国宝 大崎八幡宮
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八幡さま便り

■08号

鳩の声

【写真】八幡さま便り08号活気に満ちたこの季節、仙台近郊の水田は既にお田植えを終えたようだが、緑一色の田園は豊かで、それを眺めやるのはとてもすがすがしく心を和ませてくれる。
さて、去る5月18日天皇皇后両陛下ご臨席のもと第48回全国植樹祭が白石市蔵王山麓の国立南蔵王青少年野営場を会場に「森づくり 大地に託す 夢・未来」をテーマに盛大に開催された。
これは、宮城県内では大衡村で行われた第6回大会(昭和30年)に続き2回目の開催であり、会場は約20ヘクタールの荒れ地であったが、平成6年から森林の再生事業が進められ、以前その地に繁茂していたであろうブナやナラなどの広葉樹を植栽し、蔵王の山麓に新たな森を創出させる、という植樹祭の中でも異例の試みであったそうだ。次回の植樹祭が当県で行われる頃には、この森も一人前の森となっていることだろう。
しかしながら植樹作業による「始めの一歩」だけでは森へと育つことはない。陽の恵みと慈雨による潤い、下草を除草し樹勢を整え、時には間伐をも行い自然の恵みと我々自身が手をかけて大きな森へと成長していくことになる。
今に生きる我々の努めとしてこの小さな森を、時代を担う青少年のために守り育て、大きな森として継承するため見守っていかねばならない。
ここ仙台の地も都市化が進み、また建築ブームが続き緑地が年々減少している。空からお八幡様を眺めると、八幡神社周辺にあっても住宅地で埋めつくされ、鎮守の森はさしずめ都市に浮かぶオアシスのようである。
その鎮守の森は「杜の都の環境をつくる条例」の保存緑地にも指定されているが、毎年樹木を植栽し、また社頭においても随時献木、記念樹の奉賛受付を行っている。
氏子崇敬者や参拝者の皆様から寄進された樹木は表参道添いに植栽し、境内地に相応しい緑地の保全に努めている。
鳩の子等も、常に自然の恵みに生かされていることに感謝し美しい潤いのある緑の保全に尽くしていくだろう。
氏子崇敬者、ご参拝者の皆様には季節の変わり目にて、お身体ご自愛の上、益々のご活躍の程社頭よりお祈り申し上げます。


八幡宮Q&A

Q:私の母親は八幡神社のことを「お八幡様」と言っています。神社からのお知らせ等には八幡神社となっていますが、鳥居には「八幡宮」と書いてあります。どちらが正しいのでしょうか。

A:そもそも神社には○○宮、○○神社等の呼び方があり、それらは鎮座地、ご祭神、由緒によって異なります。中でも「宮」の呼び方をされる八幡神社は、宇佐八幡宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮等で由緒深い大きなお社と言えます。
さて、社務所にもよく社名についての問い合わせがありますが、ご社殿前の長床正面には「大崎八幡宮」の扁額があり、そのためにお問い合わせがあるものと思います。
それは、伊達政宗公が、御造営になった頃の御遷宮の事を記した『貞山公治家記録』慶長九年(一六○四年)、『政宗君治家記録引証記』慶長十二年(一六○七年)また、享保三年(一七一八年)仙台藩五代藩主、伊達吉村公の揮毫である三之鳥居の扁額は「八幡宮」となっていますし、九月十五日例大祭神幸祭で渡御される神興の『御水引幕』慶長十三年(一六○八年)や『奥州仙台城下絵図』正保二年(一六四五年)、また『仙台城下絵図』天明六年(一七八七年)、などにも当社を「八幡宮」と記してありますので、創建時より「八幡宮」と呼ばれていた様です。  
しかしながら明治時代に入り、神社は国家の管理のもとに組み込まれていろいろな制度が整備され、中でも社格制度のもと当神社は大崎八幡神社という社名になり、戦後国家管理から離れても同じように「大崎八幡神社」と称して参りました。
以上のことから神社創建以来の社名については「八幡宮」となっており、歴史的経緯からも「大崎八幡宮」の方がよいと考えています。
そのために御鎮座四百年(平成十八年)に向けて、現在の「大崎八幡神社」から「大崎八幡宮」に社名を変更する手続きを進めていますが、お母様が呼ばれていた様に「お八幡様」が一番親しみを感じられよい呼び方だと思います。

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