様興味深そうに聞いておられました
「神嘗奉祝祭」斎行(10月17日)
 去る10月17日(月)、本殿にて神嘗奉祝祭が斎行されました。
神嘗奉祝祭(かんなめほうしゅくさい)とは、その年に収穫された新穀を、全国の神社が本宗と仰ぐ日本の総氏神様でもある伊勢の神宮へ奉り、収穫感謝を申し上げるお祭りです。
 この祭典は神宮の正月とも言われ、祭典を前に御装束・祭器具等の一切が新調されます。宮中においても天皇陛下御自ら水田にて稲をお作りになられ、様々な祭儀が執り行われ、豊年を祝します。大崎八幡宮においても、午前10時から斎行された祭典では、奉祝の気持ちを込め宮司が祝詞を奏上し、巫女舞が奏され、玉串拝礼を行い、祭典終了後には境内に設置されている遙拝所にて神宮を遥かに遙拝致しました。
  
参進の様子 献饌の様子

  浦安の舞(扇舞)浦安の舞(鈴舞)

  遥拝所での参拝  今年は東日本大震災の影響により作物の栽培や収穫に危機が生じましたが、津波被害等を受けたその土地で、それにあった食物を栽培し、収穫するというニュースを最近よく耳にすることがありますが、日本古来の農業の英知が活かされ今回の収穫へと繋げることが出来たのだと感じました。  (日野美咲)
新しい授与品のご紹介(10月15日) 

 今回、当宮で頒布している授与品に『勝守』が新しく頒布されることになりました。
 八幡様は、源氏の氏神様ともされており、御神徳の一つとして「必勝」の御利益があります。
 『勝守』はスポーツ競技だけでなく、受験や試験などにも「勝ち抜く」という意味で、良い結果になることを願うお守りです。


  勝守 1000
「沿岸部被災地への支援活動」再開(第3弾) 
 東松島市宮戸字月浜の仮説住宅にて「支援物資配布・とん汁炊き出し」を実施

(10月16日)
 
去る10月16日(日)、前回(10月7日)石油ストーブ等をお届けしました、東松島市宮戸字月浜の仮設住宅において、震災当初に全国からお送り頂いた支援物資の内、第2回目となる秋冬物の衣料品や生活雑貨等の支援物資をお届けしながら、とん汁・おにぎりの炊き出し支援を行ってきました。
 前日からの雨模様で、特に支援物資の配布の実地が危ぶまれましたが、3間×5間と2間×3間のテント2張り、机、イス、ブルーシート等の設備用品と、ガスコンロ・大鍋・おたま・柄杓等の炊事用品にとん汁の材料、それに宮司の奥さんと娘さん達が「なるべく温かいものを」と、朝の4時に早起きして作ったゴマ塩おにぎり250個を保温ケースに入れ、八幡宮所有の2tトラックに積み込み、宮司と奥さん、そして娘さんと職員4名、仕女2名、地区世話人のご夫人とその息子さん達の計13名で、午前9時に八幡宮を出発。それに職員が指導に当たっている地元大学の運動部員10名が現地で合流し総勢23名での活動となりました。
 現地に着いてからは空模様を気にしながらテントを設営し、昼食の時間に合わせて調理した「とん汁・おにぎり」を仮設住宅にお住まいの方々へお配り致しました。
 その後、午後1時より支援物資の配布を行いましたが、前回の配布同様、纏まった数量のあるものは各世帯に均等に配布し、数量が纏まらず均等に配れないものは、希望される方々で“じゃんけん”をして配布するという形をとり、皆様に漏れなく配布することが出来ました。
 当宮でこのような沿岸部被災地への支援活動が出来ますのも、震災以来全国の皆様方よりお届け頂いた支援物資があったからこそであり、震災被災地の事をご心配頂き色々な物資を率先してお送り頂いた皆様のお陰と感謝申し上げる次第です。
 当宮では、引き続き祭典奉など社務の合間をぬっての活動となりますが、出来る限りのことをさせて頂くつもりでおり、現在の予定では11月2日(水)に、「コンテナハウス2棟」を岩手県陸前高田市に搬入し、組み立て設置をする予定でおります。






「沿岸部被災地への支援活動」再開(第2弾) 
 東松島市宮戸字月浜の仮説住宅に「ストーブ34台」を支援(10月7日)
 
去る10月3〜4日の南三陸町へのコンテナハウス支援に引き続き、10月7日には東松島市宮戸字月浜にある「月浜仮設住宅(34世帯)」にロータリークラブの支援による“石油ストーブ(一世帯1台)”を搬入しました。
 9月末には朝晩の気温が10度を下回る日もあるようになり、ロータリークラブより、「これからの冬に向かい、本当に必要で役に立ち、身も心も温まって頂く品物を送ろう」とのお考えからご支援頂いた石油ストーブと共に、震災当初に当宮に全国から届けられた支援物資の中で、当時は初夏に向かう時期柄、届けにくい秋冬物の衣料品・生活雑貨等も今回届けさせて頂きました。
当日は台風15号が過ぎ去り、南風の強い1日となりましたが、秋晴れとなった午後1時より配布会を実地し、石油ストーブについては一世帯1台ずつ配布し、衣料品や生活雑貨は纏まった数量のあるものはストーブ同様、各世帯に等分に配布され、数に限りのあるものについては“奥様方のジャンケン”でそれぞれが希望するものを手にしておりました。
 この支援物資の配布方法も震災当初には、同じ浜の方々であっても色々と問題もあったそうですが、お互いに話し合い配布方法が決められたそうです。
 96歳になるというおばあちゃんは、歩行機に寄りかかりながら「船も家も着るものも何にも無いんです〜」と呟きながら「ありがとうございます」と曲がった腰を地べたに額がつくほどにお辞儀をされながらご自分の仮設住宅に戻って行かれました。
 また、70歳後半のおばあちゃんは、「じいちゃんが毛布では寒くて寝られないんだと〜」と言いながらこちらも支援物資の中にあった丹前を抱えて行かれました。
 実は、この丹前は9月に入って神奈川県藤沢市の方よりお送り頂いたもので、送られて来た時は「今時、丹前?」と思いましたが、この出来事を目の当たりにして自分の未熟さを痛感致しました。
 この月浜仮設住宅には10月16日(日)に、前回積みきれなかった乳幼児・子供用の衣料品等を積み込み、今度はお昼の時間に訪問して「とん汁・おにぎり」の炊き出しの支援を行おうと職員で話し合い、準備しております・・・乞う、ご期待を!

 
 
 
 

■仙台89ERS必勝祈願斎行(10月6日)
 去る10月6日(木)、本殿にて「仙台89ERS」の必勝祈願が斎行されました。
当日は、仙台を拠点として活動し、7年目のシーズンを迎えるプロバスケットボール、bjリーグ「仙台89ERS」の中村彰久代表をはじめ、今季就任したヘッドコーチのロバート・ピアス氏、選手、関係者一同の26名が来社し、控所にて特大絵馬にサインをした後、祈願を受けられました。
先般の東日本大震災の影響で昨季はシーズン途中で活動中止を余儀なくされ、チーム存続も危ぶまれた89ERSですが、今季の参戦が可能となり、7月から練習を再開したため、決意を新たにとご参拝されました。
今回サインを入れて頂いた巨大絵馬は、本殿左脇の西回廊に展示してありますので、ご参拝の折にご覧下さい。
今季の更なるご活躍をご祈念申し上げます。

  選手・関係者一同揃って来社されました 特大絵馬にサインを頂きました

本殿にてお祓いを受けられた後、神職による祝詞奏上 今季のご活躍をお祈り申し上げました

  チームを代表し、中村彰久代表・  祈願後、本殿前にて記念撮影
  ロバート・ピアスHC・志村雄彦キャプテンが
  玉串拝礼されました


  チーム最高身長の選手と 全員のサインが入った巨大絵馬
  147cmの巫女さんを比べると
  こんなにも身長差が!


「沿岸部被災地への支援活動」再開(第1弾) 
南三陸町に「ロータリークラブ寄贈」のコンテナハウス設置
(10月3日・4日)
 
去る10月3〜4日の2日間、南三陸町に5月よりお手伝いしております「コンテナハウス・10棟」を搬入し、組み立て設置をしてまいりました。
 9月中は、当宮において「例大祭」の期間でしたので、沿岸部被災地への支援活動は一時、中断しておりましたが、御社頭での奉仕がひと段落した10月初旬より再開。早速、当宮の宮司が所属しております“仙台北ロータリークラブ”より支援頂いた「コンテナハウス・10棟」の内、本吉郡南三陸町の志津川・歌津両消防署の「消防防災器具の倉庫」として各2棟、志津川・歌津両地区の仮設住宅内の児童生徒の為の「図書館収蔵庫」として活用される予定のハウスを各2棟、また宮城県漁協歌津支所に2棟とを搬入し、宮司以下神職5名と助勢者3名の計8名で組み立て設置をしてまいりました。
 約一ヶ月ぶりに訪問した現地は、町内主要部の瓦礫こそ片付けられてきてはおりましたが、嘗ては漁業関係者や、観光客で賑わいをみせていた志津川港を中心とした「街」にそれらしい人影は全くなく、ショベルカーやワニラーのディーゼルエンジンが呻りを上げながらおもちゃの様に動き回り、瓦礫撤去のダンプカーが行き交い、人影といえば作業員と交通整理のガードマンの姿を見かける程度でした。今の志津川の町は建物の瓦礫が撤去され、見通しが良くなったものの、それだけに生活のにおいも片付けられてしまった様で、道端に掲げられている「復旧・復興」のメッセージに空虚さを感じたのは我々だけではないと思います。
 ここ仙台の街で、9月1日より半月間に亘る「例大祭」の諸行事を無事盛大に裡に斎行させて頂いた大崎八幡宮に奉職するものとして、沿岸部被災地への一刻も早い復興と、それぞれの氏神様の祭典が盛大に斎行されることを願わずには居られませんでした。

  
  
  

■ご結婚、おめでとうございます(9月のご本殿での結婚式)   大崎八幡の大神様の大前において挙式を挙げられ、皆様に掲載許可を頂きましたので、ここにご報告申し上げます。
9月23日 大高・磯部 御両家  9月25日 菅野・米沢 御両家

 八幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、ご両家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。
誠におめでとうございました。


■東京商工会議所台東支部のご参拝(9月17日)  去る9月17日(土)、東京商工会議所台東支部の皆様にご参拝を頂きました。
当日は、本殿にてお祓いを受けられた後、宮司より当宮で行なっている被災地支援の為のハウス設置作業や避難所への物資搬入等の活動状況の説明を受けておられました。
台東支部の皆様には、東日本大震災の際に数多くの御支援を頂きました。その中の一つでもある「タオル類」は、神戸にある被災地NGO恊同センターに送り、宮城・岩手県等の被災地の避難所にて、被災者の方々が手作りでゾウの形に縫い合わせた壁掛けのタオル「まけないぞう」の制作に役立たせて頂きました。
「まけないぞう」は当宮の祭典行事の際に頒布して、参拝者にご協力頂き、頒布料の一部は義捐金として被災地支援に活用されました。
この場をお借りしまして、台東支部の皆様に感謝申し上げます。
ご協力ありがとうございました。
(日下 瑞季)


神職によるお祓い  代表者による玉串拝礼 

宮司より被害状況の説明を受ける台東支部の皆様 壁掛けタオル「まけないぞう」


■例大祭斎行(9月10日・11日)
 大崎八幡宮の例大祭は、年に一度の最も重要な祭典であります。また例大祭は、八幡大神様の「おまつり」として斎行され、氏子崇敬者が常に私たちをお守りくださる八幡大神様に感謝し、御神徳を称える祭典であります。
 藩祖伊達政宗公は、仙台開府に伴い、直ちにその鎮守として慶長9年より四ヶ年の歳月をかけて御社殿の御造営に取り掛かり、慶長12年(1607年)8月12日、御神体をお祀りする遷座祭を斎行、14日には盛大に奉祝大祭が行われました。以来仙台総鎮守として400年の間代々尊崇されてきました。
 そして当宮ではこの例大祭を、毎年八幡様の例祭日である14日から2日間と日程を変更する事なく斎行して参りましたが、奉仕者の都合もあり、平成21年より神事・神賑行事の日程を変更し、例祭日前の土日にかけて斎行する事となりました。
 この例大祭は、9月1日の『鳥居祭』から始まり、10日の『献饌式』『能神楽』、11日の『神幸祭』『鏑流馬神事』などの神賑行事がありますが、『献饌式』とは八幡大神様に、米・酒をはじめとして海の幸、山の幸をお供えし、例大祭が盛大に事故なく斎行されることを祈念する、年間の祭典行事の中でも特に重要な祭典となります。また、同日の夕刻より行われる『能神楽』(宮城県無形民俗文化財)は、献饌式後に御神慮を和ませるという「饗宴」の形を今に伝える重要な伝統行事であります。
 11日に行なわれた『鏑流馬神事』にあっては「吾妻鏡」によると古来、武士の教練のために行われていました。八幡宮の鏑流馬は遠田郡田尻町に鎮座していたことより、9月15日の例大祭で斎行されていたと記録されており、この地に遷座したあとも現在に至まで途絶えることなく、県内在住の有志によりその行事が伝えられております。
 次に、『神幸祭』(神輿渡御)でありますが、御社殿での献饌式ではそのご参列に限りがあり、広く地域の方々が神恩に感謝し御神徳を称える機会を設けるとともに、地域の発展と安寧を願う神事であり、その奉仕者は氏子区域はもとより仙台市内一縁から500名を超える方々にご奉仕頂いて現在に至っております。
 この外に、神事・神賑行事の日程の変更を余儀なくされましたが、恒例の例大祭祭典は従来通り、9月15日に役員総代参列のもと、前々日の多くの参拝者で賑った境内も、この日の祭典は静寂に包まれる中、厳粛に斎行されました。また本年は、先般の東日本大震災の復興をお祈りする震災復興祈願祭も併せて斎行されました。

 91日 「鳥居祭」 鳥居祭は、事故無く盛大に執り行われることを祈念し斎行され、ご神前に最も近い鳥居として、外部からの罪穢れを防ぐ為に縄が張られ、お祭りまでの間は通行禁止となります。
この縄は、9月11日の神幸祭・神輿渡御の出幣式の時に裃姿の先達の手により切断され、三之鳥居を神輿が通った後に初めて通行が許可されます。

宮司による祝詞奏上  大麻(おおぬさ)と切(きり)麻(ぬさ)を
用いて鳥居を祓い清めます

例大祭までの清浄をお守りいただく神様に神饌(御酒・鰹の生節・梅の酢漬け・茄子の漬け物)
をお供えします

宮司による玉串拝礼  伝播八幡井組雀踊り保存会による雀踊り奉納演舞
 縄は11日まで張られたままになります

92日 「鈴の緒奉納式」 皆さんは本殿の鈴の緒(参拝する際に鳴らす鈴を振る緒)が、毎年取り替えられているのをご存知でしたでしょうか?
毎年例大祭を前に、崇敬の篤い方々の御奉納により新たに鈴の緒を調整されており、本年は202本のご奉納を頂きました。
鈴の緒には、皆様の御祈願の成就を祈念し、御奉納頂いた方のお名前と祈願名を浄書します。さらに御奉納頂いた方にご案内し、一緒に作り方を行っています。写真の通りただ皆様に御奉納頂くのみならず、実際にご自分の手で作って頂き、出来上がった鈴の緒はそのまま御社殿にて奉納式が斎行され、拝殿に下げられます。
ご自分で奉製した鈴の緒だけに、想いも深く、鈴の緒を振る音は、高らかに神様のもとへ届くことでしょう。

祈願名・氏名を浄書した布を広げ、何枚も重ねまとめていき、1つの棒状にしていきます

棒状になった布をねじりながら編みこみます。
  
皆様のご協力のもと3本出来上がりました。 本殿にて奉納式斎行

910日 「献饌式」 献饌式とは、八幡大神様に米・酒をはじめとして海の幸・山の幸をお供えし、例大祭が事故無く盛大に斎行されるよう祈念する、年間祭典行事の中でも特に重要な祭典です。
当日は曇空となり、途中雨模様となりましたが、午後3時から行なわれた祭典では、役員総代他、氏子崇敬者約50名の方々が参列のもと、宮司が祝詞奏上した後、千早装束の巫女による「萬代の舞」奉奏、次に宮司、役員総代ら参列者が玉串を神前に捧げ、今年度も例大祭が無事盛大に行われるよう祈願致しました。

御扉開扉 御簾を上げることにより 献饌 神饌(神様に召し上がって頂くものを
八幡大神様がお出ましになられます神前にお供えします

宮司祝詞奏上 例大祭の無事斎行を祈願致します  巫女による「萬代の舞」

雨が降ってきた為、急遽室内での記念撮影になりました

910日 「ちびっこまつり」 お祭りを子供たちにも楽しんでもらおうと始まった「ちびっこまつり」。
みんなで楽しめるゲーム、最後には誰もが知っている歌謡曲を歌い、盛大に行われました。

意外と難しいゲーム「輪投げ」うまく入ったかな? ちびっこみんなで大合唱!

910日「能神楽奉奏」
  10日の夕刻より行われた『能神楽』(宮城県民俗芸能文化財)は、当宮の能神楽保存会の皆様により「神拝」、「龍天」、「摩応」、「三天」、「小弓遊び」、「将足」、「四天」、「獅子取り舞」の8演目が奉納され、この献饌式後に御神徳を和ませるという『饗宴』の形を今に伝える重要な伝統行事であります。そして、その特徴は足を摺るように静かに舞うところにあり、「能」の所作に良く似ていることから「能神楽」と呼ばれております。

「神拝(じんぱい)」  「摩応(まおう)」

「三天(さんてん)」「小弓遊び」

「四天(してん)」  「獅子取り」

911日 「神幸祭」 例大祭の中で一番の盛り上がりを見せるのが「神幸祭・神輿渡御」です。約1tあるといわれるお神輿を約160名の男性が交代で担ぎ、それに女御輿、子供御輿、4歳から9歳までの男の子が流鏑馬の格好に扮した騎射子行列など、約150米の行列が町内を練り歩きました。
今年は朝から霧雨が降っていた為、急遽神具類にビニールをかける等の準備が行なわれていましたが、出発する頃には天気もよくなり、ビニールを外し、当初の予定通り無事に出発することが出来ました。

三之鳥居に張られた縄が勢い良く切断されました  大神輿もいよいよ町内へ

子ども御輿も元気良く町内へ御旅所祭

迫力のある“大神輿” 宮司も馬に乗って町内を巡幸

華やかな“女御輿”も   “伝播八幡井組雀踊り保存会”による雀踊りで賑やかに

騎射子は奉行さんより記念品を貰って終了  子供みこしは全員で記念写真を

911日 「居合道奉納演武」 御神輿が出発した後、本殿前にて宮城県剣道連盟居合道部会の皆様による『奉納居合演武』が行なわれました。
先ず始めに本殿にてお祓いを受け、玉串拝礼にて八幡様にご奉告した後、本殿前に移動し、独特な緊張感に包まれる中、「詩吟−居合吟−」から始まり、「日本剣道形」、次に、「試斬り」、「全日本剣道連盟居合」、「剣舞−兜−」、「夢想神伝流・田宮流居合」と続き、最後に「詩吟−荒城の月−」が行われました。
その一つ一つの演武の際には連盟の方による説明もあり、普段は見ることの少ない居合演武ですが、参拝者の方にも分かりやすく見ていただけたのではないでしょうか。

本殿前にて一礼  「詩吟−居合吟」庄子神輝氏「日本剣道形」木村民男氏
菅井吉秀氏

「試斬り」菅井吉秀氏 「全日本剣道連盟居合」松本満知子氏他4名

「剣舞−兜−」庄子輝泉氏 「夢想神伝流・田宮流居合」庄子都代子氏他2名

911日 「流鏑馬神事」 当宮の流鏑馬は、遠田郡田尻町に鎮座していた頃より、9月15日の例祭に斎行されていたと記録されており、現在に至るまで途絶えることなく継承されております。
先ず、安全斎行を祈願し本殿にて出陣式を執り行い、その後神職が馬をお祓いします。次に二回の練習後、奉行の合図と共に馬場祓役が馬場元より馬場末までの罪穢れを祓い清め、3人の射手が各々3回ずつ馬場に設置された3箇所の的をめがけ矢を放ちます。
当宮の馬場は約180mと距離が短く、射手にとっては大変難しいとされており、近年の的中率で不評をかっておりましたが、昨年より前日から馬の慣らしの為に練習を行っているため、今年は50本の的の奉納を頂きましたが、27射中24射が的中し、大変賑やかな神事となりました。

初めに馬場を祓い清めます 的中なるか!?

見事に矢が刺さりました。中には2本刺さった的も!

911 「神賑演芸大会」   例大祭最後の日程となるのが、「神賑演芸大会」。午後6時より広場特設ステージにて、数又社中による津軽三味線の演奏や山根社中による踊りの演舞、また今年も昨年に続き、「伊達武将隊」も登場し、見事な殺陣を披露。その後は、奉献台の前や本殿前に移動し、集まった参拝者との写真撮影会が始まり、参拝者の中には武将隊のファンの方もいらっしゃり、大いなる賑わいをみせていました。
演芸大会後には、恒例の大抽選会が行われ、特等賞の折りたたみ式自転車を含む計128本の地元商店や出入業者関係の皆様よりご奉納頂いた様々な景品が用意され、今年も例大祭は盛大に締めくくられました。

数又社中による津軽三味線・歌謡  山根流による踊り

「伊達武将隊」見事な殺陣を披露してくれた後、本殿にて参拝 
 参拝後巫女さんも一緒に撮らせてもらいました


■ご結婚、おめでとうございます(8月のご本殿での結婚式)   大崎八幡の大神様の大前において挙式を挙げられ、皆様に掲載許可を頂きましたので、ここにご報告申し上げます。
 
      8月28日 齋・三浦 御両家
 八幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、ご両家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。
誠におめでとうございました。


■ニッペリア『鎮魂と復興のつどい』(8月27日)
 去る8月27日(土)、若林区日辺にあるニッペリア仮設住宅の駐車場において、ニッペリア『鎮魂と復興のつどい』が開催され、当宮の職員による雅楽の演奏と、巫女舞の奉仕をしてきました。
この『鎮魂と復興のつどい』は、ニッペリアの自治会か主催者となり、東日本大震災から5ヶ月が過ぎ、被災地区の方々の生活も避難所から仮設住宅へと移り、新しい生活と復興に向けての決意を新たにするきっかけになればと企画されたそうです。
当日は天候にも恵まれ、仮設住宅の方や、地区町内の方々が多く集まる中、特設舞台においてビンゴゲーム大会や六郷すずめっこによるすずめ踊り、ケイナとキーボードの演奏に続き、職員による雅楽の演奏では、管絃4曲を奏し、巫女舞「浦安の舞」を奉奏して参りました。
そして、雅楽演奏が行われる中、舞台前に置かれた竹とうろうに次々と火が灯され、全て火が灯されたとき、「大きいハートマーク」と「小さいハートマーク」が浮かび上がってきました。その後、子供たち代表による復興への宣言がなされ、その場に集まった人々全員で黙祷を行い亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、夏祭りの終了となりました。
微力ながら雅楽の演奏を通じ、被災地区の方々への一日も早い復興をお祈りする気持ちが伝わっていれば幸です。

六郷すずめっこによる「すずめ踊り」で会場は賑やかに  当宮職員による雅楽演奏会

巫女による「浦安の舞」竹とうろうに火が灯されました
■「チャリティー演奏会「雅楽の夕に、」が行なわれました」(8月13日)
 毎年8月12日には、当宮が御遷座された日を記念して、「御鎮座記念祭」が行なわれ、祭典の後には伶楽舎と職員による雅楽演奏や舞の奉奏が行なわれていますが、本年は、翌13日に御鎮座記念祭で演奏して頂く『伶楽舎』の方々による「雅楽の夕に、」と題した『“雅楽”という音楽を通じて、多くの皆様と震災からの復興を祈る』ためのチャリティー演奏会が行われました。
 『伶楽舎』のメンバーで、当宮にて神職・巫女の『笙』や『舞』のご指導を頂いている宮田まゆみ氏の呼びかけにより開催された演奏会は、前日にご奉仕いただいた伶楽舎のメンバーや、当宮の神職・巫女、旧職員、また一般の方で雅楽を習っている方々が集まりました。
 第一部では、伶楽舎のメンバーによる「振り鈴の儀」、鈴、石笛、笙の演奏、「盤渉調・越殿楽(ばんしきちょう・えてんらく)」が演奏され被災された方々への「鎮魂の儀」が行なわれ、厳かな雰囲気から始まりが、全員が参加しての演奏では楽器の種類により人数は異なったものの、迫力のある演奏となりました。
 そして、第二部には「まけないぞうトーク」と題し、被災地NGO恊働センター代表の村井雅清氏、同センターの若林まみ氏、東京銀座にある青木クリニック院長、makenaizone(まけないゾーン)主宰の青木正美氏、上智大学名誉教授の田中幸子氏、当宮宮司の5名が災害復興についてや、「まけないぞう」をテーマに語り合いました。
 この「まけないぞう」とは、村井氏や青木氏が活動を行なっている被災地支援の一環として、平成7年に発生した阪神・淡路大震災、平成16年に発生した新潟県中越地震から取り組みが広がっているというタオルでゾウの形に縫い合わせた壁掛けのタオル「まけないぞう」が作られているものです。
 今回頒布された「まけないぞう」は、東日本大震災の被災者の皆様が避難所でつくられたもので、退屈になりがちな避難所での生活において、被災者の生きがい・しごとづくりとして被災地から被災地へ「まけないぞう」が“絆”を結んでくれたそうです。
 第三部では、第一部と同じく全員が参加しての演奏の他に、伶楽舎の音楽監督である芝祐靖氏による龍笛「一行の賦(いちぎょうのふ)」の独奏もあり、合奏とは違う龍笛一管での音色に参拝者の方々も暫し心を奪われていたようでした。また第一部と第三部ではそれぞれ、巫女による神前神楽「萬代の舞(よろずよのまい)」、「青葉の舞」の巫女舞奉仕もありました。「萬代の舞」は新人二人での初の舞奉仕となり緊張が伝わってくるような舞台となりました。巫女舞は、通常の祭典では神様に捧げる舞のため、神前に向かい奉奏されるものですが、今回は参拝者の方を向いての奉奏となりました。
 雅楽の楽器をお持ちの方はご一緒に演奏を、お持ちでない方も第三部にて雅楽の名曲『越殿楽』を歌うなど、見るだけではなく、誰もがご自由に参加でき、雅楽体験をご一緒にして頂く良い機会になったのではないでしょうか。
 最後に、今回「まけないぞう」をお求め頂いた方々に一緒にお渡ししたタオルハンカチは、この企画にあわせて、この度の東日本大震災における被災地の一日も早い復興を願い製作致しました。デザインは、当宮の巫女が考えたもので、「萬代の舞の巫女が復興を見守る姿」を表し、宮司以下神職仕女職員全員が、心ひとつに被災者の皆様方を見守り、少しでも力になれればとの意味が込められております。

第一部 鈴、石笛、笙の演奏による「振り鈴の儀」参加者全員での合奏

 第一部の終わりは新人巫女による「萬代の舞」

 第二部 「災害復興トーク」と題し、復興とテーマに対談し、「まけないぞう」の作成、
  支援についても語り合いました

  出番の合間に皆さんで笙を温めています

 第三部参加者全員での合奏から芝祐靖氏による龍笛独奏

 「越殿楽」を参拝者の皆様と一緒に歌いました
 第三部の終わりは巫女による「青葉の舞」


社頭で頒布された「まけないぞう」 よく見ると一頭一頭顔が違うんです  巫女タオルハンカチ
■「御鎮座記念祭斎行」(8月12日)
 去る8月12日(金)、社殿前特設舞台において『御鎮座記念祭』が斎行されました。
 仙台藩祖伊達政宗公は、奥州管領大崎氏滅亡後、岩出山の城内に伊達家の氏神である八幡宮と、大崎氏が尊崇していた八幡宮をあわせて遷しておられましたが、仙台開府後は仙台城の乾(北西)の方角に当たる現在の地を新たな鎮座地と定め、御社殿を造営し四ヶ年を要し、慶長12年8月12日に、遷祀致しました。
 この度の御鎮座記念祭は、平成8年、御鎮座390年を記念し、『御鎮座記念祭〜雅楽の夕べ』が斎行され、本年で16回目を迎えることとなりました。
 本年は、先般の東日本大震災の影響もあり、斎行すること自体危ぶまれていましたが、例年通り斎行することとなり、舞を奉納する神職と巫女は、毎年ご助勢を頂いている雅楽演奏団体『伶楽舎』のメンバーでもあり、「笙」の演奏家としても国際的に有名な宮田まゆみ先生をお迎えし、本来ならば4月から月1〜2回程、稽古をしていただくのですが少し遅れて、幸い5月には先生をお迎えする状態が整い、稽古が出来るようになりました。そして、入社したばかりの新人2人も少しでも先輩に近づこうと、先生の稽古の他に、職務を終えた後も先輩巫女の指導を受けながら個人個人での練習に取り組んできました。
 当日は、曇り空ではありましたが、猛暑日となり、日中の特設舞台の上でのリハーサルでは暑過ぎて思うように舞うことが出来ませんでしたが、無事に舞台の上で舞を奉納することが出来たことを八幡様に感謝すると共に、この地に遷座された日をお祝いするに相応しく、盛大に斎行されたことに八幡様も喜んで頂けたことと思います。
 また、普段は滅多に見ることの出来ない御神楽(巫女舞)を拝観出来る良い機会と、年々参拝者の方が増えております。来年以降も年に一度の“記念日”を皆さまとご一緒にお祝い出来たら職員も嬉しい限りです。

  今年の舞台は社殿から続くように足場が設置され、その上にコンパネを敷いていきました

そして緑色の地布・周りに白布を敷いた上に高欄をのせ、舞台が出来上がっていきます

舞台の周りに鯨幕を取り付け、階段を設置し、舞台の完成です!

早速「伶楽舎」の皆様の演奏でリハーサル開始です
  
 
本番前の新人、日下仕女(右)、角崎仕女(左)
■「有形文化財登録奉告祭斎行」(8月8日)
 この度、「社務所二棟一宅(社務所並びに旧宮司宿舎)」並びに、「神馬舎一棟」が国の登録有形文化財に指定されました。
 ご承知の通り、大崎八幡宮の御社殿は安土桃山時代の遺構として国宝に指定されておりますが、同じく「社務所棟」並びに「神馬舎」についても大正末期の建造物として国の登録文化財の申請をしておりました。
 去る3月18日は「文化財に指定すべき」との答申がなされたにも関わらず、東日本大震災の影響もあり、7月25日になって官報告示がなされ、8月8日に本殿にて有形文化財登録奉告祭が斎行されました。
 当日は、仙台市教育委員会より遠藤生涯学習部長を始め、吉岡文化財課長、川后技師の3名が来社し、宮司以下役員総代の参列のもと、認証プレートを神前に据え、祭主の祝詞奏上に続き、各々が玉串を捧げて大神様へ御奉告がなされました。
 「社務所」と「旧宮司宿舎」は、創建年代不詳ですが、その建築工法等から、大正12年から13年頃の建造物と考えられています。
 創建より50年以上経過している仙台市に残る大正後期の建造物であることと、大崎八幡宮境内を構成する価値のある「近代和風建造物」として、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当すると考えられ、登録されました。
  「神馬舎」は、伝統的な手法を良く継承し、建具には近代風のガラス戸を用いるなど、江戸期と近代期の文化が混在している建造物であり、大正後期の厩の優れた一例で「造形の規範となっているもの」として、登録されました。
 八幡宮ではこれらの文化財を、後の世代の方々により良いかたちで引き継ぐために、地域の皆様と一緒に大切にお守りしていきたいと思います。
 皆様ご参拝の折には国の貴重な文化財となりましたので、是非ご覧下さい。
 (角崎 芽生)

仙台市教育委員会殿よりプレートを受領  頂いた認証プレート

 登録有形文化財登録証奉告祭終了後 参列した皆さんと記念撮影

 今回登録された 社務所旧宮司宿舎
 神馬舎
■「七夕祈願祭を斎行しました」(8月8日)
 去る8月8日(月)夕刻4時より、本殿にて七夕祈願祭を齋行致しました。
当宮では7月1日より1ヶ月間、本殿前に笹竹を設け、参拝者の方々に自由に願い事を書いていただきましたが、全国各地の様々な企業、団体からも短冊の奉納をいただきました。
 特に今年は東日本大震災があり、皆様の復興を願う短冊がいくつも見受けられました。
 本年の祈願祭では、ショッピングセンターモリタウン、(株)山水 パチンコ大学95の皆様方御社頭でご参列のもと、神前に短冊をお供えし、祈願致しました。
 また、初穂料を添えて短冊を奉納された方々には、祈願札をお送りさせていただきましたので、どうぞ神棚にお祀りください。
 皆様方の更なるご発展ご活躍を祈念申し上げます。 (角崎芽生)

 短冊の奉納をお申し込み頂いた企業・団体様をご紹介させて頂きます(受付順)
 埼玉県川口市そごう川口店殿
 宮城県仙台市三菱UFJ信託銀行 仙台支店殿
 愛知県岩倉市あいち歯科殿
 沖縄県石垣市(株)サロンドキミコ殿
 神奈川県川崎市  御菓子所花ごろも殿
 神奈川県相模原市 ホテルラポール千寿閣殿
 東京都港区 ショッピングセンターモリタウン殿
 東京都港区 アボットジャパン(株)殿
 東京都あきる野市 湯処 阿伎留の四季殿
 千葉県船橋市(株)ユアエルム京成 ネクスト船橋店事業部殿
 愛媛県伊予郡(株)フジ エミフルMASAKI殿
 千葉県船橋市サンケイリビング新聞社 千葉本部殿
 神奈川県鎌倉市  クロップ・エス殿
 東京都東村山市  (株)山水 パチンコ大学95殿
 宮城県仙台市田中貴金属ジュエリー(株) GINZA TANAKA仙台店殿
 兵庫県川西市スマイルプラス矯正歯科殿
 宮城県仙台市仙台進学プラザ 小鶴新田校殿
 宮城県仙台市(株)キスケフーズ殿
 宮城県仙台市仙台進学プラザ 小鶴新田校殿
 東京都品川区日本航空(株)殿
 岐阜県岐阜市財団法人岐阜県イベント・スポーツ振興事業団殿
 京都府中京区(株)京都ホテル殿
 宮城県仙台市大和リース(株) BiVi仙台駅東口殿
 宮城県仙台市東北放送(株)殿
 東京都渋谷区(株)クレオ殿
 宮城県仙台市(株)日比谷花壇殿(8月20日現在)


  本殿前に設置された「短冊」皆様から送られてきた「短冊」を神前にお供えしました

参列された方の玉串拝礼笹竹に結ばれた「短冊」もお祓い致しました

  参列頂きましたショッピングセンターモリタウン様、(株)山水 パチンコ大学95の皆様です

■「楽天の山ア選手がご参拝されました」(8月8日)
 去る8月8日(月)、東北楽天ゴールデンイーグルスの山ア武司選手がご参拝されました。
山ア選手は、愛知工業大学名電高校で活躍し、昭和63年に中日ドラゴンズ、平成15年にオリックスブルーウェーブを経て、平成17年に東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。過去にベストナイン賞やホームラン王、その他打点王など、多くの賞を受賞し、今もなお大活躍しております。
 参拝後は、私たちからの写真撮影、そしてボールへのサインのお願いには快く対応してくださいました。
 山ア選手にサインしていただいたボールは本殿脇の西回廊に奉納されておりますので、ご参拝の際、是非、お立ち寄りご覧下さい。
 山ア選手の今後の更なるご活躍とご多幸を心より祈念申し上げます。
  (角崎芽生)

 
一緒に写真を撮らせて頂いた菅原啓生権禰宜  サインボールは西回廊に奉納されております


■被災神社に4棟目の「コンテナハウス」を寄贈(8月7日)
 去る8月7日(日)、南三陸町の戸倉に鎮座する戸倉神社(斎藤 仲宮司)に、「コンテナハウス」をご寄贈させて頂きました。
 当宮では「麻実子の部屋」にて既報の通り、東日本大震災で被災した“沿岸部被災神社”への支援活動をいろいろと行っておりますが、この度『コンテナハウス支援プロジェクト』として4棟目のハウスを仮社務所用として搬入設置させて頂きました。
 総代さん達との御話合いの場としてお使い頂く予定のハウスには、中古品ではありますが、長机3本とパイプ椅子10脚も併せてお届けさせて頂きました。
 今回お届けした戸倉神社は、南三陸町の中心部より南下、志津川湾の南側に位置し、旧北上町への入口に鎮座しており、町境付近には「神割崎キャンプ場」があります。この神割崎キャンプ場は、海を一望できる高台という絶好のロケーションで、整備されたテントサイト20サイトがあり、AC電源付きで敷地内には売店やレストランをはじめ清潔なサニタリー棟(温水シャワー・水洗トイレ・コイン洗濯機・乾燥機・ガスコンロ)なども完備され、磯遊びや釣りバードウォッチングなどアウトドアメニューが豊富で、夜には沖合に漁火が見え、星空とともにロマンチックな世界が広がる県内有数のオートキャンプ場をも備えたアウトドアスポーツのメッカでもありましたが、震災から5カ月を経過した現在でも津波に打ち寄せられた瓦礫がある状態でした。
 当日は、権禰宜の斎藤 宏氏の出迎えを頂きましたが、斎藤氏とは岩沼市鎮座・竹駒神社に奉職中、当宮の宮司と青年会当時に活動を通じ活発に交流した仲だそうで、御実家である戸倉神社にお戻りになられてからは、宮司様がお元気との事もあり、ご本人は宮城県漁協志津川支部に勤務され、以来「お会いする事もなかった。」そうで、御二人は、この度のプロジェクトにより20数年ぶりにお会いする事が出来た。との事でした。
 お互い元気だった青年会当時を思い出しながらも、「白いものが目立ち始めた頭」を見つめながら暫しの間旧交を温めましたが、ハウス設置後は、避難中の仮設住宅までご案内頂き、同じく支援物資として搬送した「原付バイク・2台、蠅取りリボン、スプレー殺虫剤など」をお届けし、奥様方や氏子さん達と伴に、支援トラック前でご一緒に記念写真を撮影させて頂きました。
 今回も、つきなみではありますが一刻も早いご復興をお祈り申し上げる次第です。

  社殿は丘の上にあり、流失を逃れましたが、津波は階段の上まできたそうです

鳥居は根元から折られました  本来ならば氏子さん達の家が見えるのですが…

  旧自宅玄関前に設置致しました設置したハウスの前で
 案内して頂いた仮設住宅の前で
■「太元社例祭斎行」(8月1日)  去る8月1日(日)、毎月行なわれている月首祭の後、午前11時より太元社例祭が執り行われました。
 太元社は当宮の末社の中で一番大きなお社で、この8月1日は昭和56年に、現社殿の竣工式が行われた日に因んで、毎年例祭を行い、厨子の御扉が開かれ唯一、御神像としてお祀りされている「太元帥明王」を拝観することができる日です。
 当日は、生憎の空模様で霧雨が降っており、少し肌寒い中ではありましたが、総代・地区世話人の方々にご参列を頂き、宮司の祝詞奏上、巫女舞「浦安の舞」を奉納した後、玉串拝礼を行い、滞りなく祭典を執り行うことができました。
 また、今年の秋頃より仙台市博物館で開催される、東日本大震災復興祈念 仙台市博物館開館50周年「仏のかたち 人のすがた―仙台ゆかりの仏像と肖像彫刻―」にて太元師明王像並び厨子・社殿棟札・扁額等を出陳致しますので興味のある方は是非ともご覧下さい。
〜御由緒〜  太元社には大元帥明王が祀られ、邪鬼を懲らしめ、福を招く神として尊崇されている。
創建時期は不明であるが、元禄11年(1698)の古図に拝殿前西側に記載されていることから、それ以前と推定されており又、厨子の扉には享保4年(1719)、仙台藩五代藩主伊達吉村公が武運長久と子孫繁栄を祈念し勧請した事が記されている。
 明治初期の神仏分離により拝殿前より現在の場所に遷御され、現社殿は昭和56年に氏子崇敬者の寄進により再建されたもので、以来、竣功式が斎行された8月1日に毎年例祭を斎行している。
 尚、平成9年3月に厨子内に祀られている木造の「太元帥明王立像」が仙台市の有形文化財に指定されている。

御開帳された「太元師明王立像」の前で  巫女による「浦安の舞」奉納
  宮司による祝詞奏上

 総代・地区世話人の方々の玉串拝礼 祭典後に参列者の方と記念撮影

  (日野美咲)

■「八幡宮の自然」(7月31日)  7月上旬の茹だるような暑さも何処へやら、急に涼しい日が続いたり、天気が良くなったと思えば激しい夕立に見舞われるなど大気の状態が不安定な中、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 先日、社殿前に設置した七夕用の笹竹を何気なく観察していたら、なにやらちょこんと顔を覗かせているものを発見。

 近づいて見てみると…こ、これはっ!

 なんと可愛らしいタケノコが生えていました!
 このタケノコ、『マダケ』という竹の一種で、別名を苦竹と言います。その名の通り収穫後時間を経過したタケノコは苦くエグみがあり、あく抜きが必要とされています。こんな可愛い姿で苦味があるなんて…しかし、懸命に育つ姿を見ているとタケノコに「頑張れ」と応援されているような気持ちになり、励みになります。 所変わって、宮司宅にて夏の風物詩、セミの羽化しているところを激写!

日も暮れ始めた夕方に発見!まず上体が出てきています

 
  そっと見守る佐藤仕女と宮司のお孫さんの翠くん

 仰け反るような形で足が出てきました  逆さ吊り状態、もう少しだ!

翌朝には殻を離れ、自然の中へと飛び立っていました。

 残念ながら羽化の瞬間を最後まで観察することは出来ませんでしたが、滅多に見ることが出来ない貴重な瞬間を目の当たりにすることができ、生命の神秘や自然の素晴らしさを改めて実感することができました。    (日野美咲)


■ご結婚、おめでとうございます(7月のご本殿での結婚式)   大崎八幡の大神様の大前において挙式を挙げられ、皆様に掲載許可を頂きましたので、ここにご報告申し上げます。
   
7月30日 伊勢・本堂 御両家    
八幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、ご両家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。
誠におめでとうございました。


■「宮司、東京都神社庁より『感謝状』を頂きました」  今回の東日本大震災において、地元神社界が災害対策に混乱をきたし、情報収集もままならない中、いち早く東京都台東区の上野に鎮座する下谷神社の阿部明徳宮司さんが直接被災地の救援活動に来ていただき物資を届けてくれるなどのご協力を頂きました。その後も現在に至るまで、被災地にお届けする物資を送って頂いておりますが、当宮では保管場所の提供や、県内沿岸部の被災神社や避難所を回りお届けする活動を行って参りました。
 また最近では、被災神社の氏子さん達の心の拠り所にでもなればと、阿部宮司さんが“小社殿”を全国より集め修復し、設置する作業を行なっておりました。そんな中、去る7月1日付で、当宮の宮司が東京都神社庁長、東京都神社庁災害対策本部長の平岩昌利様より、被災地にありながらこれまでの下谷神社の災害支援活動に賛同し、義捐活動に協力したとのことで、感謝状が送られました。
 震災後より『してあげられないこともあるけれど、協力出来ることはすべてしてあげる』と言うことを職員にも言い続けてきた宮司は、この感謝状を受け、「当たり前のことをしてきたつもりなのに、下谷神社の阿部宮司さんに推薦して頂き、このような感謝状を頂けることは嬉しい」と恐縮しながらも喜んでおられました。
 当宮では、一日も早い震災からの復興をご祈念し、今後も出来る限りの活動を行なって参りますが、改めてこの場をお借りしまして、下谷神社の阿部宮司様には感謝申し上げます。
 
  今回頂いた感謝状
■「太宰府天満宮ボーイスカウト  被災地ボランティア活動」(7月24〜29日)  去る7月24日から29日の6日間、筑紫第2団ベンチャー隊のスカウトの皆さんが被災地のボランティア活動のため、宮城県を訪れました。
 ボーイスカウト筑紫2団は福岡県太宰府市に鎮座する太宰府天満宮を育成母体とし、スカウト活動をされています。例年、夏休みにキャンプを行っているとのことでしたが、今回はスカウトとして被災された人達のために何かできないだろうかと考え、ボランティア活動に参加することを決意したそうです。
 24日午前9時に太宰府市を自動車で出発し、翌朝、宮城県亘理町に到着。その後、亘理町中央公民館敷地内にあるボランティアセンターにて登録手続きを行い、4日間、午前8時30分から午後3時まで津波で汚れてしまった写真の洗浄作業や家屋の泥土の除去作業等の活動に参加されたとのことでした。
 活動終了後は、日頃のスカウト活動の経験を生かしテントにてキャンプをし、夕食には、竹駒神社ボーイスカウト岩沼第1団、また当宮ボーイスカウト仙台第27団の方々から、たくさんの差し入れを頂いたことに、感謝されておりました。
 また26日夕刻には、当宮においても瓦礫撤去やコンテナハウスの搬入・設置等の支援活動をお手伝いさせて頂いている亘理郡山元町の高瀬地区に鎮座する「八重垣神社」を当宮職員と共に参拝に行って参りました。現在、この地区は瓦礫の撤去等が進み、きれいになっておりますが、津波による被害の範囲の広さを目の当たりして、とても信じられないという様子でした。
 そして28日の活動を終了後、当宮に来社され社務所大広間に宿泊し、翌朝7時より本殿にて正式参拝された後、宮司による由緒・境内施設等の説明を熱心に聞かれておりました。その後、朝食と身支度を済ませ、福岡へと帰省されました。
 最後に、この度宮城県のために来て下さったスカウトの皆様に感謝申し上げますと共に、今回の経験を生かし、今後更なるご活躍をご祈念申し上げます。

  亘理町のボランティアセンター          入り口にはたくさんの感謝の言葉がありました

テントにてキャンプをするボーイスカウトの皆さん

「八重垣神社」を参拝                         当宮にて正式参拝をしました

 本殿参拝後宮司の説明を熱心に聞くスカウト達       最後に社殿前にて記念写真を

※ボーイスカウトとは・・・
 今からおよそ100年前の1907年にイギリス人のベーデン・パウエルが『スカウティング・フォア・ボーイズ』というアウトドア入門の本を書きました。その本が大人気となり、世界中の子供達がその本を参考にして遊び始めたのが、ボーイスカウトの始まりです。
 ボーイスカウトは、野外での様々な体験と、仲間達とのグループ活動を通じて心身ともに健やかで、「人の役に立つことができる」若者の育成を目指しています。
 また、世界のほとんどの国や地域で行われており、国際的な交流事業も盛んです。人種や国籍・宗教を超えた世界友情を築いています。
 当宮におきましても、ボーイスカウト仙台第27団がスカウト活動を行っています。
 興味のある方は、社務所(電話 234−3606/FAX 273−1788)までお問合せ下さい。
■「十二軒丁・愛宕神社例祭齋行」(7月23日)  去る7月23日(土)、当宮小野目宮司が兼務する愛宕神社(仙台市青葉区八幡1丁目・十二軒丁鎮座)の例祭が齋行されました。
 愛宕信仰は、京都の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥した信仰であり、軻遇突智命(カグツチノミコト)が祀られ、火防の神様として信仰されています。
 当愛宕神社の創建については、詳しく分かりませんが、宝永7年(1710)に龍寶寺門前町から出火し、仙台北部全域を焼失する大火災があったため、この地に火防の神様である愛宕神社が祀られたのではないかと推測されています。
 当日は雲一面の空模様で、雨が降るのではないかと心配しましたが、愛宕神社の役員さんを始め、十二軒丁親交会の方々や町内の子供会の子供たち、父兄の皆様の参列のもと、11時より祭典が齋行され、斎主による祝詞奏上、巫女による「浦安の舞」奉奏後、役員、子供会代表の子供が玉串拝礼し、無事に祭典をご奉仕することが出来ました。
 祭典終了後には、町内の安全と繁栄を祈念し、子供達が樽神輿を担いで町内を元気良く巡行し、また屋台・出し物や行燈コンクール等が行われ、普段は静かで落ち着いた境内ですが、この日はとても賑やかな1日となりました。


  齋主祝詞奏上                        巫女による「浦安の舞」奉奏

  齋主並びに役員総代による玉串拝礼

  参列した町内の子供達                祭典終了後、神輿を担いで町内を巡行
 
展示された子供達の行燈           世界遺産に登録された金閣寺も


■「国民精神昂揚研修会に参加」(7月22日)  去る7月22日(金)、宮城県神社庁において、『東日本大震災復興祈願祭、並に国民精神昂揚研修会』が行われ、当宮から菅原啓生権禰宜と高橋泰之出仕が参加して来ました。
 研修会において、「宮城県の震災復興構想について」というテーマのもと大震災対策調査特別委員会、相沢光哉委員長の講演があり、宮城県の被害状況と復興構想について、復興10年計画の構想はあるが復興資金においては財政案が決定しないため、なかなか復興が進まないというお話や、復興に向けて大正末期の関東大震災発生時に内務大臣兼帝都復興院総裁として活躍された、後藤新平の構想力とリーダーシップが必要だというお話がありました。
 構想を実行に移す意思決定のスピードと資金のボリューム、構想力とリーダーシップ、なかなか難しいことではありますが、一日も早い復興を目指すには重要なことだと思いました。
 また、当日は研修会にあわせて宮城県神社総代連合会功労者の表彰も行われ、当宮の菅野武志総代が、総代就任より10年以上を有し、長年の神社界への功績が評価され、この度表彰されました。
 今後益々のご発展とご活躍をご祈念申し上げます。(菅原 啓生)


 祭主による祝詞奏上  祭主以下祭員による玉串拝礼

  表彰された菅野武志総代  講師の相沢光哉委員長

■「女川町に30棟のコンテナハウス設置完了」(7月16日)  去る7月16日(土)、女川町に『コンテナハウス』を30棟の搬入設置を完了してきました。
 この度のコンテナハウス設置作業は、当宮独自の震災支援事業ではなく、東京のNPO法人「難民を助ける会」のプロジェクトであり、仮設住宅が設置されるまでの『住居』として家族単位の自由が制約される被災者が「仮設住宅に引っ越すまでの仮住居」として活用頂くためのもので、「難民を助ける会」が世界各国より義捐金を募りその資金で海外よりコンテナハウスを輸入し設置しようとしたもので、大口スポンサーの要望があり、「女川町に30棟」との事で始まったものです。
 当宮では、「本部が東京の『難民を助ける会』では、現地の様子が掴めない」と予測し、担当者との連携をはかりながらも、当初より搬入設置のお手伝いをさせて頂いたものです。
 今回の作業は、女川町総合運動場に2棟、第二小学校に1棟、併せて商工会コンテナハウス商店会(前回、10棟設置)に追加の1棟の、合計で4棟の設置作業となりました。
 このプロジェクトの当初の目的であった「仮設住宅に移転するまでの『仮住居』としてのコンテナハウスを!」との目的は、震災後4カ月がたちほぼ達成した状況にあり、総合運動場の2棟は役場の倉庫として、また第二小学校の1棟には「FMおながわ」のスタジオとして使用されるとの事でしたが、女川町商工会「コンテナハウス商店会」に追加した1棟は、地域に戻り営業を再開する商店として活用されるとの事でした。
 特に、この「コンテナ村商店街」には、「がんばろう女川」の合言葉を染め抜いた『幟』がはためき、合計11棟のハウスが並ぶ一画は、ご夫人方の姿と子供たちの歓声が響きわたり、町全体が壊滅状態のなかにあって賑やかな嘗ての商店会を思い出させるものとなっていました。
 あらためて『復興』の兆しを拝見しながら、このプロジェクトのお手伝いをさせて頂きましたが、例年になく暑い毎日が続き、時には雨にずぶぬれになり、強風に飛ばされそうになりながらも無事に今日を迎える事が出来た事に感激し、また八幡宮の御神恩に感謝する時間でもありました。  尚、既にご案内の通り当宮では、この「難民を助ける会」のコンテナハウス搬入プロジェクトとは別に、八幡宮独自に御社頭での募金活動により「被災神社にコンテナハウス」をお贈りするプロジェクトを実施して居り、7月15日までに3棟のハウスを沿岸部神社にお届けさせて頂きました。
 義捐金募集にご協力頂きました方々にこの場をもちまして御礼申し上げます。

設置されたコンテナハウス

 活気付いてきた「コンテナハウス商店会」

 「FMおながわスタジオ」の前で皆さんと記念撮影
■「月次祭が斎行されました」(7月15日)  絶え間なく聞こえる蝉の鳴く声に長かった梅雨への別れと共に夏の訪れを感じております。
 去る7月15日(金)、本殿にて鈴木工業株式会社殿、東伸環境株式会社殿のご参列の元、毎月恒例である月次祭が斎行されました。
鈴木工業株式会社殿は、卸町東に事務所がある産業廃棄物の収集運搬処理業務等を請け負う会社です。
 以前より年始に御祈願を受けられておりましたが、平成5年の工事作業中に起きた事故をきっかけに毎年7月にもご参列頂いております。
 この度の東日本大震災では、処理施設に一部被害が生じましたが、緊急事態に備えた計画を策定し、訓練を実施していたことにより現在では全施設の速やかな復旧がなされておるとのことで「今回も八幡様に助けられました」との鈴木昇社長のお言葉を頂戴致しました。
 当日は夏の暑い日差しの中、ご参列頂き誠にご苦労様でございます。八幡様のご加護により、今後の更なるご発展、ご活躍をご祈念申し上げます。
 また祭典では、7月1日にデビューした日下仕女に続き、もう一人の新人職員である角崎仕女の初の舞奉仕となりました。
 角崎仕女はこの日に向けて普段の稽古だけではなく、一日の職務を終えた後も先輩巫女からの指導を受けながら稽古を重ねておりました。
 無事に月次祭の奉仕を終えた角崎仕女は、「とても緊張しました。先輩たちのように堂々と上手に舞えるよう、もっと稽古に励みたいです。」と語っていました。今後の彼女たちの活躍に期待が膨らむばかりです。
 そして月首祭、月次祭では『萬代の舞』が舞われております。
この『萬代の舞』は、平成8年に大崎八幡宮御鎮座三九〇年を記念し、鎌倉・鶴岡八幡宮の前名誉宮司である故白井永二様が大崎八幡宮を和歌に詠まれました。
 宮城野の  五百枝(いおえ)の神杉  萬代に  御蔭(みかげ)垂れます  大崎の宮  平和と繁栄を願うこの和歌と共に舞を捧げております。
  (山田友紀)

 参列された鈴木工業(株)殿、東伸環境(株)殿 無事、舞デビューをした角崎仕女(右)


■「楽天の永井投手がご参拝に」(7月15日)  去る7月15日(金)、東北楽天ゴールデンイーグルスの永井怜投手がお子様の初宮詣のお参りで来社されました。
 永井選手は、東京農業大学第二高等学校、東洋大学での活躍を経て、2007年に楽天に入団致しました。入団後は楽天の先発三本柱の一人としてご活躍され、昨シーズンは2桁勝利を挙げられました。
 急なお願いにもかかわらず、写真撮影や絵馬へのサインに笑顔で応えてくださいました。
 尚、永井選手にサインしていただいた絵馬は、本殿左脇の西回廊に奉納されておりますので、ご参拝の際には是非ご覧ください。
 永井選手の更なる活躍と、お子様の健やかなる成長を心よりご祈念いたします。  
 (日下 瑞季)

ご家族で一緒にサインをして頂きました


■「石巻市雄勝町大浜鎮座 石神社(いそのじんじゃ)に
  3棟目の『コンテナハウス』を寄贈」(7月12日)
  去る7月12日(火)、石巻市雄勝町大浜に鎮座する石神社(宮司 千葉秀司氏)に3棟目となる『コンテナハウス』を搬入設置してきました。
 宮司の千葉秀司さんは、石神社(いそのじんじゃ)を本務宮司として、雄勝町並びに女川町内に合計18社程の兼務神社の宮司をお勤めになられている若干33歳の若手神職であります。
 それぞれの本務・兼務の神社は、三陸地方の特徴でもあるリアス式海岸の浜ごとに氏子さんの篤い崇敬を集めて鎮座しているお社であり、この度の東日本大震災では御社殿の倒壊・燈籠など境内構築物の倒壊・破損などの被害があり、重ねて地域の氏子総代を始め多くの方々も被災されましたが、文化庁が指定した「重要民俗文化財・雄勝の法印神楽」という貴重な民俗芸能を守り伝えてきた地域でもあります。
こ の度、津波被害により流出してしまった「神楽面や装束等」が、神楽保存会の会員でもある氏子の方々の手によって探し、拾い集められてきた為に、急きょ「保管用倉庫」が必要とされたとの事でご寄贈申し上げたものです。
 「国宝・大崎八幡宮(御社殿)」及び「重要文化財・長床(割拝殿)」を所有し、併せて「社務所(2棟1宇)」並びに「神馬舎」を「国指定・登録文化財」の認定申請をしている当宮にとって、「建造物」と「民俗芸能」という有形・無形の違いこそあれ、我が国を代表する貴重な歴史文化の「次代への継承」が義務づけられている私どもにとって、ひとり神社の宮司だけでは守りきれるものではなく、常々「お一人お一人の氏子崇敬者の皆様方のご支援があってこそ」と考え、この度のコンテナハウスをご寄贈することにより大震災の被害を最小限にとどめる事が出来るように願っての事でありました。
 尚、「重要民俗文化財・雄勝の法印神楽」は、鎌倉薪能で有名な神奈川県鎌倉市二階堂に鎮座する「鎌倉宮」の招聘により今秋・10月に、「被災地の伝統文化を守る」ことを願って遠く相模国にて奉奏されることになっているとの事です。
 千葉宮司さま始め、神楽保存会の皆様方のご活躍をお祈り申し上げます。
  
  石巻市雄勝町大浜に鎮座する石神社
  
 鳥居脇に『コンテナハウス』を搬入設置しました
  
  
『重要民俗文化財・雄勝の法印神楽』  平成20年に演舞されたときの写真です

■「八幡宮の夏」(7月1日)   本年も早いもので下半期に突入し、少しずつ小鳥のさえずりに混じって蝉の声も聞こえ始め、八幡宮の夏が本格的に始まろうとしております。
そんな夏の訪れを感じる去る7月1日(金)、本殿にて毎月恒例の月首祭が斎行されました。
この月首祭にて今年入社した日下仕女は初めての舞奉仕となり、緊張と不安の中、先輩の高橋仕女と呼吸を合わせ最後まで舞うことが出来たようです。
そして、無事に舞デビューを飾った日下仕女は月首祭終了後、宮司さんからお褒めの言葉を頂き、安心した表情を見せてくれましたが、同時に初めての舞を終え緊張の糸が切れたのか、少し疲れた表情も浮かべていました。
また、7月1日より当宮に新たな鳩の子(新入職員)が1羽産まれましたのでこの場を借りましてご紹介させて頂きます。
出仕として奉職することとなる高橋泰之さんは25歳で、平成21年3月に國學院大學神道文化学科を卒業後、ご実家の神社にて奉仕しておりましたが、今年3月に起こりました大震災の影響により、実家でのご奉仕が困難となり、この度、八幡様のご縁により7月から当宮にて奉仕することとなりました。
泰之さんは「まだまだ未熟者ですが、皆様のご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」と今後の意気込みを語ってくれました。

初めての参進は笹竹のアーチをくぐる涼しげなものになりました

初めての「萬代の舞」 緊張しています

月首祭に参列し八幡様に玉串を奉りて参拝する泰之さん

辞令を手に本殿前にてパチリ!
少し緊張していますね
(日野美咲)


■「水無月大祓式」斎行(6月30日)  去る6月30日(木)、境内祓所において「水無月大祓式」が斎行されました。
 当日は朝から快晴で蒸し暑い中、祓所前に設置されたテントの中には多くの参列者の姿が見られました。
 この神事は、参列者が神職の「大祓詞」の宣読に沿って、左なえの麻縄を口で解き右肩越しに、右なえの麻縄を口で解き左肩越しにそれぞれ投げ、切麻(紙吹雪状のもの)を撒いて自身を祓い、人形で体を撫でてから息を吹きかけ罪穢れを移し、紙包みに戻したものを回収し、唐櫃に納め、これを神職がお祓いするものです。このお祓いの後、祭員に引き続き参列者の方も一緒に「茅の輪」をくぐる事が習わしとなっておりますが、この「茅の輪」は、6月の夏越の大祓式にのみ使用され、これをくぐることにより疫病や罪穢れが祓われると言われております。くぐりかたは『水無月の 夏越の祓いする人は 千歳の命 延ぶというなり』という古歌を唱えながら、左回り・右回り・左回りと3回輪をくぐり、最後に真っ直ぐにくぐり抜けます。
 こうして祓われることにより、知らず知らずのうちについた心身の罪穢れが綺麗に清められ、残り半年間を新たな気持ちで迎えられるのです。

 〜大祓式「茅の輪」の起源〜
 大祓式は毎年6月と12月に斎行されておりますが、起源は古く、須佐之男命が罪を犯し、高天原を追放された故事が始めとされ、その後災害疫病等の際にその都度行われていたもので、現在のように定期的に行われるようになったのは、大宝元年(701年)からのことです。また「茅の輪」をくぐるのは善行をし蘇民将来が、須佐之男命から「もしも疫病が流行したら、茅の輪を腰につけると免れる」と言われその通りにしたところ、疫病から免れることが出来たという故事に基づきます。

罪穢れを移した人形を紙包みに戻し、それを回収します

大麻・塩湯にてお祓いした後「茅の輪」をくぐります。まずは右から

そして左・右とくぐりぬけ、最後に真っ直ぐくぐり抜けます

本殿前にて参拝後、お神酒とお札を受けて頂き終了です

〜七夕の笹竹設置作業〜
大祓が終わると早速7月からの七夕飾りの準備がはじまります。

事前に準備していた笹竹を本殿前に設置

長床通路にも職員手作りの七夕飾りが吊り下げられました

皆さんの願い事を神社の笹竹に結んでみませんか?


■「支援物資をお送り頂きましてありがとうございます」(6月30日)  以前(4月28日付)の「麻実子の部屋」にて、支援物資が各県の神社関係者、ボランティア団体の方々より届いていることをご紹介させて頂きました。
そして、現在でも各方面より物資が届けられており、各避難所へ活用させて頂いております。
今回もこの場をお借りいたしまして、支援物資をお送り頂きました方々へ厚く御礼を申し上げますと共に、こちらに御芳名をご紹介させて頂きます。
(4月29日〜6月30日までの分)

 ・エスパテクノ(株) 代表取締役 小田来明
・(株)モリイチ 営業部
・新川 由美子
・林 千絵
・福島 萩子
・福田 裕子
・八木山ホンダ エンドーサイクル
・(株)三菱東京UFJ銀行仙台支社 支社長 伊藤秀徳
・(株)三菱東京UFJ銀行仙台支店 支店長 乙竹信一
・埼玉県母子愛育会 常務理事 片柳香子
・(株)東北リフォーム 代表取締役 鈴木寿郎
・(株)東北永愛友商事
・引間 きね子、久美子
・佐藤 文比古
・(有)TRPG・TIME テーブルトークカフェDaydream
・学校法人 角川学園
(順不同、敬称略、6月30日現在)


■「学校法人 角川学園より原付バイクのご支援を頂きました」(6月28日)  去る6月28日(火)、仙台市内にて「花壇自動車大学校」を運営されている『学校法人角川学園 理事長 角川重博さま』より「原動機付き自転車・7台」を支援物資としてお預かり致しました。
 この原付バイクは、この度の沿岸部被災地区で仮設住宅と津波被害にあった港や浜を往復しながら後片付けに従事している被災地域の方々への支援物資としてお届けしたいと考え、今までに4台が女川町、石巻市・東松島市にお届け致しております。
 以上の事から、若い学生さんが数多く通学している角川学園の角川理事長さんにお願いしたところ、二つ返事でご了解頂き、教職員の方にご指示いただき準備されたそうです。
 今回お預かりをしました「原付バイク」は、中古車両ではありますが、お取引先の業者より程度の良いものを「プロの目」でお選び頂き、教職員自らが学生と伴に実習やサークル活動の中で点検・整備し、部品等についてもタイヤ・ブレーキ・アクセルなどの保安部品は全て新しいものに取り換え、一見して「中古品」とは見分けが付かない程にピカピカに磨かれて居りました。
 角川理事長によりますと、同大学校は、「車のスペシャリストを育てる」をモットーに「4輪・2輪・車体整備が学べる」との事で、1学科(2年間)と2専攻科(各1年間)の3コースを設け、最終的には4年間で「一級小型自動車整備士」の資格を取得するできる大学校として業界からの期待度は高いとの事です。
 現在の同大学校は、「花壇自動車学校」と言われた方が判り易く、かつての「自動車学校」をイメージしていた私でしたが、100万都市・仙台のシンボルである広瀬川河畔にある同校は、講義棟・整備工場・事務棟・学生寮などを備えており、4階建10棟程の建物群は、青葉山と広瀬川に囲まれた絶好の環境の中に溶け込む素晴らしいデザインで、半世紀程前を知っている宮司にとって隔世の感を思わざるを得なかったようです。

テキスト ボックス: 花壇自動車大学校にご興味のある方は、  https://www.kadan-atcs.or.jp/ へ!





 また、お預かり致しました「原付バイク」は、前回同様、女川町、石巻市、東松島市にお届けする予定で居ります。
改めて、この場をお借りしましてご支援に感謝申し上げます。


  角川学園 角川重博理事長(左)と宮司(右)

 お預かりした「原付バイク」7台は何れも新品と見間違えるほどです


■仙台市神社総代会総会が開催されました(6月28日)  去る6月28日(火)、宮城縣護國神社の参集殿において、仙台市神社総代会の総会が開催され、当宮より宮司始め役員総代世話人11名が参加してきました。
 先ず始めに、護國神社社殿内において災害復興祈願祭が斎行され、その後参集殿において開催された総会では、当宮の総代である伊藤祐之さん、世話人の菅原弘行さん、赤平征雄さんが10年以上の神社への奉仕活動の功績が評価され、宮城県神社庁仙台支部より神社功労賞が表彰されました。
 今後とも地区の代表として、当宮への奉仕活動のご協力をお願いする次第です。
 
  仙台支部の田中支部長による祝詞奏上護國神社の巫女さんによる「浦安の舞」

目出度く3人の総代・世話人さんが表彰されました  最後は万歳奉唱にて締めくくられました
■被災漁師さんに何とか船を送りたい!(6月26日)  東日本大震災被災者への支援活動を継続して実施して居りますがこの度、先に要望があった『洗濯機』を支援した東松島市在住の被災者より、逆に「廃船となった漁船」のご紹介を頂き、修理して届ける事に致しました。
 今までコンテナハウスの搬入設置のお手伝いをして来た被災地の漁師さん達からの要望もあり、心当たりを訪ねて居りましたところ、七ヶ浜町東宮浜で廃船となって処分間近の船を紹介頂き、入手する事が出来たものです。
 そして、去る6月26日(日)午前、瓦礫の山に捨てられていた漁船(和船・約27尺)を出入職方である植木業者より借用した4tユニック車に積込み、同じく七ヶ浜町のマリーナに運び込みました。
 この漁船は、廃船にするにはもったいないほど非常に程度の良いものですが、若干の修理を要するのでマリーナに修理の依頼をしましたが、修理には2週間程かかる見込みで居り、さらに残念ながら「船外機」がなく、これらがそろい次第、漁師さん達のもとへ搬送する予定です。
 報道によると、被災した町によっては「町民の70パーセントが町には戻らない。」との意思表示をしている地域もあり、福島原発の「立ち入り禁止地区」同様、「鎮守の森」が存亡の危機に瀕するような事だけは避けなければならないと考えて居ります。
 これからは、被災住民の皆様方が生まれ育った町に戻り、「新たな町づくり」に希望が持てるような支援活動が出来ればと考えて居ります。

  
 瓦礫の山に捨てられていました
 
  
今回、修理をして届けることになった漁船
■ご社頭での募金活動により、被災神社へ「コンテナハウス」を ご寄贈しました
(6月16日)
 去る6月16日(木)、亘理郡山元町の高瀬地区に鎮座する「八重垣神社」並びに、石巻市大宮町に鎮座する「伊去波夜和気命神社(いこはやわけみことじんじゃ)」の二社に、“仮設社務所(コンテナハウス)”を搬入・設置し、お引渡しをすることが出来ました。
この二社は、先の東日本大震災において多大なる被害を受けられ、何れも海岸から百メートルの処に鎮座し、八重垣神社さんにあっては、御社殿はもとより社務所、宮司自宅の全てが流出、当宮においても去る4月19日に境内の瓦礫撤去のお手伝いをさせて頂きました。
また、伊去波夜和気命神社さんは、「地盤沈下による満潮時の冠水」でニュースでも流れている石巻市の渡波地区の隣、大宮町地区の鎮守として鎮座されており、境内は行政の非難場所に指定されていました。そして、御社殿は周辺道路より2メートル程高い処に鎮座しておりますが、一帯は津波によって押し寄せられた瓦礫が山のようになり、社務所・宮司自宅への出入りが困難な状態となっておりました。しかし、これらの瓦礫の山は、市民ボランティアの皆様方のご協力もあり、やっと神社境内の態を整えることが出来たとのことで、今回「コンテナハウス」を搬入する運びとなりました。
この度搬入した「コンテナハウス」は、約4坪(W=5,400×D=2,400)の仮設ハウスですが、朽木模様のカーテンと若干の事務机・イス・黒板(ホワイトボード)なども搬入し、内部はいかにも社務室風(事務室)となり、氏子総代さん方の寄り合いの場所になればと思っております。
この度の東日本大震災では、当宮の地震被害も皆無ではありませんでしたが、御社殿・社務所・境内構築物等については既報の通り、御神徳のお陰をもちまして、致命的な被害がありませんでしたので、当宮では早急に被災神社支援活動に限定した『義捐金募金活動』をご社頭で実施し、ご参拝の皆様、氏子崇敬者のご協力を頂きまして、「沿岸部被災者への支援活動」とは別に「被災神社への支援活動」を計画し、「コンテナハウス」搬入となりました。
重ねて申し上げますと、一神社の力では限りがありますが、一刻も早く各社の氏子さんがご復興なされ、「鎮守の森」にご参拝の列が戻りますようお祈りするばかりであります。
どうぞ皆様方におかれましたも、お近くをお通りになりましたら是非、ご参拝頂きますと両社の御祭神また、宮司さまもお喜びになられると思います。
皆様方と共に一日も早いご復興をお祈り申し上げます。


亘理郡山元町の八重垣神社が鎮座していた場所です

無事に藤波祥子宮司さまにお引渡しをしました

中は社務室風に

石巻市大宮町に鎮座する伊去波夜和気命神社です

大國龍笙宮司さまにお引渡しをしました

今回引き渡したコンテナハウスの外観
■「大崎八幡宮文化財の杜」育林事業開催(6月12日)  去る6月12日(日)、白石市南蔵山麓の植林地で育林事業が開催されました。
 平成16年4月にボランティアの皆様の手により、100年200年後の御社殿の修理に備えて、御用材となるヒノキ・カラマツ・ブナ・カツラ・ケヤキの苗木が植えられました。以来、毎年「大崎八幡宮文化財の杜」育林事業を行っており、丸7年が過ぎ今年で8回目を迎えました。
 今年は3月11日に起きた東日本大震災を考慮して、大々的な育林事業ボランティア参加の募集を行っていないにも関わらず、県内外から集まった氏子崇敬者、ボーイスカウト、一般企業・団体のボランティアの方々約320名ものご参加を頂き、草刈、除草等の作業が行われました。
また今回は、当宮で毎年5月に行われている『皐月祭』が中止になったため、本殿にて斎行されていた「緑化推進祈願祭」が植林地に場所を移して斎行され、これから益々の木々の生長をご祈念申し上げました。
 植林した木々は昨年より大分生長しており、開会式用のステージの上から下を見ても作業をしている方たちの姿が見えない程で、開会式の宮司の挨拶でも「来年の育林事業の前に少し剪定をしなくては」と話しており、自然の生長の速さと震災にも負けない生命力に圧倒されました。 各作業は順調に進み、お昼にはおにぎりとボーイスカウトの育成会の方々による豚汁が振まわれ、予定時刻よりも早めに終了することが出来ました。
  
四方をお祓い 実行委員の皆様をお祓い

宮司による玉串拝礼 高山実行委員長の玉串拝礼

昨年よりも高いステージで開会式を行ないました  ステージの上から見た様子

ボーイスカウトの子供たちも一生懸命  職員も一緒になって草刈作業

豚汁を用意してくださったボーイスカウトの保護者の方々豚汁すごくおいしいね!

 草刈を終えた植林地 これからも生長が楽しみです

 この事業は毎年開催しておりますので、毎年ご参加頂いている方々には来年以降もご参加をお願いすると共に、ご興味のある方は来年以降のご参加をお待ちしております。
 また、被災地の皆様もこの育林地の木々に負けない生命力で、一日も早い復興をお祈り申し上げます。 (日野 美咲)
■「仙台・江戸学叢書刊行」(6月15日)  この度、平成19年8月に開講し、第4巻となる東北学院大学教授 政岡伸洋先生の「仙台の祭りを考えるための視点と方法−民俗学の立場から−」と、昨年5月に開講し、第34巻となる前宮城県慶長使節船ミュージアム館長 跡部進一先生の「世界史の中の常長」の叢書が刊行致しました。
 事前にお申込み頂いている方には、すでにご郵送させて頂きました。
また新に叢書をご希望の方や、刊行状況等ご不明な点がございましたら、お気軽に社務所までお問い合わせ下さい。  

☆刊行された叢書
   
  「仙台の祭りを考えるための視点と方法 「世界史の中の常長」
−民俗学の立場から−」   跡部進一先生
 政岡伸洋先生 東北学院大学教授 前宮城県慶長使節船ミュージアム館長

■「レッド吉田&佐々木主浩来社!!」(6月2日)  去る6月2日(木)テレビ東京の方が来社され、土曜スペシャル『頑張る東北!有名観光地めぐり』の番組収録が行われました。
 番組の進行役はお笑いコンビ「TIM」のレッド吉田さんと、地元東北福祉大学出身で横浜ベイスターズ、シアトルマリナーズで活躍した大魔神こと佐々木主浩さんのお二人で、当宮の社殿だけではなく支援物資のテントの取材もされ、被災地への支援活動について感心をもって頂くことができました。
 また、私たち職員にも激励の言葉をかけて下さいました。
  
  本殿前にて参拝する二人 祭儀棟横にて宮崎権禰宜と合流

テントの中で取材中  支援活動について説明中

  支援物資の箱に書かれた沢山の応援メッセージ

 残念ながらこの番組は東京近畿だけの放送で宮城県では放送されませんが、頑張る東北の姿を少しでも多くの方々に伝えて頂き、まだまだ被災地の人々の戦いは続いているのだと感じて頂ければと思います。
 今後とも皆様の温かいお言葉とご支援の程、よろしくお願い申し上げます。
 また、被災地の皆様のご健康と、一日も早い復興をお祈り致します。 (日野 美咲)

■「震災お見舞いの御礼に行って参りました」(5月24・25日)  去る5月24日(火)、25日(水)に、震災のお見舞いを頂きました御礼の為、東京、神奈川方面に宮司以下菅原望、菅原啓生両権禰宜が出向致しました。
 まず、24日には神社本庁65周年記念大会並びに明治以降物故神職・総代慰霊祭の齋行に合わせて、お供えする神饌を宮城県内で準備することになり、当宮で用意したお供え物を先方にお届けしました。
 その後、上野に鎮座する下谷神社を参拝しました。都内の中でも静かな下谷神社の境内には津波で流されてしまった神社へお届けする仮宮が造られており、この仮宮は震災復興へ向けて少しでも役に立てればという思いで宮大工の方が造られたそうです。
 次に、三浦郡葉山町に鎮座する森戸大明神を参拝しました。森戸海水浴場のすぐ傍にお宮があり、景色が良く心地の良いところでした。震災当時は大津波警報が発令され、職員の方々は海岸に残っている人達の対応に負われ大変だったというお話をお聞きしました。
 翌25日には、鎌倉市に鎮座する鶴岡八幡宮を参拝しました。宮司は神職の道を鶴岡八幡宮での奉職から初め、当時の経験を現在の社務に生かしているという話を常日頃聞いているのですが、表参道の桜並木を歩きながら境内を見渡すと随所にそれを感じとる事ができました。震災の時は鎌倉もだいぶ揺れ、参拝者の避難誘導が大変だったようです。
 その後は鶴岡八幡宮から東の小高い山に鎮座する鎌倉宮を参拝しました。この鎌倉宮の御祭神であります護良親王(もりながしんのう)は幽閉されていたと伝えられており、今でもその土牢が残されている大変貴重な神社でありました。
 そして、鎌倉市を後にして横浜市へと向かい、伊勢山皇大神宮を参拝しました。伊勢山皇大神宮には横浜ベイスターズの選手達が書いた絵馬が奉納されており、上位を狙う選手達の意気込みが伝わってきました。
 2日間に渡っての御礼参りでしたが、参拝の折には大変お世話になりました。この場をお借りしまして再度御礼申し上げますと共に、今後も震災復興に向けて尽力して参りますのでどうぞ宜しくお願い致します。   (菅原啓生)


下谷神社の境内に造られた仮宮 森戸大明神から見渡す葉山の海

 鶴岡八幡宮階段下から伊勢山皇大神宮に奉納されたプロ野球選手の絵馬


■「百錬会奉納演武」(5月18日)  去る5月18日(水)の17時より本殿前にて、『鹿島神伝直心影流(かしましんでんじきしんかげりゅう)』百錬会(ひゃくれんかい)の児玉一成さんによる奉納演武が行われました。
始めに本殿内にて祈願をした後、本殿前にて厳かに行われた演武の気迫に風や木々、そして私たちも圧倒されてしまいました。
 この鹿島神伝直心影流とは、500年以上の歴史を持つ古流の正法を護持する剣道の源流の一つであり、鹿島城主の家老の一人で、更に鹿島神宮の神職でもあった松本備前守尚勝(まつもとびぜんのかみなおかつ)が流祖と言われており、いち早く竹刀や防具を使用した打ち込み稽古を導入した実戦的な流派であるとされています。
 今回行われた演武の「丸橋の形(まるばしのかた)」はこの流派の究極の形で、極めて純粋で広い心を以って、相手の気を抑え、或いは覆いこむ、更には谷にかかる一本の丸い木橋を渡る心境とも言われているそうです。
 児玉さんは、東日本大震災で被災した人たちに何か出来ることはないかと、神奈川県横浜市よりボランティアとして宮城県にお越しになり、被災地に行く前に八幡宮にて奉納演武を行いたいとの申し出があり、来社されました。
 そして、当宮を参拝後、石巻専修大学に拠点を構えるボランティアセンターにて手続きを行い、石巻市にある幼稚園で泥の掻き出しや、使えなくなった机や冷蔵庫の運び方等のボランティアを行い、横浜へと戻られたとのことでした。


  本殿での祈願の様子本殿前での演武「丸橋の形」
 まだまだ修行中なのだと児玉さんは語っていました

 
  小太刀(こだち)という小さな木剣が使用されました

 鹿島神伝直心陰流の小太刀は、「短を以って長に対する勇気の修養を意味し、故に、心気に動揺を生ぜず、業に軽挙なく、円満活達なるを要す。」とされております。
単に剣の強さだけを鍛錬するのではなく、勇ましく、正しく、強い心を磨き、それを日常生活にその精神を活かすことが大切とされているそうです。 (山田友紀)


■「各社からのお見舞い参拝のご報告」(5月13日〜23日)  東日本大震災から早3ヵ月が過ぎようとしています。仙台の街中は徐々に落ち着きを取り戻し、交通機関も少しずつ回復しつつありますが、県内の一部ではまだ全線開通となっていないところもあります。
そんな中、去る5月13日には鶴岡八幡宮吉田宮司様の代理として、國生護衛禰宜様他1名、また21日には兵庫県神社庁神戸市支部の支部長、澤田政泰様他2名、23日には旗岡八幡神社宮司、松本仁様と多数の方々にお見舞いのご参拝を頂きました。
本殿にて神職よりお祓いを受けられた後、社殿の被害状況などの説明を受け、今回の地震が残した傷跡を真剣な面持ちでご覧になられておられました。 
(高橋 舞)

神戸支部の皆様 神職からお祓いを受けた後、当宮神職より被害状況の説明を受けられました


本殿内部の石の間の天井絵や亀裂が入った回廊をご覧になる松本宮司様

■「コンテナハウス」を女川町へ(5月9日、10日)  去る5月9日(月)・10日(火)、以前に組立テストをした「コンテナハウス」の部材をトラックに積み込み、女川町へ向かいました。
9日には「コンテナハウス」5棟の設置作業を行いました。このハウスは“仮設住宅”が出来るまでの“仮家”として使用されるそうで、仮設住宅が完成後には倉庫等として現地で活用されます。
そして10日には、設置した「コンテナハウス」の電気関係の内装工事と、2段ベッドの組立てを行い、ハウスの中に2段ベッド(4人分)の設置をしていきました。
この「コンテナハウス」の設置作業はまだ始まったばかりで、今回は中国より搬入したハウスとなり、次回はイタリアから輸入し、女川町には全部で30棟搬入する予定となっております。


作業班がわかれて

一つ一つ組み立てていきました

組み立てたら内装工事を行ない

2段ベッドも取付けました

中はこんな感じになりました


■「コンテナハウス設置作業」(5月6日)  去る5月6日(金)、当宮の職方である東北グレーダー(株)の大衡営業所の敷地内にて、「コンテナハウス」の組立作業を行いました。
この設置作業は、東京のNPO法人が「コンテナハウス」の搬入設置をするためのお手伝いをさせて頂いているものです。
中国製で米軍仕様の「コンテナハウス」は、一棟あたり重量が3tと部材を運ぶだけでも多くの人手が必要と思われ、当日は、宮司以下職員8名が出向し、作業に取り組みました。職員は、例祭やお正月の行事毎に境内にテントや舞台などを設置していますが、今回は初めての「ハウス作り」の為、東北グレーダーの従業員の方と一緒に説明書を見つつ、試行錯誤しながらの組立作業となりました。
この作業は、ハウスの設置方法や、一棟を設置するのに要する時間を計るための作業であり、実際には牡鹿郡女川町にての搬入・設置作業の予定となっております。

運びこまれた「コンテナハウス」の部材 床部分を水平になるように設置

柱を4箇所たてていき固定、屋根を載せます

 屋根部分も柱に固定壁となるパネルを次々とはめ込んでいき

  玄関となるドアもはまりました

 反対側には窓がついている部材がはまり、基本型のハウスの完成です
■「新職員入社」(5月1日)  去る5月1日(日)、午前10時より毎月恒例の月首祭が本殿にて斎行され、真新しい白衣と緋袴を着た仕女(巫女)さんの2名が参列致しました。
緊張した面持ちで参列していたこの2名は、今年入社した日下瑞季さん、角崎芽生さんで、両名とも3月に市内の高校を卒業したばかりです。
本来ならば、3月後半より事前研修、4月からのご奉仕となるのですが、今回の東日本大震災の影響でしばらくは自宅待機となり、一ヶ月遅れの4月25日からようやく事前研修が始まりました。そして、神職さんや先輩の仕女さんより仕女としての心構えや祭典での作法などを教わり、5月からのご奉仕となりました。
月首祭の祭典後には宮司より辞令が手渡され、2人は緊張した顔から笑顔に変り、入社したことを実感したようです。
これから八幡宮を御守りする職員として、2人で協力しながら、時には先輩の力を借りながら、ご奉仕に励んでいただきいと思います。

緊張した面持ちで参列していました 教わったばかりの作法で玉串拝礼をする2名

辞令を手にする 日下瑞季仕女(左)
角崎芽生仕女(右)

■「ご結婚、おめでとうございます。」(4月のご本殿での結婚式)  大崎八幡の大神様の大前において、次の方々がご結婚されました。

  
  
4月10日 笹原・田中 御両家

八 幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、ご両家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。 誠におめでとうございました。


■「伊達武将隊、八幡宮を参拝」(4月29日)  昭和祭が斎行された4月29日(金)、当宮に仙台藩祖伊達政宗公が家臣を引き連れて参拝されました。
 天気に恵まれたこの日は祝日ということもあり、家族連れの参拝者や御祈願を受けに来られた方が多い中、表参道を太鼓の音と共にゆっくりと甲冑姿で歩くこの団体は、『奥州・仙台おもてなし集団「伊達武将隊」』と名付けられた伊達政宗公率いる家臣の皆さんで、昨年度より仙台市の観光交流課が母体となり、(株)街ナビプレス社が“話題性のある新しい観光施策として、甲冑姿の伊達政宗を中心とした「伊達武将隊」によるエンターテイメント型観光”として、地域の観光PRを目的として結成された集団です。
 そして今年、新たに新メンバーを加えた11名の皆さんで活動を継続することが決まり、瑞鳳殿での“出陣”を前に当宮へ来社し、本殿前にて参拝、神職によるお清めのお祓いの後、伊達政宗公が代表して玉串拝礼を行い、今年度のこれから始まる事業への無事の成功を祈願致しました。また、祈願後には参拝者との撮影会などもあり、より一層賑やかな境内となりました。
  
表参道を太鼓の音と共に歩いてきました 神職によるお清めのお祓い

政宗公が代表して玉串拝礼を行いました

  新たにメンバー3名を加えた「伊達武将隊」 仕女さんも一緒に撮ってもらいました
■「昭和祭斎行」(4月29日)  去る4月29日(金)は昭和の日。昭和の時代には「天皇誕生日」の日として、祝日となっておりましたが、年号が「平成」に改まると同時に「天皇誕生日」も12月23日になり、平成元年より4月29日は「みどりの日」となりました。
 そして、国民の祝日に関する法律の一部改正により、平成19年に「昭和の日」と制定され、今日に至っております。
その「昭和の日」に因み、当宮でも午前10時より本殿にて、昭和祭が斎行されました。
 この祭典は、宮司一拝から始まり、献饌、宮司による祝詞奏上にて「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代」を顧み、昭和天皇のご聖徳を景仰し、弥益々の皇室の隆昌を、また今回の東日本大震災の一日も早い復興をお祈り申し上げた後、昭和天皇様の御製をうたった「浦安の舞」が仕女2名で奉奏され、次に玉串拝礼と続き、撤饌、宮司一拝にて滞りなく斎行されました。
  
 仕女による「浦安の舞」奉奏研修中の仕女2名も参列


■「東日本大震災に伴うお見舞いを頂き、ありがとうございました」(4月28日)  去る3月11日の地震発生後より、多くの方々よりお見舞いのお電話や、お見舞金をお送り頂きました。 厚く御礼申し上げますと共に、ここで御芳名をご紹介させて頂きます。
  (順不同、敬称略、4月28日現在)
・宮内庁 阿部
・旧職員 八甲田神社 権禰宜 木村知敬
・仙台市博物館 館長 佐藤 敏国
・熊野速玉大社 宮司 上野 顯
・リー・ジョンヒー
・東北学院大学自転車競技部OB 中道
・(株)東北永愛友商事 会長 佐々木 敬
・(財)文化財建造物保存技術協会東京支部仙台事務所 武藤 正幸
・(株)深松組 代表取締役 深松 努
・(有)高山燃料
・旧職員 佐藤(旧姓 阿部)祐子
・(株)植耕 代表取締役 鎌田 耕
・清水建設(株)東北支店 執行役員東北支店長 竹浪 浩
・(株)加藤工匠 代表取締役 加藤 吉男
・(株)秋江
・箱根神社 宮司 小野 修二
・大國魂神社 宮司 猿渡 昌盛
・旧職員 鎌倉宮 権禰宜 小岩 裕一
・伶楽舎 芝 祐靖
・(株)櫻井防災 代表取締役 櫻井 勝雄
・旧職員 樽前山神社 権禰宜 月館 良治
・橿原神宮 宮司 飛鳥井 雅慶
・近野商店
・奈良近畿戒協同組合
・(株)小西美術工藝社
・旗岡八幡神社 宮司 松本 正美
・明治神宮 宮司 中島 精太郎
・(株)大槻装束店 代表取締役 大槻 眞一郎
・福興電気(株) 代表取締役 齋藤 和夫
・鶴岡八幡宮 宮司 吉田 茂穂
・駐仙台大韓民国総領事館 元総領事 金鐘七
・(株)三宝社
・南北社 代表取締役 玉田尊英
・(株)晃和ディスプレイ
・(株)河北新報社 代表取締役社長 一力 雅彦
・(株)東北ダイケン 代表取締役社長 国塚 安雄
・(株)東北ロイヤルパークホテル 取締役社長 冨岡 誠
・鳩の森園芸センター 阿部 信章
・別雷神社 小室
・宮田 まゆみ
・一行院 千日谷会堂 八百谷 啓人
・下谷神社 宮司 阿部 明徳
・ガクヤ足袋
・凸版印刷(株)東日本事業部
・大阪天満宮 宮司 寺井 種伯
・タナック(株)仙台営業所
・仙台市議会議員 西澤 啓文
・旧職員 飯野山神社 禰宜 及川 剛幸
・仙台観光コンベンション協会
・森戸大明神 宮司 守屋 大光
・星山珈琲店 星山 巳知郎
・日光東照宮 宮司 稲葉 久雄
・伊曽乃神社 宮司 井上 千賀司
・尾山神社 宮司 河崎 正昭
・白山神社 宮司 小林 敬直
・桜岡天満宮 禰宜 坂本 訓之
・日本住宅(株) 代表取締役社長 滝村 照男
・熱日高彦神社 禰宜 黒須 貫
・榴岡天満宮 宮司 菅野 惠之
・アッドシステム(株) 代表取締役 沼倉 和彦
・仙臺すずめ踊り連盟
・(株)橋本店 代表取締役社長 佐々木 宏明
・高山 金造
・川上 良雄
・ボランティアガイド 岩渕 春夫
・全国神社スカウト協議会
・(株)阿部 代表取締役 阿部 英勝
・仙台市文化財課
・ホテルコムズ仙台
・神社本庁
・江島神社 宮司 相原 国彦
・儀禮文化學會
・(有)久志本
・(株)ユーカワベ
・仙台国際ホテル
・楽天野球団
・トヨタフォークリフト
・大澤明三・節子
・河北新報社
・伶楽舎
・厳島神社 宮司 野坂 元良
・(有)丸井紙店
・竹林舎
・小林 富男
・(株)三愛工芸 代表取締役 千葉 安宣
・白川良一夫妻
・小西美術工藝社 代表取締役社長 小西 美奈
・出雲大社 宮司 千家 尊祐
・(株)民俗工芸
・(株)神路社
・山梨県神社庁 庁長 羽中田 進
・平安神宮 宮司 九条 道弘
・(株)マルエス技研工業所 代表取締役 角田 辰夫
・弓馬術礼法小笠原教場 三十一世宗家 小笠原清忠
・公益財団法人 オイスカ
・東和奉産(株)
・大崎真由子
・デザイントーホク(株)
・鶴岡八幡宮 禰宜 池田 正弘
・東儀 勝
  (順不同、敬称略、4月28日現在)
■「支援物資をお送り頂きましてありがとうございます」(4月28日)  以前「麻実子の部屋」にて、支援物資が各県の神社関係者の方々より届いていることをご紹介させて頂きました。
 そして、今現在でも各方面より物資が届けられており、各避難所へ活用させていただいております。
 今回はこの場をお借りいたしまして、支援物資をお送り頂きました方々へ厚く御礼を申し上げますと共に、こちらに御芳名をご紹介させて頂きます。   
(順不同、敬称略、4月28日現在)
・大泉 瑞穂               
・(株)ユーカワベ
・(有)マリンメカニック
・熱日高彦神社 禰宜 黒須 貫
・秋田県神道青年協議会 
・(株)ヘルスマート 代表取締役社長 一條 三千夫
・栃木県神社庁 青年神職むすび会 会長 荒井 和宏
・霧島神宮敬神婦人会 会長 高橋 美津子
・タカラスタンダ−ド
・大宰府天満宮 宮司 西高辻 信良
・下谷神社 宮司 阿部 明徳
・氷川神社 宮司 鈴木 邦房
・御田村 俊一
・福田 裕子
・相浦 良一
・楊
・(株)オダギリ
・引間 きね子、引間 久美子
・(株)ヨシダ東北支店
・千代田商事(株)
・フタミ薬局
・(株)熊本商店
・(有)グリ−ニング
・貝沼
・(株)ジャスト
・(有)ニイミ洋食器店
・秋葉 礼子
・田原福恵
・オンリ−ワンオリジナル
・高井奈津江
・(株)宇津木産業
・オオニシ
・(株)飯田製作所
・(株)ダリヤ東京支店
・東洋ナッツ食品(株)
・(株)ペンギンライタ−
・(株)ネクストワンスポ−ツプロダクト
・(株)さくらほりきり本店
・(株)一本堂
・(有)ライオン
・(株)サカモト
・(有)オザキ建装
・エイミヤ企業(株)
・マルエス商事(株)
・政木 喜三郎
・春沢 ヨシ子
・下谷神社氏子
・(株)スタイルラック
・YKKファスニングプロダクツ販売(株)
・光誠電気工業(株)
・藤本 直子
・(株)コマチセンタ−
・(株)メイト・商會
・下谷神社 青木
・熊本県神道青年会
・(株)大王製作所
・滝川(株)
・(株)スバル産業
・(株)美貴本
・(株)協育
・(株)秋江
・特定非営利活動法人 エスエスエス 大塚 誉子
・(有)TRPG テーブルトークカフェ Daydream
・(有)サザンジュエリ−
・(株)サンジェルマン
・(株)ダ−リジャパン
・(株)ニッセン
・YUMII−JAPAN 新川 由美子
・五條天神社 始澤 澄江
・笹鮨
・東京農工大学
・(株)三山
・(株)エス・エス・ケイ (順不同、敬称略、4月28日現在)

 
 まだまだ多くの支援物資が届けられております   物資は分類毎に分けて保管しています


■「文化庁調査官による社殿調査が行なわれました」(4月21日)  去る4月21日(木)、国指定の国宝・重要文化財の建造物の地震による被害状況調査のため、文化庁より建造物担当の豊城浩行殿、西岡聡殿の2名が宮城県を訪れておりました。
 そして当日は、仙台市内の陸奥国分寺、仙台東照宮などを視察されたあと、県と市の文化財課の担当者と共に当宮に来社され、当宮からは、波岡技手、渡邊権禰宜、また御社殿修理を監理した文化財建造物保存技術協会の武藤殿も同行し、国宝である『御社殿』、また重要文化財である『長床』の震災状況について点検、確認作業が行われました。
 その際に御社殿、長床と共に大きな損傷は無かったものの、建物の側面にある洞目板のズレや下落が顕著に見られ、また御社殿では、建物が大きく揺さぶられたことによる木部の各接合部で漆の塗装面に亀裂や剥離が発生している箇所が確認され、今後の修理の方策を立てる調査となりました。

  
 長床内の調査から 本殿内部の彫刻が外れたところの点検

  彫刻自体の点検も石の間の天井の点検

神馬舎や社務所内の壁が崩れたところの点検

■「八重垣神社(亘理郡山元町鎮座)での災害復興支援活動」(4月19日)  去る4月19日(火)、災害復興支援活動のため亘理郡山元町に鎮座する八重垣神社へ行って参りました。
午前7時に当宮を出発し、仙台市内を抜け、東部道路を南に車を進めると、左側には津波の被害が広がる町や田んぼが見受けられました。しかし、右側を見ると津波の被害が少なく東部道路を境に、まったく違った光景が広がっていました。山元町は実家(福島県双葉郡)への帰り道になっており、よく通っていた場所でもある為、見慣れていた風景が跡形もなくなっていることに動揺しました。県内の石巻市、気仙沼市と同様に津波の被害が多いことは知っていましたが、実際目の当たりにすると以前に見た二つの市よりも酷く心が痛みました。
この八重垣神社は、去る3月11日の地震に伴う大津波により社殿、長床、手水舎、鳥居などが滅失しました。
そして、境内には様々なものが流れ着いており、本殿跡地には神社の物ではない物、その中でも隣の家の瓦、塀などが多く、人の力ではどうにもならない物が多くあると聞かされていたため、当宮から重機3台を持って行き、表参道の確保と本殿跡地の掃除、そして境内地に流れ着いた瓦礫、倒れた木の撤去等を行いました。
また、八重垣神社の宮司である藤波祥子殿から、御神体と棟札10枚がまだ見つかっていないと言われたため、我々はそれらを探しながら作業を進めていきました。その途中、神社の石碑が砂の中から見え始めるという嬉しい発見もあり、重機を使い慎重に引き上げました。
この日、町内には自衛隊員の姿もあり、重機を使い遺体捜索を行っていました。自衛隊員は大木や車、大きな瓦礫を持ち上げ移動し、進む先に障害物があればそれを取り除き、前に進むという作業の繰り返しのようでした。そしてその作業中、境内地に置いた石碑も同様に障害物と間違われ、危うく捨てられそうになりながらも、ようやく表参道の瓦礫を撤去して、本殿跡地の瓦礫を取り除き、無事に作業を終えました。
神社には御神体は勿論のこと、そのほかにも歴史的に価値のある物など、神職や職員がお守りしていかなければいけない物が多くあります。しかしながら、残念なことに今回の津波で流されてしまった神社や、御神物はありますが、今残った物を守ろうとしなければ簡単に瓦礫の中に吸い込まれてしまうということを感じさせられました。
最後に、境内に津波で折れた桜が開花しており、折れても尚、花を咲かす桜を見て春を感じつつも、その強さを見習わないといけないと強く感じました。  (谷津田 智之)


本殿跡に何故か車が、どこから流れ着いたか分からない大木や瓦礫が境内中に

重機や手作業で撤去作業を続け

ようやく車が通れるようになりました


■「災害支援活動」(4月6日)  地震発生後から10日余り過ぎた去る3月23日(水)、社務所前に大きなテント(10m×10m)の設置作業が行なわれました。
 このテントは、各県の神社関係者の方より宮城県神道青年協議会(神青協)宛にお送り頂いたり、直接当宮へ届けて頂いた『支援物資』を一時的にお預かりする為に設置されたものです。
 そして、神青協の若手神職の方々の手によりテントから各避難所へ必要な物資が運ばれております。
 その後も当宮へ物資は次々と届けられており、その都度支援活動へ活用しておりますが、現在の保管物品をお知らせ致しますので、必要な方は当宮までご連絡ください。 テキスト ボックス: ・マスク  ・ティッシュボックス  ・トイレットペーパー  ・大人用紙おむつ  ・尿とりパッド  ・ミネラルウォーター  ・ティーバッグ(緑茶・紅茶) ・白米・玄米  ・ブルーシート  ・布ガムテープ  ・ホッカイロ・足拭きマット  ・手ぬぐい ・毛布  ・タオルケット  ・布団  ・枕 ・シーツ  ・粉ミルク ・哺乳瓶  ・離乳食  ・乳幼児用紙おむつ  ・乳幼児用おしり拭き  ・ドッグフード  ・ガソリン ・灯油
















 但し、上記の保管物品は3月31日現在のものであり、数量に限りがある為、その後の支援活動によりご希望に添えない場合もございますので、予めご了承下さい。


 (株)斎テントの作業員により、骨組みが次々と組み立てられていきました

 次に、クレーンで吊り上げられた屋根部分も取付けられていきました

午前中から始まった作業もお昼ごろには完成しました
  
  
  完成した『保管テント』に早速物資が届けられ、職員総出で仕分け作業を行いました
  
物資を届けて頂いた栃木県神道青年協議会の方々です

■「月首祭並びに震災復興祈願祭が斎行されました」(4月1日)  去る4月1日(金)、1日恒例の月首祭に併せて、この度の大震災からの立ち直りを願う、『震災復興祈願祭』が宮司以下職員により本殿にて斎行されました。
 3月11日に発生した震災により一般の参拝者も姿を消し、御祈願の申込みも皆無となり、予定されていた結婚式や地鎮祭などの祭典も取り消しや中止が相次ぎ、神社としての職務も減少する中、電車やバス等の公共交通機関の不通、ガソリン不足など、神社へ通う職員の足も何かと不便をきたすことから、3月16日から31日までの間、やむを得ず職員も半数以上が自宅待機となり、およそ2週間、最少の人数でご社頭を維持して参りました。
 そして、一般的に新年度になる4月1日ということで、気持ちも一新し、新しい生活に入るべく、前日まで作業服姿で出社していた職員もこの日からはスーツ姿での出社となり、久しぶりに全員が顔を合わせ、ようやく通常の勤務体制となりました。
 午前10時から行なわれた祭典では、『宮司一拝』から始まり、お供え物を乗せた三方を神前にお供えする『献饌』、宮司による『祝詞奏上』にて震災復興を願い、仕女による『萬代の舞』奉奏、『玉串拝礼』、『撤饌』、『宮司一拝』の次第で滞りなく斎行されました。
拝殿内での参列はありませんでしたが、社殿前には祭典中ずっと足を止め凝視する参拝者が多数見受けられ、3月中はこのような光景が見られなかったため、月が変わった一日という日に一般の参拝者の方も震災からの一日も早い復興を願い、ご参拝されたのではないでしょうか。
また、この月首祭で神社が神社として、当たり前のように祭典を行なえることがどれほど有難いことか改めて感じさせられました。
 日常の大切さ、平穏であることの重みを今一度心に刻み、新年度に向かいたいと思うと同時に、一日も早く被災された方々が、以前のような日常の生活が取り戻せるよう職員一同心から願い、毎日の神明奉仕に励んで参りたいと思います。
 そして、八幡宮では当分の間、毎月1日の月首祭、15日の月次祭を始め、年間の祭典日の際には併せて八幡様大前に震災復興の願いを込めた祝詞を奏上し、一日も早い復興をお祈り致します。

『献饌』神前にお供えをします  『祝詞奏上』一日も早い復興を願います
 
仕女による『萬代の舞』奉奏 『玉串拝礼』

■「野村仕女・本田仕女送別会」(3月31日)  去る3月31日(木)、社務所にて野村さくら仕女、本田愛仕女の送別会が行なわれました。
野村仕女は、平成14年に市内の高校を卒業し、当宮に入社、丸9年と長い間ご奉仕して頂きました。また、本田仕女は平成20年に市内の高校を卒業し、当宮に入社、3年間奉仕して頂きました。
 この二名は、祭儀課の先輩・後輩で、雅楽では共に「龍笛」を担当し、祭典・結婚式等で奉仕しておりましたので、一度に二人が抜けてしまうのも寂しくはなりますが、両名共に目出度く結婚することが決まり、退社することになりました。
 本来ならば、3月中に市内の飲食店にての送別会が予定されておりましたが、今回の地震の影響でキャンセルを余儀なくされたため、31日の最終日に二人へ花束を贈呈するだけのささやかな送別会となりました。
    
退職する野村仕女(右)、本田仕女(左)職員全員で記念撮影


■「東北関東大震災」石巻での支援活動(3月18日)  去る3月18日(金)、地震発生後7日目を迎えたこの日、宮司の知人が避難している東松島市矢本のコミュニティーセンター、当宮の旧職員である及川神職のご自宅がある石巻市相野谷、宮城県神社庁副庁長である北野神社宮司の高橋範英氏が避難している総合センタービックバン、同市大宮町に鎮座する伊去波夜和気命神社(いこはやわけみことじんじゃ、通称神明社)、同市湊字牧山に鎮座する零羊ア神社(ひつじさきじんじゃ)に支援と安否、状況の確認を行なうため向かいました。
まず始めに、45号線を通り到着した矢本の避難所には約1000人が避難していました。知人に話を聞くと、支援物資(食料、毛布など)は来ているが電気、水道などはまだ復旧しておらず、トイレは外にあり多くの人が並んでいる状態でした。
次に向かった及川神職宅へは震災後2回目で、前回は食料と毛布などを渡していたため、今回は日用品などを中心に渡してきました。こちらもまだ、電気は復旧していない状態でした。そして及川神職より桃生支部管内の神職の安否を伺い、高橋範英氏がいる避難所(ビックバン)は及川神職の自宅より車で5分の所にあり、前回物資を持って行った際に高橋範英氏の奥様より女性の下着類が足りていないと聞かされていたので、仕女さん達から集めた下着類を奥様にお渡ししました。そして、総合センタービックバンの職員の方に熱日彦神社禰宜の黒須貫氏より預かっていた大人用紙オムツや衛生用品をお渡ししてきました。
石巻市内は地震の影響でいくつかの橋が通行止めになっているため、山を抜けながら市内に入ると、電気は通っておらず信号機は動かない状況、津波で流された車や家が道路の脇に寄せられており、車がやっとすれ違うことが出来る道路、かつての石巻街道、女川街道も車や船が道路に横たわり道路を塞いでいる状態でした。また、牧山トンネルも電気がついておらず車のライトを頼りに多くの自転車が走っていました。
そして、次の目的地である渡波地区まではいくつも通れない道があり迂回しながら神明社に向かいました。行く途中には海外のレスキュー隊や他県のレスキュー隊、電気工事に携わる方々がおり、活動をしておりました。
到着した神明社は傍まで車は入れない状況だったため、歩いて行き神明社の宮司さんを探しました。そこで飛び込んできたのは色々な物が散乱する境内、赤い社殿は見えているものの社殿回りは倒壊しているものが多く見られました。今回は、残念ながら宮司さんにはお会いすることは出来ませんでしたが、近くの避難所の人に話を聞いたところ、宮司さんは神社のお宮で生活していることが確認でき、一安心致しました。
最後に牧山の零羊崎神社に向かいました。山の上にある神社の道が通行止めになっていたため、迂回し向かった零羊ア神社は避難所になっており、社務所で70人ほどが生活しておりました。ここでは社殿、ご家族の無事は確認出来ましたが、お話を聞くとこちらでもガソリンが無く移動手段に困っているとのことでした。
今回出向いたことで津波の被害を目の当たりにし、報道だけでは知ることの得ない、同じ宮城県内でありながら、場所によって違う震災の大きさが伝わってきました。
また改めて自分たちが出来ることはお手伝いしていきたいと思いました。 (谷津田智之)

石巻市内 大きな建物は残っているものの、その周りは津波の被害が多く残っています


石巻市大宮町に鎮座する伊去波夜和気命神社(通称 神明社)の境内

一台の車がやっと通れる程になってしまっています   まだ道路に水が溜まっているところも

避難所になっている零羊崎神社


各地で他県から災害支援で来ているレスキュー隊員や消防車、自衛隊の車を見かけるように


■「東北関東大震災」(3月11日) 去る3月11日(金)午後2時46分頃、三陸沖を震源とする最大震度7とする地震が発生致しました。
 この東北関東大地震はマグニチュード9.0と国内最大とされており、甚大なる被害が各地で出ており、その様子が連日ニュースで報道されております。
沿岸部の被害状況はテレビや新聞でしか情報を得ることが出来ませんが、その被害は計り知れないものがございます。
 地震発生時は、当宮でもかなり強い揺れが数分続きました。その後、職員総出で境内の被害状況を確認したところ、本殿内部の組み物のひび割れ、壁のずれや、境内の灯籠の倒壊、また社務所の土壁の崩落や、窓ガラス、扉が外れた等の損傷はあるものの、建物や施設に重大な損壊はなく、確認の為に来社した市の文化財課の方からも「社殿の文化財としての価値は少しも失われていない」とのお言葉をいただきました。
 しかし、物資の確保や燃料の確保にはこちらでも困難を示しており、職員も出社しづらい状況の中、普段よりは少ない人数ではありますが、交代で出社し、八幡様をお守りしております。

 まだまだ余震が続き、予断を許さない状況ではありますが、この度、被害にあわれた皆様には、謹んでお見舞い申し上げますと共に、今後は、当宮と致しましても何が出来るかを考え、少しでも災害復興へのお手伝いが出来ればと思っております。

 ここで、当宮のこれからの予定につきましてお知らせ致します。
当宮でもいち早くの復興を願ってはおりますが、まず始めに、3月・4月に開講を予定しておりました「仙台・江戸学」講座につきましては延期とさせていただきます。日程は今のところ未定となっている為、決まり次第またご報告致します。

 また、毎年5月に開催している「皐月祭」は今年度は中止となりますので、ご了承ください。

■当宮の被害状況
一之鳥居左脇灯籠二之鳥居前の灯籠

  本殿脇灯籠  八幡様にお供えした神饌

  崇敬者より奉納されたお酒類  社務所北側の扉や壁の崩壊

 宮司自宅風呂場  工務所内部

・社務所内部

 社務所廊下厨房 社務所大玄関
社務室

■「仙台ロイヤルパークホテル神殿例祭斎行」(2月25日)  去る2月25日(金)、泉区寺岡にある仙台ロイヤルパークホテル内の神殿にて、例祭が斎行されました。
仙台ロイヤルパークホテルは、平成7年に開業され、開業時にホテル内の神殿に八幡大神様を御分霊、お祀りし、現在まで神前挙式がある際には当宮より職員が出向し、ご奉仕して参りました。
そして、この度の神殿例祭も開業時の平成7年より年に一度、八幡大神様への感謝の意をご奉告申し上げ、ご祈念を込めまして斎行されてきました。
当日は、冨岡社長以下要職にあたるホテルマン・ホテルウーマンの方々28名が参列される中、宮司一拝、献饌にて神前にお供えをし、宮司による祝詞奏上にて社業繁栄と皆様のご健康をお祈り申し上げました。また、普段斎行している神前挙式では、仕女が1人での「浦安の舞」奉奏ですが、今回は仕女2人による「萬代の舞」奉奏となりました。その後、宮司・祭員による玉串拝礼に続き、冨岡社長他従業員の方々による玉串拝礼が行われ、滞りなく神殿例祭が斎行されました。
また、最後には宮司の挨拶の後にお神酒を頂き、従業員一同新年度への気を新にしておられるようでした。

献饌 神饌を神前にお供えします     祝詞奏上にて社業繁栄をご祈念申し上げました

桜の花束を手にした仕女による「萬代の舞」宮司・祭員による玉串拝礼

冨岡社長、要職にあたる方々による玉串拝礼にて滞りなく神事が斎行されました


■「ご結婚、おめでとうございます。」(2月のご本殿での結婚式) 大崎八幡の大神様の大前において、次の方々がご結婚されました。

   2月5日 永倉・須藤 御両家  2月13日 佐藤・菱沼 御両家

2月19日 豊田・齋藤 御両家  2月19日 横山・藤根 御両家

 2月20日 佐藤・上澤津 御両家  2月27日 高嶋・大野 御両家

 八幡様のご加護のもと、お二人の末永いお幸せと、ご両家の益々のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。
誠におめでとうございました。


「絆」についての想い」

 ご覧になられた方も多いかと思いますが、去る1月13日の河北新報朝刊にて『松焚祭』の社報に合わせ、50組の参拝者の皆様の「絆」についての想いを掲載させて頂きました。
 そこで、日々ご奉仕する中での八幡さまとの強い「絆」がある当宮職員からも、それぞれの「絆」についての想いを聞きました。


 絆って何?
「離れがたく、つなぎとめているもの」だそうです。
 では私にとってそれは、まさにこの子たちです。
仕事柄、正月休みもゴールデンウィークもお盆休みもありませんので、連休で何処かに連れて行くということもあまり出来ないダメパパですが、今のところ何とか素直に育ってくれています。 いずれ、一人ずつ私たち夫婦のもとを巣立っていくことになりますが、その時、二人にとっての本当の「絆」が何であるのかわかるかもしれません。



 今から数十年前、私は大崎八幡宮のすぐ側にある仙台一中に通っておりました。
 当時の一中は新校舎設立の工事中でありましたので、唯でさえ狭い校庭が尚のこと狭く、学校の敷地内では体育の授業や部活動もままならない状況でしたので、近隣の八幡宮境内をよくお借りしていました。
 当時の部活動では、100段ある大石段を何回もダッシュで登らされた時には、失礼ながらこの大石段を作った先人を恨めしく感じていたのも、今では良い思い出として残っております。
 また、秋になりますと境内に露店が並び、学校帰りに買って食べるのが楽しみでしたし、初詣では、寒い中甘酒を飲む為に家族でお参りしたのを覚えています。
 その頃は、まさか八幡様に奉職するとは夢にも思いませんでしたが、家族の薦めもあって、神職の道を進み、縁あって八幡宮に勤めることになりました。
 10年勤めた後、諸事情により一度八幡宮を離れておりましたが、宮司のご配慮もあり、再び奉職する事ができましたのも、八幡宮との「御神縁」であり、「絆」であったのかと、改めて感じております。
 今後も仙台の総鎮守として、御神徳の昂揚と御神域の護持とに、改めて尽力して参りたいと、落ち葉が舞い散る大石段を掃除しながら思いました。



 私には現在二人の娘がおりますが、常に全力でぶつかってくるので、熱意をもって子供たちと向き合っています。
 子供たちから学ぶことも沢山あり、毎日がいい意味で退屈していません。私が子供を支えているのではなく、子供に私が支えられているなぁと常々思っています。 そんな娘も長女は来年小学生。これからもヨロシク!と娘にいっておきます。



 縁あって八幡宮に奉職し、今年三年目を迎え3回目のお正月・松焚祭を迎えようとしている。この一つの縁が私は「絆」ではないかと考えます。
八幡宮で「八幡さま」を常に近くで感じること、そして国宝である御社殿を守ること、この二つが多くの「絆」の基礎になっていると思います。
八幡宮に奉職する前の私ならば、家族、友人などの「絆」しかみえなかったであろうが、多くの触れ合ううちに根本にある「絆」がほんの少し見えてきたと思います。
私は色々な形の「絆」があると思うが、一つの縁から出来た「絆」をこれからも大切にしていきたいと思います。


昨年10月に結婚をしました。まだ約3ヶ月間しか一緒に生活をしていませんが、日々炊事、洗濯、掃除などあらゆる面において支えてもらっています。その妻の支えがあるからこそ、独身の時よりも一層、神社での奉仕に励むことが出来ています。
妻の大切さを感じながら毎日を過ごし、たまには恩返しをしなければと思います。





  私の両親は、私がやりたいことをいつでもやらせてくれました。小学校から高校までは野球をやり、高校も大学も私の我儘で私立の学校に行かせてもらいました。そのおかげで私は目標としていた職業に就くことが出来、今は満足しております。
これからも両親を大切にし、両親に今までの我儘言っていた分を少しずつ返していき、親孝行をしたいと思います。

 



 「大切なものは目に見えない」−フランスの作家、サン・テグジュペリの著書「星の王子さま」の中に登場する一説です。シンプルな物語ですが、人として生きていく上で大切なメッセージが散りばめられているところが「大人の童話」と言われる所なのではないでしょうか。
今回のテーマ「絆」という言葉に触れたとき、真っ先に思い浮かんだのは冒頭の言葉でした。漢字で見ると「糸」と「半」。漢字を作った人は詩人だと思います。まるで半分同士の糸が結びついて一つの漢字を成しているようです。私が今という糸をここまで紡いでこられたのは、家族、友人、大切な人たちともう半分の糸で結びついてこられたからです。
喜びの糸はもちろん、当時は辛く苦しい時期も後から辿れば未来の自分に必要な縁だと思います。
今までもこれからも、半人前の私は様々な方々の糸を授かりながら、また少しずつ糸を紡いでいけたら幸いです。


 「絆」とは考えてみると様々な繋がりが見えてきます。家族・友人、神社で奉仕していく中での繋がりはもちろんのこと、私には新に「絆」が一つ増えました。それは、宮城県を中心に2年前に結成された『伊達長渕会』。名前から分かるようにシンガーソングライターの長渕剛ファンが集まった私設団体です。
今までファンの方との交流がなかった自分にとって、初めての出会いであり、ファン同士の強い「絆」を感じる瞬間でもあります。
この「絆」をこれからも大切にし、さらに交流を深めていければと思います。

 「絆」とは目に見えないものなのでよく分かりませんが、普段当たり前のように隣にいてくれる家族や恋人、親友たちには「絆」が存在しているのだろうと思います。
改めて確認した事ではありませんが、相手の自分に対する行動や言動で私のことを大切にしてもらっているのが伝わってきます。
この気持ちというのはやはり相手と直接会って、目を見て初めて気付くことではないでしょうか。インターネットでの交流が多い現代ですが、真の「絆」とは直接相手と触れ合って徐々に生まれていくものだと感じています。




 「絆」とは何か。
そう考えたときに思い浮かぶのは家族や友達です。父と母がいて、兄が生まれ、私が生まれた。今こうして平和に健康に毎日を過ごしているのは家族のおかげであり、感謝してもしきれません。
そしてもう一つ、私の生活に活力を与えてくれる存在が友達です。私が悩んでいる時に親身になって話を聞いてくれたり、嬉しいことがあると一緒に喜んでくれたりと改めて考えると良い友達に恵まれていると強く感じます。
これからも家族や友達、全てのものに感謝をしながら「絆」を大切にしていきたいと思います。



「絆」とは色々な人に出会い、過ごしてきた日々の中で繋がれていくもので、今までとこれからを生きていく上でとても大事なものだと考えます。
家族、友人、恋人・・・対象とする相手によって「絆」の形も様々だと思いますが、どんな形であっても相手のことを大切に想う気持ちと、大切に想われたい気持ちが繋がれば「絆」になると思います。

 


  一日一日を一生懸命にという気持ちが強い為、自分に余裕が持てないときが沢山あります。そんな時に自分を救ってくれるのは先輩方や後輩でした。
逃げ出したくなった時などに支えてくれ、迷惑をかけてしまうことが多い自分へ優しく接してくれる先輩方や後輩が私は大好きで、感謝でいっぱいです。
この感謝の気持ちを忘れずに悔いが残らぬよう、これからも日々の奉仕に勤めていきたいと思います。




 年末年始の助勢者の中に高校時代の知り合いや、幼稚園、地元が同じ人が数人おり、久しぶりの再会が神社であることに八幡様の「縁」を感じました。
そんな八幡宮で奉仕をさせて頂く上で、これからどんな「縁」に出会えるのだろかと考えるととても楽しみになります。

 

 





挨拶で始まり挨拶で終わる、家族の一日。
「おはよう」、「行ってきます」、「行ってらっしゃい」、「ただいま」、「お帰り」、「おやすみ」。私はこの何気ない家族の挨拶を大切にしています。
「お帰り、今日は遅かったね!お疲れ様」、そんな言葉から家族の気遣いを感じ、そして癒されます。妻や子供たちから自然に返ってくる挨拶、こんな当たり前のことで家族の幸せを感じ、そして「絆」を感じることが出来るのです。
昨今、会話の少ない家族も多いと聞きますが、挨拶から会話が始まり、そして広がっていくこと言ったこともあるのではないでしょうか。
子供たちも成長してくるとそれぞれの時間が多く、家族でゆっくり会話をする事が少なくなってきているからこそ、尚更挨拶という会話がとても大切に思えます。


■「節分祭斎行」(2月3日)  去る2月3日(木)、節分祭が斎行されました。
 節分祭とは、厄を祓い新春を迎える神事で、当日午後3時からの祭典では、約60名の裃を着用したご参列の皆様が本殿に参進し、宮司による祝詞奏上、鳴弦式、巫女による「萬代の舞」奉奏、振り鈴の儀、宮司・祭員による玉串拝礼の後、参列者代表による玉串拝礼が行なわれ、神事は厳粛に斎行されました。
 この祭典の中で行なわれる「鳴弦式」とは、神職が弓と鏑矢を用いて東西に向けて三度ずつ弓を引いて弦を鳴らし、鬼を追い払います。これは古代中国の儀式にならったもので、この弓は古くは桃の木が使用されており、桃は「桃太郎」等の童話からも分かるように鬼が最も嫌がるものとされていたようです。
 神事終了後には、福物散豆式が行なわれ、本殿・馬場特設舞台にて「豆」や「福物」、また「ボール」や「みかん」、「あんぱん」等をも撒き、集まった参拝者の方々にお福分けを致しました。
この『節分』と言えば、豆まきが連想されますが、元々は“年越大祓”の神事として行なわれ、宮中で災厄の元凶となる鬼(鬼に扮した人)を追い払うための儀式からきており、「追儺(ついな)」または「鬼儺(おにやらい)」とも呼ばれておりました。
 その後、室町時代になり、宮中から次第に民衆へと広まってきたところで初めて「豆を撒く」儀式が加わり、豆(煎り豆)を撒いて悪鬼を追い出す行事へと発展したのです。
 そして、この豆を撒くときに一般には「福は内、福は内、鬼は外、鬼は外」と繰り返し唱えますが、当宮の場合、この一般の唱え言葉の後「天打ち、地打ち、四方打ち、鬼の目ん玉ぶっつぶせー」と続きます。なぜ、そのように唱えるようになったのかは不明ですが、当宮の節分祭が始まった昭和33年頃より言われ続けてきたようです。初めて聞くと少し怖いように聞こえますが、豆を「魔の目(魔目=まめ)」に投げることにより、「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じると言われておりました。
 『節分(豆まき)』には、新春を迎える神事として定着し、煎り豆を歳の数だけ食べると一年間無病息災であるという意識が浸透していることからも分かるように、昔から「災いごとを取り除き、福が来ますように」と人々一年間の願いが強く込められていたのかもしれません。
  
 撒く物をカゴに分けて、舞台の各所に置いていき準備完了です

『節分』の主役?の鬼登場!  宮司による祝詞奏上  神職が弓を引いて鬼を
  追い払います
 
  梅の花束を手にした巫女による「萬代の舞」 宮司・祭員による玉串拝礼
  
 参列者代表による玉串拝礼  いよいよ本殿前にて「豆まき」

 特設舞台でもお福分け 舞台前には多くの参拝者が集まりました

■「東北楽天ゴールデンイーグルス必勝祈願祭」(1月30日) 去る1月30日(日)当宮において、プロ野球パ・リーグ東北楽天ゴールデンイーグルスの今年度就任した星野仙一監督はじめ、選手スタッフ一同、約100名の必勝祈願祭が斎行されました。
当日は前日から降り続いた雪の影響で、早朝より職員総出で除雪作業を行ない、監督・選手陣は表参道の階段を上がってきました。そして控え所より本殿に昇殿し、神職による祝詞にて必勝をご祈願申し上げた後、島田亨オーナー兼社長、星野仙一監督、嶋選手会長ら6名が代表し玉串拝礼を行いました。また祈願祭終了後には、星野監督はじめコーチ・選手の全員が「必勝」を掲げた大絵馬(縦1メートル・横2メートル)に揮毫をし、今シーズンの意気込みを絵馬に込め、日本一に向けての決意を新たにしておりました。
必勝の神様である「八幡さま」のご加護の元、東北楽天ゴールデンイーグルスがクライマックスシリーズに出場、更には日本シリーズ優勝も心よりご祈念申し上げます。
また当宮の社頭では、楽天チームのキャラクターである「クラッチ君」を刺繍した『必勝守護』を頒布しております。この「クラッチ君」と一緒に球場へ応援しに行ってみては如何でしょう。

本殿前、表参道、大石段等々、職員総出で除雪作業を行ないました。

監督・選手の皆様は    監督・選手を一目見ようと
大石段を上がってきました  境内にはファンの方々が

先ず、関係者の皆様を清め祓います 祝詞にて必勝を御祈願致しました

島田社長ら6名が代表し玉串拝礼   各選手、関係者の皆様が「大絵馬」に揮毫

星野監督も「夢」と掲げ、決意を新たにしておりました

「先ずは怪我をしないことが  一緒に撮っていただきました  当宮で頒布している
一番」と語っておりました 『必勝守護』


■「節分祭準備」(1月26日・27日)  正月・松焚祭が過ぎ、一段落したのも束の間、当宮では現在、来る2月3日の節分祭に向けての準備が進められております。
 境内馬場には1月26日・27日の2日間に渡り、節分祭の祭典終了後に行なわれる「福物散豆式」用の特設舞台が、職方の(株)植耕作業員により設置されました。
 そして、ご社頭では「福豆」と「一升枡、一合枡」の頒布が始まりました。「枡」の“福”と“寿”という字は神職が一つ一つ毛筆で浄書しております。また、頒布と同時にこの時期に厄祓を受けられた方々にも「福豆」と「枡」を撤下しております。福豆は炒ってある大豆になりますので、そのまま食べられます。
 今年厄年に当たる方は、いつまで厄祓を受けなければいけないとは決まっておりませんが、一年間のご自身の「厄」になりますので、当宮ではお問い合わせがあった場合、『二十四節気による旧年から新年の変わり目に当たる立春までに』とは伝えております。
 ご祈願の受付は随時行なっておりますので、ご都合に合わせましてご参拝頂ければと思います。

  土台となる足場から徐々に組み上げていきます

  屋根になる部分も組み立てられ、御簾を上に付けていきます

ブルーシートを張り、完成まであと一歩    ご社頭で頒布している「福豆と枡」
■「文化財防火デー」消防訓練行われる(1月26日)  去る1月26日(水)、「文化財防火デー」に伴う消防訓練が行なわれました。
昭和24年1月26日に法隆寺(奈良県)の金堂が炎上し、壁画が焼損したのをきっかけに、また、1月・2月が1年のうちで最も火災が発生しやすい時期であることから、昭和30年に「文化財防火デー」が制定されました。
 その為、当宮でも毎年1月26日に、青葉消防署、青葉消防署国見出張所、八幡分団、国見分団の皆様、当宮の消火設備を管理している(株)櫻井防災、当宮近隣の氏子の方々にお手伝い頂き、八幡様の万が一の時に備え、消防訓練を実施しております。
 今回の訓練では、境内末社脇の杉林から出火したとの想定のもと行なわれ、職員は火災発見時の連絡対応、119番通報訓練、初期消火、初期消火失敗後の参拝者誘導、本殿から「御」を搬出、太元社に移した後、放水銃による放水訓練等を行ないました。
 また、氏子の方々には、水消火器による消火訓練、バケツリレー等に参加して頂き、貴重な文化財を火災から守っていかなければと職員と同じく、再認識して頂けたのではないでしょうか。
消防訓練閉会後には、冷えた体を温めて頂こうと“甘酒”を皆様にお配りし、本年も無事終了となりました。
 毎年、沢山の皆様のご協力のもと消防訓練は実施しておりますが、火災が発生し、実際にご協力を頂くことのないよう祈るばかりです。
  
氏子の皆様によるバケツリレー
  
 消防車が次々に到着  北参道でも放水訓練を行いました
  
 本殿の西側、東側の4ヶ所から放水開始!!
  
閉会式 終了後は“甘酒”でホッと一息

■「ベガルタ仙台 必勝祈願祭」(1月21日)  去る1月21日(金)、本殿にて今年もサッカーJリーグ1部(J1)ベガルタ仙台の手倉森誠監督をはじめ選手、スタッフ一同の約50名が必勝祈願を受けられました。
 当日は天気が良いものの、寒さが厳しい中、選手・関係者の皆さんは、表参道の100段の大石段を一気に上がり、緊張した面持ちで昇殿。運営会社である(株)東北ハンドレッド白幡洋一代表取締役社長・手倉森誠監督が代表して玉串を捧げ必勝を祈願、また祈願終了後には白幡社長、手倉森監督、選手、コーチ陣らがサインを入れた縦1メートル、横2メートルほどの大絵馬を奉納し、今季のJ1優勝への誓いを新たにしました。
 ベガルタ仙台の今季の更なる活躍をご期待申し上げております。

  白幡社長を先頭に監督・選手らが参拝に   昇殿した一同 まずはお祓いを受けます

  祈願したお札を手にする白幡社長祈願終了後に記念撮影

 奉納された大絵馬  祈 必勝!!  社長、監督の決意も込められております


■「大寒禊に参加してきました」(1月20日)  禊とは罪穢れを祓い清めることですが、我々神職、巫女は精神鍛錬の一環として毎年、一年で最も寒いとされる「大寒」の日に禊を行なっております。
 本年も、去る1月20日に七ケ浜の菖蒲田浜海岸にて、宮城県神道青年協議会主催の35回目となる「大寒禊」が行われ、当宮より宮司、谷津田権禰宜、菅原権禰宜、菅原出仕、佐藤仕女、本田仕女の6名が参加してきました。
 当日は、まだ日の出前の6時に集合し、6時30分「エイッサー」の掛け声と共に駐車場所より砂浜に勢い良く向かいます。まずは砂浜で道彦(先導役)に伴い「鳥船行事」で心身を整えた後、いよいよ海の中へ。海の中では「大祓詞(おおはらいことば)」を奏上し、罪穢れを祓い落としました。
 いつも以上に波が高く感じられ、寒さも増した今年の菖蒲田浜。初めて参加した菅原出仕からは、「つらかった・・・。」と一言だけの感想でしたが、一つの良い精神鍛錬の場となったのではないでしょうか。

 夜明け前の菖蒲田浜海岸勢い良く砂浜に向かいます

 「鳥船行事」で心身を整えます海のなかでは「大祓詞」を奏上

 本田仕女 大丈夫? 朝日を見ながら焚き火で冷えた体を温めます


■「松焚祭」(1月14日)  当宮の松焚祭は三百年の歴史を有す全国でも最大級の正月送りの行事です。
 この松焚祭は“どんと焼き”とも言われており、小正月神事の一つで、年末より納められた古神札やお正月様、しめ飾りや松飾り等は14日の夕刻より執り行われる神事にて点火され、お正月の間に各家々に訪れていた神様を送る「御神火」として、この火にあたると一年間無病息災であると言われております。
 また、この「御神火」を目指して参拝する「裸参り」があり、今年も111団体、2,825人の参加がありました。毎年、企業・団体の皆様、中には個人で参加される方もおり、市内各所より晒を巻き、白鉢巻を身につけ、口には私語を慎む為の「含み紙」をくわえ、鐘を鳴らしながら歩いてくるさまは、仙台の冬の風物詩として全国に知られております。
*今年の松焚祭の参拝者数は76,602人となりました。


境内には朝早くから古い神札やお正月飾りを持った参拝者が見られました

 山になった古神札やお正月飾り

 点火直後  点火された山の周りには夜遅くまで参拝者が
「御神火」にあたっていました

■「兼務社 春日神社歳旦祭」(1月9日)  去る1月9日(日)、当宮宮司が兼務している八幡2丁目に鎮座する春日神社にて歳旦祭が執り行われました。
 本来は1月1日に斎行される歳旦祭ですが、本務社である大崎八幡宮の初詣参拝者への対応のため、毎年例祭日の1月9日に斎行しております。
 当日は、春日神社の役員さん、氏子の方々が参列する中行なわれ、お清めのお祓いの後、宮司により皇室の弥栄とわが国の永遠の繁栄を祝詞にて奏上し、玉串を神前に捧げ一年のご安寧をお祈りしました。そして祭典終了後の直会では、宮司含め役員さんらで、今後地区町内の皆様に「より親しみを持って行事にも参加して頂く為にはどのようにしたら良いか」等の意見交換がなされていました。
 月に一回、神職が出向き月次祭を斎行している春日神社ですが、普段は今回ご参列頂いた春日神社の役員さんや、地区町内会の方々に境内の管理をお願いし、春日神社をお守り頂いており、そのおかげもあり、昨年には皆様のご協力のもと、無事に社殿修理及び境内整備事業を終えることが出来ました。
 これからも町内の氏神様として皆様にお守り頂き、憩いの場として活用して頂ければと思います。
  
お正月用にお飾りされた春日神社覆屋と社殿
  
 役員総代さんらの玉串拝礼
  
 ご参列頂いた皆様と記念撮影   直会では終始和やかな歓談が続きました


■「伝播八幡井組雀踊り奉納演舞、ボーイスカウトの餅つき大会」(1月9日)  1月初めの日曜日ということもあり、多くの参拝者で賑う中、本殿前にて伝播八幡井組雀踊り保存会の会員による年始めの“奉納演舞”がありました。まだ雪が残る境内でしたが、お囃子や演舞している子供たちの元気な掛け声が響き渡りました。また同じ頃、境内の広場にてボーイスカウト仙台27団による恒例の餅つきが行なわれました。 ボーイスカウト会員はもちろん、参拝者の方もご自由に参加する事が出来、大きな釜で炊いたもち米を交代しながら餅つきが行なわれ、ついたお餅は「あんこ」「きなこ」「納豆」の三種類の味付けがされ、あっという間に完売となりました。

 まずは八幡様にご挨拶から 元気いっぱいの演舞を披露してくれました

 子供たちも交代で力強く餅をついていました

 終った後には沢山の参拝者で賑いました

■「歳旦祭・松焚祭採火式斎行」(1月1日)  当宮において、一年の始めの祭典となる「歳旦祭」。
 この「歳旦祭」は、新年を迎えたことをお祝いし、皇室の弥栄とわが国の永遠の繁栄を祈る祭典です。 元日の午前9時から本殿にて行なわれた祭典では、役員総代が参列する中、宮司による祝詞奏上にて新年を迎えたことを御祝申し上げ、採火の儀、巫女による「浦安の舞」が奉奏された後、宮司・祭員の玉串拝礼、役員総代の玉串拝礼が行われ、滞りなく厳粛に斎行されました。
 また、祭典の中で行なわれた「採火の儀」は、1月14日に行なわれる松焚祭(どんと祭)のご神火となるもので、宮司の手により火打ち石を用いて切り出された火は「忌火」とも呼ばれ、松焚祭当日まで灯され続けます。
  
宮司による祝詞奏上採火の儀 火打ち石を用いて火を起こします

巫女による「浦安の舞」 祭典終了後、役員総代さん達との記念撮影

  仮設賽銭箱からの参拝者の長い行列は大階段まで続きました
 
*今年の初詣の参拝者数は、三が日合計で91,920人となりました。
■「平成23年辛卯歳を迎えました」


 今年も八幡宮の出来事を随時更新し、ご覧頂いた皆様に八幡様が身近に感じ、親しみを持って頂けるよう配信して参りたいと思いますので、宜しくお願い申し上げます。
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